駅の老婆
NIOさんチャレンジの、もとネタでございます。
小さい頃の俺は、アリを殺すのが趣味だった。
最初は、家の中に迷い込んだアリを潰すという、よくある普通の行為から始まった。
かなりの指の圧力にも耐え、いじましく四肢を投げ出しバタバタと仰臥する様を見て、子供心ながらに嗜虐心を駆り立てられたことを覚えている。
動かなくなったと思いきや、機を見て反転し逃げようとするアリ……それを、改めて押し潰す、と言うことを、何度も、何度も、繰り返すことで、俺は、すっかり、はまって、しまったのだ。
その次は、屋外に出て、アリを殺すことを覚えた。
デコピンで弾いたり、砂を掛けたり。
母が買ってきたアリの巣コ□リを行列のど真ん中に投げ込んで、彼らがせっせとアリの巣へと食料(爆笑)を運び込むさまを、熱中症になる寸前まで大喜びで見続けていた。
そこから父の使っていたライターをこっそり拝借して、トイレットペーパー、チラシ、爆竹、いろいろとアリに対して試してみたのだが、どうにも面白みがない。
最終的に行き着いたのは、熱湯だ。
アリの巣を少しだけ掘り下げ、ボウルの様な形にして、熱湯を注ぎこむ。
アリの巣からは、ポコポコと空気が漏れ出し、そこからアリたちが大慌てで外へと出てくる。
まあ、出てきてもそこは熱湯のボウルなのだから、彼らは有無を言わずに茹で上げられ腹側を晒してぷかりと浮かんでいくのだ。
本当に、楽しくて、楽しくて、しょうがなかった。
いろいろな人に『やめろ』と言われたが、自分としては害虫の駆除をしているつもりなのである。
止めるつもりなど、毛頭なかった……のだが。
ある日、とある親族が撮影した写真をみて。
……俺はアリを殺すことをやめることになる。
……そんな大昔の事を、俺は周回する電車に乗りながら、ぼんやりと考えていた。
いつの間にか大学生になった今の俺の趣味は、平日昼間の環状線に延々と乗り続けるという、とても健全なものであった。
アリを殺すほどのエンターテイメント性は無いが、駅の中で巻き起こる数々の人間模様や、各々の抱える問題の一端が垣間見られる瞬間など、膨大な時間とわずかなお金で生活する大学生にとっては、とても適した趣味、といえた。
ひょいと視線を移すと。
いつも痴漢冤罪をでっち上げている女子高生が、哀れなスーツ姿の男に照準を定めている。
どうでも良いので視線を移すと、優先席で爆睡しているサラリーマンを写真でとっている車椅子の男がいた。
きっと今日のSNSは炎上するんだろうなぁ、なんて俺はのんきなことを考えていた。
なんてことは無い、いつもの、平和な、日常の風景だ。
電車が減速し、駅に止まる。
平日昼間なので、乗り込む人間も、降りる人間も、そこまで多くはない。
……ふと。
駅のベンチに座って、ニコニコ笑っているお婆さんがいることに、気が付いた。
麦わら帽子を被って、手元には真っ赤なハンカチーフ。
電車に乗るつもりは無いのだろう、立ち上がる様子はなく、電車に向かって微笑んでいる。
……なんだか、何処かで見たことのある笑顔だ。
……駅に到着する誰かを、待っているのだろうか?
空いている電車に乗り込まない理由なんて、他にあまり、思いつかない。
少しだけ違和感を覚えたが、電車は独特な抑揚の言葉を放った後、駅から出発したのであった。
次の駅に、辿り着く。
乗り込んで来る客のうち、悲し気な人を選んで俺は観察をしようとしていた。
……ふと。
向こうのホームに、先ほどの老女とよく似た人が、ベンチに座って、ニコニコと、笑っているのが、見えた。
……麦わら帽子を被って、手元には赤いハンカチ。
流行ってるのかな?なんて考えるのも数瞬。
電車はまた、扉が閉まるアナウンスを行い、次の駅へと向かうのであった。
……次の駅にも、居た。
向こう側のホームに、やはり麦わら帽子に、赤いハンカチーフ。
そして、満面の、笑みの、老女が。
……なんなんだ、一体、彼女は?
俺は座っていた席から立ち上がり、女性が見えやすい位置へと移動する。
その経過で、電車のドアは閉まり、駅から出発するのであるが、俺には、確信があった。
次の駅。
やはり、反対側のホームに、彼女は、居た。
麦わら帽子に、赤いハンカチ。
笑顔を浮かべる老女を、俺はマジマジと観察していた。
……ふと。
なんだか、俺は、女性と、目が合った、ような、気がした。
突然、老女が嬉しそうに立ち上がる。
……見つかった!
彼女は、そのままニコニコした笑顔で、一歩、一歩と、電車の乗り口へと、近づいてくるのであった。
……近づいてくると言っても、向かいのホームの、乗り口である。
そこに並んでいる老女に、気味の悪さを感じつつも、『一体何をしているんだ?』と純粋な疑問が生じた。
……そして、俺は、ここで。
……やっと、青ざめた。
次の駅では、あちら側の扉が、開く。
……乗り込んで、来る気だ!
気付いた瞬間に俺は、閉まりそうになる扉に無理矢理体を捻じ込んだ。
『駆け込み乗車は~』
などと独特な抑揚をつけるアナウンスを無視して俺はダッシュし、出口へと逃げるように走る。
振り向くと老婆は、何やら悔しそうな笑顔をにじませていた。
……俺はそのまま何とかその駅で降りることに成功、その後は何事もなく帰宅することが出来たのだった。
命からがら……なのだろうか?
