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約束  作者: 沢村茜
第二章
8/51

電灯の就いた部屋

 食後は木原君が姉に勧められ、お風呂に入ることになった。浴室もお母さんが大掃除以上に掃除をしていてかなり綺麗になっていた。


 母親は食器の片づけをし、父親は用事があるのか部屋に戻っていた。リビングに残っているのは私と母親と姉の三人だけだ。


 ソファに座ると、そこに置いてある雑誌を見ていた。晴実が昼間に見ていた雑誌だ。

 人の気配を覚え、顔を上げる。姉はオレンジジュースを手にその場に立っていたのだ。


「初日の感想は?」

「何で私に聞くのよ」


 彼女は私の向かい側に腰をおろす。そして、手に持っていたコップに口をつける。


「お父さんとお母さんは嬉しそうだけど、一日中、顔を引きつらせていた由佳に感想を聞きたくてさ」

「そんなことないもん」


 引きつっていた? できるだけ笑顔で笑っていたはずなのに。

 一度、否定はするが、そう言われると、顔が引っ張られるような違和感はあった気はする。何か最初からずっと墓穴を掘ってばかりだ……。


「かなりね。木原君が来て緊張しているのは分かるけど、緊張しすぎじゃない?」


 姉のように彼が来た日から何事もなくお酒を飲むような人に私の気持ちが分かるわけがない。


「当たり前じゃない」


 彼を近くで見るだけじゃない。彼に見られているんだと思うと、まともな神経をしていたら、いつもどおりの日常生活なんか送れるわけもないと思ったのだ。


「晴実ちゃんに聞いたけど、すごく人気があるらしいね。まあ、確かに身長高いし、顔も申し分なしい、物腰も穏やかだし、品があるし。分からないでもないよね。頭もいいし、運動もできるんだっけ?」

「まさか木原君のことを狙っているんじゃ」


 姉はふわりとした髪の毛をかきあげると、上目遣いに私を見る。


「まさか。可愛いけど、年が離れすぎだしね。でも、そうじゃない人もいるみたいだから協力してあげようか?」

 それは私のことを言っているんだろう。

「いいから放っておいてよ。別に私は木原君のことが好きなわけじゃないし」

「でも、顔は正直だよね」


 私の本心を見透かしたように、からかうような笑みを浮かべている。

 そのとき、リビングの扉が開く。顔を覗かせていたのは木原君だった。彼がお風呂に入ってまだ五分ほどしか経過していない。

 リビングの音は漏れにくいので聞こえていないはず。

 でも、私は口にした言葉を後悔していた。


「早かったね」


 彼女は立ち上がると、木原君のところまで行く。

 今日一日で一番距離を確保していたからか、扉のところに立つ彼をじっと見つめていた。


 彼の髪の毛がまだぬれていて、肌にぴたっとはりついていた。頬はわずかに赤味を帯びていて、いつもの大人びた雰囲気を奪ってしまい、少年のように見えた。髪の毛は大雑把に軽く拭いたのか、毛先が多方面を向いていた。


 やっぱりかっこいいな。いつもなら見られない彼の姿がやけに新鮮で、思わず目をそらしていた。見ていたいのに、見られないという状況がどことなく歯がゆい。


「あがったので、部屋に戻ります」

「ジュース飲む?」


 最初は遠慮をしていたが、姉に押し切られのむことにしたようだった。まさか私の隣に座らせるんじゃないかと身構えていたが、木原君が私の傍に来ることはなかった。


 姉はオレンジジュースを戸棚から取り出したコップに注ぎ、彼に手渡す。


「敬語は使わなくていいし。別にそういうことは言わなくて大丈夫。毎日そういうことを言っていたら疲れちゃうよ。ジュース部屋に持って行っても大丈夫だよ。私の家はそんなに細かくない物」


 姉のそんな言葉に木原君は苦笑いを浮かべていた。

 それから二人は言葉を交わすと、木原君はコップを持ち、部屋に戻っていく。彼が隣に座ることにならずにほっとしていた。何でそんなに話ができるんだろう。晴実もそうだけど、私からすると信じられないことだった。


