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風のクロイス ー呪剣士マディス外伝ー 『短編版』

作者: 大島ぼす

本作は、拙作「呪剣士マディス」の外伝作品です。単体でもお楽しみ頂けますが、詳細の世界設定などは本編を参照ください。

 大陸北部に居を構える大聖堂。それはこの世界全土に聖職者を派遣する、教会組織の総本山だ。大陸最高峰のセテル山に築かれたこの建物の脇には、一際高い鐘楼が建てられていた。


 毎日決まった時間に刻限を知らせるのがその役割だが、最も重要な役目は、大陸南部に位置する魔物どもの住処、大穴を監視することだ。万が一、神が張ったとされる結界が破壊されるようなことがあれば、この鐘を鳴らして非常事態を知らせるのが本来の役目だ。


 だが、そのようなことは終ぞ起こらず、今では教会の厳密に定められた時間割を正確に知らせることだけが仕事となっている。無論、人類にとっては本来の使われ方など無い方が余程良いのは間違いない。


 その鐘楼に一人の少年がいた。年の頃は八歳ほどだろうか。首に赤いスカーフを巻いている以外は、どこにでもいる普通の少年だ。少年はここから見える景色が好きだった。大穴は常に霧のようなモノに覆われ、その姿を見せることは無かったが、ここからなら、大陸全土を見渡すことができる。世界には一体何があるのか、少年はいつもその壮大な風景を見ながら、まだ見ぬ世界を空想の中で旅していた。


 不意に、突風が吹き、少年のスカーフが風に飛ばされてしまった。慌てて手を伸ばすが、スカーフはあっという間に流され、天高く舞い上がり、そのままどこかへと流されていった。


 少年はその空色の髪を風になびかせながら、いつか自分もあのスカーフのように、世界を巡るのだと心に決めた。そしてそれは実現することになる。その前に、少年はスカーフを失くしたことについて、母よりこっぴどく叱られることになるのだが……


 ●


 それから十年の月日が過ぎた。かつての少年は逞しく成長し、すっかり青年となっていた。彼は教会に仕える聖騎士の息子で、自身も父の薫陶を受け、人類を、力無き人々を助けるため、日々修練に励んだ。その結果、十八歳にして聖騎士の試験に合格し、明日はいよいよお披露目の日であった。


 しかし青年はその夜、家に伝わる大剣一本だけを持ち、家を飛び出していた。書置きは残してきたが、両親に含む所があった訳ではない。ただ、自分自身の人生を歩んでみたくなったのだ。これまで父の教えを素直に守り、聖騎士に成るべく励んできたが、やはり自分は世界を旅してみたかった。聖騎士になればそれは叶わぬ。


 それに、父の教え、いや神の教えに従うなら、聖騎士となるより、冒険者となって世界を巡る方が正しいのではないかと考えたのだ。聖騎士の仕事は信徒を守ることが中心で、活動の中心は各地の聖堂や教会だ。だが市井には多くの悩める人々がいるだろう。自分の剣はそういった者の為にこそ振るうべきだ。彼の決意は固かった。


 こうして青年は旅立った。向かう先は決めていない。行先はきっと、風が導いてくれる。気持ちの良い夜風を受けながら、青年は故郷を後にした。


 ●


 それからやはり十年の月日が経った。


 青年はベッドでぼうっと窓の外を見ていた。彼の隣では、裸体の女性が寝ていた。彼女は立ち寄った酒場の女給であったが、質の悪い客達に絡まれ難儀していた。その男たちを懲らしめ、その後彼女と意気投合し、彼女の家に転がり込んでいた。


 彼はいつもこんな調子で、方々で浮名を流しながら放浪していた。窓の外は闇が広がっているが、小鳥のさえずりが聞こえ始めていた。もう間もなく夜明けだ。青年は女を起こさぬよう、そっとベッドから身を起こし、身支度を始めた。


「……行くの?」

「起こしたか? すまなかった」

「別にいいわよ。気にしないで。……また会いに来てくれる?」

「ああ、勿論だ。いつになるかは約束できないが、俺はまたこの街にやってくる。だから元気でいてくれよ」

「そう……貴方も元気でね。……私ったら貴方の名前も聞いてなかったわね」

「クロイスだ。エレン、元気でな」


 そう言ってクロイスは家を出た。クロイスが彼女の名前を知っていたのは、酒場での会話を聞いてのことだ。彼は街の厩舎に向かい、預けていた彼の愛馬に跨った。そのまま馬を駆り、街を後にした。首に巻いた赤いスカーフが風に吹かれてはためいていた。


 彼は父の教えに従い、世界を股にかけ、力無き者の為に剣を振るっていた。力無きもの……即ち、弱き者とは具体的には、子供、老人……そして女だ。では、男はどうか? 

