第五話
エスタシオン王国は流浪の末に様々な部族を取り込んで出来上がった国である。
似たようでいて少しずつ異なった文化を内包している。
例えば建築様式。
基本的に元の世界でいう中世ヨーロッパを思わせる街並み――写真かテレビでしか見た事ないけど――なのだけれど、時々オリエンタルな建物も現れる。
祈りを捧げる教会の一部であったり、いま目の前にした王城の高い塔であったり。
さすがにごちゃ混ぜにあるわけではなくて、一応様式ごとに区分けされているようだった。
それらは不思議な調和をもって美しく、この国を象徴しているかのようだ。
これらだけでも観光客を呼べるんじゃないかなんて思うくらいに。
王都は王宮を中心に放射状に街が広がっている。
官公庁がまとまった政務区画、騎士たちの詰め所や調練場のある軍部区画、その周りを居住区画が取り巻く。
さらに街をぐるりと巡る高い壁のその外には田畑とまだ未整備の土地や森が広がっているらしい。
ミシュクル家別邸に移ってきてから全くと言っていい程外に出る事のなかった私には知らない景色ばかりだけれどそのうち見られるだろうか。
城門を潜り前庭へと進む。
城の入口へと続く石畳を進むにつれ、あちこちから視線が刺さった。
それらは驚きであったり微笑ましそうに生温かかったりそれこそ突き刺すようであったり、だ。
原因はどう考えても……。
「あの、ヴァリスさん手、離しません?」
「駄目ですよ。慣れない格好で転んでしまってはいけませんから」
「さっきから歩いている感じでは大丈夫だと……」
「私がぜひエスコートをしたいのです。任せてはもらえませんか?」
そう眉尻を下げて悲しそうに言われては断れるわけもない。
「う"……お願い、します……」
そう言って大人しく手を引かれて行くしかないのだった。
馬車の中でなんとか抜け出したはずの手は、降りる時に支えてもらったそのままにいまも再び繋がれてしまっている。
まだ城の外でそう多くはないとはいえ手を引き前を行く彼は有名人だ。
ただでさえ目立つのにさらに女連れという事で行き交う人々の注目を集めている。
生温かい視線は事情を知っているかヴァリスさんの知り合いによる、田舎の親戚のおっちゃんたちみたいなあれだろう。
彼女出来たんかァ!ようやくか!仲良くやれよ!的な。
驚きと突き刺す視線はきっと憧れや恋心を抱いているだろうお嬢さん方のものであろう……。
ごめん、違うの!誤解だから!とはさすがに叫べない。
なんとも言えない気持ちを引きずりながら歩いていると、
「ミシュクル将軍〜!」
城の入口にたどり着こうというところで声がかかった。
青年というにはまだ少し高い声の主は手を振りながらこちらに駆けてくる。
人懐こそうな笑顔と頭の後ろで揺れるポニーテールが相まって、向かってくるその姿はまるで犬のようだ。
ポニーテールならぬパピーテール。
実際彼は一部のファンの間で子犬のように可愛がられていた。
ただし、侮ってはいけない。強く大きく立派に育つ将来有望な子犬である。
「こんにちは将軍!この方が例の?」
「やぁアル。いまは仕事ではないから畏まらなくてもいいぞ。この方が私の恩人、ミカ殿だ。ミカ殿、彼は私の後輩で」
「初めまして!僕はアルクリータス・グリック・ヴィエルテです。騎士団で軍師見習いをしています。よければアルって呼んでください!」
「み、ミカで、す、よろし、くぅうぅぅ」
ヴァリスさんに繋がれていない方の手を握られて元気よくブンブン振られる。
げ、元気な子犬くんだ……実際目の前にするとここまでとは……。
アルクリータス・グリック・ヴィエルテ、通称アル。
ゲームでは大型わんこな主人公を慕う後輩系攻略対象だった。
現在14、5歳の彼はまだ背丈も平均より少し高いくらいの私とそう変わらないようだけれど、あと数年で大きく育つらしい。
騎士団に所属しているものの彼が軍師見習いとして師事しているのは宰相である。
元々は孤児で宰相夫妻に養子として迎えられ、かつて鬼才の軍師として名を馳せた養父の後を継ぎたい、恩を返したいと健気に研鑽を積む日々を送っている、はずだ。
見た目は大きくなろうとも大型犬の子犬のような愛らしさを失わず成長する事にちょっと感動を覚える。
だって……養父にして師匠はあの宰相なのだ。
あれを間近に見続けても変わらずにいられるとはやはり彼は大物になるのだろう。
うっこの後が不安だ……。
時間には余裕があるがこのまま入口で話しをしていては邪魔になるからと、移動しながら会話は続く。
「アルくんどっか行く途中だったんじゃないの?」
「いえ!ヴァル先輩がミカ殿をお連れになると聞き及びまして、それはぜひお目にかかりたいと思った次第です!」
「会ったところでこの通り特に面白い事は何もないと思うんだけど……」
「そんな事ないです!あの、面白いとかそういう事ではなくて、僕はただお礼を言いたかったんです。あなたに会って、直接」
「お礼?なんの?」
初対面の私になんで?
