受け継がれる黒-7
街の路地に一人の少年が座り込んでいた。
虚ろな瞳で顔にこびり付いて乾いた血を気にもせず、ただ座っていた。
大事なものだからと持たされた小さな袋と置いて行かれた金だけが唯一の所持品だった。
黒服を着た白い髪の男は、目の前で首を落とされ、兄はその次に炎に包まれて倒れた。逃げようとして何かよくわからないもので撃たれ、意識が朦朧とする中で妹の手を引いてただ走って逃げた。
あのボサボサの金髪の野郎はしっかりと記憶の中に残っている。
あいつは何度も先回りして追いかけてきた。途中で自分を物同然に扱った父親に遭遇した。それはクズ野郎の魔法に巻き込まれて肉塊に変わった。
途中で母親に出会った。妹と自分を連れて地下シェルターに向かおうとしたところで、廊下を崩されて二人を殺された。
それでも少年は逃げた。燃える館から逃げ出すことを第一に考えて、襲撃者たちの間をすり抜け、指揮系統の乱れた守備隊に助けを求めず。館から逃げ出すと、幼馴染の母親が倒れていた。顔に煤がついていて、やっと逃げ出せたときに力尽きた様子だった。
そしてその後も執拗に追いかけてきた襲撃者たちは、突然現れた黒服を着た白い髪の男に殲滅された。
だが途中で彼はまた殺された。
「殺してやる……」
復讐心。
それだけが、そのときの生きる力のただ一つの源だった。
薄暗く、生ゴミの投げ捨てられた汚い路地で立ち上がる。途端に消耗しすぎた体は倒れた。どれだけ立ち上がれと命令しても疲れ切った体が拒否する。
「殺してやる……」
憎しみの籠った声で言うと、ギリッと地面を引っ掻きながら拳を握りしめる。煤と火傷、何度も転んでついた擦り傷、打撲痕。
もう一度体に力を込めて、路地の壁に寄り掛かる。
この場所は安全とは言えない。”安全域”と称される街だが、激しい戦闘の行われている戦場よりも多くの人が死ぬ救いのない街。安らぎのない街と並ぶ危険な街だ。
大人でさえ一人で出歩けば五分で血塗れになるのは当たり前、たとえ現役の軍人であろうが例外ではない。子供ならばまず保護者がいたところで誘拐されてしまい、裁判になったとしても”他人の空似、DNAの一致していない一%が他人の証拠”でお別れになる。
「殺してやる……」
「誰を殺すって?」
気付けばガラの悪い明らかに危ない男たちに囲まれていた。
体の一部が機械義体になっているあたり、それなりのことはやっている連中だろう。銃を持ってやりあったところで勝てるような輩ではない。
「…………」
少年は睨み付けた。
「おいガキ! 調子のってんじゃねえぞ、アァ!!」
片腕だけで持ち上げられ、壁に押し付けられる。
そして男はサンドバッグを殴るように、ストレス発散でもするかのような気軽さで少年を殴った。
「がぐっ……ぐっ……ぅ、ぐ……」
「なに睨んでんだクソガキがぁ!」
最後に殴られると真上に放り投げられ、落ちてきたところを蹴り飛ばされて路地の奥のゴミの山に突っ込む。ゴジュッとどんなものが捨てられているのか想像できない音を立て、積み重なっていた黒い袋が崩れて体を埋める。
息をするたびにヒューヒューと音がする。もしかしなくても体のどこかがやられてしまっている。
男たちはなにやらどこに売り払うだとか解体して臓器売ったほうがいいだとかよからぬ話し合いをしている。その話し合いはたっぷり百を数える時間行われた。
そして男たちが少年に迫る。少年は自分の無力さを呪うかのように恨みがましい表情をしていた。
「……」
「運ぶぞ」
まるで物、人を扱う言葉ではなかった。少年は抵抗できないままに持ち上げられ、そして路地の入口にそれを見た。
「あんだテメェは?」
全身黒で統一された格好、黒いロングパーカーと黒いカーゴパンツに黒い戦闘靴。腰のガンベルトには銃ではなく黒鞘に納められた刀。
「すでに決まった運命は変えられない。だが変えて見せようか、あの襲撃で死ぬはずだった一人の運命」
若い男の声だった。感情の一切籠っていない。
「どこの所属だテメェ」
「訊くのなら先に名乗れ」
「ゾディアック、カプリコーン所属。テメェも言えや」
「ゾディアック、キャンサー隊配下メメント・モリ所属」
「なんだ同じ所じゃねえか」
「今はフェンリルの所属だが」
フェンリル、その一言で男たちの顔色がさぁーっと青くなった。小規模の傭兵集団であり、金次第ではなんでもやるという噂であり、事実一部隊十数名で中隊規模を凌駕する猛者揃いの危険集団だ。
ならば中隊を二百とした場合は一対二十の戦闘行為が可能であるということ。目の前には一人、サイボーグの男たちが数人がかりでやれるかと言われたら、やってみないと分からないとしか言えない。
「な、なにが目的だ」
「カプリコーン、山羊座か。生贄の山羊らしく逃げるのならフェンリルとしては手出しない。もちろんこの人数でやりあいたいのなら相手をするが?」
ほんの軽い挑発。それだけで、
「舐めんじゃねえぞコラァ!!」
虐殺は始まった。
少年を投げ捨て男たちが一斉に武器を構える。それは銃であったり振動剣であったり様々だ。
「交戦の意思を確認、戦闘を開始する」
早口で言うと同時に投げられた音響手榴弾が炸裂する。狭い場所では誰もが使いたくないはずの攻撃、予想外のそれに備えていなかったからなのか、男たちは揃って耳をやられてふらつく。
そして強風が吹き抜けて気付けば全員が崩れ落ちる寸前。少年の前で若い男がチンと音を鳴らして刀を鞘に戻すと、ドサリと倒れて赤い水たまりを広げ始める。わずか数秒のことだった。
「立てるか?」
大丈夫か、と声をかけないのはどう見ても大丈夫ではないから。
少年は何も言わずに首を振った。殴られ蹴られ投げられても、虚ろな瞳の奥には黒い感情が燃え盛っていた。まだ心が折れていない。
「生きたいか、力が欲しいか」
「あいつを……あの野郎を殺す力が欲しい」
「だったらついてこい」
そう言って自分のパーカーと黒く艶消しされたナイフを一振り、少年に渡す。
「まあ、そままの格好だとアレだ。着ろ、そしてそのナイフで身を護れ」
「…………」
黙って頷く。
「今はそれでいい。それと、その袋の中身に触っておけ」
少年は言われた通りにした後、背負われて明るい外へと向かった。
そのときの彼の背は、とても暖かく大きく感じた。
下手な優しさや同情なんてものは微塵もなかったが、それがかえって警戒ではなく安心を感じさせた。