第五話:魔物の理論
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「ねーちょっと、この布団なんかオジサン臭いんですけどー?」
「やかましい。嫌ならバスタオルでも使っとけ」
ポイと放り投げたバスタオルをキャッチした女児は、それに顔を埋め匂いを嗅ぐ。
「確かに、こっちの方がマシかもね」
そういうと無断でもう一枚二枚三枚とバスタオルを引っ張り出し、それにぐるぐる巻きになるようにして寝床を作りはじめた。
(くそ……とんだ不覚だぜ……)
結局、鮫島はあのジャンケンに負けたのだ。
勝負は一瞬。鮫島はグーを出し、女児はパーを出した。あいこによる鍔迫り合いは無し。一撃で、アッサリと切り捨てられた。
(こいつ、ガキの割にいい勝負勘してやがる……。いやまあ、もしかしたら適当にパーを出してきただけかもしれないが……まぁどっちでもいい。勘だろうが運だろうが結局勝ったのはアイツ……どんな経緯でも負けは負け。素直に受け入れ……俺はこのガキに寝床を提供する……!)
勝負の結果には常に真摯たる。それが鮫島の美学であり、一種の願掛け……勝負師として運を囲うため、自らに課した制約でもあった。
だから、彼女が鮫島の家のタオルを片っ端から引っ張り出して、「臭い」と「マシ」に分類してタオルの山で寝床を作っていたとしてもそれを素直に受け入れるのだ。
だが、そんな年相応?な女児の振る舞いを見ていると、鮫島の中で一つの疑問がどんどんと膨らんでいった。
(それにしても……こいつはいったい何者なんだ?)
先程ジャンケンをしていたときも思ったが、この子供は普通ではない。
(偽の手紙を用意する知能に、公権力を盾に居直り強盗宜しく脅してくる度胸と機転……というか、どうやってウチに入り込んだ? ピッキングか? まぁ古い鍵だからやり方さえ知ってりゃできるだろうが)
ボンヤリしている奴なら大人でも騙されておかしくない。プロ顔負けの詐術、そして脅迫術。鮫島だって世間の普通に精通している訳ではないが、それにしても「異常」とハッキリ分かる。コイツは本当に小学生なのだろうか?
「お前、歳は?」
「んー? 13」
「ぁあ? 見えねぇな」
13歳といえば、中学一年生ぐらいの筈だ。だが彼女の細く未発達で小柄な身体は、まだ第二次性徴を迎える前のものに思えた。先程外に放り出そうと首根っこを掴んだ時だって、体重はかなり軽かったと記憶している。
「名前は?」
「……なに、さっきから個人情報聞いてきて。もしかしてお兄さんガチのロリコン? キモ……」
「一晩宿を貸してやるんだ。それくらい教えろ。呼ぶときにも不便だろ」
女児はしばし「う〜ん」と考えそして……。
「……リッカ」
「あ?」
「だから名前。リッカ。なんか文句ある?」
源氏名みたいだな……と思いつつ、最近の子供なら有り得ない名前でもないかとも思う。まあ、結構頭の回る子供のようだから、名前も年齢も偽物かもしれないが。
「で、お兄さんは?」
「あ? 俺?」
「私も教えたんだから。当然お兄さんも教えてくれなきゃフェアじゃないでしょ」
「あぁ……そりゃそうだな。鮫島だ」
そして少しだけ躊躇ってから。
「年齢は27」
と付け足す。
「ちょっとちょっとお兄さん! さっき自分で22って言ってたじゃん! 何その無意味なウソ!? え、もしかして20代でもう年齢サバ読んでんの!? キモッ!!」
「うるせぇ! カマをかけたんだよ、俺の子じゃねぇって白状させんのに!」
「えー、なにその微妙なカマ掛け……。てか鮫島って何。ガリヒョロ青瓢箪で、ジャンケンヨワヨワ前髪スカスカ……全然サメじゃないじゃん。雑魚島じゃん」
「やかましい! とっとと寝ろ!」
鮫島は照明を落とすとベッドにゴロンと横になり、リッカに背を向ける。
(ムカつくぜ、俺のルーティンを乱しやがって。……だがそれも全て俺のミス……! 登場がやや特殊だったせいで、奴の背に、見なくてもいい勝負師の幻影を見てしまった……! が、蓋を開ければこの通り……奴は所詮、ものを知らないただのガキ! 結局のところ俺の自滅、深読み、独り相撲! だって──)
「ジャンケンに、強いも弱いもあるかよ」
ポロリと、口から言葉が漏れた。
「なに、負け惜しみ?」
その言葉尻を捕まえて、クスクスと嗤うリッカ。
「あるよぉ、強いも弱いも。現に雑魚島は敗者で、アタシは勝者じゃん。これ以上に何か必要?」
「……くだらん結果論だ。もう寝ろ」
無邪気に人を嘲笑うリッカを躱し、布団を被る鮫島。目を閉じ、睡魔を受け入れる。
しかし、リッカのクスクスという不快な嗤いは鳴り止まない。
「私が『雑魚島はチョキを出す』って言ったから、深読みしてグーを出したんでしょ?」
そうだ、深読み……その通りだ。
『お前はチョキを出す』とは即ち『自分はグーを出す』と同義。そこから、鮫島はグーを最善手と読み解き、実際にソレを出した……。
「アタシがチョキを出すと予言したから……雑魚島は『チョキを出せなくなった』んでしょ? 何故なら、アタシが宣言した通りの手を出して負けたら、大人の面子が立たないから。そして、必然として、負けた」
チョキを出せなくなった。
チョキを出せなくなった。
チョキを…………。
…………。
……。
『チョキを出せなくなった』!!