 クロイスの父は、息子にこう教えを授けた。


「良いかクロイス! 男は強くあれ! 男なら泣くな! 男子たるもの、女子供の為なら命を捨てろ! 男なら死ねい! 正義のために死ぬのだ!」 


 父の施す鍛錬は厳しかったが、クロイスは父の教えによく従い、自らを鍛え上げた。


 よって、クロイスの剣は、男の為には振るわない。男なら、困難は自分で解決せねばならないのだ。男の惰弱はそれだけで罪。それがクロイスの言い分だ。


 また、経典にはこうも書かれている。


「神はおっしゃった。汝、人々を愛せよ」


 愛と言っても、色々ある。親子愛、友愛、そして性愛だ。彼が女を愛し、そして抱くのは神の教えに沿ってのことだ。けっして彼が軟派なわけではない。無論年端もゆかぬ少女にそのようなことはしないし、求められても拒否した。これも当然だが、全ての女性と合意の上でコトにのぞんでいる。恩を着せて関係を求めるなどもっての他だ。


 父の教えと、神の教え、この二つが彼の行動原理となっていた。クロイスは旅を始めてからこうなったのではない。故郷の教皇領に居たときからそうだ。彼は友人の男女間でいざこざがあった時は必ず女の側に立った。たとえ理屈の上ではどれだけ男の方が正しかろうが、常に女の味方をした。クロイスからすれば、男なら女に譲れだ。強い方が譲らねば、弱者は苦しむばかりだ。


 彼は決して盲目的に女性に従っているわけではない。彼とて女性たちが間違った道に進もうとしているならば、それを正した。だが決して怒鳴ったりはしない、常に優しくだ。彼に言わせれば、女性は男と違って賢いのだから、話せば必ずわかってくれるのだと言う。


 力なき人々……特にかよわき乙女たち……彼女たちを救うのが、彼の使命だ。クロイスは愛馬で街道を走り、やがて分岐点に来た。南に進めば、砂漠の国、西に進めば、冒険者の国、ラディア王国だ。その時ちょうど西へと風が吹いた。行先は決まった。クロイスは街道を西へと進んだ。この何気ない行動が、世界に影響を及ぼすことになるとは誰も思いもしなかった。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 クロイスはラディア王国の王都にやってきていた。ラディアはある冒険者が迷宮深層から財宝を持ち帰り、それを資金源として街が作られた。街は次第に発展していき、都市となり、その冒険者は王として君臨した。それがラディア王家の始まりだ。


 こういった経緯を持つ王家は世界にいくつもあるが、ラディア王家は中堅国家とはいえ、こうした冒険者をルーツに持つ国としては最も勢力が大きい。故に冒険者の国と呼ばれることもあった。


 ただしこれは大国から見た蔑称の向きが強い。世界最大の大国、ヴァルダールは元は聖地からやってきた旧世界の上流階級の末裔だし、世界第二の国家、砂漠の国、セントダールは名前から分かる通り、ヴァルダールから分かれた兄弟国だ。


 ただし、両国の関係は険悪と言っていい。ヴァルダールは聖地と近く、敬遠な信徒が多いが……悪く言えば、潔癖症で他国を見下す傲慢さが垣間見えた。故に砂漠という厳しい環境を開拓し、強国にまでのし上がったセントダールを見下す向きがあった。


 またセントダールも、監視と称して聖地にて安穏と暮らす教会関係者とそれに追従するヴァルダールを軟弱者と見ている。セントダールは南の魔境に近く、常に最前線で魔物を押さえていたからだ。


 そういった国際関係はさておき、クロイスはこの国が好きだった。王家が冒険者を祖に持つだけあって、この国は冒険者の勢いが強い。ギルドマスターは冒険者の最高峰、金級冒険者でもあるし、迷宮も多い。王都には地下迷宮があるが、この迷宮は比較的規模が大きく訪れる者は多かった。


