第六話:八卦衆
路地をいくつか過ぎれば、ありふれた夜の街があるはずだ。
その証拠に、ここにもその喧騒は届いている。
しかし、この場所にあるのは非日常の景色。
不可視の刃によって一撃で斬殺された男の血の匂いが、ここには立ち込める。
その刃を生んだ少年は、殺害した男の骸の横で空を見上げた。
「さて……彼女は餌に食いついてくれるかな?」
数夜ぶりに姿を見せた月を見て、少年――辰巳当麻は笑い、呟く。
その背後に、近寄る足音が一つ。
「ずいぶんと派手にされたようですね……無駄に」
少年に近づいた者、声をかけたのは眼鏡をかけた少女であった。街灯に照らされ、その髪の赤が映える。
少女は転がる男の死体には何の反応も示さずにいた。ただ、しゃがみ込んだ当麻に声をかけただけである。
「……無駄に、とか一言多いよ、麗華は……」
少女もまた、八卦衆の一員なのだ。
「……それに、無駄、じゃないよ」
当麻は立ち上がると、少女の言葉を否定した。
「……たかだか一般の人間を一人殺すのに、八卦の力を行使した事のどこが無駄ではないと? ぜひ説明して頂きたいものですね」
麗華は眼鏡のフレームを親指と人差し指で挟んだ。そして、その位置を修正しながら、淡々と事務的な口調で訊ねる。
「……あの風は招待状なんだよ」
当麻はそう言うと、含みを持たせ、微笑んだ。
「……招待状、ですか?」
その笑みを見て、訝しげに麗華は反芻する。
「そ。招待状……そうだ。麗華にも手伝って欲しいんだけど。いいかな?」
「手伝い? 何の事かは理解しかねますが……それにはまず、平井様に許可を頂いて頂かないと」
少女は告げた。この少女は通常、いつもこんな堅苦しい口調である。
当麻は大きく溜息を吐いた。
「ほんと、今の君の相手は疲れるよ……」
軽く頭を振りながら、小さく愚痴を零す。
「棟梁、まだ中なの?」
しかし、間を置かずに黒衣の少年は気を取り直すと、親指でその建物を指して赤髪の少女に聞いた。
「はい」
「それじゃ、聞いてくるよ」
極めて端的に返答する麗華に当麻は返すと、先ほど自分が殺したカメラマンが見張っていた、その建物の入り口へと足を進めた。
「あ。そうだ。麗華、死体始末しといて欲しいんだけど」
赤髪の少女とすれ違い、数歩進んだところで振り返ると、当麻は思い出したように口を開く。
「……その為に私はここに来たのです」
麗華はさも当然のように答えた。
活気に溢れる場所ほど、暗く静まり返った時の不気味さは強いものだ。
それは多くの人間が存在する日常に対して、その場所がその時に強く非現実さを演出してしまうからだろう。
今、少女が閉鎖された正門を越え、立ち入った場所もその一例だ。
学校、である。
昼間は若い学生たちの生気に溢れる場所。しかし、夜は無人の闇を多く含んだ空間。
ほとんどの学校に『怪談』と呼ばれる類の話が伝わるのは、こうした『暗く静まり返ったときの不気味さ』が、『非現実』の世界を産み出すからではないだろうか。
もっとも、その場に存在する彼女こそ、その世界の住人に他ならない。少女は魔道と称される力の行使者、陰陽師と呼ばれる退魔術者なのだ。
夜の校庭には、人影が一つあった。
その人物こそが、彼女をこの場所へと誘った者である。
強い癖を持った黒髪、黒一色の服装に身を纏った少年。
彼は木行の氣を発生させては、移動を繰り返し、彼女をここへと誘導したのだ。
「あちこちに移動したみたいだけど……何か意図があってのことかしら?」
彼女を誘った人物に、少女は警戒しながらも近づき、訊ねた。
「いや、ここらの地理には疎くてね。……邪魔者が入らない場所を探しながら移動したんだよ」
校舎に設置された時計は、すでに日付が変わったことを伝えている。少女が最初に木行の氣を感じた場所から、どれほど移動しただろうか。
「……ここら辺の人間じゃない、ってことね」
少女は適当な距離を作るように立ち止まると、ジャケットの内ポケットから数枚の紙片を取り出した。
その紙片は『呪符』とよばれる魔術道具である。
呪符には『急急如律令』の呪文と共に、陰陽道の秘術が籠められているのだ。後はキーとなる言葉と僅かな魔力で、その籠められた力を発動できる。
「お互い様にね。賀茂瑞穂さん」
