第拾参話:律法者
「ほざけよ! 誰がお前に劣るっていうんだよ!」
瑞穂の挑発じみた発言を受け、当麻は刀を袈裟に走らせた。刀身に宿る魔力。それに切断されるのは大気。その軌道に生じた真空は刃と成る。
剣士の眼前の空間から疾行する鼬風。それは標的を斬り裂くべく閃く。
斬間を遠く離れた敵にも、彼の凶刃は優に届くのだ。
魔力を帯びた当麻の刀は、詠唱などを必要とはしない。瞬間に、彼の思いのままに、風の力を発現させる。
八卦の一門、風。その力を司る剣士。
八卦衆。当麻はその集団を構成するのはエリートだと言った。
その能力は、決してその言葉に恥じるものではない。
風を操るという超常的な力。事実、その一卦に関しては、当麻は目の前の陰陽師の少女の上を行くのだ。
彼女はその力を行使するのに、五行の理に従っての手順を踏まねばならないのだから。
その上、その陰陽師は十把一絡げな陰陽師ではない。
こと、五行秘術の行使者としては、稀代の、と謳われる者なのだ。
「散!」
手にした呪符を自分の前に放ると、その陰陽師はそこに封じた力を発動させた。
その力に、周囲の木行の氣は強制的に拡散させられる。当然、当麻の不可視の刃とて例外ではなかった。
その符に籠められていたのは木行を剋す秘術。
刃と化した風は凪ぎ、やさしいそよぎへと変わる。
ふん、と当麻は鼻で一つ、笑う。
自らが放った魔力を帯びた風を無力化されながらも、何ら不利なものは感じさせる素振りはない。
「バカが! 一日がかりで何を用意したかと思えば!」
吼えつつ、刀を薙ぐ。再び生じる真空の刃。
「そんな紙切れ用意したところで、いつまで俺の風が防げる!」
言うが早いか八卦の剣士は駆けた。先行する不可視の刃に続き、陰陽師との間合いを詰める。
「すぐに打ち止めにしてやるよ!」
その言葉は自信。そして、真理。
瑞穂の呪符は有限のもの。どれほど準備したかは判らぬが、高が知れているのだ。
対して当麻の風を操る力には制限はない。竜巻を繰る様な大技さえ使わなければ、無際限に行使出来る。
少女へと迫り来る二つの凶刃。
瑞穂は流れ来る風の氣を読みつつ、敵の動きを洞察する。
彼女は近接戦闘にも精通していた。それは事実、逃げ出したこともあるほど、幾度となく繰り返した模擬戦の賜物である。相手が剣士であるのならば殊更、その経験は活きる。
瑞穂が幼い頃から戦闘訓練を繰り返してきた相手は、彼よりも剣術では何枚も上手を行く者だからだ。
数年前にはそいつが見せていた体捌き、剣速。
それ単体では、瑞穂にとってさして脅威ではない。
「……甘いわね」
凶風をやり過ごし、敵の凶刃を往なすと、陰陽師は跳躍した。
そして、空中に身を躍らせながら、新たに取り出した二枚の呪符に素早く晴明桔梗を描く。それぞれ放つ。
だが、当麻はそれを悠々と回避した。
「大事な呪符が無駄になったな!」
「どうかしら?」
しかし、少女は不敵に微笑む。
「ふん。いつまでその余裕が続くか見物だね!」
言葉に続けて一太刀、二太刀と連撃を見舞う。それは刀で直接、敵を斬るために振るわれたわけではない。着地点を狙い、風の刃を陰陽師に走らせたのだ。
「散!」
無防備な着地の瞬間。それを護るのは、またも風を無力化する呪符だった。
「後、何枚あるんだ?」
声とは裏腹に。しかしながら、そこに焦りはない。余裕をもって八卦衆は動く。
そのゆとりは、魔術戦的な優位性だけから来るものではなかった。この戦闘は現状、総てにおいて有利に進めていると確信しているのだ。
魔力による風を単に自然現象のそれに還す障壁。その霊的な境界を超え、侵攻する当麻。手する刀の斬間へと入る。
実刀と虚構の刃。その連携こそが風の剣士の真骨頂。彼とて基本は剣士。その距離こそが、当麻の最も活きる距離。
「これはどうだよ!?」
至近距離で振る刀身に、同時に風を纏わせる。
薙がれた刀。それを回避されるも、直後、纏われた旋風は呻りを上げた。
「甘いのはどっちだろうね?」
標的の回避動作に、したり顔で哂う。
「っ!?」
つじ風は乱流を生んでいた。その乱れ風は無作為に舞う。その風もまた、真空の刃を宿しているのだ。鋭利な小型の刃は次々と周囲を襲う。刈られた芝が宙を流れる。
威力は高くはない。しかし、それは人の身を裂くには十分な切れ味を持っていた。
瑞穂が痛みを漏らしたのはそのためだ。
白い肌に幾筋か裂傷が生まれる。
「陰陽師! 命乞いをしても、もう遅いよ!」
「この程度で! 誰が!?」
強気で返すも、現状の不利を瑞穂は理解していた。