 そして西部にある大森林は世界有数の薬草の産地だ。深層部分は危険が大きく、探索できる冒険者は限られるが、そこで取れる赤い薬草は最高品質のポーションの原料となり、高値で取引された。また魔力を回復させる貴重なマナポーションや、万病を癒すと言われる万能薬の元になる薬草も存在した。


 クロイスは王都では、迷宮探索をせずに、日がな街をぶらぶらとしていた。彼は地下迷宮が好きでは無かった。はっきり言えば大嫌いだ。日も当たらず、風も吹かず、死臭とカビ臭さが混在する息苦しい場所。クロイスの認識はそうだった。よほど金に困っている時でなければ地下に潜ったりはしない。


 幸い、ラディアに来る前に、割のいい依頼をこなし、路銀は十分にあった。クロイスは日々街をうろつき、時に馬で王都郊外を駆け抜け、道行く女性とその日限りの愛を交わし、世の労働者達が見れば羨む様な日々を送っていた。


 彼は決して怠惰なわけでもなく、遊び人なわけでもない。彼は神の教えに従っているのだ。


「常に喜び、常に祈れ。生きとし生けるモノ全てに感謝せよ」


 クロイスにとって、人生とは常に楽しみ、喜びを感じていなければならない。自分自身が幸福でなければ、他者へ感謝することも、まして苦しむ人々を救うこともできない。それが彼の持論であった。


 今日も王都の広場をぶらぶらと歩いていると、みすぼらしい格好の花売りの少女が目についた。都市であればどこにでもいる、あまり裕福とは言えない、明け透けに言えば、貧民の少女が少しでも家計の足しにとやるような商売だった。少女の顔は、暗く、どこか思いつめているように見えた。必死になって道行く人々に声を掛けるが、買ってくれる者などそうはいない。


「お花を買ってくださいな……」

「お嬢ちゃん。花をくんな」


 それを聞いた少女の顔がぱあっと笑顔になった。クロイスには少女の笑顔こそが花だった。少女は花を一本だけ手渡したが、クロイスは花を受け取ると、かごの中の花を全てつかみ、空になったかごに、財布を丸ごと入れた。


「全部欲しいんだ。金を数えるのが面倒だからこれで勘弁してくれ」


 少女は驚き、固まってしまった。だがすぐに、花の代金以上には受け取れない。こんな施しを受けては母に叱られると拒んだ。


 少女とて、幼いながら厳しい世間を生きている。優しそうなおじさんに見えるが、ひょっとしたら人買いで、お金を受け取ったら最後、どこかへ連れて行ってしまわれるかもしれない。そう判断して受け取りを拒否したのだ。


「お嬢ちゃん。しっかりしてるな。良し、それなら俺がお母さんに話をしてみよう。それでいいかな?」


 少女は少し悩んだが、クロイスを家に連れていくことにした。もしかしたら、彼が自分の母を助けてくれるかも知れないと思ったからだ。クロイスは少女の案内で彼女の家へ向かった。案の定、そこは貧民街で治安の良い場所とは言えない。少女の家はやはり貧民街にありがちなオンボロの家だった。これでも風雨をしのげる分、貧民としては恵まれている部類には入る。


 クロイスが家に入ると、部屋の隅のベッドで彼女の母が寝ていた。ベッドは家に一つしかなかった。親子で一つのベッドで身を寄せ合って寝ているのであろう。少女は母を起こすと事情を話した。当然、彼女の母は、少女と同じように代金以上の金など受け取れないと答えた。


 クロイスは、ベッドで寝る母親の前で身を屈め、その手を取った。


「貧しい者に施す者は不足することがなく、目をそらす者は多くの罰を受ける。……経典にある神の言葉です。もし私が貴女方親子の困窮を目にして何もしなければ、必ず私は神のお叱りを受けます。どうかこの未熟者を助けると思って、受け取っては頂けませんか?」


 クロイスは経典の一説を唱え、彼女を諭した。母親は、悩んだ末に悪人ではないと判断し、素直に受け取った。


「……このような施しを受け、感謝の言葉もありません。ご覧の通りの身の上ですので、私には何もお返しすることが出来ません。お許しください……」

「あなた方の幸せに勝るものなど何もありません。……恐縮ですが、お体が悪いようですね。医者に診てもらうか、教会に行かれては?」

「残念ながら、肺を患っております。以前、夫が生きていた時に医者に診ていただきましたが、万能薬でも無ければ、治らぬと。それを聞いた夫はなんとか薬を工面しようと無茶をし、亡くなりました。……私も長くはないでしょう」


