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第九話:降魔

 広場を風が抜けた。

 その中心にそびえる葉桜となった江戸彼岸を、ざわざわと揺らす。

 現れた時から変わらぬ姿勢。両腕を背中に回し、琴音の答えを待つ当麻。

 口を開いたのは、会話から外されていた潤一だった。

「当麻! お前!」

 自分はクライアントだと自負しているのだ。怒りを露に潤一は怒鳴る。今夜こそ琴音をモノにしようとして意気込んでいた分、それは大きい。

 しかし、それを涼しげな顔で受け止めると当麻は呟いた。

「煩いな……気づかないかな? お前はもう用済み。『邪魔』なんだよ……」

 邪魔。そう言った途端、鋭い視線を潤一に遣る。

 滝口の少年は端から彼の依頼を遂行するために、この場に足を運んだわけではない。潤一が陥れようとした少女、琴音にこそ、当麻自身にも用があったに過ぎない。つまりは、彼の告白に便乗しただけだ。

「っ!?」

 その眼力に、潤一は怯んだ。

 その視線の含むものを、彼はよく知っている。それは彼の父親の取り巻きにいるならず者たちが、よく見せる目だ。そいつらが脅迫に使うものと同じ類の目だった。

 父の思い通りにならない者を、無理やりに従わせる時に彼らは動く。かくいう潤一も、同じように彼らを使い、靡かなかった女性を手篭めにしたこともある。

 いいや、違う。

 当麻のそれは彼らのものより強烈な意思を孕んでいることを、潤一は感じた。彼らと当麻とでは、大きな相違があることを思い出す。

 ならず者たちは、ビジネスでそれをやっているに過ぎないのだ。最終的な手段に訴えることはない。事が大きくなり、発覚の後、逮捕されることを恐れているからだ。

 だが、当麻は違う。父の政敵、スキャンダルを握った者。彼は事実として、幾人かの父の邪魔者を殺害しているのだ。

 だから、潤一は気がつくと、怒りを消失させ、震えていた。

「……兄を知っているんですか?……」

 臆病風に吹かれ、口を噤んだ潤一を背に、しかし、警戒はしながらも、琴音は当麻の目を見ながら物怖じすることなく返す。

「……なるほど、ね……あの人の妹さんらしい度胸だね……」

 当麻は一人、妙に納得して見せると笑った。

 その笑顔は先ほど見せた笑顔とは異質のものだ。

「君のお兄さんの名前は、源蒼司……そうだよね?」

「! 兄を本当に知っているんですね!?」

 当麻が口にした名前に、琴音は反応する。それは至極、当然な反応であった。探し続けて見つからなかった、大切な肉親を知る人物がそこに現れたのだ。

「知っているよ。昨日、出会ったんだ……」

「昨日!?」

 やはり、兄は自分の試合を見に来ていたのだろうか、驚きながらも喜びが琴音の顔に窺えた。

「そう。昨日。……それでね、とてもお世話になっちゃってね……お礼をしたかったんだ……」

 そう言うと、当麻は含み笑いを漏らす。

「どこで会ったんですか?!」

 少女は詰め寄る。喜びの余り、その警戒が薄れる。

「……案内してあげるよ……それ、最高の『お礼』になるでしょ? まずは君から……その後、お兄さんも俺が送ってあげるよ……」

「本当ですか!?」

 琴音の顔がぱあっと明るく輝く。

「本当さ……」

 独り言のように当麻は呟いた。自らに言い聞かせるように、決意を新たにするように。

「あの世にね!」

 突如、叫ぶと、八卦の剣士は後ろ手にあった両腕を動かした。そこに握られていたのは彼の愛刀。鯉口に添えた左手を引き、右手で鞘から刀身を走らせる、薙ぐ。

 鋭く空を裂いた抜き身の刃。

 琴音はその抜刀術を避けていた。刹那、発した当麻の殺気を感知したのだ。

「……流石、源蒼司の妹……やるね」

 襲撃者は、素直に驚いて見せる。

「っ! 何!? 貴方、誰なの?!……」

 しかし、その斬撃に裂かれた制服の上着。琴音は両手で裂かれた胸元を隠しながら訊ねた。警戒は再び、そして、露骨になる。

「滝口、さ……滝口、八卦衆の一人。辰巳当麻」

 防御に適した体制を取りながら自分を見据える少女に、当麻は名乗り直し、不敵に哂う。

「滝口?」

 当麻の返答に、琴音は訝しげに聞き返していた。

「……あれ? 知らないのかい? 先代の滝口棟梁の妹ともあろう人が……」

 歪んだ復讐に囚われた剣士は、さも意外そうな表情を見せる。

「……この世には君の知らない世界があるんだ。信じられないかも知れないけど、魔法みたいな力や、鬼みたいな化け物が実在するんだよ……」

 琴音の身のこなしに、対応能力に驚きはしたものの、相手は武器も持たない一般人である。そう思ってか、当麻は悠々と語り始めた。

 それが手向け、そう言わんばかりに。

「……この世ならざる存在、その力。それを用いて、この世に仇なすモノ。即ちは『魔』。……それを打倒するために平安の世に生まれた組織、退魔の武士……それが滝口さ……」

