おばけの子供
ここは島根県中部のとある山村。この村では、寺の住職が子供たちに手習いを教えていた。しかしある日のこと、時間になっても教室である寺の講堂に住職がやってこない。子供たちが心配して探しに行くと自室で倒れており、町から医者を呼んでも原因がわからなかった。住職の容態は悪化するばかりで、今や寺の鐘もつけないほど弱っていた。
流行り病じゃないのか、手習いに行っていた子供たちは大丈夫なのか。様々な噂が村を飛び交う中、村一番の利口者の少年、庄一は家の縁側で考え込んでいた。
(住職さんの症状は吐き気、気だるさ。微熱もずっと続いとって、体力が落ちちょう。でも流行り病じゃないみたいだけんなあ。それだったら他にも具合の悪い人が出とうだろうし、お医者さんにもらった薬も効くはず。それに、住職さん自身の様子もおかしいわ。子供たちの話を聞くに一月も前から具合が悪かったのに、それを隠そうとしとったらしいけん)
放っていても住職の容態は良くならないし、村に広がる不安も酷くなるばかりだろう。そう思って考え始めたのだが、考えるほどに煮詰まって頭を抱えていた。
そこに、さく、さく、と土を踏む音がした。庄一が顔を上げると、目の前には同じ村に暮らす少女、ユキミが立っていた。この子はいつも明るく溌剌としているのだが、この時は珍しく、困惑のような、緊張のような、暗い表情を浮かべていた。
「ユキミ? どげした?」
「住職さんのことで……」
まさに庄一と同じことで悩んでいたらしい。そういえば数日前に住職の様子について話を聞いた時も、ユキミは似たような表情をしていたことに思い当たった。
「わしに話したいことがあるかね?」
「うん」
そう答えたものの、ユキミは言いづらそうに視線を泳がせている。
「言いにくいこと?」
「たぶん信じてくれんもん」
「何でもちゃんと聞くけん、言ってみて」
「……住職さん、おばけに取り憑かれちょう」
「……おばけ」
「うん」
「なんでそう思うかね?」
「一ヶ月くらい前からお寺に行ったらいやな感じがするけん。その頃から住職さん、具合悪そうにしとって」
「うん」
「それに、住職さんの中にもおばけがおる」
「……うん? 住職さんの中におばけがおる?」
「おばけのいやな感じが住職さんからもするけん。おばけの姿は見えらんのだけど」
最初は子供の思い込みかと思って聞いていたが、ユキミの言い方はどうもそれとは違うように庄一には感じられた。体調不良の原因を「おばけ」に例えているのではなく、本当に「おばけ」が体調不良の原因なのだと言っているような。
「その話、親父さんやお袋さんにはした?」
「したけど、またユキミが変なこと言うとると思われただけ」
「また……?」
そう言われて思い出した。ユキミがもっと幼かった頃、妙な人影や喋る動物など、いわゆる物怪の類がいると言っていたのだ。もちろん周りの大人は相手にせず、子供たちはユキミを冷やかしていた。庄一自身「変な子だ」と思っていたのだが、いつのまにかユキミが物怪のことを話さなくなったので忘れていた。
「……わかった。今からお寺に行こう」
「ほんと!?」
「お寺に行ったら嫌な感じがするんだろ? もっと詳しく知りたいけん、一緒に行こう」
「うん!」
ユキミの表情がパッと明るくなる。かと思うとすぐに、寺の方へ向かって駆け出して行った。庄一は「小さい子は元気でいいなあ」などと、自分もまだ中学生なのにそんなことを考えながら、ユキミの後をついて行った。
寺の境内は普段であれば子供たちが走りまわっているのだが、この日はやはり人気がなく、掃除されていない枯葉が渦を巻いていた。まだ南中を過ぎたばかりの時間だというのに、どことなく薄気味悪い。
「「嫌な感じ」はもうしとる?」
「ちょっとするけど、まだそんなに」
本堂でお参りをしてからその裏手に回ると、ユキミの表情が少し翳った。
「この辺のような気がする……でも見えんわ、どこにおるんだろう」
隣接する講堂、鍵のかかっている蔵の中も窓から覗いたが、ユキミ曰く「おばけ」はいないらしい。
「蔵は日が差さんけん怪しいと思ったんだけどなー」
「あとは住職さんのおる離れだね」
「お見舞いに行く?」
「そげだね。話も聞きたいし」
そんなわけで二人は寺の横にある離れに向い、
「お邪魔しますー」
「庄一とユキミです」
と玄関から声をかけた。すると、
「いらっしゃいー」
と、奥から掠れた声が返ってきた。草履を脱いで居間に向かうと、住職が布団の上で上体を起こしていた。
