【一話完結】 嘘色の天気雨
運命に翻弄された、正反対の二人の、ほんの短い物語です。
「これからの人生、なんてものの可能性にうんざりしてしまうぐらい、あなたとの時間はいつも情熱的でした」
それが、彼の最後の言葉だった。
あの日は確か、狐の嫁入りだった。
頬にかかる雨粒たちが、ファンデーションを流れ落としてくれたおかげで、うまく涙を隠すことが出来たことを、嬉しくも、悲しくも思っていたのを覚えている。
ねえ、ルーク。
私はその言葉を信じてもいいの?
この熱い、熱い想いを、大切にしまっておいてもいいの?
本当は私のことなんて、もう忘れてしまったんじゃないの?
だっておかしいじゃない。
本当に私のことを、特別に思ってくれていたのなら、どうしてあんなりきっぱりと、さよならも無しに去っていったの?
ねえ。
「答えてよ……ルーク……」
順風満帆、という言葉が似合うほど、私の人生は輝いていた。
家柄も、外見も、学問や武道に至るまで、私の進む道はいつでも眩しかった。
屋敷の倉庫にあるドレスは、どれも煌びやかなものばかりで、それを友達に自慢するたびに、心が躍ったのを覚えている。
「本当に素敵なものばかりね! フローラ! 本当に羨ましいわ!」
「今度は私の屋敷に遊びに来てよ! フローラほどじゃないけれど、素敵なものがたくさんあるの! きっとあなたなら似合うものばかりだわ!」
そんな称賛の渦中に、あなたはいなかった。
あなたがいたのは、屋敷の裏の草むらだったわね。
「……あなたは誰? そこで何をしているの?」
「………………」
「あなたよ。あなたに言ってるのよ」
「……誰にも言うなよ」
そう言うと彼は、周りの葉っぱを揺らしながら、暗い茂みから出てきた。
「あなたいくつ?」
「……12」
「同い年じゃない。名前は?」
「……ルーク」
「そう、いい名前ね。私はフローラよ」
私の自己紹介に彼はうんともすんとも言わず、指先についた土ばかりを気にしている。
そんな憮然とした態度は、当時の私にとって、とても新鮮で面白かった。
「ねえ、ルーク。どうしてここに?」
「……テーサツ」
「偵察? 難しい言葉を知っているのね」
私の家系は、代々イーステン王国の側近、ルクセンべルク家として、その名が知れており、私の父は、現17代目イーステン国王の側近である。
「お父様の情報を求めに来たの?」
「………………」
ルークは無言のまま、その場を去ろうとする。
「ちょっとまって!」
私はほぼ反射的にその色白で細い腕をつかんだ。
思えばあの時から、私はあなたに惹かれていたのかもしれない。
「……何だよ」
「私はこの家の娘よ。場合によっては見過ごせないわ」
「だったら俺を突き出せばいいだろ」
「条件を飲めば、見逃してあげるわ」
「条件?」
「私の遊び相手になってよ」
「断る」
そう言い放ち、彼は先ほどとは逆に歩き出した。
私の屋敷の玄関口のある方向である。
「何でよ? いい話じゃない?」
私のその一言を聞いたルークは、くるりと胴体を翻して言った。
「……俺は盗賊の息子だ。そんなとこ見られちまったら、お互い無事じゃ済まねえだろ」
「と、盗賊?」
わたしが震えている様子を見て、彼は満足げに歩いて行った。
しかし、そんな彼の遠ざかる背中を見ているうちに、なんだか胸の奥で、鐘が響いているような、そんな気持ちになった。
「面白いじゃない、ルーク! なおさら気に入ったわ!」
気づけば私はルークのもとへ走り出し、挙句、飛び込んでいた。
「何すんだ……痛いだろ」
そんなルークの苦情に私が笑い、それにつられてあなたも少し微笑む。
それがすべての始まりだった。
それからの数年は楽しかったわね。
最初の内は、ほとんど毎日あなたが顔を見せに来て、そのたびにいろんな遊びを考えるのが大変だった。
大人たちに見つからないように、屋敷内を探検したときには、心臓が飛び出るかと思ったわ。
あなたの母親の話を聞いた時だったかしら。
あなたは顔を赤らめながら、花をくれたわね。
キキョウだったわね。……花言葉は何だったかしら。
その日を境に、私たちの間にはどこかぎこちなくも、不思議と心の奥深くが通じ合っているような、そんな雰囲気が流れていた。
あのときの私は、そんな雰囲気に「初恋」なんて、淡く気恥ずかしい名前を付けたりして。
でもだんだん、お互い忙しくなって。
5年後に起きた、隣に位置する親和国「ウェリストン」との国交悪化による経済の停滞。
私の家は国交回復に追われて、あなたも当然、生活が厳しくなった。
何年も会えなくて、あなたの声色を忘れかけていたとき、あなたから一通の手紙が届いた。
今、ドレッサーの上に置いてあるそれよ。
「拝啓 フローラ・ルクセンベルク様。
あなたのことを思い浮かべ、まず何から話すべきかを考えると、ようやく覚悟をもって握ったこの筆を折ってしまいそうなので、あなたにはどうしても話せなかった、罪の告白から始めようと思います。
あなたと初めて会ったあの日、私は無言によって嘘をついた。
私が偵察していたのは、お父様ではなく、あなただったのです。
かねてより、東西の国交を憂いていた私の両親は、イーステン側近の娘「フローラ」とわたしの婚約を、水面下で取り進めていました。
この手紙がなんの検閲もなくあなたのもとに届いていることからも明らかでしょう。
私は盗賊などではなく、西国ウェリストン第18代目皇太子「ルーク・レートヴィヒ」なのです。
あの日は父に連れられた縁談があまりに退屈で、こっそり抜け出してきたのです。まさか偶然茂みで出会った女の子が、あなただったとは。
白状すると、私はその日からあなたのことが気になっていた。
来る日も来る日も、あなたがどんな服を着ているかが気になってしょうがなかった。
あのときは、何かしら理由をつけてあなたに会いに行くのに苦労したものです。
しかし、別れの気配はじわじわとやってきましたね。
東西の関係の悪化。
東国民の大規模暴動に激昂した父は、私たちの縁談を破棄してしまった。
あなたの純朴で、溌剌とした笑顔を思い浮かべるたびに、父を説得しに行ったのを覚えています。
やはり、こんな数枚の紙であなたへのすべての想いを綴るのは無理でしたね。
最後に、膨張した思いをなるべく圧縮して、ここに記します。
これからの人生、なんてものの可能性にうんざりしてしまうぐらい、あなたとの時間はいつも情熱的でした
西国ウェリストン第18代目皇太子 ルーク・レートヴィヒ」
庭園でお花の手入れをしていた時。
涙ながらに母が持ってきてくれたその手紙に、あなたの名前を見つけて、その場で開けてしまったわ。
今思えば、あなたとこっそり会っていたこと、母は知っていたのかも。
数枚の紙きれを握りしめ、封筒の中にもう続きがないことを思い知った時には、体中が熱くなった。
ぽつぽつと降り出した天気雨と私の嘘色の涙が、手紙に水滴の跡を作ってしまったことは、今でも心残りよ。
今日はあの日と違って、曇り空ね。
あの雲の先には、本当に眩しい太陽の光があるのかしら。
あなたの住む屋敷にも、この空が繋がっているのだとしたら、少しだけ救われた気分になるわ。
でも……それでも……
「会いたいよ……ルーク……」
……そうなのね。
さよならを言わなかったのは、言えなかったのは、今の私と同じ気持ちだったからなのね。
書きたいように書かせてもらいました。いかがでしたか。
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