同じ年齢の人
心の奥が温かいもので満たされ、その感触に酔いしれている時、あまり聞きなれない声が響いていた。ものごとがはっきりしない状態で、目を開けたとき、思わず体を起こしていた。そこには茶色の髪の毛をした男性の姿がある。
彼は目が合うと、苦笑いを浮かべていた。
「勝手に部屋に入ってごめん」
私に彼の言葉に反応する余裕はなかった。
だいたいなぜ彼がここにいるのだろう。
いつも私を起こすのは朝が早い姉だったはず。
「君のお姉さんに起こして欲しいって頼まれたから。勝手に入るのも悪いと思ったんだけど」
「気にしないで。私が寝坊したのが悪いんだから」
やっと心臓が落ち着きを取り戻し、胸にかけた毛布にかける力を緩めようとしたとき、パジャマ姿でいることに気づいた。そんな姿を見られたくなくて、毛布を胸元まで手繰り寄せる。
「着替えて下に行くから」
木原君は笑顔を浮かべると、私の部屋を出て行った。
彼が出て行ってほっと息を吐く。おきてからしばし抱きしめていた布団を手放す。
「何考えているのよ」
私はため息を吐くと、その場で両腕を天井に向かって伸ばした。
だいたい木原君に朝っぱらから変なことを頼まないでよ。彼も困っていたのに―。
だが、私のそんな苛立ちは次の瞬間吹き飛んでいた。いつもなだらかな曲線を描く私の頭の部分の影が一箇所だけ見慣れない曲線を描いていたのだ。
見てはいけないものを見るような心境で、枕元に置いていた鏡に手を伸ばす。前髪には寝癖がつき、上部に向かって伸びていた。
私は悲鳴のようなうめき声のような声を出し、鏡を抱えたまま頭を抑えた。だからといって木原君にこんな姿を見せた過去を消せるわけもない。
最悪だ。
だが、それはあくまで今の話。へんな顔をして眠っていた可能性もあるかもしれない。変な寝言を言っていたかもしれない。考えれば考えるほど目の辺りが熱を持つのが分かった。
正直部屋に閉じこもりたい気持だったが、また眠ってしまったと勘違いされ、木原君を遣されたら困る。もうこんな頭を見せたくなかった。私はとりあえず制服を着る。いつものようにパジャマでうろつくことはしない。
そして、足音を殺して階段をおりていと、洗面所に直行した。誰もいない洗面所で、前髪を直す作業が始まる。何か髪につければ直るが、校則の厳しい私の学校ではあまりそういうことはできなかった。とりあえず、前髪に水をつけて、櫛で整える。だが、寝癖はしつこくまた再び元に戻る。その動作を数十回ほど繰り返したとき、前髪がしんなりとなり、そこでやっと肩の荷がおりた気がして、ため息を吐く。
「おはよう」
ご機嫌そうな声が背後から聞こえてきた。振り返ると、そこには姉が立っていた。
「何で木原君を私の部屋に遣すのよ」
リビングにいるらしい木原君には聞こえないように小声で囁く。姉はにやっと微笑む。
「妹のささやかな恋心を叶えてあげようとしただけだよ。話すきっかけを与えたんだから、むしろ感謝してほしいくらい」
どうして寝起きの私の部屋に木原君を連れてくることが恋を助ける手助けになるのか分からないんだけど。
とりあえず、今までのやり取りから姉にこんなことを言ってもムダということだけは分かった。明日からは誰にも起こされずに、少なくとも木原君よりは早く目覚めようと誓う。
「でも、寝言で木原君の名前を呼んだらダメじゃない」
「え?」
「部屋の外からノックして起こそうとしたら、呼ばれたから中に入ったんだってね。おきていると思ってベッドのところまで行ったら、眠っていてびっくりしたと言っていたよ」
いつもより目覚めが幸せだったのは、木原君の夢を見ていたからだったのだ。そう思えば夢の中で木原君と談笑するような自分の姿を見たような気がする。いつもなら嬉しい夢も、今日に限っては余計なものでしかない。