 母親の悲痛な声に、クロイスの胸は傷んだ。そして少女の思いつめた表情の理由に思い至ったのだ。既にクロイスはこの親子を放っておくことはできなかった。だが万能薬など、貴族でも容易には手に入らぬモノだ。クロイスが施した程度の金で買える代物ではない。しかし、クロイスは躊躇することなく、親子に言い放った。


「では私が万能薬を手に入れてきましょう。勿論お代など要りません。これは神が私に与えた試練。必ずや、私はこの試練に打ち勝ち、あなた方親子の笑顔を取り戻して見せましょう」


 母親は呆気に取られて何も言えなかったが、クロイスは返事も聞かずに振り返ると、少女に語りかけた。


「お嬢ちゃん。聞いての通りだ。俺が必ず薬を持ってきてやるからな。約束だ。そのお金は悪い人に見つからないように、隠して少しずつ使うんだぞ。俺が帰ってくるまでは家でお母さんと一緒にいるといい。花売りはしなくてもしばらくは大丈夫だ」


 少女も呆気に取られていた。その様子は母親そっくりだ。少女が声も出さずに頷くと、クロイスはにっこりと微笑み、そのまま家を出ていった。


 家を出たクロイスは地下迷宮に向かった。今しがた全財産を渡してしまったので、一文無しだ。まずは資金を調達する必要があった。クロイスの一連の行動を世人が知れば笑うだろう。世に貧者は数え切れぬほどおり、その全てに同じように施しをするつもりかと。


 だが、クロイスはそのような世間の声を気にも留めなかった。クロイスとて世の中の全ての人間を救える等と自惚れてはいない。ただ、自分に出来ることを全力でやるだけだ。道端に咲いた花が枯れかけていれば、何とかして救おうと奮闘するのがクロイスという男だ。偽善だと笑う者がいれば、笑えばいいのだ。


 クロイスは地下迷宮で適当に魔物を狩り、最低限の路銀を確保すると、馬を駆り、西へ向かった。目指すはロドック。そして大森林だ。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 クロイスは愛馬を駆り、街道を駆け続けた。最低限の野営で馬と自分の体力を回復させると、携行食で食事を済ませ、ひたすらロドックを目指した。なお、彼の装備は武器が大剣一本に、狭い場所での戦闘用のショートソード、そして短剣だ。


 防具は最低限のモノしか装備しておらず胸当ての他には丈夫なブーツと革製の膝あて、肩当ぐらいだ。馬に背嚢を括りつけ、その中に野営道具等を入れているがこれも最低限のものだ。


 彼は重さを嫌い、金属製の鎧など付ける気にもならなかった。攻撃こそ最大の防御であり、敵の反撃など回避すれば問題ない。重さが増えれば素早さが落ち、疲労も増える。守りを固めるのは臆病者のやることと、彼は考えていた。


 ある意味では酷く不遜な考えだが、旅の途中で出会った、とある腕利きの冒険者も同じことを考えていたので、クロイスは出来る人間は同じ考えに行きつくと、自分の持論に自信を持った。もっとも、その冒険者は大盾を所持していたのだが。


 とにかく、クロイスは街道を走り続け、通常の半分以上の速さでロドックに到着していた。着いた時点で日が暮れ始めていたので、その日はすぐに宿に泊まった。夕食はパンとスープにソーセージというシンプルなものだったが味は良かった。


 街道を走り続け腹が減っていた彼は、女将に料理の味を褒めちぎり、お代わりを頼んだ。女将は控えめに言っても美男子と言えるクロイスに褒められ気を良くしたか、ずいぶんと大盛りにしてくれた。クロイスは喜んで平らげ、女将を喜ばせた。腹いっぱいとなった彼は部屋に入るとあっという間に眠ってしまった。


 ●


 翌日目が覚めた彼は、物資の調達と情報収集も兼ねてギルドの直営店に向かった。店の前で、彼はずいぶんと貧相な格好の少年が店から出て来るのを目撃した。世間にはああいった少年は数多くいる。食い詰めモノが一発逆転を志し、冒険者になるのだ。その多くは魔物に殺され、悲惨な末路をたどる。


