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99、ポインセチア

 

「あ、あの、紫乃ちゃん」

 紫乃が次の生物の授業の予習をしていると弓奈が話しかけてきた。すぐ隣りの席で授業を受けているので休み時間も二人は近距離なのである。一目見て紫乃は今日も弓奈さんは世界一奇麗だなと思った。

「なんですか。私は忙しいです」

 本当は別に忙しくないのだが、一応こういうことを言って自分のキャラをアピールすることは大切である。細かい努力の積み重ねが理想の鈴原紫乃像を作っていくのだ。

「ごめんね。実は・・・今日使う生物のテキスト寮に忘れて来ちゃって」

 弓奈だって年に一回くらいは忘れ物をする。

「しょうがない人ですね。授業中は見せてあげます」

「よかった・・・ありがとう! ホントに助かるよ」

 見せてあげますと紫乃は気軽に答えてしまったが、彼女は授業が始まってからこの事態の本当の意味を知ることとなる。

「そうですか。それではお隣の鈴原さん。机と机をくっつけて倉木さんにテキストを見せてあげてください」

 生物の先生はいつも半分眠っているような顔をした穏やかな先生である。普段からマジメで成績も優秀な弓奈が一度忘れ物をしたからと言って叱られることはなかった。弓奈が改めて頭を下げながら机を動かしてきたので紫乃も机を移動してあげた。

 二人はぴったりくっついたのだ。

 しまったと紫乃は思った。こんなに近くに来る心の準備をしていなかったのだ。なにしろ小さな生物のテキストを肩を寄せ合って二人で見ようというのだから頭と頭がぶつかりそうなくらいである。弓奈の香り、体温まで感じられそうな距離感に紫乃は思わず息を止めてうつむいた。顔も耳もじんじんするのでおそらく真っ赤である。

 実は近頃紫乃は弓奈の夢をよく見る。以前から度々夢に見てはいたが、最近は毎日のように彼女が登場するのだ。弓奈の透き通るような白い頬に何度も何度もキスしたり、すべすべぷるぷるふわふわの胸に顔をうずめてはむはむしたり、逆に弓奈から顔や胸を優しく優しくちゅっちゅされるような夢である。目を覚ますと必ず紫乃は自分の体がとろけているのを感じ、同時にとっても切なくなるのだ。

 もちろんそんなことは自分だけの秘密だが、こうしてお互いの鼓動が聞こえるような環境にいると自分の考えていることが弓奈にバレるのではないかと紫乃は不安になる。

「・・・鈴原さん。鈴原さん?」

「は、はいっ」

 考え事をしているあいだに先生に指名されていた。

「次のところ読んで下さい」

「あ・・・はい。ええと」

 ここまでの話を全く聴いていなかった紫乃はどこから音読していいのかサッパリ分からなかった。珍しく困惑している様子の紫乃に助け舟を出してくれたのは弓奈である。

「ココ」

 そうささやいてテキストを指差してくれたのだ。お陰で紫乃はなんとか危機を脱した。

「はい。そこまでで結構です」

 目でも合えばお礼を言おうかと思って紫乃は弓奈を見たが、そこには優しく微笑む横顔があるだけだった。この後の紫乃はずっとうつむいたまま顔を上げられなかった。




「ところで、来週はもうクリスマスですね」

 生物の先生は授業終了3分前になると雑談をする癖がある。弓奈は心の中でバンザイしながらシャーペンをペンケースにしまった。

「授業も明日で終わりです。クリスマス会、楽しみですね。今年も雪が降るでしょうか」

 恒例行事クリスマス会は今年も開催される。生徒会は準備の手伝いこそするが運営の中心は各クラスから選出されたクリスマス会実行委員であるため当日に弓奈に任された仕事はないに等しい。弓奈は窓の外を眺めながら去年のことを思い出した。

 一年前のクリスマスイヴ、まだ家にいた頃の雪乃ちゃんにぬいぐるみをプレゼントするため弓奈は紫乃と一緒に隣街へ買い物に出掛けたのだ。あの街を駆ける風のにおいも、イルミネーションの輝きも、夜景の煌めきも、すべて弓奈の体じゅうの感覚が活き活きと記憶している。展望室へのぼったあの日のことがまるで昨日のことに思い出されると同時に、あの日の経験がとても恋しく感じられた。

 机をくっつけている紫乃にふと目を遣ると、偶然に目が合った。

「それでは授業を終わります。号令」

 50分ぶりの休み時間の到来に教室はざわめく。弓奈はまず真っ先に紫乃にお礼を言うことにした。

「紫乃ちゃん! ホントにありがとう。助かったよ」

 紫乃は一瞬なんのことか分からないといったような顔をしたが弓奈がテキストを指差すといつものクールな顔に戻った。

「次からは気をつけて下さい」

「はい!」

 そして紫乃は何か言いたげな眼差しを弓奈に向けたのだった。

「あ・・・私も、その・・・ありが・・・」

「ん?」

「・・・なんでもないです」

 口ごもってしまった紫乃の顔を弓奈が覗き込むと彼女はそっぽを向いてしまった。こういうことはよくある。机をくっつけたままの弓奈はしばらくカバンの中を整理するフリなどして、先程胸の中に沸き起こったある提案を紫乃にどう切り出そうから考えていた。

「ねえ紫乃ちゃん」

「は、はい」

 すぐに返事をしてくれるということは紫乃の意識がまだ弓奈に向いているということの証拠なので、弓奈は少し安心した。

「今年は何かお買い物ないの?」

「え?」

「去年みたいにさ、このあたりでは買えないようなやつ」

「・・・特にないですけど」

「そっかぁ」

 窓の外、低い曇り空をレンガ色に分つ時計塔が見える。あの場所で今年もクリスマス会が開かれ、多くの生徒が集まるはずである。噂によればとても素敵なイベントらしいので今年こそはこれに参加しハッピーな気分で年末を迎えようと弓奈は思っていた。だが、ここへきて迷いが生じたのである。

 また二人だけで過ごしたい・・・そんな願いが生んだ迷いだった。

「紫乃ちゃん」

「はい?」

「24日さ、また一緒にどっか行けないかな」

「えっ・・・」

 紫乃が髪を揺らして驚いた。

「いや、大した用事はないんだけど・・・どこか行きたいなって」

 そう言ってから弓奈は、大した用事もないのに学校のイベント当日にどこか別の場所へ誘うのは失礼ではないかと思ったが、紫乃は特に腹を立てる様子はない。

「どこかって、どこへ行きたいんですか?」

 怒るどころか詳細を尋ねてくれたのだ。

「えっと、隣り街のさ・・・なんていう名前だっけ」

 紫乃は髪を梳かして顔を隠しながら小声でそっと答えてくれた。

「・・・シャランドゥレタワーですか」

「そうそれ!」

 紫乃は何も言わずにずっと髪を梳かしている。透き通る暗闇のような髪を彼女の細い指がほうき星になって流れる様子に弓奈は思わず見とれてしまった。

「えーと、だめかな」

 弓奈がもう一度問うと、紫乃は髪をいじる手を止めて上目遣いに弓奈を見つめた。

「・・・しょうがないですね」

「え! いいの!?」

 紫乃は頬をポインセチアのように染めて小さくうなずいた。

「やった! 私あのタワーすっごい好き!」

「そうですか」

「うん!」

 二人きりで過ごしたい・・・そう願わせたのは弓奈の心に芽を吹き今ではすっかり根をおろしてしまったとある感情だった。この日は弓奈がその感情に気づかぬまま、無邪気に紫乃と接する事ができた最後の金曜日になったのである。

 

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