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マヨイガ

マヨイガ~俺の物語~

作者: 吉尾京

 子供の頃、両親の不仲が原因で、俺は遠い祖母宅に暮らしていた。小さかった俺には何も聞かされていなかったが、よく考えるとおかしな話だった。


 祖母宅はとても古く、水道は井戸水。風呂は薪を割って沸かし、台所も土間だった。

 平成になっていたはずだが、洗濯機もなく、テレビもなかった。

 山間部ではないのにここまで閉ざされた空間というのも珍しい。

 どこか陰鬱で、ジメジメとしていた。地域住民も祖母も、まるで近代からタイムスリップしてきたようだった。


 俺が小学校三年生になった頃だったか……井戸が壊れたことがあった。

 現代人は井戸と聞くと髪の長い女が這い上がってくるようなものを想像するだろう。だが、祖母宅の井戸は少し近代化が進んでいて、モーターで水を汲み上げていた。外見上は人々が想像するような、あの円柱状のレンガもなく、ただ大きな機械があるだけだった。

 蛇口をひねる度にぐおーんと音がするのは、子供心に少し怖かった記憶がある。

 それで、そのモーターが壊れたといって、業者が入ったことがあったのだ。

 夏休みですることもなく暇だった俺は、その作業を近くで眺めていた。

 男三人で大きな機械をずらし、塩ビのパイプを抜いていく。

 完全に機械が取り外された後、そこが世間一般が想像するあの“井戸”となんら変わりないと知った。大きな機械と雨よけのトタンで隠されていただけだ。

 業者がモーターを軽トラの荷台に載せている間に好奇心に任せて井戸を覗き込んだ。

 深い闇に反響する冷気。何かよくわからない、説明のつかない恐怖が背中を撫でた。慌てて後ずさると、祖母にぶつかった。

 見上げると祖母は井戸を拝んでいる。まるで仏像に縋るように、神が降臨したのを見たように。

 手を合わせることなんて、食事前くらいしなかった俺には、どこか異質に思えた。

 祖母は何かをブツブツを呟いている。お経かと思ったがそうではないらしい。

「ああ、アキヒトサマがお怒りになる……」

 何も知らなかった俺は、それが何を意味するのか理解できなかった。多分、今も完全にはわからないだろう。


 その日初めて自分がいかに特殊な環境にいるかを知った。接点を持つことを極端に嫌う近所の人達が続々と井戸に集まってくる。

 人々は皆同じようなことを言っていた。

 怒り、祟り、鎮める、そんな言葉ばかり。テレビもない家で、子供に与えられる情報なんてほとんどない。学校で習うことが生活にリンクすることも少ない。

 友達もいなかった。流行りのものの話で盛り上がる同級生に、どうしてもついていけなかったからだ。自分以外の子供達は誰だってテレビアニメを見て、バスや電車に乗り、水道の水を使って電気やガスで沸かした風呂に入っている。おもちゃは勿論、ゲームだって自分用のものを買ってもらえているだろう。俺にはそんなものはなかった。新聞や本さえ、祖母宅にはなかった。

 自然とやることは家事手伝いか勉強だけになり、遊びというものを何も知らない特殊な子供になった。

 情報がない中で、大人達の発言の真意を汲むことはできない。いや、ある程度知識や常識を手に入れた大人でさえ、あの場にいれば彼らが異質な存在であることしか理解できないだろう。むしろ大人だからこそ、常識外れだと思考の外に追いやってしまうかもしれない。常識があるということは、その常識から大きくそれた人間を否定することと同じだ。


 それから彼らが何をしたか、どうなってしまったかは知らない。

 両親の離婚が決まり、俺は母方に引き取られた。母方の祖母は現代人で、正しく平成の少年でいられたから、人生のほんの少しをセピア色に染めたあの家のことなんて、すっかり忘れてしまっていた。


 大人になってだいぶ経つ俺が今こうしてこのことを思い出しているのは、ある事件がきっかけだった。


*********


『××山で見つかった男性の遺体は、○○県に住む会社員、須藤淳也さん三十五歳のものと特定されました。遺体は損傷が激しく、下肢が切断された状態だったため、警察は事件の可能性があると見て捜査を進めています』

