仕事
うだるような暑い夏。頭の中で反響する蝉の声。まとわりつくような茹だった空気。とあるマンションの一室でパソコンが悲鳴をあげていた。
「あー、いい仕事あるかなぁ」
パソコンの前に座る男は寝癖の頭を掻き毟りながらぶつくさと独り言を言っている。
ぼさぼさの黒髪、だるそうな眼、だらしなくカッターシャツを着た男は欠伸をかみ殺し、開け放った窓から吹き込んだ風が寝癖を揺らす。
と、その時。
「おっ、目ぇつけてたヤツ、リストにあがってる」
マウスのスクロールボタンに置かれた指を止めた。先ほどとテンション、表情は変わらないが。声は心なしかうれしそうだ。
「よしよし、近所だし。報酬もなかなかいい……けど、ミーティングは今日の午後か。お急ぎだな」
男は見ていたページをプリントアウトすると、何かに気づいたように顔を上げた。
「サイカに連絡しとかなきゃな」
男は携帯電話を取り出すと、サイカと呼ばれた人物へと電話をかけた。
数回コール音が鳴り、
『もしもし?』
少女の声が電話に出た。
「あー、サイカ。今どこだ?」
開口一番、現在地を問う。
『えーっと、なんだっけ? あのアイス屋さんあるとこ』
「ニシキヤ通り?」
『そこそこ。なに、なんかあったの?』
「ああ。仕事だ」
男は先ほどプリントアウトした紙を見ながら、仕事の旨を伝えた。
『おーおー、一週間ぶりだね。今日すぐ?』
「そうだ。外で合流するか?」
一拍おいて、サイカと呼ばれた少女が答える。
『いや、そっち行くよ。棒持ってないし』
「それくらい持ってくけど」
男の提案に対して。サイカは、いや、と切り返す。
『重いでしょ? それに……』
と、そこで声が途切れる。
「それに?」
変な間が気になり問い返すと、
『もう着く』
とだけ返ってきた。
ニシキヤ通りからこのマンションまでは近い。といっても、電話が始まってから一分かかっていない。
「いやもう着くって――」
と言ったとこで。窓から。何かが。馬鹿みたいな勢いで飛び込んできた。
『到着!』
「到着!」
その何かが飛び込んできたと同時に携帯電話とその何かから大な声が発せられた。
「っ、ぅお、おう。びっくりした」
やや控えめな、しかし本気の驚愕。これに対して飛び込んできた何かがのそりと身体を起こした。
緑色のセミショート。緑色の瞳に白い肌。オレンジ色でノースリーブのパーカーを羽織り、紺のホットパンツからは健康的な脚が伸びている。
「お待たせ、トウゴ」
「にしてもどこから来たんだよ。マジでビビッたぞ」
霧崎桐吾が隣を歩く緑髪の少女に問いかける。緑髪の少女ことサイカは肩にバットケースのような物を引っかけ、頭の後ろで手を組みながら歩いている。
「ん?」
サイカは桐吾の問いかけに視線を上げて彼の方を見る。すぐに視線を前に戻すと、ふふっと笑った。
「簡単だよ。うちのマンション、向かいにビルあるでしょ?」
「……ああ、あるな。けっこうテナント募集してるとこだろ。でもそれがどうした」
桐吾は怪訝な顔をサイカに向ける。何となく言いたいことはわかっているがそれは到底理解しがたい、というような表情だ。サイカはそんな桐吾の方を見ることなく答える。
「テナントとかそういうの分かんないけど。まあ、屋上がさ、ちょうどいい高さなんだ」
「…………たしかに、うちの窓からあのビルの屋上よく見えるな」
もう既に桐吾の表情は呆れている。しかし、そんな彼のことは意にも介さずサイカは続ける。
「でしょ? まあ途中で届かないの気づいた時は死ぬかと思ったね。電柱あって助かった」
「…………」
つまりサイカはマンションの向かいの屋上から電柱を経由して桐吾のいる部屋へ飛び移ったと言っているのだ。
しみじみと語るようなサイカを尻目に。桐吾はだるいような目を少し細め、小さなため息を漏らした。
「地上十階だぞ、お前……正気か? ていうか、死ぬかと思ったって感電死寸前じゃねえか」
「何を言うんだよー。トウゴを待たせたくないって思ったから頑張ったのにー」
目を閉じて頬を膨らませたサイカはぶーぶーと文句を言う。はいはい、と桐吾は軽く流し、小さく鼻息をついた。
もはや毎度のことだが隣を歩く少女のインパクトにはその都度驚かされる。小柄な緑髪の少女は、今回のように時に驚愕的な筋力を発揮する。身長たった一五六センチほどの少女のどこに力が隠されているのか不思議である。
まあ、だからこそ。少女サイカは桐吾の隣を歩いているのだが。
「ねえ!」
と、サイカが声を張り上げた。
「何ぼーっとしてんの」
考えことをしていた桐吾のことを心配したようだ。
「ん、なんでもない」
