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約束  作者: 沢村茜
第一章
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番号交換

 そのときもう少し周りの音に気をつけておけば良かったと、後から考えておけば思う。だが、私の頭の中は木原くんに誤解をされてしまったことしか考えられなかったのだ。


「私にだって都合があるんだから。困っているの」

「どうせあんたの都合なんてたいしたことじゃないよ」


 背後から聞こえてきた姉の声を否定するために振り返る。だが、言葉をつむぐ前に、その場に固まってしまっていた。入り口に立っていたのは姉だけではなかったからだ。


 彼は目をぱちくりとさせ、こちらを見ている。姉はなんてタイミングで木原くんを連れてくるのだろう。今の私の言葉が何度も頭の中で繰り返される。その言葉は木原君のことを嫌がっているとしか聞こえなかった。


「心配しなくて大丈夫だよ。断るから」


 彼は笑顔を崩さないが、さっきの言葉がきかれていたのは確かで、そのことを考えると目が熱くなってきた。ただ動揺していただけなのに、どうして勘違いをされないといけないのだろう。リビングを飛び出して泣きたい気分だった。


「別にいいじゃない。力仕事やってくれそうだし」


 と不満そうに答える姉。彼女は私が嫌がっている前提で話を進め、誤解だと言い訳するタイミングを完全に奪ってしまっていた。姉はまくし立てるように言葉を続ける。


「まあ、決まったことなんだから諦めなさい」

 諦めるも諦めないも、そんな問題じゃないのに。

「でも、迷惑をかけてしまうと思うので、一人暮らしできるように頼んでみます」


 木原くんが困ったような笑みを浮かべている。

 彼にそんな顔をさせたのは間違いなく私。


「でも、だめだと言われたら、引っ越すのでしょう。大丈夫だって」

「そうですけど、多分大丈夫ですよ」

 二人のそんな会話が聞こえてきていた。

「どうせあの子は照れてるだけだって。気にしなくていいのよ」

「お姉ちゃん」


 私はこれ以上掻き乱さないで欲しいという気持ちから彼女を諌める。


「嫌なわけじゃないのでしょう?」


 恐らく帰宅したときに妹の気持ちを察していたのだろう。からかうような瞳で私を見ている。嫌なわけはない。そう口にするのが恥ずかしくて、私は返事ができずに、顔を背けた。


「本当に大丈夫ですから」


 木原くんは私に助け舟を出すつもりでそう言ったみたいだが、その言葉を聞いて、私はまた墓穴を掘ってしまったことに気づく。


「でも木原くん家事とか全くできないのに一人暮らししたいと言っても無理じゃない。毎日外食やらコンビニの弁当でも食べる気?」

「練習したら大丈夫ですよ。多分」


 最後にそんな言葉をつけてしまうのが自信のなさだろう。

 二人の会話はまだ続いていた。強気な姉にどこか押されているようだった。


「でも木原くんもてそうだから、誰か料理してくれる人とかいそうだよね。やっぱり彼女いるんだよね」


 姉は私を見て、笑顔で言う。私と木原君の出方を伺っているようだった。


「いませんよ」

 木原君は平然とした様子で姉の言葉に答える。その爽やかな笑顔では本心を言っているのか分からない。

「本当に?」

「はい」

「でも一人暮らししたら、女の子が料理とか作ってくれそうだよね。気を引くためにとか。そういうことされたら好きになっちゃいそうじゃない? 気になっている子とかにさ」


 一瞬、木原君の顔が引きつるのが分かった。彼の顔が少し赤くなる。そんな人がいるからか、姉の言葉に負けたのか理由は定かではないけど、どこか気にかかることがあったのだろう。


 彼が誰かに世話をしてもらい、その誰かが彼の彼女になるなんて考えると、今日の放課後まで思っていた見守るだけでいいという気持ちはどこかに吹き飛んでいた。


「いいよ。ここに住んでも」


 私は自分の顔が赤くなるのが分かった。その上、可愛くない言い方をしてしまった。今の自分の姿は絶対に鏡で見たくなかった。何かで隠せるなら、隠したい。彼が有無を言う前に姉は木原君の背中を軽く押す。


「決定。これで木原君が嫌じゃないなら一緒に住みましょう。木原君の親の許可も得ないといけないけどね。悪いとかそういうのは一切なしだからね」


 姉の言葉に木原くんは顔を綻ばせる。喜んでいるというよりは困ったような笑顔だった。だが、彼の笑顔が意外と幼くて、可愛いかった。


 しばらく経って私の父親と木原くんの両親がやってきた。木原くんの両親はもともとの顔のつくりが違うんだろうなって思うほど綺麗な人だった。

 木原くんのお父さんは体つきががっしりとしていて、彫りの深い顔立ちをしていた。お母さんは童顔で可愛らしい人だった。高校生の息子がいるようには見えず、お姉さんのようにも見える。木原君の顔はどちらかといえばお父さん似のようだった。


 戸惑う彼の両親とは違い、父親は満足そうだった。

 木原君の父親と私の父は大学の同期らしい。息子が地元の国立大を志望していることもあり、こちらに残るなら必然的に一人暮らしをさせようと思っていたが、心配の種は彼が家事などが一切できないことと、朝一人で起きられないらしい。木原君がベッドからなかなか出ようとしない姿なんか想像できなかった。


 それを父親に世間話の一環として父親に相談したらしい。その父親が言い出したのがとんでもない同居の話。同じ学校の娘もいるからなじみやすいだろうとか話をしていたらしい。木原君の父親はもちろん断ったらしいが、私の父親が強く勧めたらしい。

