百合の祖母の家
彼の足が止まったのは大きな家の前だった。まず驚いたのが家の敷地の広さだった。私の祖母の家もそこそこの広さだったが、彼の家はそれより広く感じた。
そのことを木原君に言うと、祖父母から受け継いだ家の上、田舎で土地が安いからだと答えていた。
彼がチャイムを押すと、すぐにインターフォンにオレンジのランプが灯る。
「俺だけど」
「ちょっと待ってね」
インターフォンのライトが消えた。
その代わりのように、玄関の扉が開き、木原君のお母さんが出てきた。今日は白のシャツに茶色のタイトスカートをはいていた。
彼女は私を見ると、笑顔を浮かべる。
「来てくれてありがとう。上がっていってください」
本当はそうしたいし、木原君のお母さんと話もしたいけど、晴実達のことを考えるとそういうわけにも行かない。
「今日は友達を待たせているので、ここで失礼させていただこうと思います」
私は深々と頭を下げた。そして、向こうを出る前に買ったお茶菓子を差し出す。
「北田ともう一人、高校の友達が一緒なんだよ」
木原君はつけ加えるようにして言う。
その言葉に木原君のお母さんは笑顔になる。
「百合ちゃんもおばあさんがここに住んでいたわね。おばあさんによろしくね」
彼女の笑顔に癒されながら、彼の家を後にする。
木原君は送っていくと言ってくれたが、そこまでしてもらうのは気が引け、一人で大丈夫だと彼を説得し、来た道を戻ることにした。
目印もない、はじめての道だったが、同じ家が並んでいるといわけでもないので、目印を確認しながら問題なく駅まで戻ることができた。
最初二人と別れた喫茶店の中では百合と晴実がなにやら話しこんでいるのが見えた。時折笑顔を浮かべている。
その彼女達の前にあるコップはもう空になっている。私は窓ガラスを右手の人差し指の第二関節で小突く。
二人は顔を見合わせると、席を立つ。そして、レジで会計をすませると、すぐにお店を出てきた。
「もういいの? ゆっくりしてきてもよかったのに」
「家族でしかできない話もあると思うんだ。久々の再会だもん」
百合はそうね、と言うと俯いた。
彼女に直接は聞いたことないが、彼女も彼の家の複雑な事情は知っているような気がしたのだ。
私たちは百合の祖母の家に行くことになった。彼女の家を取り巻く木製の柵からは朝顔の葉が覗いている。門の中に入ると、庭には様々な植物が咲き乱れていた。
その石の道の上を歩き、玄関まで行く。百合は玄関を開けると顔を覗かせた。
この辺りでは鍵を閉めたりはしないんだろうか。
「おばあちゃん、友達を連れてきたよ」
すぐに足音が響き、小柄な女性が玄関まで出てくる。彼女は私と晴実を交互に見ると、深々と頭を下げる。肩の少し下まで伸びている白髪混じりの髪の毛を後方で一つに縛り、紺色のスカートに白の襟のあるシャツを身に纏う。化粧っ気などはほとんどなかったが、その透った鼻筋や、ふっくらとした赤い唇は百合を連想させた。彼女が祖母と同じくらいの年になれば、似てそうな気がする。
彼女は私たちを見ると優しく微笑んでくれた。
「部屋は手前の客間でいいんだよね」
「ええ。飲み物を準備してきますね」
だが、二人の話し方はちょっと違う。
はきはきと反す百合に対し、祖母は穏やかな話し方をしていたのだ。
彼女は背を向け、奥に戻っていく。
百合は玄関から右手に入った襖を開ける。そこには何も荷物のない広々とした部屋があった。私の部屋の広さがゆうにありそうだった。
「ここを使っていいよ。眠るのはここを使ってもいいし、別の場所でもいいよ」
百合はそう言うと、持っていた荷物を畳みの上に置く。そして、奥にある襖を指差す。
「お客様用の布団はここに一応入っているから」
「ここっておばあちゃんが一人で住んでいるの?」
私達は部屋の隅に荷物を置き、百合の出してくれた座布団の上に座る。
「おばあちゃん、若いね」
と晴実が言った。
「そんなことないよ。今年で七十だよ。そんなものじゃないかな」
「見えない」
晴実は驚いたのか目を丸める。
「そんなものだって」
百合は苦笑いを浮かべていた。
私はよく考えたら百合の家のことは何も知らないのだ。両親がどんな人なのかとか、兄弟がいるのかとかそんな話は聞いたことがない。あまり彼女は自分のことを話そうとしない。唯一聞いたのは彼女がお父さんに似ているくらいだ。
私はお土産を百合に渡す。晴実も「私も」と言い、バッグからお土産を取り出す。
「おばあちゃんに渡してくるね」
百合はそう言い残すと部屋を出て行く。広い部屋の中に、私と晴実の二人だけになる。晴実は体の後ろに手をもっていき、ゆっくりと体を仰け反らせる。
「由佳のお父さんの実家もここなんだよね?」
「もう、家は残ってないけどね。跡地にはスーパーができたんだって」
彼女はそっかというと呟いていた。
「でも、世間は狭いよね。いいところだけど、人口はそんなに多くなさそうだし、それで身近に四人もって」
そして幼い頃に会っていたというのもすごいなと感じていた。
「由佳は志望校決めた?」
「まだだけど、多分、百合と同じところを受けると思う」
木原君に言われ、三者面談でもそこを書いていた。そう決めると、不思議とそこに志望校が固まっていく。学力の面ではまったく届いていないけど。
「物理だから、天文とかもそっちだね。頑張ってね。相当難しそうだけど」
彼女は肩から垂れてきた髪の毛を指先で弾く。
「この近くにある国立大学に覗きに行っていい? そこの農学部を受けようかなと考えているの」
