ドライブ
「はーやーくー、行こーよー」
地上十階、マンションに響く催促の声。サイカが玄関で桐吾を呼ぶ。その桐吾はというと、眠そうな顔でよれたカッターシャツを羽織っている途中。
「ちょっと待てよサイカ……まだ九時前だぞ」
そう言って桐吾は大きな欠伸を吐き出した。
ドライブに行く、と。霧崎桐吾の一言がサイカに火をつけた。世間の話題となっていた通り魔をあっさりと叩き潰し。それからずっと、ドライブドライブ、とうるさかったのだ。
夜寝る寸前まで、
「ドライブ楽しみだね」
と。
朝目が覚め、
「おはよう。さ、早く準備しよう」
開口一番これだ。
低血圧、朝に弱い桐吾には辛い一日のスタートであった。
「事故るって。眠いもん。居眠り運転はダメだって」
ぶつくさと、走るワンボックスの車内。寝ぼけまなこで桐吾がハンドルを握っている。
「大丈夫だって、事故ぐらいじゃ死なないよ」
けろりとサイカは言い放った。目の下のクマをぴくぴくと動かしながら桐吾は呆れたような声色で言い返す。
「お前はな」
それに問題はそこだけじゃねぇ、と言うと大きな欠伸。
「だいたいなんでこんな朝早くから行くんだよ」
今はまだ朝の九時。いつもならこの時間はまだぐっすりと夢の中にいるはずなのだ。
「だって時間がもったいないじゃん。楽しいことはたくさんあったほうが楽しいし」
「…………」
まだいくらでも言い返せるが。いくらでも文句は言えるが。しかしサイカのやけに楽しげな表情を見てしまうと桐吾は何も言えなかった。
まだまだ甘いな俺も、と心の中で溜息をつくと。
「わかったわかった。それで」
前だけを見て、安全運転で。
「適当に走ってるけど、どこ行きたいんだ?」
それを聞くとサイカは、よっしゃ、とガッツポーズ。そして少し悩む素振りを見せると、
「どこでもいいよ」
そう言った。
「どこでもって……お前がドライブ行きたいって言ったんだろ」
サイカ、ふふん、と得意げに笑った。
「トウゴと行けるならどこでもいいんだよ」
「サイカ……」
目を閉じ微笑むサイカ、あっけにとられたような桐吾。二人を乗せたワンボックスは日曜の道路を颯爽と走る。
が、しかし。桐吾は冷静なようで。
「いやでもちゃんと決めろよ?」
「うぐぅ」
辛辣な桐吾と唸るサイカを乗せたワンボックスが晴れた空の下を走るのであった。
「おいひーね」
「食べながらしゃべるなって」
喫茶店。サイカはパフェを頬張り、向かいに座っている桐吾はコーヒーをすする。時計の針は九時半を指している。
結局、あの後。目的地が決まらなかったので、一旦喫茶店で決めよう、となったのである。朝からやっている喫茶店がすんなりと見つかってよかった。客はサイカと桐吾の二人しかいない。
「にしてもいい雰囲気の店だな」
桐吾は店内をぐるりと見回した。
アンティーク調の家具で統一されており、落ち着いた空気が流れている。そんな店内を見回した時にどこを見ても目に入るのが古時計だ。いくつもの古時計が壁にかけられている。たしか店の名前も『古時計』だった。耳を澄ませるとチクタクと様々な針の音が聞こえてくる。
と、桐吾が静かにコーヒーを飲んでいると。
「完食!」
サイカがパフェを食べきった。
「お前は風情もくそもないなぁ」
桐吾はため息をつく。最近ため息ばかりついている気がする。
と、そんな二人へ声をかける男が一人。
「いいじゃないですか。おいしそうに食べてくれてうれしいですよ」
カウンターの方からだ。初老の男性で柔和な表情を見せている。
「え、ああ、そうですかね」
突然声をかけられた桐吾は頭を掻きながら応答する。
「えと、店長さん、ですよね?」
確認のためそう問いかけると、
「ええ、そうですよ」
初老の男性はにこりと笑った。
「今日はどこかへお出かけですか?」
店長はカウンターから出るとコーヒーポットを持ちながら二人の席へとやってきた。
「はい、こいつがドライブ行きたいって言いまして」
こいつ、とサイカを指さす。サイカは指された指を眉を寄せて見つめる。
「って言っても目的地とか決まってないんですけどね」
「ははぁ、そうなんですか」
店長はコーヒーポットから桐吾の前のカップにコーヒーを注いで「おかわりです、どうぞ」と言う。
「あっ、どうも。……どこかいいとこ知りませんか?」
注がれたコーヒーを啜りながら桐吾は訊いた。店長は「ふぅむ」と少し考え込んで、
「海とか行ってみてはどうです? 泳がなくても楽しめるものですよ」
「お、いいね!」
すかさず同意したのはサイカ。パフェの容器のスプーンをカチャカチャといじりながら目を輝かせる。
「海最近見てないからね、久しぶりにいいかもね」
にっ、とサイカは笑う。ということは、目的地は決まったということだ。
「じゃ、そうしようか。店長さん、ありがとう」
桐吾が礼を言うと店長は「いえいえ」と首を振った。
「よし、じゃあ行くか」
桐吾はグイッとコーヒーを飲み干すと席を立った。
「了解!」
サイカも勢いよく立ち上がる。
サイカは先に外へ出ていき、桐吾は支払いをする。
「最近、物騒なことが多いですからね。気を付けてください」
おもむろに店長はそう言うと釣り銭を桐吾へ手渡した。それを受け取ると桐吾は「大丈夫ですよ」と答えた。
「お気遣いありがとう。じゃ、また来ます」
カランカラン、と。音を鳴らして桐吾は見せを後にした。
古時計に囲まれた店内。チクタクと微かな音が幾重にも重なる。その中で、初老の男はただにこやかにほほ笑んでいた。