第八話:告白
「アレが八卦衆の一番の障害となる存在……源蒼司……」
去り行く自分に手傷を負わせた敵の背中を睨み付けながら、当麻は独りごつ。
その横に一人の女性が立つと、無言で負傷した腕を差し出すように少年を促した。
「……悪い」
呟くと、風を司る剣士はその右腕を女性に預ける。
「……棟梁……何故、逃がしたんです? 源蒼司、賀茂瑞穂と二人の邪魔者を消す、絶好の機会だったと思うんですが……」
負傷した傷口の治療を受けながら、当麻は不満を露にしていた。
「……今はその時ではないのさ……」
妖しく笑い、万葉は答える。
「……賀茂瑞穂は『陰陽寮』の切札だ……アレをここで消せば、安倍は黙ってはいまい。アレは、既に私に不信感を抱いている……最近は、滝口という組織でなく、一人の遊撃にのみ手引きをしている様だしな……」
陰陽寮とは、陰陽師たちがかつて所属していた政府機関の名前である。設立は天武天皇が治世四年目、西暦六七六年に行なったと言われ、歴史は滝口に比べて古い。明治初頭に廃止された中務省の一つであるが、実際は未だ、その名は存在していた。
その役目は過去のものと、なんら変化はない。
そこに属する陰陽師は、天文、暦数を始めとした占術により、天変地異や様々な事件、事象の予兆を読み取るのだ。予測された天変地異や事件は、必要に応じて、政府へと対策を講じるように働きかける。そして、人の世ならざる力にて、災いをもたらす存在――『魔』の気配を察知すると退魔術師の派遣、もしくは滝口に通達、討伐を依頼するのである。
賀茂瑞穂という少女は、その陰陽寮に属する退魔陰陽師の一人なのだ。
「……いくら力があるっていっても、安倍(あの女)は籠の中の鳥でしょ!? 何を躊躇するんですか!? 対して数もいない陰陽師なんて、陰陽寮ごと消せばいいじゃないですか!?」
苛立ちをそのまま変換し、当麻は不平を口にしていた。
「……私に指図するか? 辰巳」
静かな物言いだが、冷たく殺気を孕ませた視線を遣りながら、万葉は風を司る剣士を蔑む。
「……いいえ」
当麻は脅えを瞳に浮かべ、それ以上は口を嗣ぐんだ。
「……しかし、蒼司が現れたとなると、あの男との関係も潮時だな……」
さして考える素振りなく、淡々と。万葉は、不要なものは切り捨てるべきだな、と言わんばかりに呟いた。
「……十分に資金の調達は出来たかと……すでに、あの男は利用価値が希薄と思われます……」
そこには眼鏡をかけた麗華が立っていた。彼女は眼鏡のブリッジを中指で動かし、その位置を調節しながら財政報告をしつつ、意見を述べる。
それが普段の彼女の人格であった。
彼女は二つの人格を持っている。眼鏡をかけた彼女は理知的で有能な秘書として、常に万葉の傍らで働き、眼鏡を外した彼女は気性の荒い勇敢な、炎を行使し敵を焼き尽くす剣士なのだ。
麗華の言葉に、ふむ、と万葉は満足げに頷く。
そのやり取りを静観しながら、戦慄いていた当麻の顔を、治療に当たっていた八卦、天を司る女性は窺った。
少年は怒りに震えていた。下唇からは血が滲む。
それは力及ばなかった自らを激しく責めているのか。それとも、彼らを統べる万葉の前で、醜態を晒す事態を招いた男に対する復讐の感情から来るものなのか。
そんな当麻に、しかし、天の剣士は無表情のままで、何も聞きはしない。
梅雨空に久しく浮かぶ月は、その一団を妖しく照らしていた。
琴音の姿は公園にあった。
高校総体の予選を兼ねた大会の翌日でありながら、普段と変わらぬ練習を行なった後のことである。
大会明けのために、基本的に部活動は休日に設定されていた。だから、放課後の武道場には、彼女以外の部員の姿はなかった。
しかし、琴音にとって修練は生活の一部となっていることである。むしろ、これを行なわないほうが、体調を崩しそうだとさえ彼女は思っている。
幸い、琴音一人でも練習には差し障りはない。元々、彼女のトレーニングプログラムは、彼女専用のものなのだ。琴音以外の部員たちは、その内容のハードさにそれに付いて行くことが出来ないのである。
瑞穂は琴音のことを、幼い頃から英才教育を受けて来た人間と評したが、それは嘘ではない。
彼女の語った加納一二三なる範士が師ではないのだが、確かに琴音は幼い頃から厳しい指導を受け、修行を続けて来たのだ。
一人、黙々と汗を流し、日課をこなし終わると、琴音はシャワーを浴びる。そして、急ぎこの場所へと向かうため、学校を後にした。携帯のメールで呼び出されていたのである。
朝から曇り始めた空には厚い灰色の雲が広がっていた。
陽を遮られていることもあり、辺りはすでに夜を迎えている。
都心部からこの街に延びた私鉄路線。延長工事が完了したのは、琴音が産まれるほんの少し前のことである。
彼女の歩んできた人生は、この街の発展の歴史でもあった。
自然と都市の融合。それをスローガンに都市開発を推進し、発展してきたこの街。
琴音のいるこの公園は、その象徴であった。
発展の中心地となった駅前に在りながら、広大な敷地に緑が栄える。
憩いの場としても、人気のあるスポットだった。
