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約束  作者: 沢村茜
第一章
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突然の同居話

 茶色の屋根にそれより何段階も薄いベージュに近い外壁。家は二階建てで目を上げればそんな外壁に似合わない水色のカーテンが見え隠れする。家の前には名称を具体的にあげればきりがないほど、多彩な花が艶やかに咲いていた。見慣れた家を確認し、彼を見る。

 彼もここが私の家と気付いたのか、小さくうなずいていた。


 門を押すと、金属音が私の心を冷やすように響く。だが、そんな音はすぐに空に飲み込まれてしまう。

 玄関の前まで来ると、もう一度木原君を見た。そのときの彼は口元を締め、顔をこわばらせていた。


 そんな彼の態度をどこか身近に感じていた。深呼吸をすると、金色のステンレス製のノブを引く。すぐに見慣れた玄関先の景色が飛び込んでくる。だが、いつもは違い、無造作に放置されている靴が示し合わされたように玄関のへり沿いに並んでいた。


「どうぞ」


 彼は頭を下げると靴を脱ぐ。私も靴を脱ぎ、玄関に置かれているスリッパを彼に出した。だが、そこで動きが止まる。彼をどこに通せばいいのか分からなかったのだ。客間でいいのだろうか。それともリビングだろうか。

 彼をどこに案内しようか迷っていると、リビングの扉が開き、髪の毛にかるいウェーブのかかった黒髪の女性が出てきた。彼女は私と木原くんを交互に見ると大きな目を細めていた。


「あなたが木原くんね。はじめまして。田崎梨絵といいます」


 木原君は姉につられたように深々と頭を下げていた。戸惑ったような表情から二人に面識があるようには思えなかった。

 姉が私を見て、あごをしゃくる。


「由佳の部屋の隣の部屋に案内してくれる? もう直ぐお父さんたちも帰ってくると思うから」

「いいけど、どうして?」


 訪れた人を案内するなら、この家の六畳ほどの客間に使っている和室だと決まっている。い草の香りがほのかに漂う和室に、お客を案内するのがいつのまにか慣習のようになっていたからだ。親しい人であればリビングの可能性もあったが、姉の言葉はその二つを打ち消していた。

 私の隣の部屋は姉の言ったように空き部屋になっている。物置も別にあることから、物置として活用されることもなく、親戚が遊びに来たときなどに寝泊りに使われる程度だった。


「え? 来月からそこにこの子が住むからに決まっているでしょう?」


 さらっと聞こえてきた言葉に、耳を疑った。

 一緒に住む?

 頭の中で何度もその言葉が繰り返されていた。


「私もお母さんに今朝、聞いて驚いたんだ。お母さんは言うの忘れていたんだってさ」


 すらすらと物事を語る姉とは逆に、私は話が理解できないでいた。

 木原君を見た。だが、彼は特別驚いたような様子もなく、苦笑いを浮かべていた。

 知っていたのかなと思うほど。


「まずは案内しておいて。私が案内するより顔見知りがそうしたほうがいいでしょう。よろしく」


 姉は軽い足取りでリビングに戻っていく。すぐに扉が閉まる。私達は玄関に取り残されてしまっていた。

 木原君が私の家に住む。寝食をともにするということ。そんなありえない話が起こりえるのだろうか。


「田崎さん?」


 彼の言葉で我に返る。とりあえず彼を私の隣の部屋に案内しないといけない。それに自分で何かを考えることもできない状態で、言われたとおりに行動を起こすくらいしかできそうになかった。

 靴を脱ぐと、玄関前にある階段を上っていく。とんとんと階段をあがる音がリズミカルに響く。冷静に装っているが、内面はいろいろな思いが渦巻いていた。姉の話を素直に受け入れられるわけもない。まず、その話が本当のことかさえも疑わしい。

