1-3 喫茶店(1)
翌日、リリィは一人、与野が営む喫茶店にいた。昼の十二時。まだヤマが来るまでに時間があるだろう。店の外の日差しは、強くはないものの晴天で、街には人通りが多い。
店内にも人は多く、昨日よりも賑わっている。カップルや親子、サラリーマンなど様々な人がおり、彼らの話のお陰もあって店内は心地よいノイズで満たされている。
あれからずっと、リリィはヤマの話について考えていた。ただ建物の内装を撮影してくるだけ。たった一度、街角で出会ったというだけだ。彼を信用していいものか考えあぐねていた。特別なことはなく、彼のことを知るような時間も状況もなかったのだ。
だからこそ、決断するためにまず知らなくてはならない。
無知であるということは考えるということの前提にすら立っていないからだ。
リリィは手元のコーヒーカップを手に取り、ボックス席からカウンター席へと移動して、与野に話しかけた。
「あの、マスターさん。お話いいですか?」
コーヒー豆を入れる作業をしながら背を向けていた与野は、振り返るとリリィを見て話し始めた。
「あぁ、リリィさんでしたか。マスターさんなんて、おやめ下さい。与野で構いません。どうされましたか?」
「それじゃあ、与野さん。私、ヤマさんのことを知りたいんです。なんでもいいので教えてもらえませんか?」
与野は、勿論と言い微笑むと、ヤマのことについて幾つかのことを教えてくれた。
彼の本名は山津愁。ヤマ名義で、今はフリーランスのフォトグラファーとして活躍しているそうだ。与野とはもう十年以上の付き合いで、彼がフリーのアーティストとして芽が出る前から知っているらしく、たまにこの喫茶店を訪れるらしい。
対象とするのは主に人。それも街に生きる、よりナチュラルな状態での人々を撮ることが多いらしい。飾り気のない人間の表情を切り取る、というのは与野の言葉だ。
彼が信用に足る人物かは、今のところ、与野の証言から判断するしかない。情報は不足していて、明確に判断することは難しい。しかし、リリィの気持ちは傾き始めていた。何か面白そうだと直感的にそう思い始める。ただ何もせず過ごすより、何倍もイレギュラな事柄に出会えるかもしれない。
考え事をしていると、与野が話しかけてきた。
「リリィさん、あなたのことも教えてもらえますか?」
「私のことですか?」
「はい。私としては、リリィさんに初めてお会いしてからの時間のほうが短いわけで、何も知りませんので。」
「そうですね。……私はこの前、えっとつまり二日前にこっちに越してきました。大学に通うためです。引っ越してきたんです。それまではもう少し北の、田舎のほうに住んでいて、こっちのことはほとんど知らなかったんです。おばぁが厳しかったとかっていうんじゃないんですよ。あ、おばぁっていうのは私と一緒に暮らしていた人のことで……。」
はじめ、リリィのことを見つめて話を聞いていた与野は、フフフと笑い、手元へ視線を向ける。コーヒーを淹れながら、再び口を開く。
「落ち着いて下さい。ヤマさんのことをお待ちなのでしょう。まだ時間はあるでしょうら、ゆっくりお話し下さい。」
「す、すいません。」
なんだか少し照れくさく感じた。
続く……
次話、10/12(木)22:00更新。