「へー、そういやここらへん、前住んでたな」

 朝のニュースなんて、特に注視することはない。大体の場合、朝は忙しく、天気を一瞬確認したらすぐに切ってしまう。しかし俺はニュースの中によく知った地名を見つけて、思わず見入ってしまった。

 被害者の年齢は……俺より少し高いか。上司と部下、先輩と後輩ぐらいの差だ。社会人は年齢の幅が学生よりも広い。

 直後、スマホが鳴る。仕事の連絡かと思えば、学生時代の友人だった。こんな時間に電話なんて、なかなかない。それも、対して会っていない、親友と呼べない人物から。

 特に無視をする理由はないので出てやる。

『おい、お前、○○県に昔住んでたって言ったよな』

「ああ、そうだけど。お前暇なのか? 仕事辞めたのか?」

 時計を見る。このまま切ってしまおうか。

『ニュース見たか? 殺されたの、俺の先輩なんだよ』

「……は?」

 お前が犯人かと疑われているのか? それとも、発見したのがお前とか?

『俺、一年前の十一月に、先輩に料理屋に連れて行ってもらうことになって、それでそこが夜中しかやってないからって、深夜に先輩と歩いてたんだ』

「なんでまたそんなことに……。夜中に腹が減る仕事なのか?」

『ああ、オカルト雑誌のライターだからな。それで、先輩はいい笑顔でやぶの中に突っ込んでいって、それからそのまま行方不明になったんだ』

 その先輩は気が狂っているのか。それとも何か変な夢でも見ていたのか。

「大方徹夜のしすぎでおかしくなっていたんだろう」

『あまりにも先輩が帰ってこないから、俺もやぶの中に突っ込んでみたんだけど、そこには先輩のカメラだけ落ちてて、先輩はどこにもいなくて……』

「それで、お前が疑われてんのか?」

 無言が続く。その状況なら確かに疑われても仕方ない。人が深夜に突然消えるなんて、事件に巻き込まれたとしか思えない。自殺でもしたのか、あるいは誰かに殺されたのか。

『誰にも信じてもらえなくて……俺が先輩と一緒に行ったのは同僚も上司もみんな知ってて、最後に会ったのは絶対俺だから、警察にも色々聞かれて。今回死んでるってわかってからはもう……俺が殺したみたいに言われてッ!』

「――でも、お前はやってないんだろう? 正直に言えばいい」

『何度も言ったさ。けど誰も信じてくれないよ。先輩の行動も訳がわからなくて』

 それから俺は仕事があるからと一旦電話を切り、LINEで会う約束をした。場所は二人の中間ぐらいの店だ。俺も平日の夜に遠出はしたくないし、あいつだって警察に張られているかもしれない。

 たかが隣県でも、逃げたと思われるのは厄介だ。


 約束の時間、あいつはパーカーのフードを目深に被ってやってきた。たいして親しくない、それも、かなり久しぶりに会った男だが、それでもはっきり彼だとわかった。

 予約した個室に入り、話を切り出す。

「――で、何があった?」

 話の大筋は電話で聞いた通りだ。ただ、混乱しているのかまとまりもなく要領を得ない。

 簡単にまとめると、先輩が深夜にしか開かない料理屋に通っていて、そこにいた客から聞いた怪奇現象を取材した。その後こいつを料理屋に連れて行くといって、着いた場所がただのやぶだった。先輩はまるでそこに料理屋があるかのように振舞ってやぶの中に消えた。そして一年程経って両足が切断された遺体が山中で見つかった。

「……その、信じられないが、本当にあったんだな?」

「俺だって信じられないよ、こんなの。でも目の前で起こったら信じるしかないだろ」

 彼――佐藤は先輩が消える瞬間に落としたであろうカメラを持ってきていた。やけに重たくて古臭いフィルムカメラだ。よっぽどのマニアしか現役で使うやつはいないだろう。いや、逆にマニアも有難がってガラスケースに飾るんじゃないか。

