5、終わりを告げないエピローグ
5、終わりを告げないエピローグ
吸い込まれそうな蒼穹には白い鳥が一羽、二羽、横並びになってどこかを目指して飛び去っていく。
名も知らぬ小鳥たちの唱和に包まれ、穏やかな日差しの下、私は正座の姿勢で、目の前の二人の人物を前に息を飲んだ。
社脇の玉砂利が敷き詰められた領域である。
床には茣蓙が敷かれ、その上でそれぞれ対面するように座っているのだが、私の右手側に豊安浦姫命神、左手側に紫の着物の女性――瀬織津比売神が座している。
これは集団心理を利用した詐欺などでは、断じて無い。
「まずは瀬織津比売、此度の件、厚く御礼申し上げる」
「ん。受けよう。とはいえ、来るのが少々遅かったようで、申し訳ない限りね。この子がぐずらなければ早く着いたのだろうけど」
瀬織津比売はそう豊安浦姫へ返礼し、じとりと自身の首元に視線を向ける。そこで戯れていた青竜はギクリと身を強張らせると逃げ場を求めて私の背に隠れてしまった。
硬質で、けれど暖かなその感触に私は全身の骨が鋼鉄に変わったかのような緊張を覚える。
竜というより、蛇を思い起こしてどうも苦手意識が沸いてしまうのだった。
あの少女が社に侵入したときの被害は、かなりの規模になってしまっていた。室内が荒れ果ててしまったのは金剛界なのだが、生気を失った畳や木壁などは金剛界側に引きずられて急速に衰えてしまうだろうことは違いない。
それだけならまだ可愛いもので、何せ、社前の扉は完膚なきまでに破壊されてしまい、階段も砕けている箇所がかなりある。
今は、朝になってやってきた宮司の男によって惨状が発見され、それを受けて集まった町内会の連中が揃って検分している段階だ。
いくら生身の人間と触れ得ないとはいえ、周囲に人々がいる中で話をするわけにもいかず、こうして外に出ているわけなのだった。
けれど、そうしたことは最早どうしようもないことだ。なるようになるとしか言いようが無い。それがわかっている豊安浦姫も頭を振って話題を終わらせ、次に私のほうを向いた。
「麻奈さん、あなたにも、大変なご迷惑をおかけしました。謝罪いたします」
「い、いえいえ。そんな、私もなんていうか、子供だったというか、あの、恥ずかしい限りですので……」
慌てて頭を下げようとする豊安浦姫を押し留め、そういえば、と私は疑問を口にする。
「あの、姫はどうして、その、私に教えてくれなかったんですか?」
それは、つまり、豊安浦姫の「命の砂を取り戻してほしい」という願いの意味を、私が取り違えてしまった件だ。
あの願いを口にした豊安浦姫がどのような思いを持っていたのか。あのときの私はそれに気付くことが出来ず、倒して奪い返すという解釈を取ってしまった。それは自身を含め、家族を奪われたことから来る復讐心が原因だったわけだが、それについて、豊安浦姫は私に一切の注文をつけなかった。あの時、一言でも声をかけてくれていれば、私はもっと違う手段を選べていたのではないか、という後悔。
豊安浦姫は少し、寂しそうな笑顔で、
「運命とは選択の連続。貴女の選んだ最善は、わたくしの想う最善とは異なってはいたけれど、それも貴女の選択なのです。わたくしたちにはそれを歪める権利などなく、ただそれを尊重し、手を貸すことしかできないのです」
「でも……」
あなたはそれで本当によかったの?
あの少女を助けてあげたいと、そう思っていたんじゃないの?
豊安浦姫はその願いを決して口にはしなかったけれど、思い起こせば、彼女がこの街に住む人々を大切に思う気持ちは聞いていたのだ。
私は、それを知っていて、理解してはいなかった。
「『お試し』ってのがあってね。これは少し違うけど。ま。神はただ、試練を与えるだけなのさ」
瀬織津比売がおどけたように喋る。これ、私が言ったの内緒ね、と付け加えて。
それはきっと、神と人との違い。人と人であってさえ理解しあえないことは山ほどあるのだから、神が相手ならなおさらなのだろう。
私はまだ納得はしていなかったけど、それでもそれを飲み込んだ。
飲み込まざるを得なかったのは、まるで頭を撫でてくれ、と言わんばかりに擦り寄ってきた青竜のせいだ。
長い髭が頬をくすぐって、私は引き攣った笑みで固まる。
瀬織津比売がやれやれと首を振って竜を抱き寄せ、ようやく硬直が解けた。
「まぁ、それで」
「麻奈さんは、これからどうされるのですか?」
瀬織津比売の後を豊安浦姫が引き継いだ言葉に、私は首を捻る。
「どう……って、どうすれば?」
言われて、気付く。
特に未練というか、やりたいことが見当たらないことに。
こういう場合、普通は勝手に成仏しちゃうものなのではないのだろうか。
「そうですね、通常命の砂が切れて亡くなった方は輪廻に向かわれますね。もちろんその前には色々とあるのですが……それに死後も修行をして徳を積みたいという方もいらっしゃいます。大体は、生前仏道を目指されていた方ですけれど。
それとは別に命の砂が余った状態で亡くなられた方――麻奈さんのような方は、命の砂が尽きるまで、そうですね……修行……されてます、ね」
なんだか、歯切れが悪い。
伏目がちなのであまり言いたくないのだろうけど、それなら私も修行とやらをしなければいけないのだろうか。
「麻奈さんはわたくしのお願いを解決してくださいましたし、その点は心配いらないですよ」
結局、私の力だけで解決したわけではないので、気まずく、瀬織津比売のほうをチラと見やる。
すると、彼女はいい笑顔で、
「この分体でもそのくらいの力は余裕であるから、気にしなくてもいい」
などと言ってサムズアップした。
どうも、この瀬織津比売という神のキャラがよくわからない。
呆れつつ、私は姿勢を正す。
「ご迷惑をかけてばかりの私ですが、ひとつよろしくお願いします」
私が頭を下げる上で、神々は視線を交わす。
豊安浦姫が心配そうな、瀬織津比売は面白がるような、そんな顔をしていたことなど、私には知る由も無い。
「幾千万億の罪穢れを払ってきた私に任せとけば万事間違いない! さぁ、麻奈」
私は立ち上がり、瀬織津比売の手を取る。
「麻奈さん、どうかお元気で」
「姫も色々ありがとう。元気で」
「目を閉じて」
短い別れの挨拶。言われるがまま私は目を閉じ、身体は丸くむき出しの魂へ遷ろう。
その奥底に暖かな奔流が流れ込んできて、私はその安らぐ感覚に身を委ね――る前に、ふと疑念が鎌首を擡げるのを感じた。
――お元気で、って。何か、おかしいような。
けれど、それは、言葉にも意思にもならなかった。
急速に遠のいていく感覚。
私はどこまでもどこまでも自由になっていく。
自由に。
その光景を見送った二人の神が、顔を見合わせる。
「本当に本人に言わなくてよかったのですか?」
「何を言ってるんですか、豊安浦姫。彼女が自ら聞かなかったのですよ。『残った命の砂はどうなるんですか?』ってね。オホホホ」
わざとらしい笑顔を浮かべる瀬織津比売に、苦笑いを返す。
そして、たった一日でボロボロに変わり果ててしまった自らの社を仰ぎ見て、これからどうしましょう……と頭を悩ませるのだった。