「お久しぶりです」
「住職さん、具合大丈夫?」
「今は落ち着いとるよ。来てくれてありがとうね」
そう答える住職の顔色は悪く、ひどくやつれている。
「隈すごいね。眠れとらんの?」
「……はい」
「それは良くないですね。安静にしないといけないのに」
「そげだねえ」
「今日ご飯食べた?」
「あー……」
「食べたの?」
「実は、まだ……食べる気が起きんで」
「俺が作りますよ」
「え、庄一にいちゃん料理できるの?」
「……米洗うくらいなら」
「あたしが作る。おかゆさんでいい?」
「はい。ありがとう」
「庄一にいちゃんも手伝ってね」
「頼りにならんですまん……」
それから四半刻ほど後。米が炊けるのを待つ間、庄一とユキミは框に腰かけて話していた。
「やっぱり、住職さんにもおばけが憑いちょう。それに、前より大きくなっとらい」
「寺におる「おばけ」は、住職さんのだけってことはないかね?」
「それは違うと思う。本堂のあたりから、もっとおっきい嫌な感じがするけん」
「そげかあ」
「なのに見えらんのよー、なんでなんかな」
「……一箇所だけ調べてないところがあるな」
「えっ、どこ? お寺の建物、全部回ったよ?」
「そげだね。でも一箇所だけ、中は見とらん」
「蔵? でも窓から覗いたし、それにあたし、蔵からはいやな感じせんよ」
「「嫌な感じ」は本堂の裏あたりで特に強いんだろ?」
「うん。でも本堂の中も裏手も、おばけはおらんかったし……」
「本当にそげだろうか」
「え?」
「わしらは確かに本堂の中も見た。でも本堂って仏さんがおられるところには柵があって行けんし、暗くてよく見えらんよね」
「ってことは」
「「おばけ」がおるのはあこだろうね」
「なんか、住職さんをだましとるみたいでやだな」
そういうユキミの手には今、本堂の中に入るための扉の鍵が握られている。
今住職のもとには庄一が行き、作ったお粥を渡している。ユキミは料理の後片付けをしているというていで住職のところには行かず、本堂の中を見に来たのだ。住職に断りを入れずこっそり行動しているのは、「住職さんは何か隠してる気がする」というユキミの直感による理由である。
とは言え家主に黙って家探しをするなど良い行いではないし、何より本堂の中は暗いし寒いし怖い。あまり行きたくない気持ちとは裏腹に、鍵はあっさりと開いてしまった。初めて入った本堂の中は、しばらく掃除ができていないのだろう、かなり埃っぽい。
「……やな感じ」
みし、みし、と軋む床板の音は、他の場所と変わらないはずなのになぜか恐ろしく感じる。ぼんやりと浮かぶ仏像が動き出したりはしないかと変な妄想までしてしまう。
しかしおばけの影はどこにもない。気配は確かに感じている。それなのに、その姿は見当たらない。
「……ん?」
ゆらり、と視界の端で何かが動いた気がした。目を向けてもそこには何もいない。薄明かりに照らされる仏像と、その暗い影があるばかりだ。
「もしかして……」
仏像や仏具に遮られ、その裏は光が当たらない。完全な闇の世界だ。早まる鼓動を抑えるように胸元を握り、仏像の裏を覗き込んだ。
甲高い叫び声が聞こえて、庄一ははっと本堂の方を見やった。「すみません」と一言住職に断って、本堂に急いで向かう。すると本堂につながる渡り廊下から凄まじい足音が近づいてきて、庄一が受け身を取る間もなく腹に足音の主が激突した。
「ぐえっ……ど、どうだった? おったか?」
「おった! おばけおったよ! すごく大きくて、真っ黒で、えっと」
足音の主ことユキミは必死で自分の見てきたものを伝えようとしていたが、混乱しているようでうまく言葉が出てこない。庄一が目を合わせて宥めてやるうちにユキミも興奮が落ち着いてきたようで、へにょりと庄一に寄りかかってきた。
「……怖かった?」
「怖かったー……」
庄一の肩に顔を埋めたユキミは、すっかり涙声になってしまっていた。庄一はその頭をぽすぽすと撫でてやる。次にユキミが顔を上げた時、目元や鼻はまだ赤いままだったが、表情はいつもの殊勝なものに戻っていた。
「ごめんなあ、一人で見に行かせて」
「いいよ、にいちゃんは見えらんのだし」
「庄一くん、ユキミさん」
突然後ろから声をかけられ、庄一もユキミも思わず飛び上がる。振り向くとそこにいたのは当然住職で。バレないように本堂を見に行ったはずなのに、二人ともそのことをすっかり忘れていた。
「立ち上がって平気なんですか⁈」