「そのカメラ、現像とかしないのか?」

「したよ。ほら、これが撮られた写真だ」

 未だにフィルムの現像をしてくれる場所が残っていることに驚きだ。写真はどれも本当に令和の時代に撮られたのかと疑うようなものばかりだった。いや、最初の数枚は素人が練習に自分の部屋を撮影したようなものだったが。

「……シャンデリア、洋館か? 置いてある壺やら家具もかなり古いデザインだな。アンティーク、いや、もっと他に言い方があったか。どれも明治から昭和初期にかけて見られたものだ。壁も柱もそうだな。ここは一体どこだ?」

「先輩の話だと確か……マヨイガだったような」

 マヨイガ? 家のおばけか。

「怪奇現象ってのがそれか?」

「多分。先輩は小料理屋で教えてもらった通りに深夜の森に行ったら発生したとか言ってたな」

 発生……という言葉を、建築物に使うか。いや、本当に発生したんだろうな。もしも本当にこれがマヨイガだったなら。しかしマヨイガというのは出現する瞬間にでくわせるものなのか?

「発生条件があるのか?」

「古い道具だけを持ってハロウィンの深夜に森にひとりでいるように指示されたらしい。これ以上はなんとも……」

 まあ、妥当なところではあるな。都市伝説も含め、ホラーやオカルトというものは大抵、最新技術と相性が悪い。ビデオだとか公衆電話。そういった、歴史と呼ぶには新しく、それでいて親しみが薄いものとよくセットで語られる。

 廃墟、山奥の村、路地裏。自分の知らない何かを孕んでいて、適度に無責任でいられる距離感。

 非日常だから娯楽であり、どこか現実に繋がっているからこそ、ゾッとする。

「それでこんな古臭いカメラを持って行ったんだな……。他の写真は……」

 不思議なことに、その写真には人物や動物は一切写っていなかった。不気味だ。広くて古い洋館。誰もいない写真。白黒じゃない分、余計に生々しい不気味さがある。フラッシュが被写体に反射して、写真の四隅が相対的に暗くなっているところも含め、何か嫌なものを感じた。

 シャンデリアの明かりがあるのにフラッシュを焚いているのは、このカメラの使い方をよく知らなかったからだろうか。

「とにかく実際に現場に行ってみないとわからない。俺は当事者じゃないからな。その、やぶってのはどの辺りにあるんだ?」

 佐藤は地図アプリを立ち上げて見せた。そこは見覚えのある地名だった。……というより、もっと確かな。

「ここ、昔住んでたぞ。祖母の家だ。もうかなり古かったから、そりゃ取り壊されているだろうな」

 やけにはっきり覚えている。祖母や地元住民の異常な様子。

 土地神か何かを信仰していたような……。


「とりあえず、今日の夜に俺が行ってみる。呼び出しておいてあれだが、お前は家でじっとしていた方が身のためだぞ」

 今日のお代は俺が払った。仕事がない奴に払わせる程俺は終わっちゃいない。


「ほ、本当に行くのか?」

「何だよ。俺が行くと困るのか? それとも、本当に怪奇現象が起こるっていうのか?」

 俺も半信半疑だ。信じたくないから信じられないだけかもしれないが、現代の日本で生きている大人は多分、信じることは少ないだろう。

 人は説明できないものを嫌う。わからないものを何とかわかろうとして、わからなければ存在しないものとして排除する。

 そうやって理解を得られず消えていったもの達が、この世には沢山ある。もしそれらに感情があって、感情の集合体が生きている人間に何らかの不利益をもたらすなら、きっと人はそれを呪いと呼ぶのだろうな。


*********


 あれから俺は考えた。ホラーとは何か。オカルトとは何か。理解の範疇を超えたもの。あるいは、己の罪悪感を刺激するもの。死を連想するもの。他人の感情の重みを感じるもの。

 重さとは、重なりだ。沢山の人々が沢山の感情を塗り足していって、廃墟や事故多発地帯は完成する。


『目的地付近に到着しました。ルート案内を終了します』

 聞きなれたアプリの合成音声。最新技術だが、これはこれで不気味だ。人間に酷似した無機物は人に恐怖を与えるという。自分の知っているものとは違うから、その差異に恐怖するのだろうか。

