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93、SKY

 

 空ってどこから上が空なんだろう。

 そんな疑問を弓奈が抱いたのは4時間目の化学の時間だった。弓奈は退屈な授業があると窓の外を眺めるくせがあるのだが、今日はその窓が秋の高い空の色に染まってとても奇麗だったのだ。普段抱かないような問いが弓奈の胸を訪れたのはこの美しさが原因だったに違いない。

「弓奈さん」

「ん? なぁに紫乃ちゃん」

 授業が終わると紫乃がすぐに声をかけてきた。

「授業中によそ見をしちゃだめです」

「あ、ごめん。気づいてたんだ」

 クールな紫乃ちゃんは弓奈の隣りの席で授業を受けているので弓奈の様子の些細な変化に気がついたとしても不思議はないが、よそ見の現場を目撃するにはよそ見をしなければならない事実に二人はたどり着かなかった。

「ごはん食べに行こう!」

「はい」


 学舎の廊下に限らないが、弓奈が公共の場を歩く時に彼女の周りに起こることを整理すると、モテの本質が見え隠れするかもしれない。

 モテレベル1、すれ違う人間が前髪をいじる。これは学校で起こった場合と例えば駅前の通りで起こった場合とではかなり違いで出てくるが、少なくてもモテの初期段階ではある。これは恋愛対象に自分のベストな容姿を見せたいという人間にとって至極当然な思考が生む所作なのである。制服を着ていた場合、特に相手も同じ学園生徒だった場合にこれが起こるとほぼ確実にモテの一歩を踏み出してしまっていると言えるが、私服状態で駅前を歩いている時にこの現象が起こると、それはなんとなく雰囲気に釣られてやっているだけかも知れないのでモテをそこまで心配しなくてよい。

 モテレベル2、すれ違う人間とほぼ確実に目が合う。ほぼ確実と記すと曖昧だが10人中9人と目が合えば残念だがレベル2である。大して親しくない人間の目をすれ違い様に数秒見続けるというのは、一般に考えられている以上に不自然な行為であり、それでもなお目を離さないのは、離さないのではなく離せないからである。このレベルから、すれ違った後に対象を振り返る人間が現れ始める。

 モテレベル3、周囲の人間が歩調を乱す、重要な作業を中断する。レベル3以降は自分が他人の正常な社会生活を妨害しているという自覚を持たなければならない。初恋のトキメキが一目惚れという稲妻に乗り胸に飛び込んできた場合、人は一部の感覚を研ぎすますためその他の行動が疎かになるのだ。世界が止まって見える、あるいはスローモーションのように感じる現象を不特定多数の人間に引き起こしているのである。レベル3の人間は車道のそばを歩かないほうがよい。

 モテレベル4、目が合った人間の100人に1人が卒倒する。自分のせいで救急車がやってきたりするので街などを歩いているとかなりの罪悪感に苛まれるが、レベル4にまでなってしまう人間のモテはかなりの度合いで先天的な要素が含まれるため慣れで胸の痛みをやわらげることも可能である。が、普通の人間として生きることはある程度諦めてもらうほかない。

 モテレベル5、目が合った人間の10人に1人以上が卒倒する。破壊的、神懸かり的モテである。生まれる時代が違えば伝説となり幾千年も語り継がれていたことだろう。あなたこそがレジェンドである。


 さて、レジェンドの弓奈は人に迷惑をかけない方法を僅か16年の人生経験で既に心得ており、すれ違う生徒と目が合わないように床のじゅうたんをひたすらにらんだり、天井を眺めたりして食堂までやってきた。周囲はきゃあきゃあと実に騒がしい。