「……お兄ちゃんが?……」

 どこか疑いながら呟く琴音に、当麻は迫っていた。

「元、ね。彼は、その滝口である俺に危害を加えたんだ。その償い、君にしてもらうよ」

 残虐な笑みを浮かべ、当麻は真剣を振るう。

「っ!?」

 琴音は制服のスカートを靡かせ、それを回避した。

「うわぁアッ!」

 直後、潤一の叫び声が起こる。二人の隙を見て、声の主は駆け出していた。

 琴音を守るためではない。それは我が身を守るための行動だ。潤一は一目散に広場の出口を目指していた。逃走を図ったのだ。

「潤一! 逃げるなよ! 彼女を犯したいんだろ!?」

 その行為を襲撃者は許しはしない。その様を嘲笑い、当麻は刀を走らせる。それに生じるのは風の刃。

 斬間きりまから遠く離れた先。

「うぎゃあっッ!」

 そこで悲鳴が上がる。生まれた鎌鼬に足首を裂かれた潤一は苦痛を上げ、もつれ、地面に突っ伏した。

「河原くん!」

 琴音の悲痛な声が、静かな湖畔に響く。同時に彼女は動いていた。

 しかし、倒れた友人に駆け寄ろうとする琴音に、容赦なく当麻の凶刃は閃く。形振り構わずに琴音は地面に転がることで、それを避けた。

「ははっ! 二人とも最高だよ! 狩りは少しくらい、抵抗があった方が楽しいからね!」

 愉快そうに醜く顔を歪め、当麻は刀を次々と琴音に振るう。少女は地面を転がりながら攻撃をかわす、体制を整えると跳躍し立ち上がる。だが、そこにも追撃は迫っていた。その刃をどうにか避けながら、琴音は異変に気づいていた。完全に避け切ったはずの攻撃に、次々とその衣服を裂かれているのである。

「……なぜ?」

 不可解な当麻の剣撃が不意に止むと、彼女はぼろぼろに裂かれた制服から覗く肌を懸命に隠しながら呟いていた。それが友人の足を切り裂いた力だとは理解している。しかし、それは彼女の知る常識では、解明出来ないことなのだ。

「おい、潤一。見ろよ。興奮するだろ?」

 足元に転がった潤一に、襲撃者が話しかける。

 琴音は攻撃を避けながらも、傷ついた友人にどうにか近づこうとしていた。当麻は悪意を持ってそれを阻止すると、自らがその横に立っていたのだ。

「見なよ、色男!」

 下品に笑うと、当麻は足元に蹲る潤一を蹴飛ばす。

「ぐうっッ!」

 傷の開いた踵を押さえ、呻いていた潤一はその蹴りをもろに受けて、再び苦痛の声を上げる。

 呻く優男を、優越感に浸り哂う当麻。

「……お前、いいのかよ!? 俺にこんなことしてっ!?」

 痛みを必死に我慢しながら、潤一はその少年を見上げ睨み付ける。

 当麻は悠然と、その視線を受け止めた。

「……パパにでも言いつけるのかい?」

 そして、蔑視する。

 言わんとした台詞を言われ、潤一はただ金魚のように口をぱくぱくとさせた。

 その様を心底、馬鹿にした表情で当麻は一瞥すると、突然にしゃがみ込んだ。

「ひぃっ!」

 潤一が喚く。身を隠すものがないので、体を丸めて固まる。しかし、当麻は潤一の髪をひっぱると、その上半身を無理やりに引き起こした。

「……お前のパパもさ、用済みなんだよ。俺に命令する権利は、もうないんだ……それにワケも無く偉そうに振舞うお前には、前から頭に来てたんだ」

 怯える少年にそう囁くと、目線を動かす。そして、琴音を睨む。

「動くなよ? 妹さん……」

 そして、その刀を潤一の喉下にゆっくりと動かした。

「ひっ、ひいっッ!」

 潤一の顔が恐怖に引き攣る。

「……この意味、二人とも解るよね?」

 その顔を横目に見ながら、当麻は満足げに哂う。

「……俺さ、これでも八卦衆の中でもエリートなんだよね……まだ、俺しかいないんだ。八卦の力以外を使えるのはさ……」

「……八卦?」

 琴音が反芻する。友人を負傷させ、自分の衣服を裂いたその力こそ、彼の司る八卦の力によるものであることを、当然、彼女は知らない。

「……ああ。君らは知らないからね、そんな知識。……そうだ」

 何かを思いつくと、当麻は殊更、妖しく微笑んだ。

「妹さんはお兄さんのいる世界を知りたいよね? ……潤一は妹さんを犯したくて仕方ない……そうだろ?」

「……お兄ちゃんの世界?」

 琴音は当麻の言葉尻をあえて聞き流し、呟く。

「……『魔』だの、この世ならざる力だの言われてもさ、ピンと来ないでしょ? 実際に見せてあげるよ。ついでに潤一の望みを叶えて、さ」

 そう言うと、当麻は潤一の髪を解放する。

「まずは……そうだね……『言霊』から見せようかな? 言葉にね、力が宿っているんだよ。その言葉自体が存在を縛り付けるしゅ――呪いであり、祝詞のりとなんだ」

 ゆらりと立ち上がりながら、突然に始まった襲撃者の講義。その声に琴音は聞き入っていた。それが兄の世界のことだと思うと、そこに彼を追うヒントが在る様に思えてならなかったのだ。自分の操に、生命に危機が迫っていると知りながらも。