「残念だった?」

「そんなことない」


 戻ってきた姉にそうからかわれ、顔を背ける。


「まあ、仲良く話をしたいなら、引きつった顔をどうにかしないとね」


 彼女はそういうと、ソファにおいていた着替えを手に取り、部屋を出て行く。お風呂に入るのだろう。

 私は自分の携帯のカメラを起動し、自分の顔を映してみた。


「引きつっていたのかな」


 でも、木原君のいないリビングではそんなことになるわけもなく、いつもと変わりない変哲のない顔をじっと見つめていた。


 姉が先に入って、その次に私が入ることになった。

 お風呂から出てきた姉は私に声をかけるとリビングを出て行く。もう妹をからかうのは飽きたのだろう。


 私は母親に風呂に入るように言われ、着替えを取りに部屋に戻ることにした。だが、階段をあがったとき、廊下に人の姿を見つける。それも一人ではなく二人、だ。


 姉は腰に手をあて、木原君と話をしていた。木原君は少し困ったような表情を浮かべている。木原君とあんな風に話ができていいな。


 私は壁に身を潜ませ二人がいなくなるのを待っていたが、二人の会話の内容が気になり、時折壁の陰から二人の様子を伺う。


「また明日ね」


 そんな明るい声が聞こえると、ドアの開く音が聞こえる。試しに確認すると、木原君も姉もそこにはいなかった。私は部屋に戻ると着替えを取る。そして、お風呂場に行くと脱衣所の中から鍵をかける。さっきまで姉が入っていたことがあり、辺りには湿気が立ち込めている。


 水色のタイルに、ライトグリーンのタイル。その上にかぶせてあるのは自由なところで折りたためるタイプの風呂の蓋だ。脇にはタオルかけと鏡があり、鏡は完全に湯気で視界をたたれていた。その脇には水滴をかぶったシャワーが壁に沿うようにかけられている。昨日も当たり前のようにお風呂に入り、見慣れたはずの風呂場なのに昨日とは別物に見えたのだ。


 木原君と同じお風呂に入るんだと思うと、すごく不思議でくすぐったい気がした。だが、湯船にかぶせてある蓋をめくることができなかった。中にあるのはただのお湯のはずなのに、見てはいけないようなものが入っているような気分になってきたのだ。私は数分迷った結果、シャワーの蛇口を捻ることにした。なぜか恥ずかしくて、湯船に入るのを断念した。意識しすぎなんだろうな。


 お風呂から出たとき、姉と偶然鉢合わせをした。姉は私を見ると、にやっと笑みを浮かべる。


「あんたもお風呂に入らなかったでしょう」

「覗いてたの?」

 心の中を見透かされたみたいでドキッとした。


「何で妹の風呂をのぞくのよ。なんとなくあんた達って似ているから、お風呂に入らなかったような気がしたんだけど」

「あんた達って誰? お母さん?」

「雅哉君」


 その言葉に顔が赤くなるのが分かった。


「やっぱりそうなんだね」

「お姉ちゃん」


 そう強い口調でいうけど、お姉ちゃんにそれが届いたのかは微妙だったりする。


「そんなに気遣わなくていいと由佳からも言ってあげてよ。でも、その前に、あんたは何かを言いたそうに木原君をちらちらと見るのをやめないとね。人によっては気持ち悪いと思うかもよ。雅哉君は優しいからそんなことはないみたいだけど」


 今日、一日の自分を思い出し、顔が赤くなるのが分かった。その上、部屋ものぞいたりとかしてしまった。変な人で、嫌な人のような気がするし、自分がされたらこの上なく傷つくだろう。


 自分のことに精一杯で木原君にあまり思いやれていなかった気がする。気をつけないといけない。


「これから二年くらい一緒に過ごすんだからいい加減慣れなさいね」


 姉は洗面所に消えていく。姉の姿を見り、そっと息を吐いた。


 話、か。


 何を話せばいいんだろう。この前だって話をするのに勇気がいった。彼と話す言葉は晴実と話すときに比べて、二十倍くらいエネルギーが必要な気がする。


 二階に戻ると、木原君の部屋の扉は閉まっていた。


 何をしているんだろう。普段の彼を見て見たい。でも、さすがに部屋の前に突っ立っているのを姉に見られるといろいろ困るので部屋に戻ることにした。


 ベッドに腰を下ろす。見ることのできない隣の部屋を眺めながら、少しでも、これからの日々で木原くんのことを知ることができればいいな…。


 その日は部屋から出ることなく、寝入ることにした。廊下をうろつき、木原君と顔を合わせたら困るからだ。


 ベッドに入るといつもはすぐに寝入ることができるのに、その日の夜はどこか格別だった。辺りをひんやりとした空気がさまよい、頬や髪を撫でていく。


 何度目かの寝返りを打った時、私は身体を起こした。ベランダにほのかに漂う光を見つけたためだ。その光の漏れ具合と場所から、木原君の部屋だと分かる。


 枕元においていた携帯に手を伸ばすと、時刻は零時を回っている。

 こんな遅くまで何をしているんだろう。勉強をしているんだろうか。それとも、パソコンとかも持っていたけど、そういうのを触っているのかな。テレビとかは部屋にないけど、パソコンとかでみているのかもしれない。


 彼の瞳には何が映って、何を考えているんだろう。彼のことがほんの少しでも知りたくてたまらなかった。


 ただ今の私に分かるのは、少なくとも彼にとって私がその他大勢のうちの一人ではなくなったといっても、自意識過剰ではないということだ。

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