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97、人魚姫

 

『雪乃ちゃん。今日はコンサートの日だよ』

 生徒会室で母が作ってくれたお弁当を食べながら、雪乃はバニウオとおしゃべりしていた。

「そうだねバニ。石津おねえさん来るよ」

 一人二役の彼女はおそらく学園トップクラスの演技派である。

「バニもヴァイオリン好き?」

『うん。かっこいいよね。早く弓奈ちゃんがお迎えにくるといいね』

「弓奈は一時くらいって言ってた」

『そろそろだね』

「だね」

 雪乃は一人のときはおしゃべりなのである。彼女は巨大魚のふわふわのうさぎ耳に顔をうずめて弓奈が来るのを待った。

「雪乃ちゃん。いるかな?」

 大好きな弓奈の声だ。雪乃はぱたぱた走って生徒会室の扉の鍵を開けた。

「弓奈っ」

「雪乃ちゃーん。おまたせー」

 雪乃は弓奈のおなかに抱きついた。相変わらずいい香りがするが、今日はちょっと弓奈の表情がさえない。

「どうしたの」

「いやぁ・・・ちょっと問題があって・・・」

「もんだい?」

「うん。ああ・・・どうしよう」

 弓奈が頭を抱えて生徒会室をうろうろするので雪乃も彼女と一緒になって部屋をうろうろしてみた。弓奈は脚が長いせいか他の生徒たちとはスカートの揺れ方が若干異なる。

「あのね、雪乃ちゃん」

「なに」

 弓奈はしゃがんで雪乃と目線を合わせた。雪乃は弓奈に見つめられるといつも胸がどきどきする。

「実はね、今日来てくれるはずだった石津さんね、ひどい風邪引いちゃって、来られなくなっちゃったの」

「かぜ?」

「うん。たぶんしっかりごはんも食べずに寒い中でギター弾いて歌ってたんだと思う・・・」

「かぜ」

「うん。石津さんね、雪乃ちゃんにごめんねって言ってたよ。すっごく来たかったのに残念だって」

「かぜ・・・」

 雪乃はとても悲しかった。生まれて初めて見に行く今日のコンサートを本当に楽しみにしていたからだ。だが雪乃はここで駄々をこねるほど子どもではない。大好きな弓奈がこんなに悩んでいるのだから自分が問題を増やしてしまってはいけないと感じたのだ。

「私からもごめんね。雪乃ちゃん」

「うん。いい」

 雪乃は弓奈に元気を出してほしくてバニウオをぶんぶん振ってみせた。

「ありがとう。とにかく中止にしてもらうよう急いで体育館に行かないと! もう紫乃ちゃんは体育館にいるはずだから」

 雪乃は弓奈と一緒に生徒会室を飛び出した。管理棟は学園祭の影響を受けていない裏方たちの聖域であるので、はしゃぎまくる生徒たちはいない。雪乃は弓奈のあったかくてすべすべの手を握って精一杯走った。もちろんバニウオを背負ったままである。



 日傘で人の目を避けながら二人は無事に体育館裏口にたどり着いた。すでに客席は開演を待ちきれない生徒たちの歓声であふれていた。正体も分からない歌手のコンサートをこんなに楽しみしてくれているのはそれだけ生徒会が信頼されている証拠に他ならない。とにかく手遅れになる前に紫乃に事態を報告しなくてはならない。弓奈は雪乃ちゃんを人がやってこない安全な舞台袖に待機させて、舞台の真上にある小放送室へ駆け足で向かった。

