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91、招聘

 

 買い物袋を提げたTシャツ姿が歩いてくる。

 夏仕様から衣替えをする気のない薄着の彼女は片手に食べかけのドーナツを二つも持っており、遠目に見てもそれがただ者の影でないことは明らかだった。

「こ、こんにちはー」

「おお、弓奈くんか!」

「どうも。また来ちゃいました」

「君も一緒に食べるといい。いつも世話になっているお礼だ」

 弓奈は石津さんの可愛らしい歯形付きのストロベリーサンドドーナツを有り難く頂戴した。

「デートしないか」

「はい?」

「今日は西の空がいい色に焼けている。こんな日は部屋に籠るより川原でも歩いたほうがいい詞が出てくるんだ」

 石津さんは部屋に荷物をおいてギターを抱えて出てきた。せめてケースに入れておいて欲しいものである。

「こっちだ。行こう」

「は、はい」



 川原は駅の裏手を南へ下った先にある。二人は土手を上がって遊歩道をてくてく歩いた。

「あの、今日は実はお話がありまして・・・」

 そよ風は懐かしい土の香りを二人のあいだに運んだ。これは弓奈好きな実家の温室のにおいである。

「お話? この前の件か。それなら大丈夫だ。小さい子と音楽の魅力を分かち合える素晴らしい歌を選曲中だ」

 石津さんはギターをポロンポロン鳴らした。

「その件なんですけど、実は」

「君はぞうさんという童謡を知っているか」

「・・・ぞうさん?」

「お鼻が長いやつだ」

 石津さんは明らかに幼稚園生から小学校低学年生あたりを対象とした選曲をしている。早いところ学園祭の話を切り出さなければ取り返しがつかないことになりそうだ。

「ぞうさんぞうさん、おはながながいのね。これはおそらく動物園にやってきた少女が、柵の向こうにいる子象を見た感想だ。おそらく彼女は『あらあらお鼻が長くておかしいわ♪』くらいのレベルで象の子をばかにしている」

 石津さんの講義が始まった。大人しく耳を傾けるのも礼儀ではある。

「そうよ、かあさんもながいのよ。これはおそらく少女に対する象の子の返事なんだ。不思議ではないか。少女はからかっていたというのに、象の子ときたらなんとも誇らし気ではないか」

 歌に出てくる動物の気持ちまで考えているあたり今日の石津さんは本格的に歌のおねえさんである。

「人にどう思われようと自分の信じた道を歩む。これを無知と言って切り捨ててしまっては酷だろう。この歌は人に限らない純粋な心を持った生き物を描く事で、争いの無意味さを訴えているんだ」

 だんだん寒くなってきた。早く話を済ませて帰らないと弓奈は風邪を引いてしまう。

「そのー、この前の件なんですけどぉ・・・」

「日程は決まったか。その子のためにいつでもライブをしてあげよう」

「・・・十月の最後の日曜日って、大丈夫ですか?」

「十月の最後の日曜日か。分かった。しっかり予定を開けておく」

 石津さんはギターでなんともご機嫌なワルツを弾きはじめた。そろそろ弓奈は生徒会員として今回の学園祭の話を打ち明けることにした。

「あの、実はこの前は私を入れてもお客は二人って言ったんですけど」

「そうだな。一足す一は二だ」

「ちょっと予定変更で、1000人くらいでもいいでしょうか・・・」

「う!」

 石津さんは心臓を押さえてしゃがみ込んだ。

「全校生徒は3000人なので、もしかしたらもっと来るかもしれないんですけど・・・」

「ど、どういうことなんだ」

「突然にこんなお願いをしてすみません・・・実は今年の学園祭のゲストにあなたをお迎えしたくって・・・ダメでしょうか」

「な、なるほど」

「生徒会員としてお願いします。いや、無理だったらいいんですけど・・・」

「いいだろう。構わない。母校に凱旋もわるくない」

「いいんですか!」

 あっさりとオーケーが出た。

「もちろんだ。もしも私がいつか年末のテレビに出演したら、その時は何百万人に見られるんだ。お客が一気に500倍になったからといっていちいちおののいてはいられない」

「ありがとうございます! 無理なお願いきいて下さってホントにありがとうございます!」

 石津さんは左の頬を夕日に染めて弓奈の瞳を真っ直ぐにみつめた。

「弓奈君は私の大切な友達だ。君のお願いとあらば、私はなんだってする」

 男前なお姉さんである。この人が学園生徒だったときはきっとモテたんだろうなと弓奈は思った。

「歌う歌はお任せします。たぶん何曲でも結構ですので。この前お話した小さい子も聴いてくれるはずですのでいっそ童謡にしちゃっても大丈夫です。私たちが全力でサポートしますので石津さんのやりたいようにやっちゃってください! 細かいことはまたお知らせします。当日は学園生徒一同、心を込めて石津さんをお待ちしてますので!」

「そうか。期待に応えられるよう練習をしなければならないな。これは楽しみだ」

 石津さんは下着の透けるTシャツを秋風にはためかせ、赤とんぼのよぎる夕日に向かって歩いていく。

「うん。楽しみだっ」

 そしてカッコよく笑いながらギターを弾き続けたのだった。あれで風邪を引かないのか弓奈にはちょっと不思議だった。

 

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