「……ここか。例の小料理屋は」

 そこには確かに小料理屋があった。京都を舞台にした刑事ものでたまに出てくるような、のれんがあって引き戸の和風建築物だ。

 のれんには翡翠と書いてあった。なんというか……風情のない字体だ。シンプルに字が下手くそだ。本当に手で書いたのか怪しい。

 俺は唾を飲み込んでから、ぐわっと引き戸を開ける。優しい光がわっと身体を包んで、いつの間にか俺は店内にいた。

 中は思ったよりもっと狭く、カウンター席のみだった。

 カウンターの内側には女将さんと思われる女性。かなりの美人だが、年齢はわからない。若いという程ではないが、老けてもいない。上品な所作や高そうな着物がそうさせているのだろうか。

 現代的ではないが、上品の一言で片付ければ現代にも実在することはあるだろう。特におかしな点はない。

 問題はひとつだけ。昼間にきた時は、ここにこんな建物はなかった。

 たった数時間で建てるにはあまりに立派な造りの建物だ。突貫工事ではない。

「アラ、一見さん? いらっしゃァい。ウチはそんな立派なモンはありませんケドねェ、兎に角美味しいんですよ。マ、アタシが自分で言っちゃ、意味がないわよねェ……。アナタ、お上品な和食って好きかしら」

 正直面食らった。今どきこんな喋り方をする人がいるのか。昭和どころかもう平成さえ終わってしまったのに。

「えっと……いや、ここ、初めて見たから気になって」

 普通に、というと大袈裟だが、会話はできている。相手が怪異だと仮定して話を続けよう。

 こちらの常識が一切通用しないと思っておいた方がいい。

「だったら筑前煮を食べていきなさいな。ウチの看板メニューなのよ」

 また珍しいものを看板にしているものだ。こういうところだと普通、だし巻きとかそういったものじゃないのか?