 クロイスは少年を見ても特に反応はしなかった。彼の優しさは女子供限定だ。男ならば、自分の手で道を拓かなくてはならない。少年は子供というには大きすぎた。もう五歳も年少であればクロイスも手を差し伸べたであろうが。


 ともかく、クロイスは店に入った。店主は大柄な男で、クロイスはすぐに彼が歴戦の冒険者だと見抜いた。熟達の人間のみが持つ、独自の風格を漂わせていた為だ。戦えば、クロイスとて負けるかもしれない。そう思わせるだけの威厳があった。


「おっちゃん。携行食を三日分くんな。後、万能薬の元になる薬草はどの辺に生えてるか知ってるか?」

「万能薬だぁ? あれの元になる薬草は深部だぞ。お前銅級だろ? やめておけ、死ぬぞ」


 店主はクロイスが首から下げている冒険者章を見てそう答え、注文された携行食を用意し始めた。


「危険は承知さ。深部ってことはトロールどもの領域だな。確かに死ぬかもな。だが女と約束したんだ。必ず万能薬を持ち帰ると」


 それを聞いた店主は呆れていたが、薬草の詳しい見た目などはギルドの図書室で調べろ、詳しい場所も分かるはずだと、親切に助言してくれた。


「すまねえな、おっちゃん。無事に戻ったら顔ぐらい見せる」

「別に構わねえよ。……お前見ない顔だが、ロドックは初めてか?」

「いや、前に来たことあるぜ。あの頃はまだ駆け出しだったからずいぶん前だがな」

「そうか。俺の現役の頃かもな。この辺にはいなかったからそのせいか」


 二人は軽い世間話を交わし、クロイスは店を出た。その後、ギルドで薬草について調べ、大森林に向かった。目指すは迷宮深部。トロールどもの住処だ。目当ての薬草はそこにある。


 大森林に入ったクロイスは難なく魔物を退け、深部に辿り着いた。ゴブリンやオークなどは彼の敵ではなかった。途中オークの群れとも遭遇したが、彼の大剣によって全て一撃で倒された。


 彼の持つ大剣は元々は冒険者であった祖父が使っていた物だ。どうやら古代遺物アーティファクトらしく風の魔力を秘めているらしい。もっとも、魔法の使えない者にはその能力を発揮できず、また古びているせいか、発動が安定しないらしい。


 魔法の心得のあった祖父は、この剣を使い、真空刃を繰り出すことが出来たらしいが、クロイスの父は魔法が使えず、ずっと倉庫にしまわれていた。クロイスも魔法の才は無いので、この剣は丈夫でそれなりに切れ味の良い剣でしかない。それでも店売りの鋼の剣などよりよほど威力は高かった。


 クロイスの剣の腕もあり、大抵の魔物であれば一撃で死ぬ。だがトロールともなるとそうは行かない。奴らは魔物の中でも一際手ごわく、簡単には死なない。その上、再生能力まで備えており、多少の切り傷などすぐ回復してしまう。クロイスと言えど、複数を相手にすれば命はない。


 クロイスは慎重に深部に入り、目的地を目指した。幸い薬草の群生地はそこまで奥地ではなく、深部でも比較的浅い箇所だ。うまくすればトロールに見つからずに済むかも知れなかった。


 だが、すぐにクロイスはその見立てが甘かったことを知る。群生地の近くには、トロールが集団でうろついていた。考えてみれば当然だが、銅級冒険者の手で簡単に手に入るならもっと市場に出回るはずだ。価格が高騰するのにはそれなりの事情がある。


 正面突破は無理と考え、周囲を偵察したが、どの方角にも三~四匹のトロールの一団がおり、この警戒網に見つからずに突破することは無理だと悟った。


 クロイスは覚悟を決め、最も数が少なく、かつ他の集団と距離があるトロール達に奇襲を掛けることにした。少ないと言っても三匹はいる。まともに戦っては勝ち目がない。クロイスは地面にいくつか罠をしかけ、そして古典的な方法だが、石を投げてトロール達の注意を引くことにした。クロイスが石をトロール達の背後に向け投げると作戦がうまくはまり二体のトロールが音の方向へ離れていった。


(しめた!)


