第六話
「我が名はスヴェルスクート・ヘリオス・エスタシオン。この国の国王である。まずはこちらの都合で呼びつけた事を詫びよう。申し出を受けてくれた事には感謝を」
部屋を守る近衛兵の間を抜け、中に入るとそこには当たり前と言えば当たり前だけれど王様がいた。
「そなたがヴァリスヴェアの救い手か!異世界の!」
ゲームのスチルで見たままの、生きて動いている分より溌剌とした男性。
確か42、3歳のはずの目の前の人は、目を輝かせながらそわそわとしていて全くそうは見えないのだけれど。
そういえばゲーム中ちらっと語られた話では好奇心旺盛な人だった。
――コホン。
その様子に身を引きかけたのを察したのか、後ろから咳払いが一つ。
ハッとした王様が居住まいを正して冒頭に至るわけである。
一瞬で落ち着いた雰囲気のナイスミドルに早変わり。
ギャップに追いつく前に頭を下げられ、こちらも慌てて頭を下げる。
「ミカと申します。こちらこそ陛下にお目通りが叶い光栄です。まだこちらの文化に不慣れなもので……何か失礼がありましたら申し訳ありません」
「そう畏まらずともいい。非公式の面会であるし、ここには我々しかおらぬしな」
「でも、」
「そうでなければ立場上、我はこうして頭を下げる事すら許されぬのだ。どうか楽にして欲しい」
「わかりました」
かといって簡単に楽に出来るわけではないのだけども。
困ったように王様が言うものだから頷かずにはいられない。
上に立つ人も大変だ。
来賓を迎える部屋なだけあって内装はとても豪華だ。
華やかというよりも落ち着いた、重厚さの方が目立つ。
しかしテーブルや窓、調度品に施された細工はちょっと見ただけでも繊細で、促されて座ったソファは最高に座り心地のよいものだった。
柔らかいけれど沈み過ぎず、そこそこ長くかけても疲れにくそうな。
これはきっとかなりの高級品に違いないと妙な緊張感が駆け抜けたりした。
「さて」
湯気を立てる紅茶の乗ったローテーブルの向こうには王様。
その後ろには深緑の髪――さすが元・二次元の世界と言おうか。様々な髪色の人々が違和感もなく存在している――を肩口で緩くまとめた糸目の男が立っている。
彼こそがネブラ・ルナルスパイン・ヴィエルテ。この国の宰相で、アルくんの養父である。
ほとんど閉じているように見えるけれど、ビシバシ感じる視線は特に隠すつもりはないらしい。
嫌な緊張を強いられつつ、王様の方へと無理矢理意識を向ける。
「異世界より来たる娘よ。この場を設けたのは他でもない。ヴァリスヴェアを窮地から救ってくれた事、誠に感謝する。それを我からも直接伝えたかったのだ」
「陛下!?」
「えええ!?」
予想しなくもなかったのだ。これまでの流れからして。
でも異世界人に興味あるのかなとかちょっと現実逃避してみたりとかしたりして。
王様にこんなに深々頭を下げられるなんて心臓に悪い事、出来れば体験したくないじゃないか。
現に私はまた慌てるしかないのだ。
横に座っていたヴァリスさんも、扉付近に控えていたマーキスも面会の内容まで聞いてなかったらしい。
私と同様慌てている様子だ。
ヴァリスさんはアルくんの時以上に動揺している。
自分の無事について仕える主人に頭を下げられているのだからそりゃそうか。
「わっ私はそんな、陛下に頭を下げていただくような事は!」
「陛下!頭をお上げください!私などの為にそのような……!」
「ヴァリスヴェア、有能な臣下であるお前を失う事がこの国にとってどれ程の痛手になろうか?」
腰を浮かす私たちを押さえ、静かに王様の言葉が落ちる。
「それにだ。我は人一人を救う事がいかに困難であるかを知っている。守るもの、救うべきものが増えるにつれ、たった一人を救う事が難しくなっていく。それがどんなに大切なものであろうと、多の幸福の為に切り捨てねばならぬ事がままにある。今回もそうなっていたかもしれない。だが奇跡的にもそうはならなかった。我はそれが嬉しい。……だからどうか娘よ。王としてではなく我個人からではあるが、この感謝の気持ちを受け取ってはもらえぬだろうか」
「……はい」
王様の言葉は重い。
長い流浪の日々。国を興してからも続く国境線の戦い。
増えていく慕う民、住まう国民。
その過程でどれほどの一を切り捨ててきたのだろう。
後悔はないと、かつてゲームの中では語っていたけれど、決して痛みがなかったわけではないだろう。
それに耐えていまこの人はここにいる。
言葉は、感謝はとても重い。
でも切り捨てる傷を少なくとも一つ、増やさずにすんでよかったなとも思う。
それが偶然によるもので、私の功績ではないのだとしても。
「ヴァリスヴェア、アルバースの息子よ。我はな、お前を自分の息子のようにも思っているのだ」
「そのような畏れ多い……!」
「本当だぞ?共に戦い抜いた友の息子。マーキスもそうだがな。あの頃に生まれ育っていくお前達は、我々にとって希望そのものだった。そんなお前を、お前の父と同じ毒で失うところであった」