「ねえ紫乃ちゃん」

「なんですか」

 ごはんを食べるとき弓奈はいつだって紫乃と一緒である。

「ちょっと疑問なんだけど、空ってどこから上が空なのかな」

「え?」

 放送部の質問コーナーで活躍する彼女なら答えてくれるかもしれないと弓奈は思ったのだ。紫乃はパスタにフォーク突き立ててくるくるくるくる回しながらうつむいた。

「こ、高度一万フィートからです・・・」

 紫乃はフォークをずっと回している。

「それ、ほんと?」

「ほ、ほんとです」

「なるほど。謎が解けたよ! ありがとう」

 弓奈は紫乃を心から信頼し尊敬しているので、彼女から回答が貰えたとあらばもう空に関する疑問は解決したかに思えた。

「お姉様ぁ! 紫乃先輩! こんにちはー!」

「おお、あかりちゃん。こんにちはっ」

「あかりさん・・・体操服で食堂を歩き回っては行けないです」

 食堂にあかりがやってきた。5時間目が体育らしく彼女は既に体操服姿である。

「もう教室でお弁当食べたんですよ。お姉様たちのお顔見たくってここに寄りました!」

 あかりは早食いに定評がある。

「そっかぁ! ねえあかりちゃん。空ってどこから上が空だと思う?」

「え? クイズですか? うーんどこからでしょう」

 紫乃がそわそわしている。

「正解はね、高度一万フィートから」

「え、一万フィートですかぁ?」

「うん。そうだよ」

 紫乃は「お先に・・・」と言ってトレーを持つと小走りにお皿を片付けに行ってしまった。

「お姉様ぁ、それたぶん違いますよ」

「え?」

「鳥は空を飛ぶ動物ですよね。でもスズメやハトがみんな高度一万フィートを飛んでますか?」

「あー・・・どうだろう」

 あかりはどうでもいいところで冴えている。

「私は地面のすぐ上からは全部空だと思います」

「なるほど・・・いろんな意見があるんだね」

 どうやら引き続き調査は続けたほうが良さそうである。弓奈はあかりと別れると、なぜか先に教室へ戻ってしまった紫乃を追って食堂の人波をかき分けて歩き出した。

「あ、倉木さぁーん」

「こんにちは。香山先生」

 赤いじゅうたんの渡り廊下で香山先生に出会った。先生はジャージ姿で30円アイスを食べながらの登場なので紫乃ちゃんが見たら呆れるだろうなと弓奈は思った。

「今日はなんだか、いいお天気だねぇー」

「そうですね」

 香山先生はいつだって頭の中が小春日和である。

「香山先生。ちょっと今疑問に思ってることがあって」

「ええ! なにぃ?」

 先生は目を丸くしてぐいっと顔を寄せてきた。リアクションは体育教師らしいスピード感に溢れたものだが距離感は一切わきまえていない。

「空ってどこから上が空なのかご存知ありませんか」

「お空?」

「はい」

「んー」

 香山先生は悩みながら徐々に弓奈に顔を近づけ、温かいおでこをぴったりとくっつけた。なんだかいい匂いがしたが、角度によってはキスしているように見えるため早く離れてほしいと弓奈は思った。

「目の高さから上がお空!」

「目の高さ・・・ですか」

 先生は「うん!」と言って顔をくっつけたまま目をパチパチさせた。長いまつげが触れ合いそうである。

「目よりも低いところを飛んでる鳥はどうなりますか」

「それは地面の上を飛んでるの。目の高さより上に来て初めて、お空を飛んでるってことになるんじゃないかなぁ」

 先生は空を相対的なものと主張しており、確かに彼女の理論は日常の感覚に即している部分もある。

「なるほど! ありがとうございました。助かりました」

「あはー♪ ばいばーい」

 スキップしながら去っていく先生の背中はあっという間に小さくなって曲がり角に消えて行った。彼女にこの星は狭すぎるようだ。

 色んな意見が集まったので、この辺りで天才の小熊会長に正解を訊きに行こうと弓奈は思った。昼休みの会長がどこにいるのか知らない弓奈は、取りあえず管理棟の生徒会室へ向かった。

「失礼しまーす」

 ノックをしてドアを開けると、なんとそこでは鈴原家の次女雪乃ちゃんがバニウオを背負ったままティーカップに紅茶を淹れていたのだった。

「雪乃ちゃん!」

「弓奈」

「こんにちは! 珍しいね、生徒会室にいるんだ。お茶作ってるの?」

「うん」

 弓奈は上の棚を開けてから雪乃ちゃんをひょいっと抱っこしてあげた。

「はーい。お砂糖はここでーす♪」

 弓奈は紅茶の作り方をお勉強中の雪乃が何に困っていたのかがすぐに分かったのだ。雪乃は嬉しくって足をぱたぱた振った。

 雪乃ちゃんの淹れてくれた紅茶はなかなか美味しかった。弓奈は雪乃ちゃんをひざの上に乗せて一緒にティータイムを楽しむことにした。

「雪乃ちゃん、もうすぐ学園祭があるんだけどね」

「うん」

「覚えてるかな、前に私が言ったヴァイオリンの上手なおねえさんがね、学園祭の日に来てくれるんだって」

「ヴァイオリン?」

「そう。メインはギターとお歌なんだろうけど、とっても素敵なお歌だから一緒に聴きに行こうか」

「うん!」

 雪乃ちゃんは弓奈の柔らかい胸に寄っかかってお返事した。石津さんに聞かせてあげたいくらい無邪気でかわいいお返事である。

「そっかそっか! そのおねえさんもね、雪乃ちゃんに聴いてほしいって言ってよ」

 弓奈は紅茶の香りの中に石津さんのまっすぐな瞳を思い浮かべた。

「なんか素敵だなぁ・・・会ったこともない二人が、音楽をきっかけに友達になってく感じ」

「友達?」

「うん。そのおねえさん石津さんっていうんだけど、もう石津さんと雪乃ちゃんはお友達だよ」

 雪乃ちゃんは子猫にように弓奈の腕の中で照れた。


 さて、いつまでも優雅にティーカップを傾けてはいられない。弓奈には午後の授業があるのだ。弓奈はカップを洗って片付けると、棚の奥に隠されているキャンディ缶を雪乃ちゃんに残して生徒会室を去ることにした。

「あ、そうだ。ねえ雪乃ちゃん」

「なに」

 部屋を出る前に、会長に訊けなかったあの疑問を雪乃ちゃんにも尋ねておこうと弓奈は思った。

「空ってどこから上が空か、わかる?」

 キャンディをなめながら雪乃ちゃんはちょっと首をかしげて答えた。

「ファ」

「え?」

「ファ」

「・・・なるほど」

 

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