取り合えず何事もなく帰ることが出来た……のではあるが。
しかし、意味が、解らない。
何が起こったのかわからず、恐怖で数日間、家から出られなくなった俺の元に来てくれたのは、その昔、俺がアリを虐待するのをやめさせた、叔父、であった。
叔父は、すっかり引き籠りになった俺を見てひとしきり爆笑した後、何が起こったのか尋ねてきた。
話を聞き終えた彼は、静かに、言葉を紡ぎ始める。
「お前さぁ。
昔、俺がお土産にあげた、マニ車って、覚えてる?」
マニ車?
それは確か、アリへ対する殺戮をやめて数年後、チベットから帰ってきた叔父がお土産にくれた、クルクルと回転するガラガラ、の様なものであった。
「ああ、アレ。
確か、回し過ぎて、没収されたヤツ、ね」
叔父は「神様に祈りながら回しなさい」と言っていたのにも関わらず、俺は遊び半分で一日中回して遊んでいたのだ。
翌日、我を忘れて回し続ける俺の頭を殴りつけ、叔父はマニ車を回収して帰っていったのであった。
「あれ、なんで没収したか、覚えてるか?」
「……いや、あんまり……」
叔父は、頭を掻きながら、説明する。
「マニ車っていうのはな。
中にお経が書いてるんだよ。
一周回せば、お経を唱えたのと、同じご利益がある。
回せば回すほど、御利益は、増えるんだ」
「……?
じゃあ、別に、お祈りとかしなくても、ただブン回せば、良いじゃん」
「……ご利益が得られても、耐性は得られない」
叔父は、俺に理解できるように、分かり易い例えを探している様であった。
「例えば、お釈迦様は、何度も悪魔に襲われ、食べられそうになった。
だけど、俺達一般人は、悪魔に襲われた事なんて、ない。
……何が違うと、思う?」
「……えーっと……御利益?」
叔父の言って欲しいことを予想しながら答えると、どうやらそれは正解であったようだ。
「そうだ、お釈迦様は多く積み上げてきて、一般人はスズメの涙ほどしか積み上げていない、御利益……霊位とか、霊階とか言ったりするんだが、そういうのが多い程、悪魔は『美味しい』と感じるらしい」
どういう風に話を帰結させるつもりなのかはわからないが、現時点での説明を理解した俺は、一応、頷くことにする。
「……だけどお釈迦様は、悪魔に食べられていないよな。
なんでだ?」
「……耐性?」
「おお、正解。
……こちらは、『霊威』、なんて言ったり、するんだけどな」
叔父さんの説明を、かみ砕くと、こうだ。
通常、神や仏に祈りながら、念仏などを唱えることで、『ご利益』が上がり、同時に悪魔に対する『耐性』を獲得する。
しかし、俺は何も考えずにマニ車をぶん回していた……つまり、『御利益』は上がる物の、『耐性』を獲得していなかったことになる。
「つまり、悪魔にとっちゃ、『御利益』はあるのに、『耐性』は無い……とっても、『美味しい獲物』に、仕上がっちまうって、わけさ」
「……だから、マニ車を、取り上げた、のか」
あのまま祈りを行わず、マニ車をぶん回し続けたら。
『御利益』はあるのに、『耐性』は全くない、悪魔の皆様からしたら、とても美味しい人間が出来上がる、というわけだ。
……恐ろしい話ではあるが、今の俺の状態と、イマイチつながらない気もする。
「んん……。
……まあ、それは、わかったけど。
マニ車と、今回のことと、何の関係が、あるんだよ」
「電車って、たまに、念仏が刻まれてたりするんだ」
叔父の言葉に、俺は少しだけ考える。
電車に、念仏が、刻まれている。
……まあ、刻まれていても、おかしくはないだろう。
少しでも事故が起こる可能性を減らすため、藁にもすがる思いで住職さんなんかに頼むなんて話、あったって、おかしくない。
俺の気持ちを見透かしたかのように、叔父は、言葉を続けた。
「今回問題になるのは、その電車が、『環状線』って、ことだ。
刻まれた念仏が、ぐるぐる、回る。
……何か、思い当たることは?」
「……あっ」
それは、つまり……。
マニ車、そのものでは、ないか!
「お前、何度も環状線を、回ったんだろ?
一体、何回、マニ車を、回したんだ?」
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「普通に生活する分には問題ないが、もう環状線には乗らない方が良い」
と話しながら、叔父は謎の聖水を置いて行った。
3瓶で10000円という、超お得なものである。
人の弱みに付け込む商品に悔しさを噛み殺しながらお金を払った俺に。
「……あ、そう言えば。
いつぞやの、焼き増し。
あげるよ、サービス、な」
と言って、叔父は、俺に、いつの日かの写真を、渡してくれた。
そこには、あの頃の俺がいた。
子供の頃、アリを殺し、気味の悪い笑顔を浮かべていた、俺の姿が。
あまりにも気持ち悪すぎて、もう2度とアリを殺さないと誓わせるような、俺の笑顔が。
そして、俺はやっと、気づく。
あの時の老婆の表情に見覚えがあったのは。
つまり、老女は、そんな表情を、浮かべていたのだ。
……力の無いものの命を、出来るだけ惨たらしく殺してやろうという。
かつての俺が浮かべていた。
怖気が走るような、そんな、笑顔を。
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