「……同じ、毒?」
「そうだ。肉を灼き傷を広げ続ける毒。そなたを苦しめたのと同じ。あの時は新種の毒であったが故に我々には知識がなく、アルバを無念にも失う結果となってしまった」
あの時とはヴァリスさんが夜の守護者と呼ばれるきっかけとなった事件の事だろう。
概要しか語られていなかったので私が知っているのは、王宮への夜間の襲撃と人知れず繰り広げられたミシュクル親子と彼らが率いる部下たちによる攻防、そして父アルバースの戦死。
いまより若かったヴァリスさんはこの時の功績で名を挙げ、やがて父が務めていた将軍職を継ぐ事になる。
この事件は夜の間に起こり、朝には決着が着いていた。
事件自体は朝になるまで誰にも気づかれる事はなく、将軍を父を失いながらもその意志を継ぎ国民の夜を守ったとして、事を知った人々からそう呼ばれるに至ったわけだ。
死因は明らかにはされていない。
それが、同じ毒が原因だったなんて。
「そなたにとってはかつての無念が幸いしたな。あの時をきっかけとして、ヴァリスヴェアはこの国で誰よりも毒について詳しくなった。対処法もな」
「おかげさまで私はこの通り命を繋いでいます。感謝してもしきれません」
「ヴァリスヴェアにとってもそなたを救えた事は僥倖であったと思うぞ。なぁ?」
過去を思っているのかヴァリスさんの顔は苦く、膝の上ではぐっと拳が握られている。
手のひらが傷付くのではと心配になるくらいに。
王様の言葉を受け一層力が込められたかと思うと、
「そう、ですね。父と同じように私を庇い、父と同じ毒に苦しむあなたを救えた事は、私にとってとても大きな意味を持つ」
さっき繋がれていた時よりさらに温度の低くなった手がそっと私の手を包み込む。
じわりと彼の体温が戻っていく。
ヴァリスさんがやたらと気にかけてくれるのはこれが原因だろうか。
「そなたらは互いが互いの救い手なのだな」
王様は目を細めている。
命も、心も。お互いに。
互いが互いの恩人であるなら立場は対等なはずだ。
一方的にお世話になるばかりではいられない。
「して、感謝を言葉だけでというのもなんだ。望むものを贈ろうと思うのだが」
「いえ、すでに十分よくしていただいていますのでこれ以上は!」
「聞いていた通り欲がないのう。一生の衣食住の保証でも出来るのだぞ?異世界よりの訪問者である事だし、恩人云々を差し引いても国として保護するにも異論はない」
「それをすると私……きっと駄目な人間になってしまうので……」
決して欲がないわけではないのだ。
しかし社畜をしていた身としてはこのまま無職でいると落ち着かないにも程があるし、一度楽な暮らしに慣れてしまってはそのままどこまでも堕落していきそうな恐ろしさもある。
人間の形を保っていられるのか不安だ。
とにかく何かをしていないと、働く合間以外で暇を持て余すのはいけない気がする。
社畜根性からどこまでも抜け出せない自分が悲しい……。
「そう言うならばまぁよいか。では安全な働き口を紹介する事にしよう。他に何かあるようならばヴァリスヴェアを通して言うがいいぞ」
「ありがとうございます!」
と元気にお礼を言ったはいいけれど。
王様紹介の安心安全な働き口って、
「そうさな。どこの部署が適性であろうか。さすがに後見人がいるとはいえ軍部にやるわけにはいかんな?」
「あの、どこの部署とは……それに後見人って」
「うん?王宮の中が一番安全であろうからな。そなたに合った所を選んでやろう」
「うっ」
「後見人は私です。保護したのも私ですし、いまのまま屋敷で暮らしてもらう方が環境も変わらずあなたにとってもいいだろうと思いまして」
「えっいや、でも働くようになったらどこかで一人暮らしでも……」
「女性の一人暮らしなど!せっかく安全な職に就くのにわざわざ危ない暮らしをする必要がどこにあるんですか!」
「危ないって……」
「どうせ王宮に通うのだ、ヴァリスヴェアについてきた方が楽ではないか?」
「う゛、いやあのそうかもしれませんが……」
ヤバい。
これはどうあっても逃げられそうにないぞ。
というか、後見人の話聞いてませんけど!?
マーキスよく見ろ!どう見てもこれは私のせいじゃないでしょ睨むんじゃないむしろ助けなさいよ!
「陛下。彼女の配属先はわたしの方で検討させていただけませんか?どうやらある程度の教養もあるようです。我が国としてもよい人材を下手な場所に置いておくにはもったいなく思います」
「そうか、そうだな。こういう事はお前の方が向いているか。ではネブラ、この件について後はお前に任せる」
「承知いたしました」
困惑する私をよそに外堀がどんどんと埋められていく。
面会の申し入れの時ヴァリスさんがやたらと笑顔だったのはこれがわかってたからか……!
宰相に目をつけられた以上もう逃げられない。
この人を説得して回避する力も自信も……残念ながら私にはないのだった……。