裏切りのフェイス-6
「よし、今日はこれで終わり」
視界の隅に浮かぶ、反対側が透けて見える仮想のデジタル時計に目をやればまだ午前十時。
今日やったことと言えば手錠抜けの方法となぜか冷え性の改善方法。そう言えばスコールを触るといつも冷たいが……単に自分が冷え性だからか?
後は音を頼りに相手の位置と動きを予測する練習。エコーロケーションというものらしい。
「はやく、ないか」
講義室の中には、他に人はいない。今日”も”一対一の授業のようになっていた。
まあ、おかげで色々分かりやすいからいいんだけど。
「どうだっていいんだよ、そもそもここは臨時で入ってるだけだし」
だったらきちんと講義しろよ、と思うが人がいないのだから仕方ない。
スコールは今回使った手錠を片付けていく。いろんな種類があったが、簡単なもの、普通に出回っている物は針金一本でスコールは開けてしまい、練習ではクリップを使った。やってみると案外簡単に開く。
「まあ、適当に時間潰せ。まだ他んとこは講義やったり実習やってるから」
とか言われても困る。
やることがない。
いくら第三世代と呼ばれていても、安定的なネット接続ができるようになるまでの期間は第一世代や第二世代と比べて少し早い程度だから、ワイヤードでなければまだ仮想空間に潜るには危険が伴う。
やることもないからスコールのやっていることを見る。
脳波感知デバイスとモノクル型の視線ポインティングデバイスをつけて、リクライニングチェアを倒して体の全面百八十度に仮想ディスプレイを多重起動している。手元には仮想キーボード。あれは第一世代と同じだ、第二世代以降は網膜をディスプレイ代わりにするし、頭の中のチップに組み込まれた機能でポインティングも行うから必要がない。
そもそもキーボードを三つに、ディスプレイを一か所に三枚も重なるほどに多重展開して使いこなせるわけない。
しかもよく見ればほとんどがチャット用のウィンドウ……。
「この世界は偽物で、真実の世界は別に存在する」
「え?」
「シミュレーション仮説、前に話したな。あれだよ、シミュレーテッドリアリティ」
スコールが新たにウィンドウを展開して、それを投げてきた。
目の前でピタッと止まったそれには小難しいことが長々と書かれていたが、よくわからない。とりあえず保存しておこう。
「世界自体の演算能力は常に増え続けていて、その余剰演算能力はどこかで使われている。それに干渉して自由に使えるようになるとすれば、量子状態すらも創造できる、だったら失われたモノすらも再現できる。まあ、実際訳の分からないそれを使える身としては一定の方向性をつけて何度も世界をシミュレートしてる訳だが」
「……なんのこと?」
「分からないでもいいさ。本当の現実と偽物の現実。そうだな、今はAIが使用している演算能力の余剰力で仮想空間を作ってそこに入りこむことができる。だがそれは本物と偽物の区別ができるシミュレーションだ、でも、分からないんだよな、本物と思っていてもそれが本物であると確かめる術はない。だが今いるここが偽物であるとは分かっている」
「……」
「仮想で生まれた者は本物の身体を持っていない、だが言い換えれば依存するハードウェアがないならソフトウェアとして別の仮想に転送することもできるし、一定の状態で保存しておけば後でリブートできる」
「それが、何の役に立つ?」
「いずれ分かる。本来消えていくはずだったデータの塊が、束縛されない外からダイブしているデータに弾かれて残ったからには、世界の方がエラーデータとして扱って排除にかかるから」