第一話
エスタシオン王国は十七年ほど前に興ったまだまだ小さな新興国である。
大陸が戦乱に揺れる中、土地を追われいまは失われた部族の生き残りであった現国王が立ち上がり、同志と共に戦場を駆け抜け、やがて慕う人々が一人また一人と増え……。
流浪の果てにたどり着いたこの土地に国を拓いた。
と、この国の成り立ちについてゲーム内では簡潔に語られていた。
小さいながらも豊かな土地に恵まれ、気候は現代日本に近く比較的穏やか。
ゲームの印象では発展途上ではあるけれど王様を中心にこじんまりとしたあったかな国だなぁという感じだ。
元が寄る辺ない人々の集まりであるからか、いまのところ貴族的な階級制度は導入されていない。
しかし王様と同じように故郷を失ったいくつかの部族も取り込んでいることもあり、彼らは彼らなりの誇りと一族の上下というものはあるらしく。
新たな王を戴いたいまでもそれは薄らいでいないらしい。
攻略対象の中にもそれに関係する人物がいてその辺りの事がうかがえたりする。
ところでゲーム本編は建国の当事者よりも次の世代が主に中心となって展開されるのだが、王様とその仲間たちも人気があった。
サイドストーリーの一部で国がまだ成る前の苦難の日々がわずかながらにも語られるのだ。
苦悩と悲嘆に苛まれながら、戦に追い立てられる流浪の日々。倒れ、離れゆくいつか共に戦った人々。
けれども小さいながらもいくつもの光があった。暗い道のりの中で仲間が増え、慕う者が増え、新たな命が増え。
ヴァリスヴェアやその親友もその中で生まれた命の一つだ。
その関係で建国の当事者たちをファンは親世代と呼んでいたりする。
で。
親世代にも攻略キャラへの昇格を要望するやっぱり声は多かった。
対象の人数もそれなりにいるしキャラ立ちもしていたしスチルから見える容姿の整いっぷりから、もしかしたらシリーズとして彼らが主役のゲームが製作されているんじゃないか。
そんな憶測が飛んだこともあった。
果たして新たなゲームが発表されたのだが、何を思ったかゲーム会社は妙な方向で要望に応えたらしかった。
シミュレーションはシミュレーションでも恋愛ではなく建国。
『乱世を平らげ君だけの国をつくろう!』
国主となるべく兵を従え戦場を駆けるもよし、好きなキャラクターに仕官して彼を国主へと押し上げるべく付き従うもよし。
戦術や謀略に案外恋愛シミュレーションのノウハウが生きたらしく、発売当初の衝撃はともかく結構ウケたらしい。
いや、彼らのファンは別に国生みの母になりたかったわけではないはずなんだけど。
とまぁ、これは余談だ。
開けた窓から爽やかな風が入り込んで薄いカーテンを小さく揺らす。
その向こうには鮮やかで瑞々しい緑が、光を透かしあるいは弾いてきらきらと辺りにまいている。
先の戦から三つほどの月が過ぎたらしい。
季節は春先から羽織がなくとも過ごしやすい夏の始まりへと移り変わっている。
といっても私はそのほとんどを寝て過ごしていたから季節の移ろいなんてさっぱり感じられなかったのだけれど。
三ヵ月。
それだけかけてようやくベッドから離れて過ごすことができるようになった。
会話も問題なくできるようになり、いくつかの知りたかった情報を得る事もできた。
例えば背中の怪我の容態。
矢傷そのものは深くはあったものの欠ける事なく綺麗に矢は抜けて、それだけなら傷の治りも痕は残るにしても悪くはないはずだった。
けれど悪い予感というのは当たるもので、鏃にはやはりというか毒が塗られていたらしく。
血を巡ってどうこうするというより、傷そのものを焼いて爛れさせる。傷口を塞げなくさせるようなそんな毒。
幸いにも直後の処置が迅速かつ適切だった為に一応傷は塞がるし、失血死は避けられたということらしい。
痛かったけど。めちゃくちゃ痛くて死ぬかと思ったけど。
包帯を替える時にちょっとだけ鏡に映して見せてもらった傷口はなかなかに凄惨なことになっていた。
思った以上に毒によって爛れた範囲は広い。手のひらを広げたよりも大きいだろうか。
体に一生残り続ける大きく醜い傷はそれなりにショックだ。
お医者様に話を聞いて、そして実際に傷を見た直後はやっぱり落ち込みもした。
だからといって見えるところにあるわけでもないから日常で困る事はないだろうという楽観も同時にあるのだ。
ありがたいことに後遺症もない。この傷に起因する困難はさしてないだろうと思う。
思うのだけれど。
心身ともにひとまずは落ち着いたいま、心配の種は実は別のところにあるのだった。
現在お世話になっているミシュクル家の屋敷は王都にある別邸である。
