第二話
その朝。
ヴァリスさんに求婚された衝撃でぶっ倒れた翌朝。
私は息苦しさで意識を取り戻した。
首の違和感。身動ぎをしようにも動かない体。
目を開けば無表情の中にそこだけギラついたアイスブルーが射殺さんとばかりに私を見下ろしている。
その下、肩から伸びる腕は私の首へと繋がっていて……あぁ息苦しさの原因はこれか。
最悪な目覚めだなぁとぼんやり見上げていると、
「吐け」
と男が一言。
たぶんね、寝起きなのと酸素が脳にいってないのとでだいぶ思考がアレになってたんだと思うのよ。
それでなくとも人の首絞めて開口一番に『吐け』もないと思うけど。
で、思った事がスルッと口から出てしまったわけだ。
「何言ってんだコイツ」
喉が圧迫されているからまともな声は出なかったけどたぶんしっかり伝わっただろう。
馬鹿にしたような顔もしていただろうからそれもダメ押し。
案の定、
「貴様ッ……!!」
その男は激昂した。
さっきまでの無表情はなんだったのかってくらいの恐い顔。
短気な男ってイヤよねぇ。
脳内で行きつけのお店のおネエさんが憤慨している。
そういえば最後に行ったのはいつだったか。長い事行けないままだったなぁ。
「聞いているのかッ!」
喉から離れた手が今度は胸ぐらを掴んで引き起こしにかかる。
苦しいし痛いけどさっきよりはマシに呼吸が出来るようになった。
「聞いてますよ。聞いてますけど、まずあなたは誰で何故私は殺されそうになっているのかを聞かせてもらいたいですね。あと喉絞めといて吐けってやってる事めちゃくちゃですけど大丈夫ですかァ?」
これ幸いにつらつら返すと、言い返されるとは思っていなかったのかたじろぎ手の力もわずかに緩んでいる。
相変わらず予想外の押しに弱い事で。
本当は聞かずとも私はこの男、というか歳若い青年を知っている。だからこそ余裕をかましていられる。
彼の名はマーキス・ラヴィナ・ディマル。
プラチナブロンド、アイスブルーの瞳、雪色の鎧を纏う事から白銀の騎士と呼ばれている。
夜の守護者と並んで名を馳せる、彼こそがヴァリスさんの親友。そしてゲームにおいての攻略対象の一人なのである。
私がヴァリスさんの屋敷でお世話になっている限り、いずれ会う事になるとは思っていたけれどまさかこんな形で出会うとは。
でも昨日の今日のタイミングでこんな朝っぱらやって来たなら理由はなんとなく予想出来る。
「オレの事はどうでもいい!貴様どこぞの国の間者だろう!!ヴァルを誑かして我が国に入り込もうという腹積もりだろうがオレは騙されんからな!!結婚なんて認めんッ!」
娘を嫁にやりたくない父親かな?
勢いを取り戻した手がガクガクと掴んだ胸ぐらを揺すってくる。
酔うからやめて欲しい。
『マーキス本人を落とすのはさほど難しくない』とはプレイヤーのほぼ総意である。
俺様系攻略対象である彼は、『お前、面白い女だな』的な展開に持ち込みさえすれば結構簡単に落ちる。
歯向かったり反抗したりちょっと危ない場面もあるけれど。
しかし実際の攻略ルートとしての難易度はそこそこ高いのだ。
原因の一つは彼の親友。
この男、ヴァリスさんが大好きなのである。
乙女ゲームでは恋のライバルが邪魔をして来る事があるが、彼の場合はこれ。
幼い時分から面倒を見てくれていた三つ上の彼を兄のように慕い、成長し力をつけてからは親友として隣りに立ち。
なんなら恋人を放り出してでも親友を優先してしまうのだ。
それが原因で主人公と出会う前にはよく恋人と破局を繰り返していたらしい。
『私と親友どっちが大事なのよ!?』にはもちろん『ヴァルに決まっているだろう』何を言ってるんだとばかりに返す男なのである。
ヴァリスさんもマーキスを身内のように思っているから、昨日私にプロポーズする事を事前に伝えてあったんじゃなかろうか。
昨日のうちに妨害しに来なかっただけ我慢した方だ。
ただ、相手が親友大好きで妨害したい男なら対する私は推しが大好きな女。
先ほどの言葉には聞き捨てならない事があった。
「前言を撤回してください」
「は?するわけが「し・て・く・だ・さ・い」断る!!」
