88、モデル
弓奈がそれを聴いたのは昼休みだった。
『三年E2組小熊アンナさん、二年C1組倉木弓奈さん。お食事がお済みでしたら第一職員室へお越し下さい』
随分丁寧な呼び出しである。生徒会に関することかも知れないが、紫乃を呼ばなかった点が気になる。弓奈は食堂のクリームスープを飲み終えると不安そうな顔をする紫乃に「大丈夫だから」という一言を残して学舎一階の職員室へ向かうことにした。
職員室の前には大抵いつも生徒が何人かうろついている。弓奈はその中に小熊会長の姿を見つけた。
「先輩!」
「あら、弓奈ちゃん早いのね。待ってたのよ。一緒に行きましょう」
妙に会長が明るい。呼び出しの真相を会長が知っているのかは不明だが、別段深刻なものでもなさそうなので弓奈はほっとした。しかし会長がさりげなく弓奈の手を握ろうとして来たので弓奈はわざと伸びをしたり左手の頭脳線を探したりして回避した。
「小熊さん、倉木さん。来てくれてありがとう」
二人を呼び寄せたのは教頭先生だった。彼女は松島美容整形外科の社長に顔がそっくりなため生徒達からマツシマ先生の愛称で親しまれているが、彼女の本名は誰も知らない。
「どんなご用でしょうか。教頭先生」
「これを見てくれる?」
先生はパソコンの画面を二人の方へ向けた。弓奈はパソコンがちょっと苦手なので、デジタルな処理がなされた資料を軽く作成してくる学校の先生たちを多少なりとも尊敬している。弓奈はメモがぺたぺた貼られたパソコンの画面の覗いた。
「・・・広告ですか?」
「そう。学園のパンフレットよ。作りかけの」
入学希望の子によく配布される学園の小冊子だ。いつだったか弓奈も貰った記憶があり、後輩のあかりちゃんもおそらくこれを見ているはずである。どうやらそのパンフレットのデザインを今年一新するらしい。言われてみればもうすぐ新しい施設が時計塔と寮の間にオープンするらしいのでその都合だろうと弓奈は思った。
「どうしても職員の手だけじゃ足りない箇所があるの。どこだかわかる?」
「わかりませんわ」
「わ、わかりませんわ」
弓奈は思わず会長の真似をしてしまった。
「モデルさんよ。制服の」
なるほど改めてこのかわいい制服をアピールすべく写真を載せるとなると、夏服冬服を着たモデルがそれぞれ必要になってくる。そのモデルに推挙されたのが彼女たちというわけだ。
「教師の立場でこんなことを言うのもアレだけど、小熊さんと倉木さん綺麗でスタイルもいいからね」
「まあ! 光栄ですわ」
紫乃ちゃんだって可愛いのに・・・弓奈はなぜか悔しかった。しかしそんなことを考えている場合ではない。弓奈が目立たぬことを最優先にして生きている女であることを知らずに、よりにもよってモデルをさせようなどと考えているこの先生の野望を打ち砕かなくてはならない。光栄なのは弓奈も同じだが会長のように手放しに喜んではいられないのだ。
「あの、先生、申し訳ないんですけどぉー・・・」
「私たちで良ければ喜んで引き受けさせて頂きますわ! 撮影は今日でしょうか。どちらが冬服でも構いませんかしら」
「あなたたちなら引き受けてくれると思ってたわ。放課後私の車で写真館へ行くから、小熊さんか倉木さんのどちらかは寮へ戻って冬服持ってきてくれる?」
弱者の意見は黙殺される。社会の構造、21世紀の仕組みを弓奈は今肌で感じた。
「・・・じゃあ私が冬服持って行きまぁす」
「よろしく。それじゃあ放課後、正門の前で」
会長はまだマシである。なにしろ彼女は今三年生なので来春新入生が入学して来ても彼女たちとの付き合いはないのだ。弓奈のほうは一年間も同じ学園の中で生活しなければならない。「ねぇ、あの人入学案内でモデルやってた人じゃない?」などと後ろ指をさされるに違いないのだ。こうなったらモテないように思いっきり変な顔で写真に映ってやる・・・石津さんのお顔を物まねできる弓奈の決意は固い。
「小熊さん。倉木さん。乗って下さい」
教頭先生の車はシックな黒の乗用車だ。ぬいぐるみが並んだどっかの体育教師のものとはかなり違う。
「駅前の写真館へ行きます。シートベルト、してね」
「わかりましたわ」
「わ、わかりましたわ」
また会長の口調に釣られてしまった。今日の弓奈には自分というものがない。
小熊会長は助手席に乗るものとばかり思っていたので、会長も後部座席にやってきたとき弓奈は慌てた。案の定会長は必要以上に弓奈にくっつき、スカートから覗いた弓奈のふとももを指先でいやらしくなでたりした。運転席には先生がいるので「会長のえっち! 触らないでください!」などと騒ぐことは恥ずかしくてできない。仕方ないので弓奈は先生に気づかれない程度に小声で会長に注意することにした。
