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少女は、男が乗ってきた小舟に乗り込みます。小舟はすぐに海へと漕ぎ出しました。少女は、長い時を過ごした城を、島を、ぼんやりと見つめています。
島がどんどんと遠ざかっていきます。少女が島を見つめていると、黒い影がこちらに飛んでくるのが見えました。
影は、少女めがけて一直線に飛んできます。いつかのあの日と同じように。
「王女様、行っては駄目です。お父様の言い付けを忘れたのですか」
黒い影は、鳥でした。鳥は必死に少女を止めようとします。
「姫、その鳥の話しを聞いてはいけません。その鳥は悪魔が化けているのです。嘘を言って、あなたの魂をここにいつまでも留めておくつもりなのです」
「そんな、それこそ嘘です。そいつこそが悪魔なのです。王女様、どうか僕の話しを信じてください」
「ええい、この忌々しい悪魔め! 姫に近づくな!」
そう言って男は剣を取り出すと、鳥めがけてそれを振るいました。剣は鳥の片羽を真っ二つに切り裂きました。
鳥は、枯れた葉のように舞い、海へと落ちました。その瞬間、鳥の姿が人間へと変わりました。その人間の顔を見て、少女は驚きました。何と、かつて兄と慕った執事のアイルだったのです。
「そんな! アイル、あなただったの!」
少女は、人間の姿となったアイルを助けるため、海へと飛び込みました。
「馬鹿め! こっちへ戻ってこい! 愚かな少女め!」
小舟の上の男が悪態をつきます。今やその姿は、悪魔のものへと変わっていました。
少女はアイルのもとへとたどりつきました。アイルの片腕は無残にも切り落とされ、唐紅の血が海の青に溶けだし、真っ赤な水たまりをつくっていました。
「ああ、アイルなんてこと」
傷ついた執事の冷たい身体を、少女は抱きしめます。
「ねえお願いアイル、しっかりして。どうしてあなたは鳥の姿になっていたの?」
少女の瞳から零れる涙が、アイルの血と混ざり合います。
「王女様、申し訳ございません。僕は冥府へと向かう途中、あの悪魔によって、鳥の姿へと変えられてしまったのです。さらに、それを言うことができない呪いもかけられました。それでも何とか逃げ出して、あなたを見つけることができました」
ごぽっとアイルの切られた腕のあたりから音がしました。血は止まることなく、赤い水たまりはどんどんと濃く、大きくなっていきます。
「あなたが寂しくないよう、いつまでも一緒にいようと思いました。いつか、冥府への送り人が、あなたを迎えにくるその日まで」
「アイル、私は冥府へなんていけなくていい。あなたと、ずっと一緒にいられればそれでいいわ」
その言葉にアイルは優しく微笑みました。少女も、泣きながら微笑みを返します。
そしてついに、アイルの身体がゆっくりと水底へ沈み始めました。
少女はアイルの手を握ります。少女の手を、アイルが握り返します。その手に、ほとんど力はありません。二人は一緒に沈んでいきます。
少女とアイルは手を固く繋いだまま、海の底へと沈んでいきます。海越しの太陽が、沈んでいく二人を優しく照らします。
やがて、太陽の光が届かないほど深くまで二人は沈んでいきました。真っ黒な闇の中でも、二人の手が離れることはありません。
「ねえアイル。もうどこにも行かないわよね」
「もちろんです、王女様。いつまでも、いつまでもあなたの隣にいますよ」
二人はどこまでも、どこまでも沈んでいきます。