 この好機に躊躇なく飛び出すクロイス。背後から不意を突き、一気にトロールの膝裏目掛けて袈裟斬りを放つ。両断とは行かなかったがかなり深くまで刃が入った。斬られたトロールは体重を支えられず、地面を転がった。そこにトロールの顔面目掛け、大剣を振り下ろした。さしものトロールもこれで絶命した。


 だが問題はここからだ。奇襲に気づいたトロール二体が迫っていた。クロイスは用意していた火炎瓶を一匹に向け投げた。見事トロールの顔面に命中し火炎により悶え苦しんだ。この隙にもう一匹のトロールと雌雄を決する。


 トロールは両腕を振り回し、クロイスを狙う。これをぎりぎりで回避しつつ、攻撃を当てる。回避しながらでは流石に致命傷や大ダメージを与えることはできず、トロールの勢いは止まらない。クロイスはトロールの攻撃を前へ転がりながら回避すると、起き上がりながらやはり膝を狙い撃ちにした。


 先ほどのように地面に倒れることは無かったが、トロールは明らかに動きが鈍くなり、怯んだ。そこをクロイスは玉砕覚悟で突っ込み、顔面へ乱れうちを放った。このうちの一撃が首を捉え、派手に血を巻き散らした。止めに首へと突きを放ち、トロールは沈黙した。


 クロイスは背後からの気配を感じ、横へ飛びのいた。炎を消し止めたトロールが迫っていた。その顔面は焼けただれ、悲惨なことになっている。


「言い面構えになったな。さっきよりよっぽど男前だ」


 トロールには人間の言葉など分かりようが無いが、クロイスの言葉が挑発の類だと理解できるのか、顔面の火傷もあり、激怒して向かってきた。


「そうだ。こっちにこい。相手になってやる」


 クロイスは再び挑発の言葉を発すると、先ほど罠を仕掛けた地点に誘導した。木と木の間を通り、トロールが追いかけてくると、勢いよく転んだ。これも実に古典的だが、ロープを張っておいたのだ。クロイスはその顔面に大剣を突き立て、一撃で仕留めた。


 ほっと一息つくが、ノンビリしている暇などない。戦闘の音を聞きつけた他の群れがこちらへ来るかもしれない。急いで薬草を確認すると、大急ぎで採取を始める。多いに越したことは無いので、ひたすら採取するが、五株ほど確保したところでトロールの群れがやってきた。


 クロイスは全力で逃げ出し、窮地を脱した。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 深部を脱出したクロイスは、中層を進んでいた。全力で走ってきたため、体力の消耗が激しかったが、オーク程度ならクロイスの敵ではない。だが迷宮では何が起きるか分からない。滅多にあることではないが、オークの上位種が出現する可能性も否めなかった。


 幸いなことにそういった不運もなく、中層もだいぶ進み、もうすぐ浅層というところでクロイスは休憩を取ることにした。倒木に腰掛けて水を飲む。注意を払いながら体を休めていると、前方から冒険者の一団が現れた。あまり風体の良くない、ごろつきと言っていい類の集団だ。


 クロイスは手を上げ、敵意のないことを示した。先方も頭目らしき男が手を上げ近づいてきた。


「兄さん。あんた万能薬の原料を探してきたんだろう? 見つかったか?」

「兄弟、何でそんなこと知ってんだ?」

「何、お前さんがギルドの受付で尋ねているのを聞いただけだ。で、どうだった」

「ああ、おかげさまでどうにか見つかったよ。それがどうした?」


 聞かれたことに馬鹿正直に答えるクロイス。彼は神の教えに従い、嘘など付かない。……基本的には。


「そりゃあ良かった。なあ兄さん。物は相談だが、譲っちゃくれないか? 勿論、金は払う。今ちょうど万能薬の調達が依頼に出ていてな。かなりの額になる。それをお前さんに半分払おう」

「あいにく先約があってな。その話には乗れんな。そもそもアンタに譲る意味もない。金が欲しけりゃ自分で依頼を受ければいいだけだ!」


 クロイスはそう言い終えると、後方へ向け短剣を投げつけた。


「ぐあ!」


 後方に狙撃手が潜んでいたのだ。クロスボウで狙撃するつもりだったのだろうが、クロイスの投げた短剣が見事に命中し、首に突き刺さっていた。クロイスは男たちの作戦など見抜いており、機先を制したのだ。