少女の名前を言いながら、そう返す少年の手には刀が握られていた。
「で? 邪魔者が入らない場所で何の用かしら? 辰巳当麻くん」
彼女なりの臨戦態勢を取ると、瑞穂は当麻に再び訊ねる。
「誤解しないで欲しいな……俺はね、話をしたかったんだよ。君と」
慌てる素振りを見せず、当麻は笑った。
「話?」
「そう。話、さ。頼み事……っていった方がいいのかな?」
そう語る当麻に対し、瑞穂はしかし、緊張は解かずにいた。それを彼女の直感が許さないのだ。
だが、当麻はそれに構わず言葉を続ける。
「俺、滝口なんだよ。……滝口、八卦衆の一人。辰巳当麻」
「滝口?」
瑞穂の顔にありありと疑問が窺える。
まず、彼女は知らないのだ。『八卦衆』という組織の存在を。
滝口と陰陽師は、この国を協力しながら『魔』から守ってきた存在である。滝口のことで彼女が知らぬことなどなかったはずである。
「八卦衆なんて集団、私は知らないわよ?」
彼女の疑問は言葉に変わっていた。
「だろうね。発足したばかりの組織だから。八卦衆は、棟梁である平井万葉が集めた、棟梁直属の部隊だよ」
当麻は笑顔を絶やさずに、瑞穂の疑問に答える。
「八卦、ね……」
「そう。君なら解るだろ? 僕らは八卦の力が使える。滝口でありながら五行の力の一部が使える、言うなればエリートさ」
瑞穂が感じた疑問がもう一つ、そこにあった。
確かに五行の力を使える滝口がいたところで、不思議ではない。才能があって修練を積みさえすれば、そういう滝口も存在し得るだろう。
そして、そういう人材が集められて部隊を結成する。これもあり得ない話ではない。そういう才能を持った人間を集められる可能性の問題は、度外視しての話ではあるのだが。
しかし、滝口なのだ。
滝口は『魔』を狩る武士である。
先ほど、この少年が『木行の氣』を発した時に、『魔』の気配を瑞穂は感じていないのだ。
彼女たちは『魔』の気配を感知することが出来る。ではあの時、彼は何に対してその力を行使したのだろうか。
「……アンタ、さっき木行……おそらくは風の力を行使したわよね? 何に使ったのよ?」
自身を誘うための空行使。その可能性もある。だが、瑞穂は、その行使対象を自分の知る少年であると推測していた。
「……いやだな。『魔』に決まってるじゃないか」
当たり前だろ、と当麻の表情も語っていた。
「……でも『魔』って何だろうね? 君の定義する『魔』と、俺の定義する『魔』。……果たして同一のものなのかな?」
一変、黒衣の少年は冷酷な笑みを浮かべる。
「本題に入るよ? ……君に僕らの仲間になってもらいたいんだ」
冷淡な口調。むしろこの表情、この口調の方が、この少年にしっくりすると、瑞穂は思う。
「お断りよ」
だから、彼女は笑顔で即答した。
「……どうして? 陰陽師は滝口と協力しあうモンでしょ?」
言いながら、当麻はその手にある刀を抜く。
「信用できない相手とは、協力できないものでしょ? ……アンタ、腹黒そうだし。そういう意味じゃ、あの優男の方が安全でしょうね」
瑞穂は呪符をいつでも放てる様に構え直した。
「……残念だな……」
そう零しながらも、少しも交渉の決裂を遺憾に感じさせる素振りは少年にはない。
「……あ。そうだ。俺の『魔』の定義なんだけどさ。『邪魔者』って意味なんだよね……」
そして、淡々と言葉を紡ぐ。
「賀茂さん。君、俺の『魔』だよ」
言葉を終えると共に、生じた殺気。直後、当麻は動いた。
黒衣の少年は駆ける。一足で少女との距離を詰める。瑞穂は冷静に動きを察し、その身を逃がした。
僅かな遅れで、滝口の少年の刃は陰陽師の少女がいた空間を走る。
「上等よ! 私にとってもアンタは『魔』だわ!」
瑞穂は宣言しながら呪符を一つ、地面に落とした。
「発!」
発動のキーとなる言葉を発する。
その札が、着地するか否かの地点で爆ぜた。
グランドが突如として隆起し、土壁が生じる。それは土行の秘術の封じられた呪符であったのだ。
それをスクリーンに使い、瑞穂は次の一手を放っていた。
「舞え! 隼よ!」
上空に投げた呪符に言葉と共に、魔力を送る。
宙に舞う紙片は、その魔力を受けて、一羽の隼へと変じた。それが賀茂瑞穂という陰陽師の式神である。
生まれ出た猛禽は、瑞穂の意思を忠実に反映する勇ましい兵士。式神である隼は、上空から真っ直ぐと敵に向かい降下する。
