3- そして……
街からはすこしばかり離れていた。
風のにおい。
陽の揺らぎ。
それらがおばぁと過ごした町を思い起こさせる。
十傘の運転する車で郊外に向かい、とある森の道を進んだ。茂る葉たちは日に照らされて、緑色の光を地面に落としている。揺れる車でそんな森をしばらく走ると、遠くまで見渡す限り続く草原に出た。そこから少し先、丘の上には白い協会が立っている。
森を抜け、しばらく走っていた車を止めさせると、ヤマとリリィは二人でその協会に向けて歩き始めた。
二人に間に会話はない。
風が草を撫でる音だけが、そっと耳に届く。
白い協会に隠れるようにして、地面に白い石碑が埋め込まれており、その中の一つの石碑に二人はたどり着いた。
「ここはベルのお気に入りの場所だったんだ。だからいまも、ここにベルは眠ってる。」
足元の石碑には、ベル・ローザ・スティフォールと刻まれている。
リリィはヤマに問うた。
「ヤマさんはベルさん……じゃなくて、お母さんのことが好きだった?」
「あぁ、もちろんだ。」
墓地は協会の裏にあり、草原はずっと遠くまで続いている。
ヤマはそう言うと、果てしなく先の山々を見た。リリィもそれに合わせて、ヤマと同じように遠くを見やる。山々の稜線はぼんやりとして、青い空と混じるように、境界が曖昧だ。
一陣の風が吹いて、髪の毛が乱れる。
土と草の匂いが混じっていて、心地良い。
その時、隣のヤマが声を上げた。
「リリィ、……そのイヤーカフスはどうしたんだい?」
「これ?これはおばぁに貰ったの。おばぁの大切なものなんだって。」
「……、そうか。そうだったか。」
ヤマはそういうと、下を見てしまう。小さな嗚咽が聞こえた。
「ヤマさん、どうしたの?」
「そのイヤーカフスは多分、僕がベルにあげたものだ。」
彼はゆっくりと話し続ける。
「僕は昔、ベルにイヤーカフスをプレゼントしたことがある。指輪は買えなくてね。百合の花がモチーフで、君の名前を決めた時に買ったんだ。二人で店に行って、僕がプレゼントした。」
ヤマは震えながらもはっきりとした口調でそう言った。
「そうか、君が持っていたのか。」
ヤマの想いは、ベルの想いは、形を変えて確かにリリィに届いていた。
時間はかかったが、確かに紡がれていたのだ。
「あぁ、そうか、そうだったのか。」
生きるということに何か特別な意味はあるのだろうか。
自分のために生きなければならないのだろうか。
大切な誰かのために生きることだって素敵ではないか。
「ヤマさん……。」
遠くを見つめるヤマの表情が少しずつ和らいでいくように、リリィには思えた。
「……僕はベルに会えてよかったと思っている。自分の娘にだって、こうして出会う事が出来た。」
リリィはずっと、自分のことがよくわからなかった。
自分だけ、居所がはっきりとしないような気がしていた。
けれど、それは違った。
確かにここに、リリィにつながるものが存在している。
リリィも確かに生きている。
「僕は、生きることを諦めないで良かった……。リリィに会うことができた。」
呟かれたその言葉こそが全てで、違えてはいけないものだ。
「ベル、君の娘が来てくれたんだ。僕らにとってもよく似ているよ。君の死んでしまった日に出会うなんてね、不思議だ。君がそうさせたのかい?」
石碑に向かってそう語りかえるヤマの表情は、いつのまにか柔らかな笑顔になっていた。頬に、涙の跡だけが見える。
顔を上げたヤマはリリィを見つめる。
「リリィ、ずっと会いに行けなくてごめんよ。」
そう言うとヤマは、リリィを優しく抱きしめた。リリィをそっと包み込む。温かさが伝わってくる。
「僕らのもとに来てくれて、ありがとう。」
その言葉を聞いて、リリィの視界が潤み始める。
リリィは一言、
「うん。」
と答えた。
遠くまでずっと続く草原を、再びそよ風が吹きぬける。
リリィとヤマは二人並んで、ベルの名前が刻まれた石碑を見ていた。
「リリィ、君を育てくれたお礼に行かなくちゃね。おばぁのところに行こう。」
「うん。真紀も一緒でいい?」
「あぁ、勿論だ。」
ヤマはそう言うと、丘を下り始める。
リリィも向きを変えると、丘からは草原や教会、森、遠くには街が見えた。
リリィはヤマに聞く事が出来た。
ベルの話。ヤマの話。リリィの話。そして……。
「待って!お父さん!」
彼ら家族の物語を。
彼らを包み込むように吹いた風はまた、リリィの髪を乱す。
百合のイヤーカフスがきらりと煌く。
澄んだ水色の空。
暖かな陽の光。
優しい風の中、ヤマのもとへとリリィは駆けていった。
了




