重なり合う記憶
木原君は驚きながらもお礼を言ってくれた。
「一馬のことだけど、無理にあいつに付き合わなくても。断りにくいなら俺から断るよ」
「私も話をしたいことがあったから」
彼はそれでも心配そうだった。悪いと言う気持ちが先行していたのかもしれない。
一馬さんは玄関先で待っていてくれた。
彼はあのスニーカーに足を通していた。
靴を履くと、一緒に家の外に出た。
「あいつ、何か言っていた?」
「無理に付き合わなくてもいいって言っていました」
一馬さんは苦笑いを浮かべている。
「あいつなりに君のことを心配しているのだろうね」
「そう、ですか?」
「だって普段のあいつならあんなこと言わないからね。行きたいなら行けって感じだと思うよ」
それが本当のことか分からないけれど、本当だったらとても嬉しい。そういえば百合もそんなことをいっていた気がする。基本的に彼は自分のこと以外興味がないのだ、と。
「木原君とすごく仲がいいんですね」
気持ちを素直に口に出せるには、お互いにそれなりの信頼関係があるからだと思ったからだ。それは百合もそうだった。そうでないとただの不満のぶつけ合いになってしまう。
「仲はいいと思うよ」
彼はあっさりと認め、明るい笑みを浮かべる。
「あいつの両親に会った?」
「はい。素敵な両親でしたね」
「そっか。それなら良かった」
そう彼は言うと、天を仰ぐ。その目はいつもの明るい彼のものではなかった。何かを心に秘め、それを外に出すことを迷っているようなそんな印象だ。
「君って鋭い?」
「自分では鋭いつもりですけど、よく鈍いと言われます」
一馬さんはその話を聞いて君らしいねと言うと笑っていた。
「もし、君さえよかったら、できるだけあいつの傍にいてあげてほしいんだ」
私はその言葉を聞いて、一馬さんを見た。同じことを野木君が言っていたのを思い出したからだ。
同時に、彼は困ったような笑みを浮かべている。その笑みはまるでそれ以上聞かれることを拒んでいるようだった。
なぜ二人とも同じようなことを言うんだろう。そのことが気になるが、具体的に何かを聞くことは出来なかった。
「分かりました。私でよければいつでも話し相手になります」
「ありがとう」
二人は木原君の何を知っているんだろう。
彼は眉間にしわを寄せ、私を見ている。
何かをじっと考え込んでいるようだった。
「君って、産まれてずっとこの辺に住んでいる?」
「多分そうだと思いますよ。記憶のある頃にはこの辺に住んでいました」
彼はうなずいていた。だが、その目はやはり何かを考えているようだった。
「百合は何か言っていなかった?」
「今日のことですよね?」
話が突然切り替わったので、あえて尋ねる。
彼はああ、そうだね、と不意をつかれたような表情を浮かべていた。どう考えても虚をつかれたような表情を浮かべていたのだが、彼は強引に話を進めてきた。
「あまりいいことは言ってなかっただろう? なんかかなり嫌われているみたいだし」
「本心で嫌っているわけでもないとは思いますよ」
「優しいんだね。ありがとう」
彼の気持ちの深さを知っているからこそ、冷たい態度を取ってしまっているのだろう。
彼は百合が誰を好きか知っている。その人は自分の従兄弟で、百合をあっさりと振ったことも。そう思うと、なんだか切なくて、私は唇を噛んだ。曖昧にごまかすことができなくなっていたのだ。
「百合はいい人だから、利用したくないから付き合えないって」
本当な言ってはいけないと分かっていても、つい言葉を漏らす。
その時、一馬さんから笑顔が消えた。
彼はため息を吐くと、天を仰いだ。
「利用されてもいいんだけどな。それであいつが少しでも笑ってくれるなら」
それは紛れもない彼の本心だろう。そんな風に誰かに思われている百合が羨ましかった。
「その感じだと、百合の好きな相手のことも知っているんだよね。大分、割り切っているみたいだけど」
私は頷いた。
「由佳ちゃんは気にする必要はないと思うよ。百合はそういうことを気にするタイプでもないよ」
その言葉って、やっぱりそういうことだよね。彼は私の気持ちに気付いているということをそれとなく口にしている。
「百合にも良く言われています。一馬さんはなんで私の気持ちに気づいているんですか?」
「君って顔に出るもの」
私は思わず両手で顔に触れた。
そんな私を見て、彼は笑う。
「大丈夫。雅哉は絶対に気づいていないないよ。百合が好きだと思っていたってことも言われるまで気づかなかったくらいだもん」
「でも、彼女は顔に出なさそうですよ」
「あいつは行動で分かるよ」
そんなものなのかというのが率直な感想だった。
「百合のこともあったけど、それよりもあいつのことも心配だったんだ」
「木原君のこと?」
一馬さんは頷いた。
「でも、大丈夫そうで安心した」
彼はどこか抜けているところがあるとは知った。でも、しっかりしている彼の何を心配する必要があるのだろう。だが、身内であれば分かることもある。もしかすると、隙のなさが一馬さんを心配させるかもしれない。
「木原君のことが大好きなんですね」
「大好き、か。まあ、そうかもね。あいつだけには幸せになってほしいんだ。いつか本当に心から笑えるように」
そう苦々しく口にした一馬さんの声が夕日に溶け言っていく。
私は想像以上に太陽が傾いているのに気付いた。淡いオレンジ色の光が街を照らしていく。そういえばあのときもこんな夕焼けだった。今でもあのときの、胸の奥をくすぐるような記憶が蘇る。
なぜか分からない。私は目の前にいる彼の名前を、何かに駆り立てられるようにして呼んでいた。
「一馬さん」
「一馬?」
私より大きな声が響き、一馬さんの視線が前を追う。
私はふと我に返り、聞きなれた声と、目の前に立っていた人の姿を確認して、驚きを露わにする。
「知り合いなの?」
姉と彼は同じ大学だ。でも、学年は違うし、交流があるとは思えなかった。
「同じ授業を受けていて友達になったの。彼は木原君の従兄弟なんだってね」
姉は私と違い男の子の友達も多い。彼もそんな一人なんだろう。
「由佳、今から帰るならかいものにつきあってよ。お母さんから頼まれてしまって」
「私は一馬さんと」
「何? 私の頼みが聞けないの?」
それは頼みではなく、命令みたいだ。
「今度おごってあげるよ」
一馬さんは私の背中を軽く叩く。
今日は本当に食べ物にありつけないようにできているみたいだ。
何度も食べ物を意識して、いつものこの時間よりお腹が空いてしまった。
彼と別れ、姉に近所のスーパーまで連れて行かれることになった。
「いつから友達だったの?」
「今年の四月かな。木原君のことも彼から聞いたんだ。自分の従兄弟が我が家でお世話になるかもって話。何か昔話でも聞いてあげようか?」
木原君の子供の頃の話。それは心をひきつけるフレーズだ。
「考えておく」
隠れたところで過去を聞き出すのはいけないという気持ちと、知りたい気持ちが葛藤する。その勝負はすぐにはつきそうもない。
姉はそんな私を見て笑う。
彼女が木原君のことをすんなりと受け入れたのは一馬さんから木原君のことをあれこれ聞いていたからかもしれない。




