第七話:童子切(弐)
「……っ!?」
蒼司は呻く。
桃華を引き千切り、解放させた刀禍。その災いの声を彼は聞いた。
地獄の底から届いてくるような、憎悪の言葉。呪詛の言葉。直接、頭に響く狂いの声。
「ぐっ!?」」
蒼司はその声に心を乱し、侵され、苦痛に身悶えた。
「蒼司!?」
「蒼!」
二人の親しい滝口が、それぞれ封印を破った少年を呼ぶ。
これまで幾多の『魔』と死闘を繰り広げてきた彼らでさえも、出会ったことのない強大で、凶悪な邪気をその刀身から童子切は産み続ける。
あり得ないまでのその禍々しい邪気は、終には可視するまでに至った。それは彼らの常識においても、非常識な出来事である。
どす黒い霧と化したそれは、蒼司の姿を隠すかのように立ち込める。
それは闇の意思そのものだった。それは童子切に討ち滅ぼされた鬼の王の怨念なのだ。
「う……ぐぅっ!?」
すでに四天王の二人からは見えなくなった暗闇の中で、蒼司はその思念に喰われようとしていた。
「蒼!」
彼の命を奪うべく巨大な鉞を振り回していた剛は、しかし、その手から獲物を捨てて、闇へと跳躍する。
「剛!」
その動きを制止すべく、柾希は声を張り上げる。同時に駆け出そうとしたのだが、それは叶わなかった。
足元のバランス感覚を失い、体勢を崩したのだ。
一瞬、制御を失った体をどうにか立て直し、柾希は踏み止まる。
彼には見えていた。
刹那、闇に瞬く光が。
その光は生を奪うべく構えられた刃が、放った冷たい輝き。
次の瞬間に、闇は収縮し、産まれ出でた童子切安綱という妖刀に還る。
妖刀は空を裂き、閃く。
闇を呑み込みつつ、命をも呑み込む。
立ち込めていた黒い霧は完全に消え、それがあった空間に残るは二人の『元滝口』。
一人は血の滴る妖刀を携え、表情のない顔にある双眸が虚ろに虚空を映す。
一人はその体を深々と袈裟に裂かれ、その命を終える間際であった。
「剛!」
駆けつけた柾希は、崩れ行く巨漢の青年の体を支え叫んだ。
「そ……う……」
肩から脇腹にかけ無残な裂傷を負いながら、柾希に支えられた剛は、それでも尚、蒼司へと手を差し述べる。
消え入るような声に、しかし、虚空を眺めていた瞳が反応し、ぎろり、と剛と柾希を映す。
にたり。
二人の人間を感知した蒼司の姿をしたそれは、不気味に嗤った。
そして、その手の童子切を構える。ゆっくりと振り上げる。
「蒼司! 止めるんだ!」
「アヒャヒャヒャヒャッツ!」
その動きに気付いた柾希の絶叫を、狂った笑い声でそれは掻き消す。
直前に控える死。
「……お、前の……意、思で……行……」
だが、僅かに唇を動かし、そこから微かな声を漏らすと、剛は笑った。
凶刃は、無常にも振り下ろされた。
剛の頭と胴が切り離される。
ごろり。と、微笑んだままの剛の生首が柾希の前に転がる。
「剛……」
柾希はただ呆然と、零した。
返り血を受け、赤い斑を顔に描いた妖刀を手にした者は、うち震えていた。
「……剛……」
そして、己が殺めた友人の名を呟く。
虚だった瞳に色が戻っている。
散り行く友の声は、散った友の想いは、闇に喰われたはずの彼の心に再び光を戻していた。
蒼司は童子切をゆっくりと構えた。
「……平井の手の者が、陰陽師を手にかけようとする、か」
自分の『魔』だと判別した二人の滝口に、青年は呟く。
まるで無人の野を行くかのように、悠々と童子切の剣士は歩を進める。
気圧されて、八卦衆の二人はじりじりと後退していく。
「逃げるのか? それは最良の策かも知れんが……」
蒼司は嘲る。
その言葉に反応して、当麻の眉がぴくりと動いた。
「なめるなよ!」
当麻は自らを奮い立たせるかの如く吼えると、刀を振るい、風を走らせる。
唸りを上げ、生じた真空の刃は蒼司を襲う。
青年はその不可視の刃を感覚だけで見切り、回避した。
「当麻! 気をつけな! コイツ、手強いぞ!」
麗華は叫ぶ。手にした刀の刀身に炎を生み出し袈裟に薙ぐ。
火炎放射機の噴射口から噴出される炎のように。刀の軌道に沿って、彼女の切っ先から蒼司へとそれは流れる。
「コイツ、何者なんだよ!?」