園内で遊ぶ親子連れや、ひとときの休息を取る近隣のオフィス街のサラリーマン、ウォーキングやジョギング、サイクリングに利用する者。様々な目的でここを利用する人を、あちらこちらで見かけることが出来る。
もっとも、この時間のこの辺りのとなると人影は疎らであった。
西の端から東の端に突き抜けた、公園のメインストリートは通勤通学にも利用されていて人通りも多いが、琴音の歩くこの道の先には大きな池に面した小ぢんまりとした広場しかない。
桜の季節には一番に人気のある場所なのだが、疾うに時期は過ぎている。
その畔の広場には大きな桜の老木があるのだ。江戸彼岸の一種であり、神代桜よりも見事だと称える者も存在するほどの桜である。
その桜の老木の下で、告白をして結ばれた者は幸福になる。そういう伝説が何時からかあるのだが、琴音は知りはしなかった。
そこに彼女を呼び出した人物は、それを踏まえてロマンチックな演出をしたつもりだったのだろうが、お生憎様だったわけである。
「待ってたよ、琴音」
琴音が広場に到着するや、その話題の樹の下で声をかける少年が一人。
河原潤一であった。
「河原くん……」
彼の姿を確認するや、琴音の顔に申し訳なさそうな表情が浮かんだ。
待たせてしまったことを憂いているわけではない。琴音は、この場所に呼び出された理由を理解しているのだ。
潤一は愛の告白をしようとしているのだと。
だから、である。琴音は潤一の告白を断ることが申し訳なかったのだ。端から彼女は、彼の想いを受け入れる気持ちを微塵も持ち合わせていないのだから。
琴音が潤一から告白されたことは、一度や二度ではなかった。
しかし、それでもその告白に再び付き合う辺りが、それでも断ることを申し訳なく思う辺りが、彼女の性格かも知れない。
もっとも、そんな琴音の性格を理解した上で、潤一は彼女をここに呼び出していたのだ。
この場所をチョイスしたことは、彼の言った『白馬の王子様』作戦の一環でもあった。
ここならば、邪魔は入らないと予測しているのだ。例え、いつも通りに琴音が潤一の告白を拒絶しても、その後に登場する『化け物』を他人に見られる心配はないはずだと。
「……この樹に伝わる伝説を知っているよね?」
ムードを意識して、潤一は琴音の瞳を真っ直ぐと見つめると甘く呟いた。
「え? ……ごめんなさい。知らないの……」
上目使いで、ぽつりと琴音が返す。
「え?」
呆気に取られ、潤一は固まった。伝説といったところで、それは一部の若者に伝わる都市伝説に過ぎない。流行ズレしている、とは言えるかもしれないが異常なことではない。事実、それに纏わる伝説は、古くからここらに伝わって来ているわけではないのだ。
「こ、この樹の下で結ばれた二人は、永遠に幸せになれる……そういう伝説さ」
気を取り直すように片手で前髪を掻き揚げながら、潤一は精一杯のシリアスな顔を作ると語りかけた。
「……琴音、僕は――」
「ごめんなさい!」
「早っ!」
告白を始め、今まで女をたらし込んだ潤一の最高のテクニック――瞬間的に瞳を潤ませ愛を囁く、が発動する前に琴音は大きく頭を下げて断りの言葉を口にしていた。
「……そ、そうか……でもさ、琴音は好きな人がいるのかな? もし、いないなら、とりあえずでもいいんだ……。僕と付き合ってみないかい? 付き合っていく内に、相手を好きになっていくってこともあると思うんだ」
「え? ええっと……本当にごめんなさい……好きな人がいるわけじゃないんだけど……やっぱり、そういうのって、私には出来ないと思うの……」
懲りずに交際を求めた潤一を、再び琴音は玉砕させた。
沈黙が訪れる。
じっと少女を見つめる潤一。
少年の視線から逃れ、俯く琴音。
沈黙を破ったのは少年だった。
「……そうか、それなら『仕方ない』」
変に語尾の声を大きく発音して、潤一は微笑んだ。
その一言が潤一が当麻と決めていた、ミッションスタートの合図だった。
この言葉を潤一が発した直後、琴音の後方の茂みから当麻の使役する『式神』が登場する――予定であった。
「……おっ、おい!?」
しかし、状況は彼が書いたシナリオ通りに進まず、潤一は驚きを口にしていた。
「何?」
琴音は潤一に起こった異変に気づき、彼の視線を追う。
二人の視線の先、広場の入り口に立つ少年。
そこに居た少年は、昨日、琴音が出会った人物であった。
「……潤一に聞いたんだけどさ。君、お兄さんいるの?」
少年は、にこやかに声をかける。
「……え?」
「……ねえ? 本当?」
戸惑う琴音に屈託のない笑顔で、その少年は再度訊ねた。
昨日とは違う態度。そこに気だるさをただ醸し出していた少年の姿はない。
辰巳当麻。
その笑顔で細められた目に、爛々と宿る何かを感じて、自然と琴音は警戒し身構えていた。
それは知らずながらも滝口としての修練を積んできた、彼女の本能がそうさせたのかも知れない。
<用語解説>
江戸彼岸:野生種の桜の一種。桜の中では最も長寿な品種の一つである。桜の代名詞となっている染井吉野はこのエドヒガンとオオシマザクラの交配でうまれた園芸品種である。
神代桜:天然記念物。山梨県北杜市武川町の実相寺内にある樹齢二千年ともいわれるサクラの老木。日本三大桜の一つと称される。




