2-4 真紀(1)
ベル・ローザ・スティフォールは、スティフォール家の一人娘だった。都会の中で育った彼女は、自然を愛し、特に花を好んでいた。リリィも訪れたあのビルに住んでいた彼女は、よく室内に生花や鉢物、時として大きな観葉植物を持ち込んでいた。
アーティストとして目が出たのは今から二十年ほど前。初めは絵描きとして活動していた。初期は西洋的な人物の油絵を描いていたらしい。『プリンセスの夢』という作品群を発表し、それが事実上の処女作となった。
もともと身体が強くはなく、加えて美しい容姿が話題となり、一躍時の人となった。世間は彼女のことを深窓の令嬢などと評し、囃し立てた。メディアへの露出も増え、作品を制作する時間も増えていった。次第に疲労は蓄積され、ある時期に一度体を壊して、それを機に過度な活動と露出を止めた。しかし、そのことがかえって彼女を美化し、もともと優れていると評されていた彼女の作品も更に話題になった。そんなころに絵本作家としての活動を開始し、その後は数冊を刊行した。
おばぁがスティフォールの名前を出そうとしなかったのは、そのころのことを覚えている誰かが、リリィにそのことを告げてしまうことを避けるためだったのである。きちんと、大人になったタイミングで伝えようと思っていたようだ。
そして真紀がスティフォールの名前を知っていたのは、偶然STグループがスティフォール家により運営されていることを知っていたからというのもあるが、同時に、ベル・ローザの名を聞いたことがあったからだろう。それが引っ掛かったのだ。
「そのベル・ローザっていう人が私のお母さんなのね。」
「えぇ、そうよ。正真正銘あなたのお母さん。……いきなりでビックリしたでしょ。ご飯食べたばかりだけど、デザートにしない?ちょうどオレンジのゼリーをもらったの。」
おばぁはそういうと立ち上がり、台所の方へと向かった。リリィは真紀の手を握りながら、ぼんやりと考え込んでしまう。自分の母親という存在。それを今知ったのだ。すぐに理解が追いつけるものでもない。
真紀がテーブルの方を見つめながら、ゆっくりと話し始める。
「驚いた?」
「うん。いきなりだからね。まだいまいち実感がないっていうのが正直なところかな。」
リリィの言葉を聴いて、真紀は何度か首を縦に振る。
「そうだよね。いきなりだもんね。……ベルさんの絵本はさ、とっても優しいんだよ。絵も物語も、優しさでいっぱい。あたしたちが小さい時に話題になった人だから、あたしたちが知る機会はあんまりなかったけれど、それでも今も人気なんだよ。きっと、本当にいいものは時間なんて関係ないんじゃないかなって思う。ベルのお母さんだったってことには驚いたよ。ベル・ローザっていう名前でしか載っていないから、スティフォール家の人だっていうことは全く予想できなかったし、驚いた。けれど……。」
真紀の言葉は一度、そこで途切れた。リリィは真紀のほうを見つめる。彼女はまだじっと前を見ていた。
「知ることは大切なことだと思う。」
うん、と一言だけ発してリリィも前を見た。知ることがなければ、それに対する感情も行動もわかない。知ることがスタートだ。
……続く
次話、10/25(水)19:00更新。