「ふざけんな!!ヴァリスさんが私なんぞに誑かされるわけがないでしょう!?ヴァリスさんがハニートラップなんかに簡単に引っ掛かるような愚か者だって思ってるの!?馬鹿にしないでよ!!」
「んなわけないだろう!!」
「じゃあ前言撤回!!」
「ヴァルは簡単に誑かされるような馬鹿な男じゃない!!」
「よし!!」
「よし、じゃない!ヴァルについては撤回するが、お前に関してまだ疑いは晴れてないからな!?」
ちっ。まぁ重要な所は訂正出来たからよしとしよう。
あ、でも貴様からお前になってる辺りちょっと心証がよくなってるのかも。
さすがヴァリスさん大好き男。
「間者じゃないのなんて証明のしようがないじゃない。そんなの悪魔の証明ってもんでしょ。間者だってんならそっちが証拠出しなさいよ。人に手間引っ被せて楽しようとしてんじゃないわよ」
「……ッこの!」
「あぁでも結婚に関しては心配しなくていいわよ?お断りするつもりだから」
「あ?ヴァルの何が不満だと?」
「……面倒なヤツだな。元々私が怪我をした事が原因でしょう?責任を取らせて欲しいと言われたし。でもあれは私が勝手にやった事で、責任なんて怪我の治療やいま現在生活のお世話をしてもらってるので十分過ぎるほど果たしてもらってる。これ以上してもらう必要なんてない」
「しかし傷は」
「残ったところでどうせ見えない所だし不便を感じないもの。手足は動くし考える頭も問題ない」
「お前本当に女か……?」
呆れた様な顔をして見下ろされる。失礼な。
まぁこの世界の常識的には奇特な人間に見えるのかもしれない。
傷物の女なんて結婚には不利だろうから。
文化も考え方も違う所から来たんだからしょうがない。
でも私自身結婚願望があんまりないからなぁ。
未婚女性が虐げられるとかなら考えなくもないけどゲーム内でもそういう女性の活躍はあったし、自立して生活が出来ればそれでいいかなって。
「それより責任を取ってくれるなら別の事をお願いしたいんだよね」
「ふん?金でもせびろうって?」
今度は馬鹿にしたような顔。
一度ぶん殴ってやりたいなと思いつつ、
「違うわよ。いつまでもここでお世話になっているわけにもいかないし、そのうちここを出て働きたいと思ってーーー」
「ミカ殿。私はその話、聞いておりませんが?」
そうですね。いま初めて口に出しましたもん。
眉を八の字にしたヴァリスさんがいつの間にか開きっぱなしの扉の向こうにいた。
マーキスがやって来た時点で使用人さんが知らせに行っていたんだろう。
ヴァリスさんせっかく朝寝坊出来るはずだったのになんてこった。
「ヴァル!オレはこの女との結婚はッーーー」
「マーキス、ミカ殿から手を離せ」
「ヴァル!!話を!!」
「マーキス」
「……チッわかったよ」
もう締まってはいないものの未だに掴まれたままだった胸元がようやく解放された。
ベッドに座り直す。
ちゃんと腰を落ち着けて話をしたい所だけれど、どうも男二人は着替えも寝ぐせを直す事も許してくれない雰囲気だ。
「それで?これはどういう事だマーキス」
「……オレはただ、この女の正体を暴いてやろうと……」
「正体?」
「どこぞの国の間者がお前に取り入ろうとしてい、」
「前言」
「ヴァルは誑かされるような男じゃない!!」
「よし」
「ミカ殿ちょっと黙って」
「ハイ」
真顔で怒られてしまった。重要な事なのに。
「それで、どこの国の間者だと?」
「……東の?」
「これから休戦協定を結ぼうとしているのに?」
「それなら堂々と送り込めばいいんじゃないんですか?誰かのお嫁さんにとか」
「そうですね。関係強化の為によくある事ですしそれを拒むのは難しい。お互いにですが。実際に今回も条件の一つとして組み込まれる事は……お前も知っているだろうマーキス」
「ぐ……じゃあ、北の帝国」
「あそこはいま代替わりをしたところで内側を掌握するのに忙しい。休戦して隣りと手を組もうというのも意義はそこにある。皇帝が代わって国の方針まで変わっては、いままで小国と放って置かれたこれまでと状況が変わるかもしれないからな」
「こちらが結束するなら尚更向こうは間者を入れて情報を得たいんじゃないのか。内政で忙しくとも全く手が出ないわけじゃないだろ」
