異変
「っ。もう朝か……」
色々と気になることはあるが、真っ暗で静かな状況ではいつの間にか意識が無くなっていたようだ。
テントの隙間から差し込む光で目が覚める。野宿に慣れていないせいもあって疲れは残っているが、このくらいの疲れで根は上げていられない。ぐっと背伸びをして外の状況を確認しようとすると、セネディとアルトの話し声が聞こえる。何かの相談事だろうか。こんなテントの近くで話しているということはプライベートな内容ではないだろう。護衛に関することなら俺も混ざるか。
「おはよう、ケーマくん。話し声で起こしちゃったかな?」
「いえ。ちょうど隙間から差し込んできた光で目が覚めただけです。それにしても早いですね」
テントからでてきた俺に気づいたセネディが声をかけてくる。目が覚めたのは話声でなく日の光であることに間違いはないので否定する。
とはいえ、日は昇っているが、まだ五時だ。普通の話し合いをするには少し早すぎる時間だろう。
「少し気になることがあってね。セネディさんに報告していたんだよ」
「森の静けさについてですか?」
「ケーマくんも感じていたか。この森は普段ならもっと魔物の存在があるはずなんだよ。そのために罠まで張っているんだからね」
やっぱり、あの静けさは異常だったのか。森野の科での活動経験なんてほとんどないが、一人で静かな森の中で風の音が聞こえる以外に何の音もしないのは普通じゃないからな。これが何かの前触れなのか、それともただの偶然なのか。
「ただの偶然だとは思うんだけどね。それでも一応、早めに出発することにするよ」
こんな旅の中だ。用心するには越したことはないだろう。何かが起こる可能性なんてそうそうないだろうが、起こってからでは遅い。俺としても早めに出発する方がいいと思うから、セネディの言葉に頷いて返す。
まだ寝ている三人を起こし、朝ご飯は携帯食で我慢して先を急ぐ。
森の中を馬車で走っても、魔物の気配を感じない。これだけ音を立てていたら少しくらい魔物が近づいてきていてもおかしくないはずなのに。
不安なのでアルトの元へと行く。俺はこの辺りの知識も無いし、冒険者としての知識も無い。自分だけで考えていても堂々巡りに陥って気が滅入るだけなので、こういう時は先輩に頼るべきだろう。
「本当に不気味だね。こんなことなら遠回りだけど安全なルートを通った方が良かったかもしれない」
ペネムから迷宮都市までの道は三通りある。
一つ目は、街道を通り山も森も迂回する一番遠回りなルート。
二つ目は、山は避け、森の比較的安全な地帯を通るルート。
三つ目は、山の麓を突っ切る最短ルート。
今回は二つ目の森の中を通るルートだが、こんな不気味な森を通るくらいなら街道を通っていた方が、精神的に良かったかもしれない。
とは言え、まだ何も起こっていない。それに遠回りしたとしても、そちら側で何も起こっていないとは限らない。
もし、この森の静けさが街道側で何かが起こっていたり、これから迷宮都市側で何かがあるとするならば、遠回りしたところで巻き込まれるのは避けれはしない。
「ここから迷宮都市までは後半日くらいだ。何事も無くたどり着けることを願うよ」
アルトは願うように言うが、それはフラグだよ。この前から俺もフラグを立てまくっていたが、他人にこれだけ綺麗にフラグを立てられるとは……
……いや、まあ、リアル……この世界もリアルと言っていいのかは分からないけど、リアルな世界でフラグなんて立てたところでどうってことは無いんだけどね。
気にしているから、本当に何かが起こった時に過敏に反応してしまうってのはあるけど。
「きゃあ!」
「ケーマ様!オークが来ました!」
アンジュの悲鳴が響き、途端に後方が騒がしくなる。
ここでオークが現れるのか!