「お、当たったか。けん制のつもりだったんだがな。これも神のご加護だな。さて……」


 クロイスはゆっくりと立ち上がると、大剣を両手で握り、目の前にかざした。

 それは聖騎士が行う儀礼の一つだ。


「神よ……この罪深き者へ慈悲を与え給え……」


 クロイスは神へ懺悔した。罪深き者とは相手を指しての言葉ではない。これから殺人を犯す自分自身を指しての言葉だ。


「ま、待て、話し合お――」


 頭目は最後まで言葉を発することができなかった。一瞬で距離を詰めたクロイスに首を跳ねられたからだ。取り巻き連中も、剣を抜く前にいずれも一撃でクロイスに仕留められた。最後にクロイスは狙撃手の元へ行くと、その死亡を確認し、短剣を回収した。


 クロイスは剣の汚れを拭い、その場を後にした。ごろつきの死体はいずれ魔物の餌となるだろう。クロイスは無駄に殺しはしないが、相手を騙し、殺して持ち物を奪いとろうとするような輩に容赦はしなかった。力を正しく使おうとしない男など、彼からすれば魔物以下だ。放置すれば力無き者達を食い物にするに違いない。


 ギルドへ報告しても面倒な手続きが増えるだけだ。クロイスはごろつき達の持ち物を漁ると、黙ってその場を後にした。


 ●


 クロイスが迷宮を抜け、ロドックに戻ると、検問所の衛兵が妙にそわそわしていた。クロイスは不審に思ったが、気にせず街へ入った。ごろつきどもから奪った金があるので懐は暖かい。クロイスは直売店に向かうと、店主に無事を告げた。


「よお、おっちゃん。無事に戻ったぜ。薬草も手に入った」

「そうか、お前なかなかやるな。……だが油断はするなよ。調子に乗って死ぬ腕利きは多い。まあいい、何か補給するのか」

「そうだな……火炎瓶はあるか? 最後の一個を使っちまった」

「悪いな。あいにく在庫切れだ。この辺じゃ燃料が手に入らないからどうしても不足しがちになるな。近隣にトロールが生息しているから数が欲しいんだがな」

「そうかい。それなら大丈夫だ。心配してくれてありがとうよ」


 クロイスはそのまま店を出た。向かいのギルドが何やら騒がしかったが、気にせず宿へ向かった。流石のクロイスも疲れており、さっさと休みたかったのだ。


 宿に付き夕食を取り、部屋に戻って装備を下ろした。そのまま寝てしまおうかと思ったが、最近、剣の素振りをしていないことに気が付き、剣を手に庭に向かった。


 基本的にクロイスは父の教えもあり剣の素振りを毎日することにしているが、女性と一夜をともにする時や、今回の様に急いで移動するときなどは疎かにしがちであった。昨日は疲れ切っていたのでやむを得ないが、今日はサボる訳にはいかない。


 庭に出て、基本の型を稽古する。基本となる上段から、袈裟切り、逆袈裟。薙ぎ払いに突き、と繰り返し修練する。何度も行っているうちに、ふと視線を感じ、振り返ると少年がぼうっとクロイスを見ていた。


「なんだい兄ちゃん。素振りが珍しいか?」


 クロイスはそういって、少年を正面から見た。このあたりではよくいる黒髪の、暗い表情をした少年だ。古ぼけた上下を身に着け、手には手拭いと、ぼろ布で包んだ剣を持っていた。


「……いえ。きれいな動きだと思って。つい……気に障ったならすいません」

「お、嬉しいこと言ってくれるじゃないの。兄ちゃんも冒険者か? その感じからすると新人だな。折角だから剣の振り方を教えてやるよ」


 クロイスは少年の言葉に気を良くし、剣を教えてやることにした。男に厳しいと言っても、クロイスとて馬鹿ではない。男が皆、戦闘に適した性格や才能を持っているわけではないし、自分のように聖騎士の息子で、武芸に専念出来る環境を持つ者など多くないことは理解している。


 少年は明らかに農民か何かの出身であろう。剣の心得が無いことなど一目で分かる。自分の修練のついでに剣の基本を教えてやることにした。それもまた自分にとって修行となる。


「なんだ兄ちゃん。錆びだらけの剣だな。ほとんどゴミだぞ。ははぁー、さては押し入れにでもあった剣を持ちだして、家から飛び出してきた口だな。うんうん。わかるぜ。俺も似たようなもんだ。男ってのは剣一本でのし上がるぐらいじゃないといけねぇ」