首を傾げる私の手がぎゅっと握られる。
ヴァリスさんの方を見ると困ったような、否、面映ゆそうな微妙な顔をしている。
「ヴァル先輩を、ミシュクル将軍を失う事はこの国にとって甚大な損失だったでしょう。僕個人としても尊敬し憧れてやまない大事な先輩です。窮地を救っていただきありがとうございました」
「わーっちょっと待って頭上げて!私、そんな大層な事は、」
「当事者の私が言うのもなんですが、人一人の命を救ったんですから十分大層な事だと思いますけどね」
「そうですよ!大層な事です!」
「あの時は本当に無我夢中で何も考えてなかったから……そんな風に改まられると困るというか……」
使用人さんたちにお礼を言われた時もどう返したものかと困惑したのだ。
本人から言われるのとはまた違ったものがあって、『ありがとう』『どういたしまして』とはどうにもいかずに毎度恐縮するはめに陥っていた。
ただ、
「……ヴァリスさんが愛されてるなっていうのはよくわかりました」
横で『うっ』という声と同時にまた手を握る力が強くなる。
ちらりとうかがえば、空いている手で口元を隠していて、
「ありがたい事に私が思っていた以上に気にかけていただいていたようで……その、嬉しくもあり、何やら照れ臭さもあり……」
どうやら照れているらしい。
可愛いなぁ。
ついアルくんと一緒ににこにこほのぼのと見守ってしまったのであった。
と、
「うわぁっ!」
「ミカ殿!」
「えっわぁ!?」
すぐ後ろで上がった声、それとほぼ同時に抱き寄せられる体、バサバサと少なくない紙の束が落ちる音。
振り返ると転んだらしい青年が床に伏し、その前方に向かって紙束の大きな扇が広がっていた。
「すみません!申し訳ありません……!」
バネのように跳ね起きた青年が慌てて紙を拾い始める。
が、一人で集めるには難儀しそうな量だ。
「手伝います」
「も、申し訳ありません!大丈夫です、すぐに終わりますので!」
「人手が多い方が早いし確実ですよ。ね、ヴァリスさん?」
「そうですね。通行の邪魔にもなりますし手早くすませましょうか」
「こちらに散ったものは僕が回収しますね〜」
「ヒェッミシュクル将軍にヴィエルテ様までそんな……!」
「いいからそっち拾ってください。ほらほら」
恐縮する青年をよそに手分けして紙を拾っていく。
こういうのは一人で慌ててやろうとすると大抵見逃したり何かしらヘマを重ねるものなのだ。
効率的にも人手といくつかの目があった方が確実だ。
重要な書類かもしれないからと意識して内容は確認せずに拾っていく。
本当は順番もあるのかもしれないけどこの際無視だ。後で並べ直してください。
「……ん?」
「どうかしましたか?」
「あの、……いえ、なんでもないです」
内容を意識的に見ないようにしてはいた。
いたのだけど、繰り返し同じ文字列が出てくると無意識でも追いかけてしまうようで。
いくらか拾った辺りで引っ掛かりを覚えて、いけないと思いつつ手元の紙束をいくらかめくって確かめる。
それらはどうやら帳簿の一部のようで、引っ掛かった文字列を確認すると人の名前のようだった。
経理をしていたわけでもなければ簿記の知識だって初歩程度しかない。
そんなレベルの私が見てもなんだかおかしい。
スタートのカッティーヴォさんの支出から同じような数字がちょっとずつ、本当にちょっとずつ増えながらいくつかの科目を経て最終的に倍くらいの数字になってカッティーヴォさんの収益へとゴールしているようだった。
なんの帳簿だかわからないがちらっと見ただけで引っ掛かるのもおかしい。
そして私はこの流れに覚えがあるような気がしてならない。
そう、例えば某ゲームの宰相による主人公の抜き打ちテストとか。
あれはアルくんのお相手として相応しい賢さや思慮深さを備えているか――抜き打ちテストはストーリーの合間合間にあの手この手で仕込まれていた。何が正解かもわからないものもあって正直面倒くさい――試していたのだけど、果たして私は何を試されているのだろう?