「紫乃ちゃん!」

「あ、遅いです弓奈さん。ここはもう準備できました。石津様はどこですか? もしかしてもう舞台袖ですか。慌ただしくなってしまって石津様には本当に申し訳ないです」

 紫乃は非常にてきぱきと放送機器の最終チェックをしていた。

「あのね・・・そのことなんだけど」

「小熊会長は二回目の公演を終えてもうすぐ到着するはずです。あの人のことですからアントワーヌの格好のまま来るかもしれません。もしそうだったらすぐに注意をします」

「あ、あのね! 実は・・・!」

「あ、噂をすれば会長が来ました」

 弓奈が紫乃に相談を切り出す前に王妃様が放送室にやってきた。役の格好のまま出歩くなんて舞台役者の風上にも置けないが心も王妃のまま出歩いているので許して頂きたい。

「会長、そんな格好で体育館に来ちゃだめです」

「あら鈴原さんごきげんよう。パリの国立オペラ座はここかしら」

「違います。早く石津さんにご挨拶をしてきて下さい」

「んもぅ、怖いお顔♪」

「さっさと行ってきて下さい。花束は最後なのでまだ持っていっちゃだめです」

「はーい♪」

 ひとたび言いそびれるときっかけが掴めなくなる。もう弓奈は言うしかない。

「あのー! 大事な報告がありまーす!」

 紫乃と王妃が振り返る。弓奈は手短かにすべてを説明することにした。



「あわわ・・・それじゃ中止しなきゃだめです!」

 さすがの紫乃もこれには慌てた。大人気の生徒会の催しとあって体育館は超満員だからだ。

「と、とりあえず・・・私がマイクを持ってコンサート中止のご報告を・・・」

「暴動とか起きたらどうしよっか・・・」

「ぼ、暴動? 鎮圧します・・・」

「上履きとか投げてきたらどうする?」

「上履き? 履きます・・・」

「パイプ椅子投げてきたら?」

「す、座ります・・・」

「心配だよぉ!・・・せめて私がギター弾ければ!」

「いや、もう石津さんって名前を出しているので誤摩化せないです・・・」

「だめかぁ・・・ど、どうしよう! もう開演時間だよ!」

「にゃあ!」

 弓奈と紫乃が大騒ぎしている頃、小熊王妃は考え事をしながら舞台袖への階段を下りていた。会長は基本的に自分が気持ちよければ他のことなどどうでもいいタイプのお嬢様であるが、それももう昔の話である。いまの会長の胸は体育館に集まったたくさんの眼差しを落胆の色に染めたくないという責任感と彼女たちの期待に答えたいという他者への純粋な思いやり、そして弓奈や紫乃たち新世代の明日を占うこの学園祭を成功させたいという先輩としての愛情でいっぱいだった。彼女の天才的頭脳はいたずらではなくこういった正のエネルギーのために使われるべきものなのだ。風邪を引いて寝込んだ歌手と期待の声にふるえる会場の熱気、押し迫った開演時間・・・中止以外にこの場をすべて丸く収める方法がないかどうか彼女は頭脳をフル稼働させた。

「あら・・・?」

 舞台袖の暗い階段に、大きな魚を抱いた少女が座っていた。



「バニ。石津さん来られないって」

『しょうがないよ雪乃ちゃん。かぜ引きさんは、にがいお薬飲んで寝なきゃだよ』

「おとなの人もかぜ引くの?」

『そうだよ。お熱もでるよ』

「かわいそう」

 一人二役の雪乃がバニウオとしゃべっていると背後に人の気配を感じた。

「雪乃ちゃん。ごきげんよう」

 コロネみたいな髪をした王妃様だった。

「それ、ウサギさん? それともおサカナさん?」

 そんなこと考えた事もなかった雪乃はバニウオの頬を撫でながら黙った。雪乃は基本的に家族と弓奈以外の人間とは口が効けないのだが、この王妃様は弓奈の知り合いなので逃げずに話くらいは頑張って聴こうと思った。

「実はね、雪乃ちゃんにしかできない仕事があるの」

 自分にしかできない仕事・・・今までの人生にそんなもの一つもなかった雪乃にはにわかに信じ難いお話である。

「石津さんの代わりにね、ステージに立ってほしいの」

「・・・えっ」

 かたく閉じていたはずの雪乃の口から声がもれた。

「分かってるわ。雪乃ちゃんが、人がいっぱいいるところを嫌ってること」

 たしかに雪乃は人が苦手である。物心ついた頃から雪乃の周りを往く人々はいつだって早口で、大声で、そして面倒事を見つけたときのような目で彼女を見おろしたからだ。音楽とぬいぐるみだけが彼女の居場所だった。