 改めて店内を見回してみる。座れるのは五人ぐらいか。カウンターよりも外側は狭く、あまり簡単に出入りできそうにない。

「おーい、開けておくれよ」

「えっ? ああ、すみません」

 俺以外にも客がきたのか。後ろから男の声がして、俺は慌てて身体を細くした。これなら席の後ろを通れるか。

「よいしょ、よいしょ。どうも新しい脚に慣れなくて……。へへ、ありがとう」

 声からいくと、歳は若いか。単純にいい声だ。声の仕事でもしているのかもしれない。

 男が着席するのを感じて、そちらを見る。やっと見ることができた顔は、ゾッとする程綺麗だった。

 男に綺麗はおかしいか。ただ、妙に作り物めいていた。

 色素が薄く、髪もやや明るい。脱色したような感じはなく、地毛だと思われた。鼻が高く目頭がくぼんでいて、眉毛が太く濃かった。

 ちらりと見えた瞳は緑色をしていた。外国人かと思ったが、それにしてはやけに流暢な日本語を話す。

「ごめんよぅ、僕、目があんまり見えてなくてね」

 ひゅっと息を呑んで黙る。この男、腕がない。

「新しい人だね。随分いい目をしている」

「……見えないんじゃ」

 男は少しだけ首を傾げて、あんまり、だよと返した。

「半球みたいなグラスでかろうじて日常生活が送れる程度だよ。まあ、不便ではあるけれど、耳がいいから気にはならないね」

 そういう彼はグラスをしていない。見えなくても構わないということか。

「今日こそは食べてもらいますよ。彰人さんったら、いつも冷やかしばかりなんだから」

「冷やかしじゃないさ。君の仕事ぶりを見にきているだけだよ」

 男は甘えた声を出して人好きのする表情をした。

 そういえば男の名前に聞き覚えがある。特異な名前ではないがどこかしこで聞くような名前でもないのに。

「あの……ここって」

「見たまま、おばけだよ。だって昼にはなかったでしょ? 入れたってことは、素質があるんだよ」

 男はあっけらかんとして言った。特におかしなことなどないかのように。

「貴方も……ですか?」

「逆だよ。この建物自体が僕の付属品に過ぎないんだ」

 女将さんはいつの間に作ったのか、ほうれん草のおひたしを出した。お通しだろうか。男の前にも置かれる。

 ……腕がなくてどうやって食べるんだろう。


「付属品……?」

「怪異というものは普通、観測者達の感情や思考に沿ってできている。誰かが死んで可哀想だなと思った人達が、幽霊を作る」

 生きている人間が死んでいる人間を見るからそれが幽霊になる。幽霊がいたと言う人が存在しなければ幽霊はいない。

「僕は僕の死をベースに、この地域の住民の罪悪感や信仰心から形を作っている」

 驚くことに、こうして死人に会っているというのに、たいして驚きもしなければ、恐怖もなかった。

 それは彼が淡々としすぎているからか、それともゾンビのようにグロテスクな見た目をしていないからか。

「信仰心――もしかしてアキヒトサマって……」

「多分僕だね。誰かが井戸に向かって拝んでたりしたかい?」

 幽霊が出てくるストーリーは、大抵の場合ホラーだ。幽霊は人を恨み、人を呪う。

 しかし彼にそんな様子はない。

 どこまでも気のいい青年だ。

「何でわかるんですか」

「昔話をしようか。今はあまりよくないことだから記録も残ってないだろうし、口伝もぼかしているだろう。僕が死んだのは戦後の復興期。東京の中心街は近代的でも、田舎はまだ古い土着信仰と不便な生活が当たり前に存在する時代」

 彼のスマートな印象から、そう古い時代の人ではないと思っていたが、それにしても新しすぎる。

「あれだけ沢山の人が死んで、あれだけ沢山のものが壊れた後だったから、住民には冷静な判断力もないし、まだまだ異常事態だった。人ってね、生きるためのものが足りないと加虐的になるんだ。そして排他的になり、不安を鎮めるために生贄を作る」

 それから男は語った。なぜ俺にそれを伝えたかったのか。最後まで聞かなければ理解できなかった。


「僕がいた場所……村はね、結構小さいコミュニティだった。全員が顔見知りで、どこに誰が生まれたとかもみんな把握していた。熱病にかかる前まではちゃんと見えていたからある程度知っている。あの村は異常だ。普通は出生時の男女比は半々なんだけど、僕の村には男ばっかりしかいなかった」

 生まれる確率が半々なのに男しかいなければそれは生まれた後に何かがあって女が死んだということだ。病気や死産なら仕方ないが、毎回そうだと流石におかしい。

「気づいてるんでしょ? あの村では跡継ぎや男手が重宝される。健康な男児を産む以外に使い道のない女は、一家に一人しかいらなかった。だから出産の時に必ず村の成人男性が立ち会って、もし次女が生まれた場合は、持ってきた大きな石で赤ちゃんの頭を割って殺していた」

「そんなっ! そんなことをしたら絶対に警察に何か言われるでしょう?」

「ところがこれが役場と医者と警察がグルだったんだよなぁ。死産で処理するか、そもそも妊娠していないことにされていたさ。書類上はね。でも流石に男ばっかり生まれるから誰かが疑問に思ってただろうね。何人かカメラを持った人が出入りして、そしていなくなった」

 口を塞がれたのか。

「死んだ赤ちゃんの骨は村に四つある井戸のどれかに捨てられた。骨についた霊の強さで伝染病を追い払うとかいう、根拠のない迷信に従ってね」

 それも長くは続かないだろう。いずれ水が汲めなくなる。

「僕が視力を失ってしばらくした時、村の男達が立て続けに怪死する事件があった。今なら科学的根拠が示せるだろうけれど、村の住民達は、赤ちゃん達の怨念のせいだと信じていた。それを鎮めるためには大人の生贄を使って、赤ちゃんをあやす必要があると誰かが言い始めた。最初は育児は女の仕事だからと年頃の娘が選ばれた。でも、僕が名乗りをあげた」