「・・・会長、こんなところで・・・やめてください」
完全に逆効果である。
ところで、弓奈はよく人に追われる。もっぱらファン少女たちに追われることが多いのだが今回は違った。彼女の最も身近な少女が今日のチェイサーである。
「香山先生・・・。無理にお願いしておきながらこんなことを言うのも恐縮なんですが、もう少しスピード出ないでしょうか」
紫乃は弓奈を心配して追ってきたのだった。
「ごめんねぇ鈴原さん。教頭先生の車見失っちゃった」
「そうですか・・・でしたら駅前の写真館へ向かって頂けますか。たぶんあそこなので」
「はーい。そういえば私今日免許証持って来てたかなぁ」
「え!」
写真館はガス灯公園の脇にあった。いわゆるチェーン店ではなく、地元の職人の技術のみによって続いている古風なお店だ。サンキスト女学園はなにか大きなイベントがあるとこの写真館のカメラマンに撮影をお願いするらしい。
「カメラマンさんもうすぐ戻ってくるから待ってて下さいって」
イベントの度に学園に出入りするということは女性のはずである。興味は全く無いが、他に心の支えがないのでそのカメラマンが果たしてどんな人なのかを弓奈は楽しみにすることにした。
「今のうちに着替えたらどうかしら」
「あ、そうですね」
ここで着替えて見せろと会長は言ったつもりだろうが、弓奈はそれに気づかぬ振りをして細い廊下の突き当たりにある更衣室へ入った。扉を開けたとたん、上品な虫除け剤の匂いが弓奈の鼻をつく。なんと更衣室には何百というちょっと古風でゴシックな感じの衣装が所狭しと並んでいたのだ。弓奈はこんなにお洋服があるというのに学園の制服しか着られない自分の境遇を呪った。弓奈は確かに目立つ事は嫌いで同性からモテないためには手段を選ばない少女だが、彼女とて年頃の女の子である。可愛い服に目移りすることもあるのだ。
「ほら入る入る」
「ですから、私は違うんです・・・」
遠くに聞き覚えのある声を聴いた。弓奈はささっと冬服に着替えて廊下へ出た。
「紫乃ちゃん!」
「あ、弓奈さん・・・」
「ど、どうしてここに?」
紫乃はそっぽを向いたまま頬を染めた。
「たまたま近所に来たので・・・」
放課後すぐに車に乗った弓奈たちの行き先に、同じクラスの彼女がたまたまいるはずなんてないと弓奈も思ったが、敢えて彼女が自分を追ってくる理由も心当たりがなかったので少々困惑して笑ってしまった。ちなみにここまで紫乃を送ってくれた免許証不携帯疑惑のある香山先生は教頭先生の存在に怯えて先に帰ってしまった。
「あれ、モデル三人いるの」
紫乃の背後にお弁当箱と水筒がくっついたような巨大なカメラを提げた怖そうな女性が立っていた。どうやら紫乃は彼女によって強制的入店をさせられたらしい。
「はいじゃあモデルの二人はさっさとこっち来る」
弓奈は紫乃の肩をつんつんして挨拶してから会長と一緒に部屋へ入った。
椅子に座らせられた写真と立ったままの写真が撮られた。弓奈は立ち姿を細かく注意されたが、会長は普段からモデルっぽい動きをしているせいか終始完璧だった。
「はい。撮るよ」
これまで厳しく指導をしてきたカメラマンのお姉さんは、ここで突然ポケットから牛のぬいぐるみを出してきた。
「ほら、モ〜笑っていいんだモ〜」
弓奈は吹き出してしまった。写真に必要なのは微笑みであって大笑いではないので、プロの笑わせ術が彼女には効き過ぎたということになる。おそらく撮影時の笑顔を引き出すためにわざと怖い女を演じていたのだ。さすがである。
照明の輝きの中に、弓奈はなんとなく去年の卒業式のことを思い出した。今年は小熊会長があの椅子に座ることになるのだと思うと急に弓奈は淋しくなってきた。一緒に写真に映っているこのひと時がある種の奇跡であるようで、この時間がずっと続けばいいのにと思った。
「モ〜一枚撮るモ〜」
撮影終了かと思いきや、カメラマンのお姉さんは背を伸ばして小窓から撮影の様子を覗いていた紫乃を部屋へ入れた。
「な、なんですか」
「一緒に写真とるモ〜」
とんだサプライズである。弓奈は嬉しくって紫乃の手をとり自分と会長の間にはさんだ。紫乃は頬を染めて髪を慌てて整えた。
「それじゃあ、撮っちゃうモ〜」
三人は最高の笑顔で肩を寄せ合ってピースした。
この最後の一枚の写真はしばらくして三人に寮部屋へ直接郵送された。写真の笑顔たちにモデルのような美しい立ち姿はないが、カメラマンのあの女性がもし職業としてファインダーを覗いていなかったとしたら、本当に撮影したかったのはむしろこういった写真だったのかも知れない。あの日の出来事は三人だけのちょっとした秘密である。




