毒師のガイル
こんなにも絶望的な朝を迎えたのは初めてだった。
朝といっても昨日から眠れるはずもなく、鏡を見なくても酷い隈ができているに違いない。この顔を見たら毒慣らしを諦めてくれないだろうか。そんな微かな願いを持ち、ナンシーが起こしに来るのを待つ。
それからすぐに控えめなノックが響き、返事を待たず扉が開く。
「アシュリー様、お目覚めですか」
いつも笑顔で私の1日を迎えてくれるナンシーは、掠れた声で私を呼んだ。顔も疲れている。
「ナンシーどう、したの?」
「おいたわしいですっ、アシュリー様、なぜ、なぜ、アシュリー様がこんな目にっ」
顔を覆って叫ぶナンシー。この所、ナンシーの笑顔を見ていない。いつも苦しそうにしている。
「お母様から聞いたの…?ナンシー大丈夫よ」
そこで顔を上げ、私の顔を見たナンシーはギョッとした。
「アシュリー様、眠られなかったのですね。この様子ではきっと、奥様も毒慣らしを先送りにして下さいます」
ご安心ください、とナンシーは言ったが多分、母が先送りにすることはないだろうとぼんやり思う。
「…ナンシーお兄様は?」
ふと兄が姿を表しに来ていないことに気がついた。
「ヴィンセント様は、昨夜、本家の方に呼ばれて…」
本家ということは、父が呼んだのだろうか。きっと私のことを庇おうとするのが邪魔でこの屋敷から遠ざけたに違いない。
「ヴィンセント様は出立を渋られていましたが、ご当主様のご命令でして、」
「分かっているわナンシー、お兄様は私を守ってくださったわ。充分に。」
目を閉じ兄を思う。優しい兄のことだ、きっと感じなくてもいい痛みを感じているに違いない。
「それで、これをアシュリー様にと」
ナンシーが渡してきたのは、深い青をした小さな宝石が光るネックレスだった。
「これをお護りに、と」
その色は兄の色だった。私はそのネックレスを握りしめ、つけましょうか、と言うナンシーを止めた。
「いいの、しっかり、もっていたいの」
その兄と同じ髪色の宝石だけが私の手の中で光り続けていた。
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「顔色が悪い?」
ちらとこちらを見た母の視線だけで体が強張る。
「はい。アシュリー様は昨晩お眠りになられなかったようで…それに体力もまだ戻りきっておらず…」
「ですが、もう先生は呼んであります。こちらの都合でお帰り頂くなんて失礼でしょう。」
「ですがっ、ただでさえ毒慣らしは危険ですっ!体力が充分に戻っていないアシュリー様のお体が耐えられるわけがっ」
ナンシーの言葉を最後まで待たず、母は扉の前の使用人に合図した。
開かれた扉から部屋に入ってきたのは、腰の曲がった老人と2人の大男だった。
老人は、色の悪い皮膚に左右の大きさが明らかに違う目を持ち、頭ばかりが大きくて体のバランスが取れていない。所々焼けた顔には不気味な笑みが貼り付けられている。
老人の後ろの大男はというとどちらも全く同じ顔と体型だ。双子なのだろうか。まんまると肥えた体にだらしなく空いた口。2人ともどこを見ているのかあらぬ方向を見つめている。
貴重な骨董品が飾ってあるこの部屋の中に彼らはとても似つかわしくない。不気味だ。
言い知れない恐怖感を覚え、隣のナンシーを見るが、いつもは健康な色をした頬が青白く冷めている。
そんな異様な空間に母の淡々とした声が響く。
「彼らがこれから貴女の毒慣らしをして下さいます。」
「ヒヒ、初めてお会いいたしますガイルと申します。」
その声はまるで毒を吐いているようだ。私を舐め回すように見る視線が気持ち悪い。
「後ろにいる大男はディーンと申します」
ガイルの後ろにいるのは、2人のはずだが1人の名前しか言わないことに疑問を持った私を見透かすようにガイルはまた気味悪く笑う。
「こやつらはすこぉーし、頭が弱くてですなぁ、自分の名前すら覚えられんのです。ですから、ディーンと呼べば2人とも反応するんです、ヒヒッ」
ガイルがディーンと呼んだ時、ギョロリと2人の目がこちらを向いた。
それを見て、怯える私をガイルはまた笑う。
先程からガイルは私の反応を見て、楽しんでいるようだ。それが何だか許せなくて、勇気を振り絞りキッとガイルを見据える。
「初めまして、アシュリーと申します。これからよろしくお願いします。」
声が震えてしまった。
ガイルはそんな私の虚勢を見透かしたようにまたニタリと笑う。
「では早速、朝食に毒を、ヒヒッご安心ください、初めですからほんのすこぉーしですよすこぉーしです、ヒヒッ」
その後、自室に戻り少しすると運ばれてきたのはリゾットだった。
見た目や香りは特に変なものはない。
そっと一口含み、ゆっくり嚥下する。
普通のリゾットだ。変な味も風味もしない。
皿が空になったが、体に異変はない。以前、毒に関する本で毒の中にも即効性と遅効性のものがあるらしい。ということは、今私が含んだ薬は遅効性なのだろう。
いつ毒の作用がくるのかわからず脅えて過ごす時間は恐ろしかった。
それは昼食が運ばれるまで続いた。
脅えながらまた昼食のリゾットを口に含んだ。
皿の底が見えてきた所で唐突に手足が痺れ出し、スプーンが音を立てて落ちた。
「アシュリー様っ⁈」
慌ててナンシーが駆け寄ってくる。
「大丈夫、よ」
痺れは徐々に治まっていった。
ナンシーが私を心配しつつも皿を下げようとした時、ガイルがノックもなしに部屋に現れた。
「なっ、失礼です!ガイル様!ノックもなしに…っ」
「いやいや、申し訳ない礼儀など知らぬものでしてなァ、ヒヒッ」
「して、メイド殿この老いぼれの目には、まだ皿に残りがあるように見えるのですがなァ」
「アシュリー様は手足の痺れを感じれおられるので…」
「いけませんなァ、メイド殿?途中、副作用が現れましても全て平らげていただかないと正確な記録がとれませんのでなァ」
ですが、と引き下がろうとしないナンシーの元から皿を取り、残りを平らげる。
「ほォ、感心ですなァ、ヒヒッ」
不気味な笑みだけを残して去ったガイル。
夕食はどんな毒を仕込んでくるのだろう。
これから毎度の食事に毒が仕込まれているだなんて考えただけでも背筋が震える。
震えを沈めるように兄に貰った宝石をひたすら握りしめ、朝を待った。
次回からは残酷な表現が多く含まれていきます。頑張れアシュリー