「だけどね、私知ってるわ。あなたが本当はもっといっぱいのお友達を欲しがってること」

 雪乃はバニウオの目を見て首をかげた。

 そう、少なくても雪乃は弓奈と友達になれて幸せであった。今の彼女の心の半分を耕してくれたのは弓奈の存在に他ならない。雪乃のささやかな一歩のきっかけにはいつだって弓奈の温かい眼差しがあったのだから。

「それから、あなたの歌がとっても魅力的だってこともね♪」

 ウィンクする王妃様の青い瞳を見つめていると、雪乃の頭の中を彼女が今までに味わったことがない感覚がよぎった。それは今、自分が非常に豊かな人間同士の関係性の中に身を置いているという実感だった。

「雪乃ちゃんが今一番歌いたい歌をお願い。私は弓奈ちゃんとあなたのお姉さんを軽く説得してくるから、ちょっと待っててね」

 王妃様が上った放送室から姉たちの声が聞こえてくる。ここへきて雪乃の胸の中で、この前聴いた弓奈の言葉がヴァイオリンの音色のように少しずつ少しずつ響き始めた。



『なんか素敵だなぁ・・・会ったこともない二人が、音楽をきっかけに友達になっていく感じ』

『友達?』

『うん。そのおねえさん石津さんっていうんだけど、もう石津さんと雪乃ちゃんはお友達だよ』



 雪乃の心は決まった。今の自分ならば風邪を引いて舞台に立てなかった友達のピンチを救うことが出来るのだから。

「雪乃!」

「雪乃ちゃん!」

 紫乃と弓奈が舞台袖にやってきた。

「か、会長から話を聴きましたが、でもそんなことできるんですか・・・?」

 相変わらず紫乃は妹にも敬語を使う。

「うん」

 雪乃は弓奈を初めとして友達からたくさんの勇気と幸せをもらった。今日は神様が雪乃にくれた彼女たちへの恩返しのチャンスなのである。

「雪乃ちゃん・・・無理だと思ったらすぐ帰ってきていいからね。私舞台のすぐ横に隠れて待ってるからね」

 弓奈は心配で心配でしょうがない。これで雪乃ちゃんが怖い想いをしてしまったら自分たちの責任だからである。

「うん。大丈夫」

 雪乃は弓奈にもう一度抱きついてそう言ってからバニウオを背負い、バニウオの長い耳を自分の首の前で結んだ。心の準備は完了である。

「じゃあ鈴原さん。配置について。スポットライトはあなた一人だけでお願いね。それから初めに私に少ししゃべらせて」

「わ、わかりました」

 生徒会員たちの学園祭がまもなく幕を開ける。




「香山せんせー! こっちです! ちょっといいですかぁ!」

「まってぇー」

 時計塔ホールから出て来た二人の影。それは津久田あかりと香山先生のものである。

「どうしたのぉ?」

「演劇見ましたよ! みなさん素敵でしたぁ!」

 あかりは三年生の演劇を二公演連続で観ていた。

「うまくいったねぇ。先生びっくりしちゃった」

 責任者としては少しずれた感想である。

「それで先生! もしお時間があったら生徒会の催し見に行きませんか!」

「生徒会? あ、津久田さん生徒会好きだもんねぇ」

「はい! 大好きですぅ! ご一緒にいかがですか!」

「いいよぉ」

「やったぁ!」

 類が友を呼んだ一例である。近頃あかりは妙に香山先生と気が合うのだ。二人は人波を縫いながら体育館へ駆け出した。



「大変長らくお待たせいたしました。これより生徒会主催、サンキスト女学園学園祭特別ゲストコンサートを行います」

 客席の電気が消えたかと思うと、舞台の脇にマイクを持ったケーキ好きのアントワーヌが登場して司会を始めたので客席は大いに盛り上がった。

「ここで予めお詫び申し上げなければならないことがございます。本日舞台に立ちますのは、私たちがメルヘンな広告ポスターや舞台上の横断幕に掲げてございます本学園OGの「シンガーソングライター石津さん」ではございません。石津様は本日体調を崩されてゲスト参加できなくなりました」

