すべてが始まった日-2
空白の暦・時点不明/誤差・無
-Nebel-
「…………」
「なんでそんなに落ち着いてるの!?」
良く晴れた空の下、フリーフォールする二人の青年がいた。
片や黒尽くめ。黒いシャツに黒いパーカーに黒いズボンに黒い靴に腰にはナイフ。
片やどこにでもいそうな何の変哲もない青年。ただ、その手には古めかしい本が握られているが。
「いやー、さすがに雲の上から地上まで落ちたらどうやっても助からんだろ。だから諦めモード」
「いやいやいや! 君だったらなんかもう即席で反重力なんとかとか作りそうなんだけど!」
「んなもん作れん。寮に帰ったらいきなり爆発に巻き込まれて気づけばここだ。着替えた覚えもないのに普段着だし」
「それ言ったら僕だって公園で底なし沼に呑み込まれて気づいたらこんなところだよ!」
上を見上げれば憎たらしいほどに透き通る青い空。
下を見れば絶対に受け止めてくれない一面真っ白な雲のクッション。
黒尽くめは、それはもう冷静そのもので、
「まあ、人生最後に中々経験できない成層圏付近からのパラシュートなしフリーフォールとか」
「よくないから!」
もう一人の青年は軽くパニックでジタバタと、空気抵抗を減らしてしまいどんどん終端速度に近づいて行く。
黒尽くめはと言うと、恐ろしいほどに冷静で姿勢を水平に保ちつつ手足を広げている。
「おーい、とりあえず姿勢を水平にして手足広げないとあっという間に落ちるぞ」
しかもなぜ高速落下しているのに普通に会話できるのかというところから謎である。
「…………はぁ」
「お、急に冷静になったな」
「なんかさー、絶対この本が原因だよねっ! これもらってから不幸ばっかりだよ!」
「今更気付いたか」
「…………」
「…………」
「ていうか、ここどこ」
そろそろ迫ってきた白い雲。
なにやらチカチカと光っているが。
「飛行機? いや、雷……」
「人だ」
「僕らみたいに落ちたのかな」
「いや……飛んでる。それに翼、天使か」
「そんな非現実的なものがあるわけ」
ばさりと、目の前に黒い翼を携えた女性が飛来する。
「あった!?」
「あら、巻き添えってとこかしら」
すれ違い様に言うと、天使はそのまま通り過ぎ、くるりと反転して飛んできた方向にエネルギー弾を撃ち出す。
プラズマのようなそれは本来拡散するはずが、拡散せずに線を描いて人にぶちあたる。
「うわっ!」
撒き散らされた光と熱に驚く間もなく、
「悪い悪い、俺の魔導書を読んだやつも纏めて引きずり寄せたから。ティア! こいつら地上まで送ってやれ」
「はいはい、レイアちゃん、そっちの黒い人お願い」
背後から手を回されて抱きかかえられる。
手に持っていたはずの本はいつの間にか飛んできた白い髪の男が持っていた。
「え、ちょっと、何? なにが起こってるわけ!?」
「はいはい、後でね。あっちの人みたいに大人しくしてくれると落とす心配がないから」
見れば黒尽くめは何の抵抗せず、パーカーのフード部分を掴まれて運ばれていた。
運んでいるのは、染めたのか青い髪の女の子だ。
「な、なんで飛んでるんですか? 背中にジェットパック背負ってないですよね!」
「魔術よ。もしかして科学側の人?」
「……そのへんよくわからないんですが」
「あらそう。だったら後で色々教えるから」
ぼふっと雲の中に突っ込んで、あっという間に突き抜けると下には森林地帯が見えた。
見渡す限りの森。
ところどころに火の手が上がり、砲撃でもしているのか凄まじい音が響いている。
「うわっ、日本じゃない!」
どうみても誰が見ても分かる光景だった。
「ティア、どこに降りるの?」
「そーねぇー、シャルちゃんたちのところに行きましょうか」
寄ってきた女の子と抱えている女性が話をし、進路を決めると地上から対空砲火を浴びせられる。