(ぁあ……あああああーー!?!?)
その言葉、まさに稲妻!
晴天の霹靂!
眠りに落ちかけていた意識が衝撃と共に一瞬で覚醒し、大脳が自らの記憶と思考をリプレイする!
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それに、向こうの宣言通りチョキを出して負けでもしたら、このクソガキは更に調子に乗りかねない。舐められた挙句、悪戯感覚で後日警察に匿名通報……といったような事態は避けたい。
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そう、この思考!
この思考がある限り、何処までいっても、何度読みがループしても、鮫島からチョキは出ない!
つまり、リッカも鮫島と全く同じ読みをしたのだ。鮫島はリッカの手をグーorチョキと予想し、最善手としてグーを出した……それと同じ! 鮫島はチョキを出せない、つまりグーorパーしか出せないと見て、リッカはパーを出したのだ!
一見して鏡写しの同じ理論だが、鮫島の理論が予想という水面に揺れる虚像であるのに対し、リッカの理論は心理的プレッシャーという事実の上に聳える実像!
実像を構成するのは確率でも経験則でも無い、只々シンプルな物質的事実のみ! 故に存在感、説得力、即ち質量が比較にならないっ!!
「もしアタシが言った通りの手を出して負けでもすれば、名前も知らないクソガキの言う通り……。ガキがどこまで調子に乗るかはわからないけど、良いことなんてあろうはずも無い。これが最悪の結果。だから、せめて負けるにしても普通に負けたい。チョキを出して負けるのは……予言通りに負けるのは……負けの中でも更にリスクある負けを踏み抜くのは……どうしても避けたい……! その無意識な保身……リスク管理の名を騙り、意識の死角で暴走する逃げの感情……。それが、ジャンケンにおける平等性を自ら崩した……!」
「リッカ、お前……!!」
がばりと起き上がり、リッカを見る鮫島。
暗闇の中、積み重なったタオルの山の中から頭だけ出した彼女の、その大きな瞳と目が合う。
カーテンの隙間から差し込む街灯の冷たい灯りを映し、青く輝くその瞳。闇の中に爛々と浮かび上がる異様な眼差し。その妖しい煌きに囚われた鮫島の心に、一つの形容詞が浮かび上がる。
それは、本来であれば自分達を表すはずの言葉。現代の捕食者、社会の大敵、金を喰らい欲を喰らいそして骨の髄まで啜り尽くす恐るべきマンイーター。
即ち──。
(夜の──魔物──!)
鈴のような、誘うような、囀るようなノイズが、クスクスと鮫島の聴覚を嬲る。
「雑魚島の言う通り、ジャンケンという秤は何処を切っても1/3。戦略など無い運否天賦。純粋無垢の確率勝負……。でも狂いが無いなら狂わせればいいんだよ。秤を狂わせるのは心の重り……即ち迷い、信仰、或いは下らないプライド……! それを相手の心の天秤、その片杯に掛ける……!」
リッカの小さな身体から、闇色の瘴気が立ち昇る。彼女の小さな影がどんどん伸び、膨らみ、巨大な質量の魔物となって自分に覆いかぶさってくる……そんな錯覚。プレッシャーが冷気と重力になって鮫島の気道を圧迫する息苦しさの中、鮫島は浅い息とともに喉から声を絞り出す。
「その……下らないプライドを捨てきれなかったことが……俺の、敗因と、言いたいのか……」
ゆっくりと、首を振るリッカ。
「そうじゃない。そうじゃないよ。プライドを捨てろとか売るなとかそういう意味じゃない。切り売りをするなと言いたいの。つまり躊躇するなってこと……! 格好つけるなら命だって張る。泥啜るなら肥溜だって飲み干す。肝要なのは、決断が導く結果を受け入れる覚悟……! 大敗を嫌う余り敗北そのものの確率を大きく高めるような中途半端をするくらいなら……いっそ初手で白旗を挙げた方がマシ……! ……何かしらの根拠や打算があるなら別だけどね」
気が付けば、リッカの顔がすぐ目の前にあった。前髪が触れ合うほどの至近距離。三日月のように上がった口角の、その薄い唇の隙間から、不格好に鋭い犬歯がチラと覗いた。
「……ねぇ。もう一回、ジャンケンしようよ」
【次回:魔の棲む夜が明けて】
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