疑問を怒鳴りながらも、当麻はその火炎流と共に敵に躍り掛かっていた。
立て続けに刀を走らせ、幾つもの鎌鼬を敵に見舞う。
「避けきれないだろ! 死ねよ!」
当麻は風の刃に続き、止めを刺すべく自らも斬りかかる。
侮蔑するように、蒼司は薄く哂った。再び発生する強烈な邪気。
その邪気に、炎は、風は無力化される。掻き消される。
「何!?」
駆け込んだ当麻を迎えた闇の気配。さらに迎撃に動くは妖刀、童子切安綱。
「くそっ!」
蒼司のその一撃は神速の一手。当麻はそれに対応出来ずにいた。少年に死を覚悟する暇も与えない。
耳を劈く金属音が響いた。
二つに折られた刀が、宙を舞う。
折れたのは少女の刀。当麻の後方から連携に動いていた麗華のものだった。
炎を司る八卦衆の剣士は、その刀で童子切の太刀行きを逸らし、風を司る剣士の命を繋いだのだ。
「ほう」
感心したように蒼司は呟く。
「この距離なら無力化できねぇだろ?」
敵を見据えながら、彼女は勝ち誇った様に口を歪めた。
「炎よ! 敵を焼き尽くせ!」
折れた刀を構えたまま、麗華は言葉と共に、魔力をそれに籠める。
空気中に存在している火気が、赤く熱を帯び、刀身に収束する。
直後、それを中心として爆風が発生した。
「水行を以って火行を剋す! 散!」
火行の力が爆ぜた瞬間に、後方に待機していた陰陽師の秘術は完成する。
力あるその言葉に、炎の力は殺がれ、消滅した。
「ちくっッ!」
麗華は呻き、瑞穂を睨んだ。
陰陽道。その五行の力は相生と相剋により深く影響し合う。
木生火、火生土、土生金、金生水、水生木。(もくしょうか、かしょうど、どしょうごん、ごんしょうすい、すいしょうもく)
木は火を生み、火は土を生む。土は金を生み、金は水を生む。そして、水は木を生む。五行相生とは、自然はめぐり生まれるという循環の理。
木剋土、土剋水、水剋火、火剋金、金剋木。(もつこくど、どこくすい、すいこくか、かこくごん、ごんこくもく)
木は土から養分を吸い取り、土は水の流れを止め、水は火を消し、火は金を溶かし、金は木を切る。五行相剋とは、自然の闘争関係の理。
陰陽師の少女はその相剋の法則に則り、大気の水行の力に働きかけ、火を司る少女の一撃を封じたのだ。
さらに瑞穂の行動は、それだけでは終わっていなかった。
続けざまに、次に行使する五行の秘術の詠唱を開始していたのだ。
「木行、雷気を以って敵を撃つ! 電撃よ、走れ!」
彼女の指先。その指し示す方向に、大気の電気は収束され閃く。
瑞穂を睨んだ麗華の凶相が、驚愕に変わる。
「っぐぅっ!」
回避運動を許さずに、魔力で強制的に生じた放電現象は彼女を撃った。
激しい衝撃に、麗華の意識が飛ぶ。その身を揺らめかせ、炎を司る八卦衆の剣士は地面へと倒れ行く。
敵の攻撃に負傷した味方。
当麻はそれすら利用し、敵を討つべく動いていた。
少女の体を影に、体勢を整える。
赤髪の少女の体が地面に横たわると、それを飛び越えつつ、和服姿の青年に鋭い突きを放つ。
しかし、蒼司はそれを察知していた。
当麻の虚を突いたはずの一撃を難なく避けると同時に、剣光を閃かせる。
「ぐうっッ!」
当麻の口から苦痛が漏れた。その手から刀が地面に落ちると、乾いた音が響く。
少年の右手首は斬られ、そこから血が流れ落ちていた。
「状況を利用した攻撃は褒めよう。……しかし、相手が悪かったな」
童子切の切っ先を当麻の喉元に突きつけると、蒼司は静かに評した。
「……まだ続けるか?」
そして、続けて言い放つ。しかし、それは無力化された二人の剣士に向けられた言葉ではない。
その視線は、彼ら後方へと向けられていた。
「いや。辞めておこう」
青年の視線の先。そこに居た人物がその問いに答える。
剣戟が、一応の終焉を迎えた深夜の校庭。
「……久しいな、蒼司……」
その夜闇の中を、こちらに向かい歩いてくる無数の人影。
「……七人? ……面倒いことにならなきゃいいけど……」
瑞穂は残った呪符を準備しながら、その頭数を確認する。
その中央に立つ声を発した妖艶な美女は、艶やかに赤く塗られた唇に薄っすらと笑みを浮かべた。
「……平井万葉……」