 会場がざわめいた。確かに「石津さん」のことは誰も知らないのでここでガッカリする者ははっきり言ってあまりいないのだが、OGの体調を心配する声と今日のライブがどうなるのか不安視する声はたくさん上がったのだ。

「ご安心下さい。石津様は歌い過ぎというご病気で寝込んでしまわれました。本日を含めてゆっくりと休養をとって頂き、同時に生徒会員の倉木が石津様を責任をもってしっかりと看病いたしますので、すぐによくなると思われます」

 生徒たちはほっと胸を撫で下ろし、弓奈に看病される石津さんをうらやましがる余裕まで出て来た。会長は場の空気を前向きにさせるしゃべり方を心得ている。

「そこで、本日皆様にご紹介いたしますのは、スペシャルゲストのスペシャルゲスト、石津様のご友人、お友達さまでございます」

 拍手が沸き起こった。舞台袖で雪乃ちゃんを抱きしめて頭を撫でていた弓奈は、そんな言い方するとハードル上がっちゃうじゃんと思った。

「雪乃ちゃん。そろそろみたいだけど、行ける?」

 弓奈は雪乃にささやいた。雪乃は弓奈に抱きついたまま少し背伸びをし、弓奈の胸に顔をうずめてからうなずいた。

「それでは登場して頂きましょう。小さな音楽家、鈴原雪乃様です。どうぞ!」

 雪乃は弓奈の腕を離れて歩き出した。雪乃よりも大きなスピーカーの裏を抜けると、すぐに広いステージが顔を出した。次の瞬間彼女は姉が注いでくれたまばゆいスポットライトの中にいたのだった。

 これまで騒がしかった会場は一気に静まり返り、生徒たちは互いに顔を見合わせ合った。まさかこんなに小さな子が舞台に立つとは思ってなかったからだ。

 石津さんはヴァイオリンを得意としているがギターを弾きながら歌を歌ってくれるはずであるという弓奈の証言に従ってマイクとマイクスタンドは用意されていたのだが、偶然これが雪乃を救った。ギター用に一段低く設置されたマイクが雪乃にはぴったりだったのだ。雪乃はとりあえずマイクの前に立った。

 スポットライトの中にいるので客席はよく見えないが、雪乃の許容範囲外の大人数が彼女を見つめていることは確かであり、暗闇の中のかすかなざわめきに意識をもっていくとそこに全てを吸い込まれてしまいそうな恐怖を雪乃は感じた。雪乃の現実から少々離れ過ぎた規模の恐怖だったために強く実感するにいたらなかったことが幸いだったが、それでもこの恐怖のせいで雪乃の頭の中は真っ白になってしまった。

 どのくらいそこに立ち尽くしていたのか分からないが、弓奈に声をかけられた気がして不意に我に返った雪乃は、自分に与えられた仕事を思い出した。王妃様が言うには今一番歌いたいものを歌えばいいということである。そうは言ってもこんな状況ですぐには歌は出て来ない。雪乃は歌を歌っているときはいつも楽しいので、まずは楽しいことを考えてみることにした。そうすれば自然に歌が一曲くらい口から出てくるはずである。

 雪乃が思い描いたのはこの学園に来てからの楽しい毎日と、未来の自分の幸せな姿だった。

「レンガどおりー、はるのうーたー、さきほこれー、あいのはなよー」

 まるで山里に降り始めた初雪のように、澄みきった歌声が体育館の静寂に響き始めた。観客たちはその声のあまりの美しさに息を飲んだ。そしてすぐに彼女たちは気がついた。雪乃が歌い出したのは紛れもなくサンキスト女学園の校歌だったのだ。