「ショックを受けるのは学校に着いてからのほうがいいと思うよ。あと十分以内で出ないと多分遅刻じゃないかな」
その言葉に我に返る。部屋で見た時刻からそれくらい時間が差し迫っていてもおかしくはない。
部屋に戻ると、鞄を手に取る。もうそのときにはいつもなら家を出る五分前になっていた。ゆっくりしている時間はなさそうだった。
だが、リビングに入ると、そんなあせりも吹き飛んでいた。
そこには母親と笑顔で言葉を交わす木原君の姿があった。彼は背筋を伸ばし、おはしを口まで運ぶ。お箸でつかんだものは端からこぼれることもなく、彼の口に運ばれる。彼がごはんを食べるのは二度目だが、本当に綺麗に食べるんだという印象を持ってしまっていた。それはやっぱり変わらないし、それどころか動作の一つずつが絵になっている。木原君に欠点なんて絶対にないなと思ったとき、明るい声が響く。
「由佳も早くごはんを食べたら?」
私はその言葉で我に返る。だが、昨日のことを思い出し、テーブルに視線を滑らせると、思わず苦笑いを浮かべる。彼の隣の席にまだ使われていない食器がひっくり返されて、置いてあったのだ。
彼の隣でごはんを食べるなんて、心臓に悪い事をしたら、一日身が持ちそうにない。
「どれくらい食べるの?」
母親はしゃもじを持ち、ごはんを入れる準備を整えている。
「今日はいらない」
鞄を手に、そのまま出て行こうとしたが、リビングの扉付近には腕組みをした姉の姿があったのだ。姉は私と目が合うと含みのある笑みを浮かべる。彼女は何も言わずにソファに腰を落とす。
拍子抜けして、そのまま出て行こうとしたときだった。
「学校に行くなら、木原君と一緒に行けば? まだ学校への道、分からないんじゃない?」
その言葉を聴いて、我に返った。思わず改めて木原君の顔を見る。木原君がその言葉に苦笑いを浮かべていた。
「一度じゃ記憶力良くないと学校へ行く道とか覚えられないと思うよ」
私は肝心なことを忘れていた。私にとっては通いなれた道でも、彼にとっては見ず知らずの道なのだ。
「大丈夫ですよ。そんなにややこしい道じゃないと思いますから」
木原君は笑顔でそう言う。もう食べ終わったのか立ち上がっていた。食器を持とうとすると、母親に「いいから、学校に行きなさい」と言われていた。
彼はまた私に気を使っているのだろう。
思いきり否定したのはまずかったかもしれない。
「晴実ちゃんから聞いたけど、木原君って、小学校のとき、よく迷子になっていたんだってね。昨日も晴実ちゃんがわざわざここまで来た理由分かるでしょう」
彼女は木原君を案内したと言っていた。わざわざ案内しないといけない理由を考えたとき、あることに気づいた。
木原君の顔が引きつり、頬が赤くなっている。それが答えだったのだろう。
彼女は面倒見がいいから、たしかにありえなくもない。そういえば木原君と顔を合わせて笑っていたのも、そういう事情があったからなのだろうか。
彼に言葉を伝えようとして、息を飲み込む。上手く言葉が出てこなかった。だが、今年に入って一番の勇気を出して彼に伝える。
「一緒に学校に行き、うか」
途中で敬語になりそうになって慌てて修正した。そんなものを使うと、余計に木原君に気を使わせてしまう気がしたからだ。
断られることはないと思ってもドキドキしていた。彼が反応してくれるまでの数秒がとても長く感じた。もしかすると聞こえていないのではないかと不安にもなったとき、彼は頬を赤くし、頷いた。
私は可愛いと思ってしまっていた。男の人にそう思うのは失礼かもしれないけど、そう思わずにはいられなかった。彼は何でもできる完璧な人だと思っていた。そうじゃないところもあって、彼も私と同じ年なのだと感じていた。