「自己犠牲ですか」

「違うよ。元から僕の地位は人間以下だった。目が見えないから働けないし、男だから子供も産めない。約立たずの穀潰しが優先的に生贄に選ばれるのは当然だろ?」

 それでも、彼が手を挙げなければその娘が生贄だったはずだ。目の見えない男では、赤子をあやすという大義名分が立たない。

「――女だから、ですよね。これ以上村から女が減るのはよくないと、賢い貴方ならわかっていたんじゃないですか?」

 妊娠しても、安全に元気な子供が生まれるとは限らない。しかも生まれるまで一年以上かかる。当たり前だが女が極端に少なければ人口は減る。

「賢い、ねぇ。僕はシンプルに女好きなだけだけど。まあ、そんなところだ。生贄の儀式は壮絶だったよ。あの子が生贄にならなくてよかった。井戸は四つ。僕の手足は生きたまま引きちぎられて、それぞれの井戸に放り込まれた。余った胴体がどうなったかは、死んだ後だからわからない」

 舐めていた。日本は先進国だと。平和になれば誰も理不尽に殺されないと、どこか楽観していた。

「恨んだりしないんですか?」

「何で? 恨んで僕に何かメリットある? 僕が何かしなくても人はいずれ死ぬよ。やつらが間違ったことをしてるとは思うけど、僕がエネルギーを消費して何かをする価値はないよね」

 さっぱりと、言いきられた。理性的というよりも、合理的な人なのだろう。

「……ただね、捨てられた女の子達は可哀想だと思うよ。だから、育ててくれる人達を探してる」

 どうやって……という質問は野暮だと思った。目の前にいるのはただの賢い青年ではなく、俺が生まれるより前に既に死んだ人なのだから。あまりに普通に会話できているから忘れていた。

 彼の怪異としての成り立ちから考えるに、彼は最早幽霊などという弱い存在ではない。

 幽霊は普通、自分の存在を誰かに知ってもらおうとする、薄い存在だ。ただの一般的な死者にすぎない。

 それが大勢に認知されると、例えそれが生前だろうと死後だろうと、それなりの怪異として存在できる。

 彼の人生が物語としてこの世に縫い止められる。それは真実かどうかに関係なく、一塊の怪異になるのだ。だからここにいるのは彼本体ではなく、誰かが語り継いだ彼の人生。口伝が実体化した、物語の化身だ。


「ところでお前は何でここにきたんだい? 大方誰かに聞いた話を確かめたくてきたんだろうけれど、何かもっと大元の目的があるんだろう」

「ええっと……知り合いが死んだ先輩の死んだ理由を探ってて……あれ? 何て説明すればいいんだ」

 ここに怪異があったとて、それが直接の原因とは思わない。でも、あまりにも彼がさっぱりしているから忘れそうだが、ここはその先輩が消えた場所だ。

 確実に何かに取り込まれているだろう。

「ああ、あいつは……脚の長さが丁度良かったから」

 一瞬、理解が追いつかなかった。彼がどうやってこの料理屋に入ってきたのかを思い出し、急に立ち上がれない程の恐怖を感じた。怪異は怪異だ。異常で、不気味で、理解ができない存在。生きている人間の常識は通用せず、自然界の生命の循環に通じる。

 人間は道理からそれた力を手に入れたことで、自然の摂理から逸脱したかに見えた。それでも自然の驚異には負けてしまう。自我が芽生えたところで、結局は生命の循環からは逃れられない。