「白兵戦もこなすのかい? 君、噂以上だよ!」
当麻は笑いながら、襲来した隼の鋭い爪をかわした。
「言ってなさいな!」
その間も、瑞穂の動きは止まらない。すでに追の一手へと動いているのだ。
彼女は幼少の頃から、陰陽師として修練を積んでいた。その実戦訓練の相手は、これしきの連続攻撃では止められないのだ。少なくとも後二、三手繰り出さないと、隙さえ生じさせることが出来ない。
遮蔽物となっている、彼女の生み出した壁。その左に向け、呪符を放つ。
その札には火行の力が封じられていた。この札で爆風を起こし、敵の行動を限定する。
後は敵の少ない選択肢に備え、攻撃力の高い五行秘術を迎撃魔術として直接行使して仕留めるだけだ。
瑞穂の頭の中で、戦闘のシナリオは完結していた。
「爆!」
魔力を籠めながら、起動の言葉を陰陽師は呟く。
爆風が発生する。
「何!?」
次の瞬間、瑞穂は予想しなかった敵の行動に驚愕していた。
当麻は爆風を物ともせずに、巻き上がる炎の中から現れる。
「……違う!?」
爆風は生じながらも、その力が封殺されていたのだ。
当麻の背後にもう一つの人影。
スクリーンプレイを、相手も同様に実行していたのである。
「くだんない攻撃だねぇ!」
凶相の少女が、当麻の背後から跳躍した。
赤い髪を燃え動く炎のように振り乱し、その手の刀を振り翳す。
「八卦衆、南麗華! アンタを消し炭にしてやるよ!」
少女は甲高い声を響かせる。その刀身には炎が生み出されていた。
彼女は火を司る八卦の剣士。その卦名は離、対応する方角は南。麗華が瑞穂の発動させた火行の力を無力化させたのだ。
火の粉を撒き散らしながら、赤髪の少女の炎の刃は振り下ろされる。
「くっ!?」
呻き、瑞穂は地を蹴った。
「しまっ!?」
直後、後悔が口から漏れる。突然に襲撃して来た、麗華の炎の刃を避けることだけに一杯であった瑞穂には、彼の動きを考慮することが出来なかったのである。
目の前。陰陽師の少女に迫る黒衣の滝口。風を司る八卦の剣士。
「……強すぎる力を持つ者は、危険なんだよね」
殺気をありありと放ちながら、当麻は刃を閃かせる。
「さよなら。賀茂さん」
風の力を乗せた刃は、強烈な太刀風を作り出す。
風が悲鳴を上げた。
瑞穂を斬り裂くべく放たれた一撃は、その風によっても、そして刀身によっても彼女を傷つけることはなかった。
「……詩緒?」
当麻の前に立ちはだかり、その凶刃を防いだ男の背中が、瑞穂の眼前にあったのだ。
「……悪いが……柾希の弟ではないな」
背を向けたまま、その男は言った。長い黒髪が腰の辺りまで伸びている。和服姿の剣士がそこに立つ。
「……貴方……」
信じ難い人物の登場に、瑞穂はそれ以上の言葉を失った。
「お前、誰だよ!? なんで風が『斬れる』んだよ!?」
風という無形のもので出来た刃を斬ることで無力化させた男。当麻は鍔迫り合いをしている、その相手を睨んだ。力の限り当麻は刀を押すのだが、男は涼しげな目でそれを悠々と御する。
「知りたくば、貴様の命で教えてやろう」
男は薄っすらと笑みを浮かべた。
直後、禍々しいまでの邪気が生じる。
「ひいっ!?」
当麻は恐れ慄き、身を逃がすように距離を作った。
彼よりも感知能力の優れた瑞穂は、その邪気に当てられ、一瞬、身動きを封じられていたことを知った。
「……知りたいのではなかったか?」
余裕の表情で男は、逃げるように離れた少年に訊ねた。
そこには僅かな邪気も存在しない。
「……妖刀を使いこなしてる、って言うの……」
陰陽師の少女は呟いた。金縛りを起こさせるような強烈な邪気を生んだのは、男の持つ刀なのだ。
「……まさか童子切だってのかい!?」
それに気付いた人物は、もう一人いた。赤髪の滝口である。
八卦衆の二人に向かい、男はゆっくりと歩み寄る。
「お前たちは私の『魔』のようだな……」
童子切安綱。その刀を振るう剣士、源蒼司。
その流浪の魔剣士は標的を見据え、呟いた。
<用語解説>
急急如律令:「急ぎ、律令の如くすべし」の意。陰陽道で常用されるの呪文の一句。
式神:陰陽師の使役する鬼神。作中、瑞穂が使役しているものも、外見は『隼』ではあるものの霊鳥の一種です。