 戸惑う彼の親に私のお父さんはいい物件が見つかる最初の数ヶ月だけでもと押し切っていた。どうやら父親は木原君のことを私達の想像以上に気に入ったようだ。男が一人しかいないという家庭環境も大きかったのかもしれない。


 そんな父親の行動を見かねたのか母親がこう提案をしていたのだ。


「早めにここに越して、様子を見てみたらどうかしら。私の家は構わないけど、無理強いはできないからね」


 母親の提案に木原君の両親も納得したようだった。

 だからといって今日、明日ということではなく、一週間程度空けてから彼が家にやってくることになった。早めにしたのはなじめなかった場合、新しい物件を探す時間的な余裕も考えたんだろう。うまく行かない可能性もあるけど、うまく行けば木原君と一緒に住むことになる。それがその日、決まったことだった。


 その日は簡単に私の家を案内することになった。年が近いからということで、抜擢されたのは他でもない私。私のお父さんは木原君のお父さんと楽しそうに話をしていた。


 彼と一緒に歩くのは緊張するけど、嫌がった手前、拒否することはできなかった。これ以上木原君に変なイメージを与えたくなかったからだ。和室に、浴室、トイレの場所などをおおまかに説明する。そして、二階に行くと、簡単に部屋の位置を教えた。木原君は隣が私の部屋だと聞いても、顔色一つ変えない。当たり前といえばそうだけど、少しだけ悲しい気がしないでもない。


「変なことになってしまってごめんね」

「気にしないで。俺の親も少し過保護なところがあるから。もうすぐ十七なのに呆れちゃうよな」


 木原君はそういうと、笑顔を浮かべている。木原君の誕生日は八月。私よりも七ヶ月も早い。でも、彼に誕生日のことを知っているということは黙っていた。そんなことを知っていたりすると気味が悪いと思われそうだったから。


「結構、広いんだね」

「うん。すごくバカな理由でこんな広い家を買ったらしいんだ」

「理由って」

「子供の家族と同居とか考えていたみたいだよ」

「同居って」


 木原君は意味を察したのか苦笑いを浮かべていた。要は私かお姉ちゃんが結婚したときに一緒に住めればとでも思っていたんだろう。女の子二人が生まれるということが予想外だった可能性もあるけど。

 でも、それだけではないことは薄々感じていた。


「本当はおばあちゃんと一緒に暮らしたかったんだと思うの。おじいちゃんが早くに亡くなっていたから、年を取ったときに、便利だからって。でも、おばあちゃんは最後まで生まれ育った場所がいいからと離れなかったけど」


 そして、彼女は亡くなった。体調が悪いことを私の家族にも、父親の兄弟にも知らせなかった。いつもの風邪だと思っていたのか、迷惑をかけたくなかったのか、それとも祖父の傍に行くことを望んでいたのかは明らかでない。ただ、彼女は私が小さい頃に亡くなり、その影響からか、この家には余ってしまった部屋が二つほどあった。そのうちの一つは木原君が住む予定の部屋で、もう一つは空き部屋になっていた。


「そっか。おばあさんが亡くなっていたんだよね」

 彼はそう小声でつぶやいた。

「もう昔のことなのに、おばあちゃんが何を考えていたのか今でも分からなくて、悲しくなってしまうんだ。せめて、体調が悪いってことを教えてくれたら、もっといっぱい会いにいけて、お話ができたのにって」


 その気持ちで蘇るのが幼いときに自分の負の感情をぶつけてしまった記憶だった。彼女があのとき亡くなってしまったのはわたしのせいではないかと心に引っかかっていたのだ。

「そっか」

 木原君の暗い声を聞いて、我に返る。自分の話ばかりをしていたのかに気づいたからだ。

「ごめんなさい。変な話をして」

「謝らなくていいよ。こっちこそ辛いことを思い出させてごめん」


 彼の指先が私の目元に触れる。それで私は自分が泣いていたのに気づいた。

「ごめん」

 彼の手が私から離れる。嫌ではなかったが、触っていてほしいなんていえずに、首を横に振る。


「そういえば携帯の番号とか、聞いていい?」


 彼はそういうと、ジャケットに手を伸ばす。

 番号?

 その言葉に反応し、今まで考えていたことが一気に吹き飛ぶ。


「今すぐ持ってきます」


 そのまま自分の部屋に飛び込むように入った。だが、いつも机の脇に置いているはずの鞄がどこにもない。私はどこに鞄を置いたんだろう。


「田崎さん?」


 ドアの向こうから木原君の声が聞こえる。

 鞄が見つからないが、彼を無視できずに扉を開けると外を覗く。


「鞄なら隣の部屋に置いてなかった?」


 そうだった。私は今日、一度も部屋に戻ってない。


「取ってくるね」


 隣の部屋に入ると、木原君も入ってきた。同じ部屋だということにドキッとしたけど、これから一緒に住むとなるとこういうことも当たり前になるんだ。


「木原君は嫌じゃないの?」

「でも、親がそれで安心するならいいかなって。母さんが特に心配性だから」


 あの綺麗なお母さんを思い出していた。わずらわしいと思ってもおかしくない母親の心配を受け止めていることが木原君の人柄を表している気がして、ほほえましかった。

 私達は携帯の番号を交換した。彼は携帯のキーを触りながら、こう告げた。


「必要じゃないときにはかけないから安心して」


 本音を言えば、毎日でもかけてくださいと言いたいけど、そんなことをいえるわけもない。私から電話をかけるなんて、そんなの絶対に無理。

 でも、彼の携帯の番号が聞けたんだから、父親のおせっかいもたまには悪くないかもしれない。


 木原君と一緒に住むか…。そんなうそみたいな話が本当に現実になるんだろうか。

 私は目の前にいる彼を見ながら、現実をいまいち受け入れられないでいた。


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