「いろづき、はをだき、ちるまもなきー、あいーのーはーなよー」

 雪乃はこの歌をいつだって陰から聴いていた。あるときは音楽室のオルガンの裏から、またあるときは校舎の窓から、生徒たちの楽し気な笑顔を遠くに見ながら聴いていたのである。雪乃の夢は、そんな彼女たちに混ざって歌を歌うことだった。一緒に歌うことができたら、きっと誰も怖くないと雪乃は思ったのだ。

 観客は学園生徒たちだけでなかったが、雪乃の自身の性格や彼女の立場などをこの歌から察した者は少なくなかった。それほどに彼女の歌声は人の心に染みるものであり、特に学園で何度か雪乃を目撃したことがある一部の生徒は雪乃の選曲に胸が震えたのだった。もちろん、弓奈たちもその例外ではない。

(雪乃ちゃん・・・)

 弓奈は小さい子が関わった事態には非常に涙もろくなる女である。雪乃ちゃんにいっぱいいっぱい友達ができますように・・・スポットを浴びる雪乃の横顔が涙で滲んでいくのを見ながら、弓奈は心からそんなことを願っていた。


 弓奈はモテの女神に愛されている女であるが、その他様々な運命からも祝福されている。彼女の願ったことが叶うのか、それとも叶い得る力を持った願いの現場に彼女が導かれるのかは不明だが、今回もささやかな奇跡が生まれることとなった。

 前列の中学生が雪乃に合わせて校歌を歌い始めたのだ。びっくりした雪乃は歌うのをやめてしまったが、前列の少女の歌声が彼女の隣りの少女の心を動かし、またその隣り、後ろへと歌声が広がっていき、あっという間に数十人の合唱となった。

「雪乃ちゃーん! すごーい!」

 舞台袖から弓奈に呼びかけられて雪乃はようやく状況を理解した。恐怖に塗り固められていた緊張や照れがここでようやく雪乃の頬をやわらかに染め始めた。雪乃は耳まで赤くして歌い出した。

 数十人の合唱がさらに広がっていく。しかもそれだけではなかった。パレードを終えて会場に駆けつけていた吹奏楽部員たちが雪乃の澄んだ声とハートに心を揺さぶられ、舞台下のグランドピアノの周りに集まり校歌の伴奏を始めたのだった。


「すごいです! 会場が大盛り上がりですぅ!」

 あかりと香山先生は体育館の入り口にたどり着いた。

「生徒会って何の催ししてるのぉ?」

「コンサートですぅ! OGの歌手さんをお呼びしたんですよ!」

「OG?」

「はい!」

 二人は人をかき分けて会場にもぐり込んだ。

「きゃー! すごーい! みんなで校歌歌ってますぅ! 全部で12番まであるなっがーい校歌を大合唱してますぅ!」

 はしゃいでぴょんぴょん飛び跳ねるあかりの脇で、香山先生は黙ったまま真顔でステージのほうを見ていた。

「・・・香山先生、どうしましたぁ?」

 あかりは先生の様子に気づいて首を傾げた。先生の視線を追ってみても別段変わったところはなく素敵に装飾されたステージがあるだけだった。が、よく見てみるとそのステージで歌を歌っているのはなんとお魚を背負った雪乃ちゃんではないか。

「ゆ、雪乃ちゃん!」

「え?」

「先生! あの人OGじゃなくて雪乃ちゃんです!」

「・・・あぁ」

 香山先生はひと呼吸置いてからいつもの調子を取り戻し、そしてわけの分からないことを叫んだのだった。

「す、鈴原さんがまた小さくなってるぅう!!」


 雪乃は幸せだった。こんなにたくさんの人と一緒に歌を歌うことができるだなんて夢のようだった。会場にあふれる笑顔と飛び交う声援、降りしきる拍手の真ん中で、雪乃の小さな胸はいつまでもトントンという駆け足をやめなかった。その鼓動こそが彼女が未来へ向かっていく歩みに他ならない。雪乃は今日でちょっぴり成長したのである。

 お魚を背負った美しい声の歌姫雪乃ちゃんは、童話の主人公から名をとって人魚姫ちゃんと呼ばれるようになった。

 

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