「全く手が出ないわけじゃない余裕があるからこそミカ殿が帝国の間者ではないといえる。お前は彼女の傷を見ていないからわからないだろうが、あれは間者を入れ込む為の策ではない。私を殺す為のものだ」
「どちらでもよかったんじゃないか?お前を殺すか、上手く庇って恩人として迎え入れられればそれでよし」
「言っただろう、殺す為のものだと。ミカ殿が助かって目の前にいるからそうと思えないのかもしれないけどな。知識がある者がたまたまそこにいて、安全な場所まで駆け抜けられる馬がたまたまそこにいて、迅速な処置とさらにミカ殿にそれに耐えうるだけの体力気力があったからここにいる。どれか一つでも欠けていたならそうかからずに死んでいたんだ」
ヴァリスさんの痛ましげな顔が、目の前のマーキスを透かして私を見る。
本当にありがたい事だ。僅かな確率の上にいま私はここにいる。
それにもう一つ。ヴァリスさんという、庇われたとはいえ見も知らぬ女を救おうと即座に判断を下せる立場の人間がいた事も幸いだった。
命の恩人はやっぱり彼の方だ。
殺す事に特化した策。
たぶん矢を射た兵は策というほどの考えはなく、ただただ死ぬ物狂いの思いで地に伏し相手を殺す事だけを考えていたんじゃないかと思う。
死体のフリをしたあの様子は他に余地のあるような潜伏ではなさそうだった。
「間者を送り込む為に間者の生死を賭けるような精度の低い策を弄するほど帝国に余裕がないわけじゃない。二兎追うものはなんとやら。あれは私を殺す為のものだった」
「……」
「現状こちらの様子を探っていそうな所はその二国だけだったと思うが、他に私の知らない情報でもあるのか?」
「……ない」
「そうか。そもそも私は初めからミカ殿を疑っていないからな。この問答自体無意味なんだが」
別にマーキスだって頭は悪くないのだ。
本来ならこんな馬鹿な事を言い出しはしないし、言われなくたって理由はわかっているはずなのだ。
ヴァリスさん関連になった途端頭の具合がポンコツになるだけで。
私が怪しい人間だっていうのは私自身否定は出来ないけど、間者だという証拠もないのである。
反論を完全に封じられてしまったマーキスはヴァリスさんに背を向け歯噛みしながらこちらをギリギリと睨んでくる。
いや、いくらこっち見られたって私からは特に助言する内容も義理もありませんけど。
その顔一回君の大好きな親友さんに見せたいわぁ。
「こちらの話は終わりました。さて、ミカ殿。先ほどのお話の続き、お聞かせ願えますか?」
呆れた様ななんとも言えない気持ちでマーキスを眺めていたら、突然というか案の定というか話の矛先がこちらを向いた。
ちょっと油断していたのもあるけれど、ヴァリスさんの笑顔がうっすら恐いのもびっくりだ。
やっぱり寝不足状態で面倒臭い話続きは疲れるよね。
なるべく迷惑をかけない為の今後の話だからどうか許して欲しい。
ぐううううぅぅぅ……。
「「「…………」」」
「そうですね。まずは腹ごしらえをしましょうか」
口を開くよりも先に腹の虫が返事をしてしまった。
緩んだ空気で食堂への移動を促すヴァリスさんは口元を手で隠しているし、マーキスはお前は本当に女か?と目が言っている。
「顔を洗って着替えて行きますから先に行っててください!!」
二人を追い出し勢いよく扉を閉める。
それでもうっすら漂う朝食の、ベーコンか何かを焼く香ばしいいい匂い。
さっきからしていたのだ。めちゃくちゃ我慢していたのだ。
真面目な話のターンで鳴らなかっただけ褒めて欲しい!!
ここのご飯が美味しいのがいけないんだ!!
責任転嫁をしながら着替えを手に取る。
少しして来てくれたいつものメイドさんは道すがらヴァリスさんが寄越してくれたんだろう。
やろうと思えば一人でも着替えは出来るけれど、まだ引き攣ると痛む傷に配慮して手伝ってくれるのだ。
そのメイドさんにちょっと泣きつきつつ、今日の朝ごはんのメニューを聞いてテンションを持ち直し、さぁいざ食堂へ。
目指すは美味しいシェフ特製オムレツ!ではなくて、立派な独り立ちライフ。
親友大好き男が同席しているのがややこしいけど、出ていくってんだからなんとかなるでしょう。
話の持っていき方をあれこれ考えながら、私はうきうきと食堂へ向かうのだった。