とりあえずややこしそうだから黙っておく事にする。
「こちらはあらかた集まりました!そちらはいかがです?何か気になる事でも?」
「こっちもこれで全部かな」
紙束を胸に抱きながらアルくんが探りを入れてくる。
いや、私も腑に落ちないのを隠せずにいたから別に探ってるわけじゃないのかもしれないけど、どちらとも判断がつかないのでそこはスルーする事にした。
「こちらもこれで。後は彼の集めた分で全部でしょう」
「皆様ありがとうございます!!申し訳ありませんでした!!」
土下座せんばかりの勢いで謝罪と謝辞を述べる青年を置いて――こちらが動かない限りその場でいつまでも続きそうだったので――先へと進む。
面会は非公式な為に謁見の間ではなく少しランクの下がる来賓を迎える部屋で行われるらしい。
ランクが下がると言ってもそこへ至る道程の装飾の華やかさからして、来賓を迎えるに相応しい豪華な部屋なんだろうと思いを馳せる。
半ばそれは現実逃避。
王様との面会に私が緊張していると思っているのか、気を遣った二人があれこれと王様の事を教えてくれているのも右から左、左から右……。
緊張しているのは王様にじゃなくてその横の人になんだよなぁ。
「あ」
「あ!マーキス先輩!」
しばらく進むと進行方向から歩いて来る銀髪の男。
見覚えがあり過ぎる。
「うぇ……」
「人の顔見てうぇってなんだよ、失礼な奴だな」
「あんたには言われたくない」
「お前なァ!」
「マーキス。顔を合わせたくないと思われるのも仕方がないだろう。先に礼を失したお前が悪い」
「あの時の事は謝罪しただろ!」
「それを受け入れるかはミカ殿次第だと言っただろう」
ヴァリスさんに叱られてマーキスは押し黙る。
別に彼の事が嫌いなわけではないんだよ。
ついつい大人げもなく噛みついてしまうのは、たぶん推しの解釈違いによる同担拒否とかそんなんじゃないかなと自己分析する。
ヴァリスさんについて一番分かり合えるのは彼なんじゃないかと思う。
きっといろんな話で意気投合して盛り上がれる。
でも一番分かり合えないのもこの男なのだ。
「ふん……馬子にも衣装ってやつだな」
「はっ倒すわよ」
上から下まで人を遠慮なく眺めた結果。
ヴァリスさんが何故だか隣りで肩を震わせている。
どうやら声に出ていたようだ。うっかりうっかり。
ヴァリスさんが用意してくれたドレスとリラさん渾身の力作がいまの私だぞ?
馬鹿になんてされてたまるか。
「お前オレにだけ口と態度が悪くないか!?」
「そりゃあ寝込みを襲われればそうなりますよね」
「ッ、それは悪かったと……!」
「だいたい、いくら見も知らない相手だからって初対面から年上に対する態度じゃなかったのはそっちも同じでしょ?アルくんはすっごく礼儀正しいのに!」
「は?」
「え?」
「えっ」
「うぇっ?」
目を丸くした三人を前に私の方がびっくりする。
え?どこ?いまどこに引っかかったの?
「年上……?」
そこか!って、……え?
どっからどう見てもこっちが年上であっちがだいーぶ年下でしょう?
「年上ですが何か」
「嘘だろう!!」
「なんで下ならともかく上に鯖読まなきゃなんないのよ……。待って、そもそもヴァリスさんたちには私がいくつくらいに見えているんです?」
そちらを見上げればちょっと困惑したように、
「失礼ながら、私には私と同じか年下か、と」
「オレも似たようなものだな」
「アンタどっちにしろ私の方が上じゃないのよ」
「ヴァルと同じくらいなら年上というほど上じゃないだろ!だいたい本当はいくつなんだよお前!」
「年上は年上でしょう!三十ですけど何か!?」
あっちょっと、信じられないみたいな顔やめて傷つくでしょ!?
ていうか、道理で結婚反対の理由に歳が挙がらなかったわけだ?
この男ならそれを見逃したりはしないだろう。
ヴァリスさんと同じくらいに見えていたんなら適齢期の終わりの辺りだろうか。
この国では貴族的な習慣はないからその辺どうなってるのか知らないけど、少なくとも八歳も上の姐さん女房というだけでも反対しそう。
もしかして何かフィルターがかかっているのでは。
元々二次元の世界なだけあってこの世界の登場人物には基本的に美形が多い。
モブですらそうだ。
もしかしたら世界に見た目の造形レベルが合わせられているのではないか云々。
よくわからないから深く考えるのはやめよう。
「と、」
「年増とか言ったらヒールで足踏んでやるからよろしく」
「……と、にかく、やっぱりオレは反対だからなヴァル。コイツもはっきり断っているんだから諦めろよ」
「なになになんの話ですか?」
「うるさい。いいから早く来い!陛下がお待ちかねで早く連れて来いと迎えにやらされたんだよオレは!」
「えっうわぁ僕ネブラ様に報告があるんだった!先に行きますね!」
アルくんがバタバタと駆けていく。
報告って……やっぱり試されてたのかなー……。
先に行くって事はいるんだろうなぁあの人。
また気分が落ち込んできた私は手を引かれるままとぼとぼとついて行く。
一段と強く握られている手にも、さっきはアルくんと私を間に挟んでいたのにいまはマーキスとの間にヴァリスさんが割って入っているのもこの時は気づかずに。
いよいよ王様の待つ部屋の前へとやって来たのだった。