剣士と魔術師。この距離では後者が圧倒的に不利なのだ。敵を仕留めるべく魔術の詠唱をしようにも、それを行うことが出来ないのだから。
瑞穂は間合いを作るべく逃げるも、当麻とてそれを許すはずもない。
「逃がすかよ!」
台詞通りに追撃する。間合いからは逃さない。
「終わりだ」
にやけ面で宣告する。
勝利を信じて疑わず。当麻は優越感に恍惚とした表情を見せた。
「……おメデタイ奴ね」
少女は、その様を嘲笑した。
中空を何かが疾走する。
「ぐうっ!?」
直後、背中に感じた痛みを当麻は漏らした。
剣士と交錯し、暗闇を舞った一羽の隼。
その鍵爪に身を裂かれたのだ。
それはこの場に現れる前に、陰陽師の放った布石。瑞穂の式神であった。
「発!」
好機を見逃す瑞穂ではない。構えていた符を敵の眼前で爆発させる。続け、晴明桔梗を手早く描いた呪符を三枚目、四枚目と投じた。
当麻から遠く離れた場所へと。
それらの狙いは辰巳当麻本人ではないのだ。
火行の呪符による爆撃は、その後に投じた符の存在を晦ませるためのもの。十分な殺傷能力を持ちながらも、あくまで最終目的のための捨て札でしかない。
風が猛ける。
強烈な気流が天へと、うねりを上げる。
その風で直前に爆ぜた火行の力を上昇させ、障壁とし当麻は直撃を避けたのだ。
「賀茂! お前いつの間に!」
負傷した痛みに、剣士は怒号した。激しい風が二人の着衣を、髪を靡かせる。
「ずっといたわよ? 式神の気配に気付けないなんて……余程、鈍感なのね」
少女は挑発するように、薄っすらと微笑んだ。真の目的を看破されないように、自身に注意を惹きつけるために。
「なめるなっ!」
効果は十分だった。当麻は熱り立ち、続け様に、その風で形成された障壁を爆散させる。
轟音が響いた。
火気のない爆発。純粋で強烈な大気の波が辺りに走る。
否。挑発の効果は十分過ぎたのだ。
「っ! しまっ!?」
言葉を放ちきる前に、瑞穂の体が吹き飛んだ。
それ程の威力の風まで、八卦の剣士が瞬時に発動出来ること。それは陰陽師の少女の予測を遥かに凌駕していたのだ。
術者と同時に、低空を飛んでいた隼は弾かれていた。舞い飛ぶために必要な風。しかし、その風は制御することができず、隼は地面に酷烈に叩きつけられる。甲高く痛みの声で式は鳴く。しかし、不意に鳴き声がぴたりと消える。受けた損傷は、現し世に存在を維持する許容を楽に超えていたのだ。式神は一枚の呪符へと還り、風に巻かれ散り飛んでいた。
「えっ?」
ぽつりと琴音は零した。
彼女に踊りかかる鬼。その背後の強大な何かを感じ取ったのだ。
それは刹那の直感。
感じた瞬間に、その力の種類を感じ取った体は動いていた。
手にした刀を深々と地に突き立てる。身を地面に伏せる。
魔獣からの攻撃から身を避けるには、正に真逆の行動。
だが。
直後、そこを衝撃波が駆ける。
空に在った鬼は、それに直撃し煽られる。巨躯は木の葉のさながらに風に翻弄され飛ばされていた。
その体が勢い良く、池に面した柵を破る。そして、やたらと大きな飛沫と音を立てて水中へと没した。
地面に二度、三度、瑞穂はその華奢な体を打ちつけながら、しかし、その勢いは止まらない。
終には、派手な音を立て江戸彼岸に激突した。
その衝撃に枝々が揺らされ、青葉が散る。
自らの見積もりの甘さを精算させた。そう割り切るには厳しいダメージが少女に課せられる。
「瑞穂!」
腹這いになったままの、琴音が彼女の名前を叫ぶ。
当麻は大声で笑っていた。
腹を抱え、心底愉快そうに。
琴音は立ち上がると駆けた。地に刺さっていた刀を引き抜き、桜の古木の下に。少女の元へと。
「……誰が術者の格の違いを教えるって?」
ふらり、ふらりと。一頻り笑うと、まるで泥酔してるかのように、足元をふら付かせ当麻は二人の少女へと歩み寄る。
「……女の子を何だと思ってるのよ……」
悪態付きながら、瑞穂は自らがぶつかった樹木の幹に寄りかかり、無理やりに体を動かすと立ち上がった。
「瑞穂!?」
彼女の前に立った琴音が、抱き支えるべく手を差し伸べる。
「……まだ大丈夫、よ……少し、効いたけど……」
口から流れ出る血を拭うと、瑞穂は言葉でその手を制した。
「ははっ! いい様だよ! 賀茂!」
背後に響く、下衆な声。
その声に、琴音は後ろを振り返る。
その視線に宿るは殺気。
「……貴方、許さない……」
呟いた言葉。小さな小さな声。しかし、その幼い顔立ちには、不似合いな冷たい、強い感情が浮かぶ。
