たくさんの友だちは必要ですか
子どもたちが、健やかに学校生活を送れますように
東京で桜の開花宣言がなされた。
間もなく新しい年度を迎え、各学校では入学式が行われるだろう。
就学前、たいていの子どもたちは、学校生活に希望を持っている。
真新しいランドセルや制服は、ピカピカ光って見えている。
有名な詩人が作った童謡がある。
一度は耳にしたことがあるだろう。
入学して、たくさんの友だちが出来たらいいなという、子どもたちの夢や憧れが込められている歌である。
良い歌だと思う。
歌自体に問題があるわけではない。
ただ、気になるのである。
もしも。
もしも、自分に友だちが出来なかったら、それは自分に何か欠点があるのではないか。人間として、問題があるのだろうかと悩む子どもたちが、それこそたくさん存在するからである。
ここで、少々自分語りをお許しいただきたい。
私は、かなり間違った家庭教育を受けている自覚がある。
(最近戯れに、毒親チェックをしてみたら、両親ともびっくりするほど当てはまった)
小学校に入学する頃、何も考えずに私は親に言った。
「友だちが、たくさんできたらいいな」
親は強い調子で私に返した(有体に言えば、怒鳴った)。
「バカを言うな。学校は友だちを作る場所じゃない。勉強するところだ」
六歳児の私は愕然とし、そのまま無言になった。
いや。
今なら反論できるけどね。
「学校教育法第二章第十八条の一項には、『人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと。』とあるのだから、友だちと触れ合うこともまた、大切だよ」
あの当時、未就学の私がこんなこと言ったら、間違いなく殴られたであろう。
まあ、そんな指導(暴言)をくらって、小学校の入学式を迎えたのである。
おかげで一年生の頃は、休み時間はひっそりと読書か虫探し、班決めでは常にあぶれるという、ボッチ生活を満喫してしまったのだ。当然、担任からは冷ややかな視線を浴びていた。
とはいえ。
徐々にぽつぽつと、友だちっぽい相手もできた。
さらに言えば、一人で行動することに早くから慣れてしまったせいか、ボッチへの忌避感を持つことなく、学校生活を送ることができた。それは今も続いている。
さて本題。
友だちって、そんなに必要ですか?
教えて偉い人。
Sullivanによれば、親しい友人関係というものは、「満足欲求や安全欲求を満たす重要な他者」であり、「友人関係は自己価値の情緒的な支え」となるという。また、Bukowski,Motzoi, & Meyerらは、友人との経験は、「子どもたちの心理的適応」や「社会的コンピテンスの発達」にも影響を与えると述べた。
偉い先生の研究を見ると、やはり、友だちは必要なんだと思う。
ただし、友だちの人数が多いほどいい、というわけではない。
友だち作りのための、ソーシャルトレーニングも開発されている。ASD児童生徒用ではあるが、普遍的な活用も可能な内容である。※興味のある方は、後書きご覧になってください。
お子様をお持ちの皆様へ。
「友だちをたくさん作ろうね」ではなく、「気のあうお友だち、できればイイね」と伝えて欲しい。
追伸:ボッチでも、生きていけます(超蛇足
参考文献:
Sullivan, H. S. (1953) The interpersonal theoryof psychology. W.W.Norton & Company Inc., New York.
Bukowski, W., Motzoi, C., & Meyer, F.(2011)In Handbook of peer interaction,relationship, and groups. K,H,Rubin., W.M. Bukowski., B, Laursen(eds) 217-231.
田中 早苗, 山田 智子(2020) 総説 友だち作りの科学「PEERS®プログラム」の実践 /子どものこころと脳の発達 11(1) 62-70.←友だち作りのプログラムが載っています。