 足を止め、振り返る。木原君の顔が少し離れたところにあるのに気づき、目をそらしながら問いかけることにした。


「木原くんはいつ聞いたの?」

「昨日。君のお父さんが家にやってきて、我が家は部屋が余っているから是非にって」


 木原くんも戸惑っていたのか、次第に彼の声が小さくなっていく。

 昨夜、父親は家に遅くに帰宅した。ありえない話じゃない。それどころか、父親の性格を考えると、十分そんなことをしでかしそうだった。私の父親は悪い人間ではないが、暴走しやすい性格というか思い込みが激しいというか、それでいてかなりおせっかいで、能天気な人だ。もし、木原君のお父さんがそのことで悩みでも相談して、家に住むということで解消されるなら、あっさりとそう言うだろう。


 母親はおおらかといえば聞こえがいいが、基本的に大雑把だ。時々、何も考えていないんじゃないかと疑いたくなる。姉もそんな母親の性格をしっかりと受け継いでいた。私はそんな彼らとは違っていて、小心者というか、あまり物事をプラス思考には考えられない性格をしていた。


 父親は昨日、木原君の家に行ったということになる。

 よく考えるとうらやましい。彼がどんな家に住んで、どんな生活を送っているかをほんのわずかでものぞくことができるということだから。学校で遠くから見るだけで満足だと思っていた私には遠い世界の話だった。


「今日、家に帰って断ろうと思っていたけど、君のお父さんから家に来てくれって家に電話があったらしくて。俺のお父さんは押しに弱くて」

「分かるよ。私のお父さんだから」


 木原君のお父さんがというより、私のお父さんの押しが強すぎるのだ。


「家のことは断るから心配しないで」


 木原くんはそう言うと、笑顔を浮かべていた。

 心配という言葉が引っかかるが、まず理由をきいてみることにした。


「どうして、そんな話になったの?」


 私はそこまで言って、彼の言葉を制す。階段の途中で立ち話をしていることに今更ながら気づいたからだ。

 まずは腰をすえて話をすべきかもしれない。それにお茶もまだ出していないのだ。


「部屋で話をしようか。お茶でも持ってくるよ」


 私は階段を上り終えると、少し細い廊下を歩き、そこから三つ先にあるドアの前に行く。その一つ手間が私の部屋だった。

 ノブを捻り、扉を開ける。そこには閑散とした部屋がある。無造作に置かれていた絵や花瓶などが撤去され、そして明らかにおろしたばかりだと分かるカーペットが敷かれていた。そして部屋の中央には見たこともないこげ茶のサイドテーブルが置かれていた。窓は開けられ、弱い風が水色のカーテンを揺らしていた。


「中に入っていいよ」


 木原くんはお礼を言うと、部屋の中に入る。

 扉をしめると、先ほどまで話をしていたのが嘘のようにどちらかともなく黙っていた。木原君は部屋の中心にぽつんと立ち、私は彼から少し離れた扉のところに立っていた。

 意識して黙っていたわけでもない。何かを言おうとするが、上手く言葉が出てこなかったのだ。

 その沈黙を破ったのは木原くんだった。彼はドアにへばりついている私を見ると、目を細める。


「父親が転勤になったけど、父親は家事が全くダメな人だから母親がついていくことになったんだ」

「転勤って、木原くんも転校するの?」


 彼の言葉を遮り、思わず問いかけていた。自分で口にしたのに胸の奥が疼くように痛い。

 中学生くらいなら親について行くだろうけど、高校生くらいだとどうなんだろう。学校に寮はないから、一人暮らしか、知り合いの家に住むくらいしか選択肢はない。私の知り合いに親が転勤になり一人暮らしをしている子もいるので、不可能ではないだろう。


「一応、地元の大学行きたいから残りたいけど、迷っているところ。家は一軒家の借家だから、引き払わないといけないからね」


 それなら今の家に残るというのは難しいのかもしれない。

 木原君が転校するなんて、今までそんなこと考えたことなかった。少なくとも高校卒業までは彼を遠くから見ることができると思っていたからだ。

 だから突然のように出てきたこの家に住むという話。ここに住めば、彼は引っ越さなくてもいいし、学校で姿を見続けることができる。だが、学校以外でも彼を見ることができるということに、あまり実感がなかった。でも、それ以前に彼とこうして話をしているだけでも、私にとっては夢物語のようなものかもしれない。