 クロイスは少年の持っているボロボロの錆びた剣を見て呆れたが、大方、家にあった古い剣を持ち出したのだろうとアタリを付けた。自分も似たようなものなので、人のことは言えない。こんな剣だけで冒険者になろうとはいい根性をしていると、少年を見直した。もっとも彼の推察は全て外れているのだが。


「いいか。両手でしっかり剣を持つ。それから剣を上段に構える。正面から振り下ろして、最後は振り抜かずにきっちり止める。これが基本だからな。疎かにするなよ。次は右から振り下ろしてこれが袈裟斬り、その勢いのまま今度は一気に切り上げる。この連撃ができるようになれば、ゴブリンなんて相手じゃねえぜ」


 そうして、基本中の基本を教えてやると、薙ぎ払いや突きも教えてやった。クロイスの見立てでは、少年はなかなか筋が良く、地道に訓練を続ければ、一角の戦士になるかもしれないと感じていた。


「どうだ、簡単だろ? 基本はこんなもんさ。これを毎日練習しな。あと兄ちゃんは痩せすぎだからたくさん食べて体を大きくするんだぞ。そうすれば俺みたいな冒険者になれるからな。女にもモテるようになるぜ。じゃあな、俺はもう寝るぜ。がんばれよ」


 流石に疲れの出てきたクロイスはさっさと宿へ引き上げた。基礎は教えた。後は神のご加護があれば、少年は生き延びるだろう。そう思いながら部屋に戻り寝てしまった。


 クロイスのこの考えも外れていた。彼は神の加護など必要とはしていなかったのだ。彼を救ったのは神の慈悲ではなく、忌まわしき呪いであったのだから。


 もっとも、これもクロイスが知ることはない。まして自分が剣を教えた少年が、呪剣士として名を馳せ、世間を騒がすことになるなど、この時点では分かるはずも無い。


 ●


 翌日、クロイスは朝早くロドックを発った。一刻も早く親子の元に戻らねばならない。来た時と同様に、ひたすら馬で街道を駆ける。数日後、王都に無事着いた。クロイスはまず、薬屋に行き、万能薬の作成を依頼した。代金は多めにとってきた原料と交換にした。最終的に二瓶の万能薬がクロイスの手に渡った。


 クロイスは貧民街の親子の元に向かった。家を訪ねると、二人は変わらず家にいた。クロイスの約束を半信半疑に思っていた親子はたいそう驚いた。クロイスは床に伏している母親の前に行くと、万能薬をその手に握らせた。


「お約束の万能薬です。二瓶ありますからきっと良くなるでしょう。……これを私からの施し等と思わないでください。これは神のお慈悲です。神が私と娘さんを巡り合わせ、私に貴女を救えと命じたのです。……出来れば完全に回復するまで見届けたいのですが、余り長く残っては心残りとなります。どうかお元気で……」


 クロイスは母親の手に口づけをし、少女の頭を撫でると、振り返る事もなく家を発った。少女がクロイスを追いかけ、ありがとう! おじちゃん! と大声で叫んだ。


 クロイスはやはり振り返ることはしなかったが、右腕を上げて、その声に答えた。彼はその後、すぐに王都を発った。親子に言ったのは何も建前ではない。あまり長くいては情が移り、クロイスは親子の側を離れられなくなるだろう。彼はいつもこうして、女性達の側をすぐに離れた。


 彼はただ気まぐれに旅をしているわけではない。クロイスにとってこれは救世の旅なのだ。父の教え、そして神の教えに従い、力なき者の為に剣を振るう。それがクロイスの生き様だ。


 王都の門を出ると、不意に南風が吹いた。行先は決まった。向かうは南、ラディア王国の隣国リムハイトだ。風に導かれた彼は愛馬を駆り、街道を疾風の如く走って行った。すぐにその姿は王都からは見えなくなった。

お読み頂き、ありがとうございました! 活動報告にて本作品の補足をしております。よろしければご一読頂けますと幸いです。

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― 新着の感想 ―
本編のどっかで銀級くらいで再登場するかもと思っていた人だ。 聖騎士(自主辞退)だったんかいワレ!? まあ、良い人(価値観は人それぞれ)だけど、教会組の前には出せないなこの人。
俺が帰ってくるまでは家でお母さんと一緒にいると言い。 言い→いい。では
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