曳光弾なのか真っ白に尾を引きながら空へと昇って行く弾丸だが、生身で受けたなら黒焦げになってしまうだけの威力はある。
「不味いわねぇ……」
黒尽くめを抱えて飛んでいる女の子は力不足なのか、かなり乱雑な回避行動を取りながら躱し続けている。
中学生くらいの女の子が十八前後の青年を抱えていることに無茶があった。
ある一発を回避し、バランスを崩して黒尽くめが続く砲火に被弾。
「あっ!」
「レイアちゃん!」
そのまま体勢を立て直すことなくヒューンと墜落していき、森の中に消えてしまった。
-Squall-
容赦なく天空から大地へと墜落した。
やけにトゲトゲした枝の針葉樹の森に突入し、ギザギザの葉と棘のある枝で全身あちこちを斬り裂かれながら固い地面に叩き付けられる。
針葉樹の落葉は量が少なくまったくもってクッションにはなり得なかった。
「バカが、なぜ庇った」
「わたし……どうせ消耗品だから」
黒尽くめより女の子の方が怪我が酷い。
とくに背中は衣服が完全に破れ落ち、鋭利なカッターで何度も切り付けられたかのような傷になっている。
平然と立っている青年は膝から少し上あたりに細く鋭い枝が突き刺さっていることなど気にせず、自分のシャツを脱ぎ、それを使って女の子の傷口を拭いていく。
そうしているとガチャガチャと音が聞こえてきた。
「パワードスーツ……いや、鎧か」
「きし、だん……逃げて、人が敵う相手じゃない」
「お前はどうする」
「死ぬまでたたかうだけだよ……それがわたしのそんざいかちだから」
「はぁ……その状態でどうやって戦うって? ふざけたこと言うくらいならそこで傷を塞いでみてろ」
パーカーを着直すとナイフをすぐに取り出せる位置に持ってきながら別のものをポケットから引っ張り出す。
(どうせ死んだ命だ、恩返し程度には使い捨ててもいいだろう)
自分が死のうがどうでもいいが、助けてくれた相手には死んで欲しくない。
それがこの青年の考え方であった。
そしてこの恩返しがたまたまこの組み合わせだったからこそ、すべてが始まった訳でもある。
「騎士団ねえ……十字軍、修道会。いや、そっちじゃないか。なんにせよヨーロッパ辺りか?」
ぼそりと言いながら何かを放り投げる。
しばらく待てば白い鎧を着こんだ騎士たちが姿を見せた。
人数はたったの三人だが、剣と盾を持ちそこらの一般人が敵うような相手ではない。
「なにも――」
ズシャッ!
水っぽい音が響いたときには青年の腕が腰の横から顔の前まで上げられ、騎士の一人が首周りの装甲板ごと首を撥ねられた。
「お、あっさりいけるなこれ」
次いでもう片方の手が上げられるともう一人宙に浮かび上がり、苦悶の表情で息絶えた。
「ま、魔術師か!」
閉じた両手を広げ、駆ける。
ナイフを順手に抜いて斬りかからずに顔面めがけて投げる。
当然盾で弾かれるが、視界が遮られ、足元の護りが疎かになったところに足払い。
倒れた騎士の首裏に容赦なく踵を落とし、ゴギッと嫌な音を出して沈黙させた。
「ワイヤーソー……以外に強いな、強度もいいし薄い鉄板なら切断もいけるか」
先端に錘、随所に小さな刃の付いたワイヤーを引き寄せて回収する。
相手に知られていないからこそ使える手段。
知られていれば警戒され、蜘蛛の巣のように張られたワイヤーはすぐに断ち切られるだろう。
勝てないと言われた騎士団を数秒で沈黙させた青年は、女の子のものとに戻ると背中に乗せる。
「どっちだ」
「あっち」
主語の抜けた会話。
それでも意味は確かに伝わっている。
どっちに味方がいるのか、それだけ分かれば後は歩くだけだ。
「鎮痛剤も止血剤も持ち合わせがない、しばらくは耐えろ」
普通そんなものは誰も持ち歩いていない。
「うん……その、ありがと」
「そういうのは全部終わってから言うもんだ」