明らかに無理をしている様子の住職は、だというのになぜかバツの悪そうな微笑みを浮かべている。庄一が手を貸して廊下に座らせると、住職はユキミを見つめてこう言った。
「ユキミさんには、見えるんだね」
「えっ」
「まさか見える子がおるなんてねえ……」
呆気に取られる庄一とユキミに対して、住職はさらに言葉を続ける。
「おったんでしょう? 本堂の中に「何か」が。私は黒いもやのようなもんだと思っちょうけど」
「そう! そうなんよ! ほとんど影と変わらんようなのが、絶対におったの! 全然動かんかったけん、寝とったんかねえ」
「やっぱりそうなんだねえ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 住職さん、「おばけ」が見えるんですかね?!」
「見えるわけじゃないけど、ただ昔から、夢に出るんです」
「夢……」
「この間夢の中に出てきた「おばけ」はひどく弱っとってね。しばらく寝床を貸してほしいと言われてしまって」
「それで、本堂を?」
「はい。あそこだったら私以外行くこともないけん、いいだろうと思って」
「そげだったんですか……」
「……でもじゃあ、本堂のは悪いことしとらんのか」
ユキミがそう呟いて、庄一もはっとする。そもそも寺におばけ探しに来たのは、住職の体調が酷く悪化していたからだ。しかし本堂のおばけは寝ているだけだとすると。
「本堂だけじゃのうて、住職さんにもおばけが取り憑いとるんよ。住職さん、気がついちょう?」
「……」
「住職さん?」
「……はい。その、この子は……」
「この子?」
「本堂のおばけの、子供だそうで」
「……は?」
「育つのに生き物の生気が必要だけん、お前の体を借りたい、と……」
「……それで、ほんとに貸してあげたかね?」
「……はい」
住職の告白に、ユキミも庄一も思わず脱力してしまう。いくら夢で会話できるからと言っても、「おばけ」に甘すぎやしないか。
「結局、村中に迷惑をかけてしまって……本当にすまんかったなあ」
そう言って、住職は申し訳なさそうに目を細めた。
「本当に本堂に入ってええんかね?」
「雑巾たくさん持ってきたよ」
「仏さん間近に見られるなんて嬉しいわあ」
ユキミと庄一が寺を訪れた翌日。寺の本堂には大勢の村人が集まっていた。その手にはみんな、掃除道具を持ってきている。
「大掃除?」
「うん。おばけって明るいところとか綺麗なところとか、あと人がいっぱいおって楽しそうにしちょうところも苦手だけん。大掃除したら、本堂のおばけは往ぬると思う」
前日、ユキミがそう提案したのだ。それからユキミと庄一は村の家々に声をかけに行った。いつもは柵越しでしか見られない本堂に入られるということが気を引いたのか、思っていた以上に人が集まってくれた。
「かなり埃っぽいけん、雨戸を全部開けてください。大事なものもたくさんあるけん壊さんように注意して、手分けして掃除しましょう」
本堂で指揮をとっているのは庄一だ。それを離れから、ユキミと住職は眺めていた。
「良かった。どんどんおばけのいやな感じが消えちょう」
「……」
「住職さんに憑いとる子供も、親が出て行ったら一緒について行くと思うよ」
「そうなんですか……」
「住職さんは真面目だねえ」
「え?」
「おばけとの約束を破ってしまった、とか思っちょうでしょ」
住職からの返事はない。ただ、驚いたように目を丸くしていることが答えも同然だった。
「そんなに気にせんでいいよ。あれくらいでおばけは死によらんけん。子供も大きくなっとったし、二人でどっかに行くだけだよ」
実際、ユキミはおばけの親子がいなくなるのを感じていたが、それはおばけたちが消えてしまうのではなく、どこか遠くへ去っていく感覚だった。
「ユキミさんはなんでもわかっちょうねえ」
「えへへ」
住職の顔に優しい笑みが戻り、ユキミもホッとする。
住職は大掃除が続く本堂を見つめると、おばけたちの旅路を祈るようにそっと手を合わせた。
それから一年ほど経った日のこと。学校帰りの庄一のもとに、村からユキミが駆けてきた。
「庄一にいちゃん!」
「おーユキミ、どげした?」
「あのね、お寺に子供が来るんだって!」
「住職さんの養子ってことかね?」
「そう! しかもね、住職さんがあたしにだけ教えてくれたんだけど……」
「なになに?」
耳を寄せろとユキミに促され、庄一はユキミの目の前にしゃがむ。庄一の耳元に口を寄せると、ユキミは嬉しそうにこう言った。
「やってくる子、おばけが見えるかもしれんって!」