なんでもないの一言で済ませる。そんな桐吾にサイカは、ところで、と続けて問う。
「今日は何で歩きなの?」
先ほどから変わらない歩調で二人は進んでいる。
「今日の仕事はミーティングあるからな」
額の汗を拭いながら桐吾は答えた。それに対してサイカは汗一つかいていない顔に少し驚いたような表情を浮かべた。
「ってことはケーサツ行くんだね」
ケーサツ、つまり警察に行く、と傍から聞いたらまるで自首でもしに行くかのような台詞。そしてサイカは驚いたような表情の上に残念そうな顔を重ねた。
「車乗るの好きなんだけどなー」
それを聞いて桐吾は意外そうにサイカを見た。
「それは初耳だな。じゃあ今度ドライブ行くか」
「どらいぶ?」
おかしなイントネーションで復唱したサイカに桐吾が教える。
「ドライブ。車に乗ってお出かけってことだ」
たちまちうれしそうな顔になるサイカ。やったやった、とひとしきり喜んだサイカは、はっとしたように桐吾を見た。
「それで、仕事の内容まだ聞いてないよ?」
「ん、ああ、たしかに。そろそろ説明しとくか」
と言うと桐吾は部屋でプリントアウトした紙を尻ポケットから取り出した。
「……くしゃくしゃじゃん」
「いいんだよ読めれば」
目ざとく指摘するサイカを適当にあしらい、桐吾は続ける。
「たったさっきリストに上がったヤツだ」
紙に目を通しながら続ける。
「ランクはB、ターゲットは男、二十代後半。通り魔だ」
と。眉ひとつ、表情ひとつ変えることなくだらしない男は言い放った。
応えるは。おーおーという少女の声。
「最近話題の彼か。おっけー、そいつをやっつければいいんだね?」
「最初の事件は一週間ほど前。深夜、住宅街で女が殺された。それから毎晩一人が殺されてる。殺人対象はランダム。俺たちが住む神楽宮町での犯行が一番多い。四回目の犯行で目撃証言が出てる。そして、一番新しい六回目の犯行。目撃証言と酷似した男に職務質問をかけた警察官が殺された」
昼時の大通り。人通りが多く活気づいた町で、男と少女の二人組が物騒な会話を繰り広げる。
「ケーサツの人もやられちゃってたんだ。そりゃリストに上がるわけだねー」
サイカが納得したような面持ちで頷く。ああ、と桐吾も頷きながら再度紙に目を落とした。
「警察も捜査網を潜り抜けながらその警察まで殺るってのはなかなか手ごわそうだからな」
そだねー、とサイカは笑う。そして、もう一つ気になることがあるような表情で桐吾の方を見た。
「ライバルは?」
返ってくる答えが分かりきっているような声色。
「リストで見つけたとき承認数ゼロだったからな。またいないだろ」
案の定、想像していた返答と同じだったのだろう。
「そっか。なんか寂しーねー」
少しつまらなさそうに前に向きなおした。そう言うサイカを桐吾は一瞥し、そうか? と言った。
「変なトラブルないことに越したことはないだろ。報酬も独り占めできるし」
それに、と桐吾は続ける。
「そもそもランクB以上の仕事できるやつなんかお前ぐらいだろ、サイカ」
「んー……」
まだ何か納得しきれていないようなサイカだが、代わりにこう言う。
「じゃーさー、なんでアレあるの? えと、キョーアクハンカクホ……なんだっけ」
えーっと、とサイカは「アレ」が何かをど忘れしたようで。困ったような顔を桐吾へ向けた。しかし、「アレ」が何かは彼にはわかっていたようで。桐吾はサイカの頭を手でぽんぽんと叩きながら口を開いた。
「凶悪犯確保協力特別報奨金制度な」
「そうそうそれそれ、長いよまったく……。仕事できる人あんまりいないなら意味ないじゃん」
「あー」
桐吾はサイカの頭を叩いていた手を止め、代わりに彼女の髪をくしゃくしゃを撫でた。
「さっきのは言い間違いだな。この町周辺にはいないってだけだ。俺たちはこの町中心にやってるからな」
「ほぉー。じゃ、もっといるの? 私みたいに強い人」
桐吾の話を聞いて目を輝かせるサイカ。まるで戦闘民族だ。
「自分で言うなよ。まあ、強いかはともかくとして、ランクB以上の仕事もしてるやつは結構いるぞ。テレビとかでもやってるだろ?」
「…………たぶんピンポイントで見てなかったんだなー」
どういうことだよ、と桐吾がサイカの頭へチョップを軽く当てたと同時に。目的地へと到着した。
「さ、着いた着いた」
警察署の手前で二人は一旦歩みを止めた。時刻は午後三時前。リストに記載されていたミーティングに丁度間に合う時間だ。
「よし、行こうっ」
「っと、ちょっと待て」
警察署へと歩みを進めようとするサイカを桐吾が引き止めた。
「サイカ、俺は脳みそ。お前は?」
「ん? ああ、私は筋肉っ! いい指示頼むよ?」
「ああ、全力で動いてくれ」