 考えを整理して、できるだけ具体的に問いかける。


「ここに住むのは断るってことは、一人暮らしをしたいということ?」

「できればね」


 彼の親がどんな人なのか、全くイメージがわかなかった。雲をつかむような感じで彼の親をイメージしていたのだ。


「一人暮らしさせてくれそう?」

「大丈夫じゃないかな。相談をしてみないといけないけど」


 木原くんは肩をすくめ苦笑いを浮かべていた。

 もしだめだといわれたら転校するのだろうか。お金の問題も絡んでくるし、私たちが望むように簡単にはいかないのかもしれない。

 彼の親も知り合いの家に住むとなればすんなり受け入れてくれる可能性もある。少なくとも家賃はかからないし、食費なんて一人増えたくらいだと微々たるものだ。だから私の気持ちは別にして、悪い話ではないと思う。

 木原君はどう思っているのだろう。彼ぐらいだと一人暮らしのほうが当然いいだろう。


 そこまで考えたとき、さっき彼の前であからさまに驚いたような態度をとってしまったことを思い出す。彼の本心がどこにあろうが、あの反応はまずかった気がする。そんなことを考えると落ち込んできてしまった。


「どうかした?」


 女の子顔負けの長い睫毛が私の目に飛び込んできた。その奥にある澄んだ強い光を宿す瞳が、心配そうに私の顔を覗き込んできたのだ。


「なんでもないの」


 心臓がいつもとは違う鼓動を刻むのが分かった。思わず顔を背ける。できるだけ直視しないようにしていた努力も無駄なものとなってしまっていた。彼と私の距離は一歩ほどしかなく、私の心音を聞かれてしまうんじゃないかと思うほどだった。気休めに、足を一歩、後方に進ませた。


「本当に大丈夫だから」

 こんなんじゃ一緒に住むなんてできるわけない。


 どう考えても木原君には私が嫌がっているとしか映らないだろう。

 彼のことが好きか嫌いかと言われたら好きだと思う。でも、彼と一緒に住むなんて、お風呂やごはんも一緒で、今のように彼の顔を至近距離で見ることもあるということになる。そんなの心臓に悪すぎる。


「お茶でも持ってくるね」


 そう言い残し、出て行こうとした私に木原くんが呼びかける。乱れた呼吸を深呼吸をして整え、肩越しに彼を見た。

 木原くんは柔らかい笑みを浮かべていた。


「ありがとう」


 私は何も言えなくなりうなずくと、そそくさと部屋を飛び出した。今日一日で一年分くらい心臓が働いた気がする。絶対に顔が赤くなっているはずだ。彼に変な風に思われたかもしれない。

 足が震えるのを自覚しながら、階段をおりる。

 リビングに行くことにした。


 話をしたこともなかった憧れの人が一緒に住むなんて言われてもどうしていいのか分からない。チャンスだと思えなくもないけど、私にはそんなポジティブに物事を考える余裕もなかった。前もって考える時間があれば、話も、私の状況も変わってきたのかもしれない。

 少なくとも今朝教えてくれたら、彼の前であんな変な態度をとったりしなかった。


 リビングの扉を開けた。リビングでは母親と姉が言葉を交わしている。姉はぬれた手を軽く払うと、台所の脇にあるタオルで手を拭いていた。そのままリビングを出て行く。


 元凶は私の両親で間違いないはず。


「木原くんがここに住むっていつ決まったの?」

 包丁の音だけが響くキッチンに立つ女性に尋ねた。今は、その腰まで伸びた髪を一つに後方で結っている。突如、その音が途切れ、彼女は私を見て、あどけなさの残る目を細める。


「昨日よ。今朝、言い忘れてごめんね」

「ごめんじゃなくて、どうして言ってくれないのよ」

「まあ、いいじゃない。雅哉君はいい子だし、気にすることはないわ」


 気にしているから、こう言っているのに。鈍い彼女はどうやら状況がつかめていないらしい。


「良くない」

 思わず言葉に力がこもる。

「もう決まったことだから文句は言わないの」

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