1-4 喫茶店(2)
リリィの一番古い記憶は、おばぁと出かけた海の思い出だ。バスといくつか乗り継いで訪れたそこは、海の近くを電車が走る街だった。海と電車と町とが不思議なほどに絶妙に共存する中を、手を惹かれながら、駅から海のほうへと歩いたことを覚えている。砂浜の名前は確か白星浜だった。太陽光を反射して光る白い細やかな砂粒はとてもきれいで、澄んだ海のきらめきと相まって、すべてが夢のようだとうきうきした。
おばぁとは言っても年寄りではない。年齢でいえば二回り半くらい違ったから、親子程度の差だろう。生みの親ではないが、彼女は長いことリリィを育ててくれた。過ごした時間と比例して根本的な関係性が変わるわけではないが、それでも彼女は紛れものなくリリィにとってのかけがえのない人だ。今の時代にしては珍しく、白い割烹着を来て、やれ掃除だ、やれご飯の支度だと動いていた。彼女がその白い割烹着以外で家事をしているのを見たことがなく、仕事も徹底されていた。
大学に通うため、家を出ることになった。おばぁとは別れて実際にこちらに出てきたのはちょうど二日前だ。駅から街へ出て、都会の喧騒というものを味わい、簡単に買い物をした後、新居に向かうはずだった。おばぁはどうしても外せない用事があったらしく同行できないことを何度も悲しんでいた。仕方のないことだとリリィが何度言っても謝り、そのたびに彼女のそんな気持ちがうれしいと感じた。
「素敵な方ですね。そのおばぁとおっしゃる方は。」
「はい!大好きです。お母さんみたいな存在なんです。」
それからは、コーヒーの淹れ方とか、豆の種類とか、与野さんに兄弟がいて、その兄弟も喫茶店をやっているという話を聞いた。
あっという間に時間は過ぎて、入口のベルが鳴ったのでそちらを向くと、ヤマが店内に入ってきた。
「やぁ、リリィ。遅れてごめん、ごめん。早速だけど、お願いしてもいいかな?」
ボサボサの髪の毛をしたヤマがそう言いながら、カウンター席の方に歩いてくる。
「あれ?与野さんと話していたのかい?」
「はい。いろいろ教えてもらっていたんですよ。コーヒーを淹れるときにはこう、お湯を円を描くようにして入れて……」
「ははは、そうか。けどごめん、その話はまた今度聞くことにするよ。」
そう言うと、リリィの隣の席に座る。
「早速だけど、昨日のお願いは聞いてもらえるのかな?」
「はい。そのつもりです。」
「えっ、そう……。そうか。ありがとう。じゃあ、これで撮ってきてほしい。」
そういって手渡されたのはフィルムカメラだった。再びブームが来ているという話は幾度か聞いたことがあるが、デジタルカメラが主流な最近ではかなり珍しい。
ヤマはそのあとに例のビルの場所を詳しく教えてくれた。ここからも近く、バスで五分程度の位置にあるようだ。
「それじゃあ、これから行ってきますね。」
リリィはカウンター席から降り、ショルダーバッグを手に取る。
「あぁ、また後で会おう。ありがとう。リリィ。」
「はい。行ってきます!」
続く……
次話、10/13(金)19:00更新。