 増え過ぎれば淘汰され、減ったら自然と増えていく。大義の前にはひとつの命は小さくて、地球という星を正常なバランスに保つために呆気なく死んでいく。


「お前は目がいいな。前にきたやつは僕の身体をよく見ていなかったから」

 お通しのほうれん草を上品に箸で持ち上げて、女将さんが彼の口元に持っていく。がおとライオンの欠伸のように大口を開けて、彼がそれを食べる。

 女将さんは嬉しそうに笑って「これじゃ、どちらが子供かわかりませんねェ」と笑った。


*********


 目が覚めた時、俺は寝心地のいい椅子に座っていた。背もたれは広く、足置きも含めリクライニングするようになっていた。一番近いものを挙げるならば、歯医者の椅子だろう。

「あら、お目覚めですか」

 そこには目鼻立ちのはっきりした美人がいた。女将さんも相当だったが、こちらはどちらかというと現代人の顔だ。

 化粧の仕方が今風だから間違いない。化粧の流行には疎いが、女将さんはあまりにも大昔の女優のようだった。

「ここは……?」

「マッサージのお店ですよ。私も一昨々年ぐらいに勤め始めたばかりなんですけどね。最初は客だったんですけど中々気持ちいいんで、スタッフになっちゃいました」

 確かに周囲を見回すと、そんな気がしてきた。

 薄暗い部屋には加湿器が無音でアロマを吐き出していた。

 彼女も整骨院で見るような服を着ていて、髪をぴたっと留めている。

「俺……何でここにいるんでしたっけ」

 ここにくる前の記憶が全くない。仕事をしていたのだろうか、やけに疲れている。窓がないから今の時間もわからない。平日かどうかさえ、覚えていない。

「目がいいんですね。私のこともちゃんと見えてますよね。だから呼ばれたのかもしれません。私は子供好きだったので、そっちかな」

 何の話をしているのだろうか。

 目がいい? 見えている? 何を当たり前のことを。

「前の職場、酷かったんです。毎日クタクタで、癒されたいなって。それでここに呼ばれて。今は子育てが大変だけど、休みも多くて毎日充実してるから満足です」

 彼女は喋りながら手を動かす。

 椅子の枕が外され、俺の首はよく知ったものに乗せられた。

 視界を塞ぎますと言われ、柔らかなタオルで目の前が真っ暗になった。

 じょあと頭上で音がして、湯気が頬を撫でると、流石に何をされるか理解できた。

 生え際に沿うように水の粒が流れていく。少し熱めのお湯が、凝り固まった頭を柔らかくしていく。

 毛穴に詰まった油脂が取れたら、少しは薄毛に効くだろうか。


「お子さんがいらっしゃるんですか?」

「へへ、独り身ですけどねぇ。ここにきちゃったらもう、育てるしかないじゃないですか。だってあの子達、もう誰も育ててくれる親がいないんですよ」

 どこかできいた話のような気がした。どこだったか。酷い親もいたものだ。


 一度シャワーが止まり、シャンプーを出す音が聞こえる。しばらくしてから柔らかい泡がそっと載せられたので、わざわざ先に泡立ててから髪を洗ってくれるのだろう。

 他人に髪を洗ってもらうことがここまで気持ちいいとは。千円カットで済ませる俺は、わざわざ洗うところからしてもらわない。

 最近のマッサージ屋はこんなこともするのか。


「ひとりで育てるのは大変でしょう」

「仲間がいますから。ここで働いてる人達、みんな同じ境遇ですから、お互い助け合って上手くやってます」

 境遇……何か辛い過去でもあったのだろうか。初対面の相手にそこまで深い質問もできない。


 五本の指の腹は、丁寧に頭皮を撫でる。痛みもなく、かといって刺激がない訳でもない、丁度いい気持ちよさが続く。

 濡れた髪としゃこしゃこという音は、服を着た身体とのギャップで頭を混乱させる。

 この、宙に浮いているような感覚が、心地良いのだ。温度と水分により、身体のバランスが崩れたような。どこかちぐはぐさを感じるこの感覚。頭は風呂に入ったように熱いのに、身体は冷たいまま。髪は濡れているのに、身体は服を着たまま。

「そういえば俺は何でここにきたんでしたっけ」

 目が覚める前の記憶がない。漠然と仕事はどうしたという不安感はあるが、ではどんな職業だったかと言われると、答えに詰まる。

 俺は何者で、どこにいて何をしていて、どんな性格だったか。妻はいたか、子供はいたか。一軒家に住んでいたのか、独身寮にいたのか。そもそも結婚しているのか、働いてるのか。

 顔も思い出せない。自分の顔を見る機会なんてそうそうないが、鏡やカメラがある現代は、流石に全く知らないなんてことはないだろう。

 そうだ。この部屋は現代的で、彼女は今風で、女将さんは古臭い。……女将さんは一体どこからきた記憶だ?