「ケーマくん!落ち着いて動きを見れば君なら倒せる!」
慌てて後方へ駆けようとする俺の背中にアルトからの声が届く。
そうだ。慌てるな。動きをよく見ればオークみたいに動きの遅い敵ならば対処できる。
剣を抜き、馬車にボロボロの槍のような物を突き立てているオークの腕を切りつける。
「やっぱり、この剣じゃ通らないか」
薄皮を切り裂いた程度で弾かれた剣を見て愚痴る。
それでも、打ちつけられた衝撃でオークは槍を落とし、こちらにターゲットを向ける。
反対の手で槍を拾い上げたオークが力任せに槍を振るうが、その程度の攻撃を食らってやる優しくない。
力で対抗するのは馬鹿らしいので、槍を避け、ついでに軽く剣で受け流して感覚を確かめる。
「完全に脳筋タイプだな。一撃食らえば生半可なダメージでは済まないな」
軽く身体強化を掛ける。この程度ならば身体強化も必要ないが、念には念をだ。
オークの攻撃を避けたり受け流したりしつつ、こちらも攻撃を加えるが倒せるほどのダメージを与えられない。
このまま数分から数十分続ければ倒せるだろうが、自分の集中力と今が護衛中だということを考えれば、続けるのは得策ではない。
……さて、どうするか。
「燃やせ ファイア!」
離れた位置からのソフィアの援護。
普通ならば、ただ避けられて終わりの距離だが、今はオークの近くに俺がいる。
オークが魔法に気づいて、視線を俺から逸らす。
ナイスだ、ソフィア!
この隙を無駄にはしない!
「ああぁっ!」
渾身の力を込めた突きが、オークの顔面。仰け反ったオークの左目へと上手く剣は伸び、剣にかかる抵抗を押し切って突き刺さる。
突き刺さった剣を手放すと、ゆっくりとオークの体が後ろへと倒れていく。
オークの体が崩れ落ちるのを見て、一気に疲れが押し寄せてきた。
「はあはあ……」
「大丈夫っ!……みたいだね。良かった」
馬車を停めたアルトが駆け寄ってきた。俺の状態を見て安心したように安堵の表情を見せる。
剣をオークから引き抜いて、血を払う。ストレージにオークを仕舞って、アルトと一緒に馬車へと向かう。
「ケーマくんはさっきのオークと戦って何か感じたかい?」
何か?オークとは初めて戦うから違いも分からない。
「普通だったと思いますけど……」
別段、特殊なことをされた訳でもない。槍を大振りしていただけだったから戦いやすかったくらいだ。
「そうだよね。だとするとこれは……」
アルトがぶつぶつと呟きながら考え出す。馬車に着くまで考え込んでいたが、馬車に着くとソフィアに話を聞きに行った。
「私も直前まで気づきませんでした。木の陰からオークが飛び出して来たので、アンジュさんとセトラちゃんを馬車の反対側に押しやると、すぐに槍が馬車に突き立てられたので」
俺も、ソフィアも、アルトも三人ともオークの存在に気づかなかったということか。
三人ともスキルで索敵している訳ではないから、死角になる木の陰にじっとされていれば気づかない。
ただ、それをオークが実行し、奇襲をかけてくるだけの知恵があるかと言われれば……それはないだろう。
どちらかと言えば、猪突猛進という言葉が合う奴等だ。戦闘中も槍の大振りを連発してくるような奴だったから、そこまで頭が回るとは思えない。
知恵の働かないオークが頭を使った。そうだとすれば、考えられるのは……
「最初は隠密系スキル持ちのオークかと思ったけど、それならば槍を手放して逃げることも出来たはずだ。それに戦ったケーマくんがそんな気配を感じていない」
アルトの声が俺とソフィア、話に参加してきたセネディの間に響く。
「考えられるのは二つ。本当に偶然隠れているような形になった。または、オークに指示を出せるような存在がこの森にいる」
誰から聞こえたのか分からないがゴクリと唾を飲み込む音が聞こえるほど、俺たちも、森も静まり返る。
「もし、オークに指示を出せるような魔物がいるとすれば、僕たちだけの問題じゃなくなる。一刻も早く迷宮都市に行き、迷宮都市にこの事態を伝えなければいけない」
そうだな。ここから一番近いのは迷宮都市だ。
もしここで魔物の氾濫が起これば被害は迷宮都市に行く。迷宮都市で魔物の氾濫に対する対策を取らなければ被害はかなり大きくなる可能性だってある。
「どちらにせよ、早くここを出て迷宮都市へ向かうのが良さそうだな」
「そうですね。こうして止まっているうちに事態が悪い方向へ進んでいる可能性もあります。早く出発しましょう」
セネディとアルトが馬車を再び動かす準備を始める。
アンジュとセトラにも事情を説明すると準備を手伝って早く出発しようとしてくれる。セトラは元気よく声を出しているだけだが。