「晴実は農学部なんだ」
「うん。植物の研究とかやってみたいなって思ってさ」
今まで具体的に彼女が何かを言ってくれたことはなかったので、初めて聞く話だった。
この前、高校に入学したばかりだと思っていたのに、いつの間にか半分近い時間が流れ、私を含め、それぞれの道を決めようとしている。少し寂しい気がするけど、それが高校生という時間なのかもしれない。
そのとき、襖が開き、百合が入ってきた。彼女は青色の花をあしらったガラス容器に麦茶が入ったお盆を手にしている。彼女はそれをテーブルの上に置く。
「今からご飯を作るから、ちょっと待ってね」
そのとき、百合の持っていた黒の旅行バッグから音楽が聞こえる。百合はその鞄から荷物を出していた。だが、その彼女の表情が一瞬固まっていた。私は今朝見た百合の顔を思い出す。
「一馬さん?」
晴実がにやにやしながら百合に問いかける。
「何であなたがそんなこと知っているのよ」
百合の顔が真っ赤になる。
「昨日、デートしていたよね。偶然みちゃった」
「あれは、違うのよ」
百合の表情が一気に暗くなる。
私と晴実は顔を見合わせた。
「変なこと言った? ごめん」
「違うの。そうじゃなくていろいろあったのよ」
彼女はそれ以上、その話題に触れようとしなかった。私も晴実も互いに何かを感じ取り、それには触れないようにしようと決めたのだ。
彼女は携帯を片付けると食事の用意があるともどっていく。私も晴実も百合の変わりように、それ以上彼女の話をするのを意図的に避けていた。
しばらく経ち、百合がお盆に食事を載せてやってきた。
「由佳と晴実はここで食べてね。私はおばあちゃんと食べるよ」
「分かった」
私はカレーやシチューなど私でも比較的簡単に作れるものを想像していたが、運ばれてきた品を見て、私も晴実も顔を見合わせていた。
煮物や、きんぴらごぼう、ポテトサラダなど。盛り付けなども綺麗で、どこかに食べに行ったようだ。
「百合って料理上手なんだね」
晴実はため息交じりにそう漏らした。
「そんなことないよ。普通だって。いつもやっていると嫌でも上手になる」
「いつもってお母さんも働いているの?」
私の問いかけに百合は首をかしげて微笑む。
「私の母親はずっと昔に交通事故で亡くなったの。だからずっと家事は私がやってきたの」
百合が年齢のわりにしっかりしているのと、一馬さんが彼女の力になりたいと考えていたのもそうした事情があったのかもしれない。
彼女は何度か部屋と台所を往復すると、自由にくつろいでと言い残し、台所に戻っていく。
私と晴実はその料理をまじまじと見ていた。
「百合って並大抵の男じゃ釣り合わないよね」
「そうだね」
彼女も木原君と同じように、誰も見ていないところで努力をして、それをたいしたことないと言いきれる程に自分のものにしている。
しばらく経ち、百合が戻ってくる。彼女は私達の食べ終わった食器を運んでいく。そして、しばらくして戻ってきた。
その時にはすっかりと日が落ちていた。
「少し外に出ない?」
「私はパス」
「私は行こうかな」
晴実は長旅に疲れたのか、横になっている。まだ元気の有り余っているわたしは百合の誘いに乗り、外に出る事にした。
彼女はブルーのAラインのワンピースに着替え、白のサンダルを履いていた。
夜の光にブルーの洋服と白のサンダルがよく映える。
私は思わず天を仰いでいた。
昔、この場所では多くの星が見えた気がした。だが、今では近くを照らすあかりのためなのか、子供の頃の思いこみだったのか、私の家よりも若干多い程度の星が瞬いているだけだった。
「今日、木原君に好きと言われたんだよね」
彼女は私のそばまで来ると、囁くようにしていった。
私は彼女の言葉を聴き、思わず顔を抑えていた。そこまで顔に出ていたのだろうか。
「一目見たら分かるわよ、幸せそう。良かったね」
百合は微笑んでいた。
思い出しただけで、顔がにやけそうになる幸せな記憶だ。話し相手が晴実ならそこでのろけてもよかったのかもしれない。でも、百合が木原君を好きだったことを知っているからこそ、私は何も言えずにいた。
そんな私を見て百合は呆れたように笑う。
「何を気にしているのよ。昔のことだって言ったじゃない。あなたが好きなら彼と付き合えばいいのよ。私も応援しているよ。彼とあなたには障害になるものがなにもないのだから」
「ありがとう」
意識したわけでもないのに視界が霞んでいた。
「どうして泣くのよ。幸せなのでしょう」
木原君を好きだった彼女にそう言ってもらえた事が何よりもうれしい。同時に、彼女は私の憧れの存在だと強く思わずにはいられなかった。
彼女は長い髪の毛を指先ですく。
「晴実に伝えた?」
「まだ」
「あの子、あなたと彼はすでに付き合っていると思い込んでいるから聞いたらびっくりするよね」
「私、そんなことを一言も言ってないよ」
「あなたたちを見ていたら、そう見えるらしいわ。あなたたちは本当にお似合いだったからって。気持ちも分かるけど。空を眺めるのもいいけど、今から驚かせに行こうか」
私は百合と一緒に部屋に戻る。
晴実は私の「今日から付き合うことにした」という言葉に目を大きく見開く。
「え? まだ付き合ってなかったの?」
「だから、今までのはあなたの早とちりよ」
「意外。絶対付き合っていると思ったのに。今日も電車でいちゃついていたし」
「手をつないでいただけじゃない。それもほんの短時間だけだよ」
思わず焦り、本音が飛び出してきた。
百合も晴実もそんな私を見て笑っていた。