「……運はあったみたいね。ここに辿り着けたんだもの……」
呼吸を整えながら、瑞穂は呟いた。
「え?」
その声に、琴音は視線を戻す。
「準備は整ったわ……その後は任せるわよ……アイツを止めて」
敵を見据えながら、彼女の幼馴染は囁く。
「でも――」
琴音は不安を露わにした。
任されても自信がないのだ。少女には、辰巳当麻の不可解な力に対抗するには経験も、知識もないのだから。
「大丈夫……私を信じて」
陰陽師はやさしく微笑んだ。それは術者としての確固たる自負の表れ。
上着のポケットから一枚の呪符を取り出すと、晴明桔梗を記し足元に落とした。それが準備に必要な最後の一枚。
瑞穂以外に気付き様もない。その一枚で、この広場に呪符による五芒星が完成していることに。それは結界であった。
「我、陰陽五行の理を律する者也……」
囁く様に詠唱を開始する。結界内部を、彼女の理が支配する世界に塗り替えるがために。
「木行、火行を生み、その力を減じよ」
ゆっくりとその手を空間に差し出す。
力在る言葉。
相生。木行の氣を急激に火行へと変換させるべく。
「水行、澱みて木行を生み出す事無かれ」
その細い白い指先が、またも描くのは晴明桔梗。しかし、それは呪符に記したものとは違う。あれは儀式的な意味合いが強い。札に効力を持たせるための符号に過ぎない。
これは魔力増幅。魔力を集約し強力な束縛を、五行、言わば森羅万象に命じるためのもの。
その小節が律するのは相生の禁止。木行へと流れる水行の働きを封じる呪。
「金行、その全てを以って木行を滅せ」
相剋。つまりは。
「何かしようたって、問屋が卸すかよ!」
琴音の背後の術者の動きを感知し、当麻は斬り込んだ。
突如、大気が震える。
それは彼の剣士の力によるものではなかった。
純粋で単純な。それは音による振動。水中から現れた鬼が咆哮を上げたのだ。
その鬼が猛烈な速度で突進し、側面から当麻を襲う。
「潤一!?」
寸でのところで、それを回避すると当麻は鬼を睨み付けながら怒鳴る。
彼がここで当麻を襲ったのはその意思によるものか、偶然か。
しかし、それは少女たちには光明となっていた。
もう一度、吼え、潤一だった鬼は、獲物を襲うべく跳躍した。
そのぎょろりとした眼に映る標的は、辰巳当麻。
「三行を以って、此の地の木行を封ず……」
与えられた時間。陰陽師が継続する秘術の詠唱。
それは発生させる事象の宣言。
「どこまでも邪魔だな! お前! いい加減!」
宙にある鬼に振られた刀。
「死ねよ!」
風が走る。
断末魔の叫びが、走り去った風を追った。
鬼の巨躯が、縦に割れる。
凶風は命を刈り運んだのだ。
「潤一くん!?」
琴音は走っていた。
「妹! お前から死ぬか!?」
それを睨み、当麻が口端を歪める。酷く残忍な表情を浮かべる。
鬼は芥と散り逝く。その様は桜の華の様に。
季節外れの、梅雨雲の下。華は舞い散る。
その散り逝く命の元。
「許さない!」
滝口としての能力を、少女は完全に覚醒させていた。
「禁!」
陰陽師の少女は、秘術を完成させた。
「アハハハハッ!」
狂ったように笑いながら。当麻は風で少女らを切り裂くために、刀身を閃かせる。己の力を誇示するべく。憎き男の血族を血祭りに上げるべく。
しかし。
風は応じない。
剣風は生じるものの、ただ、それだけだった。
当麻の表情が、驚愕のそれに変わる。
五行の理を自在に律することが叶う者――瑞穂の複合五行秘術。
「……アンタの負けよ。辰巳当麻。この地の木行は封じたの。貴方はこの結界の中では、その一切の力を使えない――」
それはその術式の効果。
力を発動させるためのプロセス。瑞穂は確かにそこでは当麻に譲った。だが、森羅万象、五行の支配力に於いては、彼女が圧倒的に上を行くのだ。
目の前の現象。八卦衆の風を司る者の力。それを封じた事実こそ、その証明。
魔術戦の優位性。つい先程まで、当麻の思っていたそれは過信でしかなかった。
「――そして、私は知っている。アンタより優れた剣士を少なくとも四人……」
続け、陰陽師の少女が、誰にとなく呟く言葉。
瑞穂の知る、四人の剣士。
一人は、ここから移動した滝口の少年。渡辺詩緒。
一人は、その滝口と対峙することを待ちわびる魔剣士。源蒼司。
一人は、名刀『蜘蛛切』を担う現四天王の一人。瑞穂と詩緒の友人。
そして、最後の一人は。
「……優秀選手そこらの能力じゃ、最優秀選手には勝てないわよ」
瑞穂の視界に存在する、その少女の背中。陰陽師は勝利を確信して微笑んだ。