本家は国の国境寄りにあり、軍系の家のいくつかは同じように国境付近に家を構えて周辺の見張りを受け持っているらしい。
春先の戦闘はミシュクル本家のある付近が隣国より攻められての事だったと後で聞いた。
怪我をした私はしばらくその本家でお世話になり、容体が落ち着きヴァリスさん――呼びにくそうにしていたらそう呼んでいいというお許しをもらった――に連れられて現在の別邸に移ってきたのはつい最近の事だ。
季節は初夏に比べて晴れ間よりも最近では雨の日がだんだんと増えてきた。
おいそれと外に出られる体調ではもともとないけれど、近頃は室内で本を読んで過ごす事が多かった。
端的に言えば暇なのである。
天気のせいか時々傷がひどく痛んで寝込む以外に起きて過ごす事には支障はなく。
かといっていずれ独り立ちする時の為にも勉強をと厨房や使用人さんたちのお仕事を見学させてもらおうとすれば必死に止められた。
いや、いつもはちゃんと使用人さんたちとは仲良くさせていただいていますよ?お手隙の際には談笑なんかもさせてもらってますよ?
でもまだ怪我人だし一応主のお客様扱いのようだからそりゃ困るよね。それでなくとも忙しいのだろうし。
申し訳ないことをしたと反省しながらせめて基礎知識だけでもと本を借りることにしたのだった。
文字を読めたことが幸いし、ここ数日で読破した本はそれなりの冊数に……と言いたいところだけど、日常生活に役立ちそうなものを選んでいたらレシピ本や辞典なんかもあってなかなか進んではいない。
辞典を読むなんて小学生以来だな。知らない単語や挿絵もない文字の羅列だけで知らないものについてあれこれ想像するのは案外楽しかった。
レシピ本に至っては味が全く想像できなかったり、材料からしてこれは絶対おいしいに違いないといつか作る決意を固めた料理もあった。
料理はあんまり得意じゃないんだけども。レシピ通りにやればなんとかなるさ。
しかし暇だ。何の進展もない。
今後について相談したり進展させたりしたいと思いながらそれができずにいるのは、単にその相手が忙しくて顔を合わせる機会がないせいだ。
その相手ことヴァリスさんは有事以外は王宮に勤めている。
普段本家は彼の母と弟が管理しており、国境警備をしている他の家でも王都に別邸を置いて家の誰かが城勤めに出るような体制は多い。
小国は人手もそう多くはないので国境だけに人を回していては王都や周辺の守りが手薄になってしまうのだ。
そしてヴァリスさん本人は王宮内外を問わず仕事が多い。
将軍として戦場へ赴くのはもちろん、王の護衛をしたり王太子の指南役をしたり部下や他の騎士たちの練兵をしたり……といろんな役目を任されているのだ。
さらに本人が文武とも出来る人なのでたまに文官の仕事を上から押し付けられたりもするらしい。
将軍位を持っていてもまだ22歳と若く、またいまは亡き父親の顔なじみひいてはくっついて子供の頃から出入りしていた王宮の、自分の顔なじみでもある面々。
そのせいで相手の遠慮が薄いというのが一つ。
それ以外にも押し付けてくる上の人間が抜け目ない人物で、使えるものは敵だろうと本人が知らぬうちに使ってしまうような人だというのが一つ。
下手に抵抗して無駄なエネルギーを使うよりもよほどでない限りは素直に従っておいたほうが得策である。
と誰かさんがゲーム本編で語っていた。
それからいまは春先の戦闘の後始末、というかその先の懸案で忙しいのだ、といつもお世話をしてくれているメイドさんが教えてくれた。
なんでも攻めて来ていた隣国とは先の国境線争いでこちらの防衛成功をもって休戦協定を結ぶことになったのだとか。
ゲームでは確か主人公がやって来る二、三年前の出来事だったと思う。
つまりここはやっぱりゲーム開始前の世界ということになる。
私が紛れ込んだことがこの世界のどれほどの影響するのかはわからないけれど、ともかく主人公に関わる人たちから距離を置いてしまえば問題ないだろう。
そうする為にも早いところ今後の準備を進めていきたい。
が、相談相手がいないことにはどうにもならない。
相手国に要求する事、こちらが受け入れる事、絶対に譲れないライン。
休戦協定を締結するにあたってあらかじめ内容を固めて共有しておかなければならないし根回しが必要なこともあるのだろう。
ぼんやりと想像するがこういうのは専門外なので早々に思考放棄した。
私にわかる事なんてとにかく忙しいんだなってくらいだ。
落ち着くまでは現状に甘えさせてもらおう。
そう思っていた時もありました。
確か今日の昼過ぎの事だったと思います。
それがどうしてこうなった?