 改めて、当麻は潤一に視線を送る。

「……潤一。君は鬼畜だ……つまりは『鬼』だ。何人も何人も女をたぶらかし、騙し、犯し、悲しませた『鬼』だ……そうだろ?」

 そして、眼下でうずくまる優男に言葉を遣る。

 それは呪であった。彼の魔力の籠もった言葉だった。

 当麻は潤一に言霊による呪いをかけようとしているのだ。

 反応を見せない潤一。

 それは目の前の、当麻の言った他の女性と同じ様に、これから毒牙にかけようとしていた、幼さの残る可憐な少女の手前であるからなのか。それとも、痛みがそれを聞かせなかったのか。

「……正直に答えろよ。潤一!」

 当麻は再び、潤一を蹴る。彼の口から、涙交じりの呻きが漏れる。

「素直に答えてよ? そうしないとすぐに死んじゃうよ?」

 子供に言い聞かせるようにやさしく囁く声。自分が手にかける。そういう意味合いの言葉を含みながらも、さらりと言い放つ。

「……君は鬼畜だ。『鬼』だ。そうだろ?」

 続いた同じ投げかけに、潤一は涙目で必死に何度も頷いた。

「……彼は『鬼』だそうだ」

 納得の行く返事を受け、琴音に視線を遣ると当麻は微笑む。

「次は『式神』……式神っていうのは、主に人形ひとがたや呪符に霊体や聖獣、鬼なんかを憑依させて使役する呪術なんだけど……」

 当麻は言いながら、左手の人差し指を潤一に向ける。

「応用次第じゃ、こんな事も出来る。人にね、降ろすんだ。そいつらを」

 琴音は呆然とその動作を見ていた。彼女の常識では、この後の惨劇を予測し得なかったからだ。

 当麻が式神を降ろすべく、力を籠める。



 人は強い欲望や、負の感情に囚われると『魔』へと堕ちる。

 それに狂い、自分を失い、理性を破壊し、人としての枠を自ら崩壊させてしまうのだ。

 その成れの果て、『魔』の具体的な姿。その一つが鬼だ。


 潤一はそれに堕ちた訳ではない。

 お前は鬼だという、言霊。ただそれに縛られているだけである。

 それが強力な呪であったのならば、その場で彼は鬼へと変じていただろう。だが、当麻はそれだけの術者ではない。

 だが、だからこそ、当麻は潤一に呪をかけたのだ。

 その言霊で、彼を鬼を降ろす器に作り変えたのだ。潤一は人の姿でありながら、言霊により『鬼』にされているのだ。

 その人の形をした『鬼』に、式神としての『鬼』を降ろす。潤一には抵抗は出来ない。何故なら『彼自身が自分を鬼だと認めた』からだ。つまりは、術者と依代よりしろは共に、潤一という人間を人ではなく、鬼だと認識しているのだ。

 鬼を受け入れることは言霊の指す、在るべき姿に帰るだけに過ぎない。それこそが自然なのだ。言霊という概念。こと自体がことを成すという、その呪術に支配された今は『潤一が人間であること』の方が『異常』なのだ。


 潤一の中で、内なる鬼と降ろされた鬼とが重なり、強烈な自我を確立する。目覚める。

 そして、『河原潤一』という名前、言霊に縛られていた『人間』を終には壊す。

 姿形さえも、新たな自分に、在るべき自分に変えるために。

 


「あ、ぐ、あっ、あっ、グっ……」

 潤一が泡を吹きながら、のたうち回る。

 その体が有り得ない方へと歪み、折れる。その肉がそれ自体、意思を有するように蠢く。

「河原くん!?」

 異変に気付いた琴音は駆けた。当麻は最早、邪魔をしない。大声で一頻り笑う。

 駆け寄った少女を潤一は力任せに腕で弾いた。その腕は、先程までの細いものではない。丸太のように異様に太く隆起している。

「あうっ!?」

 殴打された琴音の、その華奢な体が舞う。

「ウゴオォォォッっ!」

 潤一は吼えた。否、それはすでに河原潤一という少年ではない。

 ざんばら髪を振り乱し、野太い咆哮を上げる。

 頭部に角を持った、筋骨隆々の異形。

 一匹の鬼だ。

 八卦衆、風を司る剣士の式神なのだ。

れよ、潤一! 気の済むまでれ! 飽きたら喰らえ!」

 それを使役する者は、腹部を押さえ、潤一の変わりに新たに地面に横たわった少女を見下しながら、命令を下した。








<解説・刀用語>

鯉口こいぐち:刀を納める鞘の口。

斬間きりま:刀の刃が届く範囲。

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