月が照らしたその女性の顔を確認すると、瑞穂は彼女の名前を口にしていた。
驚きを隠せずに、呆然とする。
その美女こそが現滝口棟梁、平井万葉なのだ。
万葉は瑞穂と目が合うと、徐に口を開いた。
「お前が賀茂瑞穂か? 部下が悪いことをしたな……」
その態度に、口調に、頂点に立つ者の風格を感じさせる。
「え? ……ええ」
瑞穂は状況が把握出来ずにいた。
当麻は確かに自分を滝口と言った。しかし、陰陽師である自分と敵対行動を取るなど、本当に滝口であったのならありえないことだ。
だから、瑞穂はその言葉を虚偽だと判断していた。だから、彼らを『魔』だと認識して迎撃した。
だが、その棟梁である女性は確かに滝口であると証明したのだ。
「……この者たちが、誤った認識でそちらを『魔』だと誤解したようだ……」
戸惑う彼女を他所に、万葉は憂いを帯た表情で言葉を続ける。
「部下に代わり、お侘びしよう。すまぬ」
そして、潔く謝罪の言葉を口にした。
「え? ……ええ」
呟くも、理解出来ない。
『誤った認識』とは? 盟友であるはずの陰陽師を『魔』だと認識した理由とは? 自分を『邪魔者』だと排除しようとした八卦衆の目的とは?
瑞穂の脳裏に浮かぶ様々な疑問。しかし、明確な答えを見つけられない。
言葉を失う。
「……どういう風の吹き回しだ?」
状況を静観していた蒼司が口を挟んだ。
「……ずいぶんな言い草だな、蒼司。……部下の尻拭いを上がするのが、そんなに珍しい事か?」
万葉は瑞穂から蒼司へと向き直った。
「……しかし、達者そうでなによりだ」
源蒼司は『魔』。それも滝口が封印してきた妖刀を奪った者。そして平井万葉は『魔』を狩る『滝口』。それもその頂点にある者。
敵対関係は明白でありながら、万葉にその意思を感じることは出来ない。
「くだらぬ前置きはいい。お前は何をしに来たのだ?」
童子切を納めることなく、その担い手は冷たい視線を彼女に遣る。
「お前を迎えに来た……と、でも言わせたいか?」
その言葉は本意か、戯言か。
「……尤も、この様な言葉をかけたところで、お前が戻るなどとは露ほどにも思わぬが……」
言葉を続けると、万葉は嘲笑した。
「ご明察だ」
短く返答を告げると、蒼司は童子切をやや引き気味に構え直す。
その動作に万葉を取り巻く人間が殺気立つ。一斉に刀を引き抜く。
瑞穂も身構えた。敵の頭数は七人。万葉を除外すれば六人。
それに当麻と麗華の二人を合わせれば、八人である。
陰陽師の少女は、おそらくは彼らが八卦衆の残りの構成員だと判断していた。
万葉は謝罪したが、八卦衆は間違いなく自分の命を狙った存在だ。万葉の預かり知らぬところで、違う思惑を孕んでいるのかも知れない。彼らを味方だと確定するには不安要素の方が大きかった。
否、瑞穂は万葉にも警戒している。これは勘に過ぎないのだが。
今、この場で信用できるのが、『魔』であるはずの青年だけとは皮肉なものだと瑞穂は思う。
不穏な空気が辺りを支配する。
しかし、万葉は帯刀するその刀、獅子王を抜きはしなかった。
「抜かんのか?」
蒼司が口を開く。
「……義理、だ。ここにお前が現れなければ、取り返しの付かない事態に陥ったやも知れん。その礼だ。今日のところは見逃そう……退け、蒼司」
配下の滝口、八卦衆と思われる者達を諌めるように冷静に万葉は言った。
「……良かろう」
反論することなく、蒼司は童子切を納刀する。
「……ただし、次はないと思え。お前は『魔』、なのだからな……」
その納刀の動作を眺めながら腕を組むと、滝口の棟梁は魔剣士へと言い放った。
「貴様もな……彼女に感謝するんだな。この場を収める名目を作ってくれたのだからな……」
「……相変わらず、大した自信家だな。蒼司……」
現棟梁と元棟梁。鋭い視線が交差する。二人は互いを嘲笑うように口を歪めた。
蒼司は踵を返す。
「……瑞穂。私に用があるのだろう?」
そして、そこに控えていた少女に優しく語りかける。
この男は寝首を掻くような男ではない。それにこの男は自分の身を考慮して、この場を退いたのだ。
それを理解していたから、瑞穂は頷くと、彼に続いてその場を後にした。