 そもそもどこの誰だ。何をもってそう解釈したのだろうか。いつ、どのタイミングで見たのだろうか。

 ひたひたと、背面を不安が侵食していく。それはまるで、縛られたまま浴槽に寝かされ、水を溜められるような不安。まだ危険な状態ではないが、いずれ命に関わるという確信がある、そんな不安だ。

 俺はその不安を口に出すことはできなかった。なぜかはわからないが、声にならなかった。人魚姫のように声を奪われた訳ではない。咄嗟に言葉が思い付かなくなる。

「マッサージは……これだけですか」

「――いいえ。たまたま私がここを任されているだけです。他の部屋には足を揉んだり肩を揉んだりする人達がいますよ」

 そういえば俺はお金を持っているだろうか。ここの代金を無事に支払えるだろうか。

 記憶がなくても、流石に無一文でこんな場所へ行くはずがない。だが、ここの料金システムを知らない俺は、そこが気になった。

「お代はどこで……」

「お代ならさっき頂いてますよ」

 一体いつ……? しかし前払いか。よかった。これで支払いに悩むことはないだろう。

 ゾクッとして、頭にシャワーが当てられたことに気づいた。

 もこもこと立った泡が、存外あっさりと流されていく。


 じゅわ、じゅわと髪に絡まった水分を絞られ、それからコンディショナーをつけられた。それはあくまで撫でつけるだけで、三秒程ですぐにまたシャワーを浴びることになる。

 たったこれだけで本当に効いているのか疑問だが、プロがそうするのでそれが正しいのだろう。


「髪を乾かしていきますね」

 本当に水を吸うのか疑問な程柔らかなタオルで髪を拭かれる。俺の髪は短いようで、そこまで時間はかからなかった。

 聞き苦しい音と共に、通常よりも温度の高い熱風が頭に直撃する。ドライヤーなんて何年ぶりだろうか。いや、前回を知らない。知らない? 本当に知らないのか? 千円カットに行っていることは知っているのに?

 記憶は虫食いになっているのか。まるで意図的に必要な情報だけ抜かれているかのように。

 そもそも記憶喪失とはそういうものだろう。常識を覚える部分、思い出を覚える部分。数字、言語、多分それぞれ別の引き出しだ。

 頭を強く打ったのか。いや、他にも記憶を失う理由はあるだろうな。


「すぐに乾きましたね。オイルをつけてセットしていきます」

 独特の匂いと、髪をいじる感覚。目が見えなくても案外わかるものだ。

「ここはいいところですね」

「へへ、そう言われると私まで嬉しいですね。オーナーも喜んでますよ、きっと」

 オーナーは誰だろう。初老の男性か。いいや今の時代偏見はよくない。

「はい、完成です。お疲れ様でした」

 リクライニングが戻り、ただの椅子の角度になる。俺はスリッパを履いて立ち上がった。

「おおっと……。出口はどっちですか?」

 何かにぶつかってよろけた。駄目だな。日頃からいかに視力に頼っていたかよくわかる。

「こっちですよ。手を引きましょうか」

「お願いします」

 彼女に手を引かれて、少しずつ前へ。どこに向かっているかは知らない。

 くんっと踏みつけられた草の匂いがして、濡れた土を踏んだ。

 突然、朝のニュースを思い出す。

『××山で見つかった男性の遺体は、○○県に住む会社員、須藤淳也さん三十五歳のものと特定されました。遺体は損傷が激しく、下肢が切断された状態だったため、警察は事件の可能性があると見て捜査を進めています』

 もしかしてその先輩は……選ばれたんじゃないか?

 脚の長さが丁度良かったから。そして俺の目は“よく見える”。


「おやすみなさい」

 結局彼女の名前を聞くことはなかったな。後頭部に鈍い衝撃を受けて、俺は俺の物語に終の文字を書いた。

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