リセとの出会い、彼女がエルフであるということ
田井中リセがまだ「リーゼロッテ」だった頃。
つまり現世に転移する前、彼女はメルトバニア皇国の片田舎でギムナジウムの学生をしていたそうだ。
年齢は「人間でいうところの19歳くらい」とだけ教えてくれた。
なるほど、確かに見た目の年齢はそれくらいだ。20と言わないのはなにかのプライドだろうか。
実年齢は教えてくれなかった。
リセの故郷、メルトバニア皇国は、100年ほど前に長かった戦争が終わり、いまはエルフ族、獣人族、ヒト族、あらゆる種族が(個々のコミュニティは形成していたものの)、同じ学校に通い、助け合い、静かに暮らしているという。
異世界、と言ってしまえばそれまでなのだろう。言うなればファンタジーの「本の中」のような印象なのだろうか。見たことはないからわからないが。
それからリセは、自分の世界について事細かに話してくれた。
月は一つ、けれど輪っかがあり、模様もぼくらの世界のそれとは全く違うこと、
皇帝はヒト族であり、すべての種族はヒトから分岐したと考えられていること、
とはいえ、そこに優劣はなく、至極平和なこと、
コンクリートというものはなく、街は基本的にレンガで造られていること、
魔族(正確にはリセは別の言葉で表していたが、発音が日本のものではなかったため、記載できない)のようなものも存在しているが、それは海を挟んだ別の大陸にしか存在しないこと、
そして、すべての種族が、魔法を使えること。
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「というわけなのです!」
練馬区の某所、4畳半の畳部屋で、ジャージ姿のエルフ少女は鼻高々にそう言った。
この部屋が、エルフ少女リーゼロッテ、もとい田井中リセが現在住んでいる家である。
台所は鍋が出しっぱなしではあるが、およそ「自炊」というものをした形跡はない。
あれはきっと、ゴミ箱に溢れているカップ麺のお湯を沸かすためのものなのだろう。
それから、見ようとしたわけではないが、この部屋に入る時、
中身が溢れかけている郵便受けの中に、確かに、家賃の督促状を見てしまった。
なのになぜかミネラルウォーターだけは大量にストックしてある。エルフってやつは、ジャンク食べるくせに水はこだわるのか。
こんなエルフがいるか。いや違う。
ぼくの中のエルフ像が激しく否定する。
だから、ぼくは精一杯の「そんなわけあるか」を込めて、
「なるほど、それはすごい」
とだけ答えた。
「信じていないでしょ」
「信じて……いや、不思議なことは起きてると思うよ、現に、その耳」
リセはもう、帽子で耳を隠していない。
正体を知った者、つまりぼくに対しては、もう隠す必要はないようだ。
「それはなんなの」
「エルフは皆、生まれつきこうなのです」
「まあ、うん、エルフなら、ね」
「だから、エルフなんです」
埒があかない。そろそろ「エルフ」という言葉がゲシュタルト崩壊しそうだったので、もうこの話はやめた。
「で、そのエルフが、どうして日本にいるんだ」
「うう……召喚魔法ってわかりますか」
召喚魔法。もちろん、伊達にゲームシナリオライターをやっているわけではない。
でも、あれは、
「あれは、誰かを呼び出す魔法、だろ?」
「はい。正確には、呼び出す対象と自分との間の、空間に穴をあける魔法なんです」
「うん? なるほど」
「でも、私、もとも魔法が苦手で……」
リセは、何かを思い出したのか、涙ぐんでいた。
「自分の立っている真下に、時空の穴をあけちゃって……しかも、自分の家とつなげたはずの穴が、なぜかこの世界に繋がってて……普通、別次元への転送魔法っていうのは、超高位の魔法のはずなのに……」
「なにかしらのミスが重なって?」
「はい、気付いたら江古田の駅前で気を失っていたのが、去年の話です」
「唐突に安心する地名がでてきたな」
「で、それから事務所のマネージャーさんと出会ったり、こっちでアルバイトをしたりしながら、声優を目指すことになったんですけど、それは長くなるのでまたおいおい」
「一番聞きたかったところが聞けなかったなあ」
一通り自分の境遇を話せて、満足したのだろうか、いつの間にかリセは笑顔になっていた。
なるほど、テンションの乱高下が激しい子のようだ。よくいえば感受性が豊か、悪く言えば気分屋なんだろう。
「そういうわけで、現世に転移してしまったエルフは、いま声優としてなんとか売れようと必死なのです」
「どうして声優なの」
「エルフは私たちの国では『歌う種族』とも言われてますから。声を売り物にできるなら、これ以上のことはないですよ!」
売り物とか言うな。
と言いそうになったのをぐっとこらえた。
「ま、というのは冗談で、スカウトがきっかけですよ」
「なるほどね。まあ、でも、話半分にしか聞けないな」
「どうして!」
「だって、やっぱりエルフが実在したっていうのは信じられないよ。証拠が耳しかないもの」
「……なるほど。では、魔法をお見せしましょうか」
「え……」
言うや否や、リセは立ち上がった。
立ち上がった際、顔に電気の紐がかかって少し残念な感じになったが、気にしていない様子だ。
「この世界では魔法を使うヒトを『魔法使い』『魔女』なんて言うらしいですね。ギムナジウムでは魔法の訓練は必須。つまりどの種族でも魔法を使えるわけです」
「それは聞いたよ」
「そして私は気付いたのです。魔力は多少弱まっているものの、この世界でも魔法が使えるということを!」
言うや否や、いつのまにかぼくは黒一色の空間にいた。
いや、部屋の明かり、窓の外から漏れる光が消えたのだ。
そして、ぼくたち二人の足元には巨大な六芒星と見慣れない文字……魔法陣が浮かび上がっていた。
「まじかよ……」
見ると、リセの周りだけ強い風が吹き荒れているようだった。
「火の神アーレウスよ、相克の審判と、裁きの炎、我に力を……インペリアルファイア!」
風の音が一層強くなり、一瞬吹き飛ばされそうになる。
鈍く低い地鳴りのような音が鳴り響き、そして……
ぽっ、と、ろうそくくらいの火が、魔法陣の真ん中に点いた。
「……ちっさ!」
次の瞬間、魔法陣は消え、いつの間にか部屋に明かりが戻っていた。
いつもの四畳半である。
「これが限界」
「いや、小さいよ、すごかったけど、魔法? 魔法って言えるのかそれで!」
「正直、詠唱しなくても付くんだけどね」
すっとリセが人差し指を突き立てる。
その指先から、先ほどと同じくらいの火がでていた。
「いや、それでいいだろ!」
「これだと手品みたいでしょ!」
……その後、エルフという種族がいかに優れているかを延々聞かされたぼくは、なんだかひどく疲れてしまい、結局帰路についたのは終電間際であった。
とりあえず、彼女がエルフということは信じることにした。なので、今日の日付は、ぼくにエルフのお友達ができた、記念すべき日となった。
ちなみに、ぼくがこの4畳半にくることは二度となかった。
なぜなら、彼女はこの5日後、3ヶ月に及ぶ家賃滞納により、アパートを追い出されてしまうからである。
(続)