王都に戻って以来夜中に帰宅し朝早くに出仕するばかりだったヴァリスさんが、珍しく日が沈む前に帰って来ていた。
若くて体力があるとはいえろくに休みをとれていないはずの彼はやはりというか少し疲れている様子だ。
残業による夜中の帰宅、始業前に前日から押し出された仕事を少しでも減らすべくの早朝出勤。
身に覚えがあり過ぎて、
「お疲れ様です……!ゆっくり!ゆっくり休んでください睡眠大事‼」
明日は久々の休日になったという彼の手を握って思わず叫んでしまったほどだ。
いきなり目の前で叫ばれたヴァリスさんは目を丸くしていたけれど、
「ありがとうございます。明日は久しぶりに朝寝坊をする事にします」
と穏やかに笑ってくれた。
あぁなんて優しい……そして眩しい……。
このままではまずい。主に私の推しに対する耐性が。脳裏にちらつく尊死の単語を振り払う。
お疲れのところ申し訳ないけれど、これまでできずにいた相談をまずはしなければ。
「あのっヴァリスさんちょっとごそう」
「館様、ミカ様。お食事のご用意が出来ております」
「あぁわかった。私は着替えて来ますのでミカ殿は先に食堂へどうぞ」
「だんが……ハイ」
……タイミングって難しい。
いつもそうだ。転職のタイミングだって結局逃してしまったし。あぁまったく。
夕食の間も最近の様子や不自由はしてないか等々、私を気遣ってくれるヴァリスさんの質問に答えたり料理に夢中――この屋敷の料理人さんの腕はピカ一だ!――になったりして相談する機会を逃し続けたのだった。
それから夕食後。
今度こそ!と意気込んだにもかかわらず、
「ミカ殿。少しお話をいいですか?大切な話です」
先を越されてしまった。
そして嫌な予感がする。大体こういうのは当たるんだ。
だけど真面目に、そして少し苦しそうに眉根を寄せる彼の顔を見たら断る選択肢なんてない。
談話室に移動してメイドさんが入れてくれたお茶を飲んで一息。
話を聞く態勢になったところで第一声はこれだ。
「ミカ殿。私と結婚してください」
「……はいぃ?」
ローテーブルを挟んでお互いソファに腰かけていたはずなのに、いつの間にかヴァリスさんは目の前に跪いているし両手はぎゅっと握られ見上げられている。
なんだこれ。なんだこれ?
予感はあった。そして私は彼の性格を知っていた。
真面目で、誠実で、責任感が強くて。
だからまさかまさかと思いつつ心配していたのだ。
こうなる事を。
「あなたに一生消えない傷を残してしまった。その責任を取らせてください」
その日の記憶はそこまでだ。
申し訳ないことに推しからの求婚というあまりの衝撃の強さに私は気絶したらしい。
ゲームでの攻略キャラクターからの求婚も愛のささやきも比較にならない。
私は生身の推しの威力についてまた一つ学んだ。
そして気絶した私をお姫様抱っこでヴァリスさんが運んでくれたらしいと聞いた翌朝。
意識がなくてよかったと心底思ったのだった。
状況説明ばかりでなかなか進みませんね。。。
最後のところ、ゲームがあくまでキャラ対不特定多数のプレイヤーなのにに対して、キャラが自分だけにというところをピックアップしているだけなので、ゲームを下げる意図はないです念のため。