85、ハーイ
『そ。たとえ話だと思って気軽に聴いてね。これはずっと未来のお話なんだけど、ある星、今は火星って呼んでる太陽系の惑星でロボットが作られたの。ロボットと言ってもこれはガイノイド。人間と同じように自分で考えて学習し行動して生きる、人の形をしたロボットよ。作ったのはオリンポス山麓に私立の研究所を構えてたドクター巽理緒。巽博士ね。彼女は地球日本出身の女性で、なんと私たちの学校サンキスト女学園の生徒会長だった人なの。未来のサンキスト女学園ではロボット工学の授業もあるのかもしれないわね。まあ彼女がガイノイドを作る以前にも人間と瓜二つのロボットはたくさん存在してて、胸に耳を当てればエーテル体っていう未来の気体を循環させるファンが回る音が聞こえるくらいの違いしかないから、特に火星では第三次産業なんかを中心に活躍してたみたい。でも巽博士の作ったガイノイドは、ファンの音こそするけれど他のとはAIの根本が違ったの。博士が作ったそのロボットは彼女の苗字をとって “Tatsumi” って呼ばれるようになったんだけど、この “Tatsumi” は「どんな手段を使ってでも生き残る」っていうプログラム、生命の基本的指針を備えていたのね。これまでの機械はどんなにがんばっても命の大切さや本当の意味での情操は学べなかったから、博士はこれが火星ロボット工学の大きな一歩だってとても喜んだの。ところが、この “Tatsumi” が原因で紛争が始まってしまったの。本格機動前の “Tatsumi” 本体とその所有権を奪い合う武力紛争だったみたいね。 “Tatsumi” はどんなことをしても必ず生き残る。単体では非力だけど危害を加えようとする者にはあらゆる手段を使った徹底的抵抗と排除が行われる。つまり兵器を操る兵器。軍が少し頭を使って配置すれば攻めにも守りにも使えてしまう最高の頭脳なの。博士はひどく悲しんだみたいね。こんなはずじゃなかったって。けれど一度出来上がってしまった “Tatsumi” の電源を落とそうとすれば博士であってもその身が危険だし、我が子のように作り上げた “Tatsumi” を機能停止、殺してしまうなんてこと彼女にはできなかったらしいわ。だからなんとかして彼女をこの争いから逃がしてあげようと博士は思ったらしいの。そこで、ほぼ平行して開発していた “Tatsumi” の2号機を1号機の監視用に特化して完成させて、これを “Inui” って名付けたの。なんで “Inui” かっていうと巽の反対の方角が乾だからよ。古風なネーミングセンスね。この “Inui” は博士が戦火を逃れながら必死に開発したガイノイドだったから未完成な部分が多かったけど、 “Tatsumi” の行動監視に最低限必要な機能と “Tatsumi” を抑えて彼女に危害を加えようとするものを遠ざけるのに十分な身体能力を持っていたの。この二機、いや二人が一緒なら、戦火の届かない遠くはなれた地でもなんとか上手くやっていってくれると博士は思ったのよ。彼女は例のプログラムが入っていない一般的万能作業用ガイノイドも一体添えて、計三人。それと一冊の紙媒体のノートを、有機物を含んだ物体ではまだ一度も成功していなかった航時円筒、つまり一方通行のタイムマシンで17世紀の地球の京都、地下110メートルに飛ばしたの。なんで京都かっていうと、そこは少なくても博士が生きている時代まで一度も爆撃を受けない地域だかららしいわ。爆撃なんてされたら “Tatsumi” の過剰防衛で歴史が変わっちゃうからね。17世紀に送った理由は、巽博士の作るガイノイドのエネルギーの限界が理論的に800年だからなの。丁度巽理緒さんが地球でサンキスト女学園を卒業するころに切れるようにその時代へ送ったのね。巽理緒さんはたぶん、平和な時代に、友達として “Tatsumi” に会いたかったんだわ。だから “Tatsumi” たちの居住空間を無理矢理教育機関ってことにして、のちに創立されるサンキスト女学園と姉妹校提携して生徒会長一人を毎年訪問させる決まりを作るよう、 “Inui” にプログラムしたの。このことはサンキスト女学園の創始者の知り合いに目隠しの女性がいなかったか古い資料を調べてみればすぐに証明できるわ。高校生のときに生徒会長になる巽博士は、これによって必ず “Tatsumi” たちに会えることになったのね。これは私の勝手な推測だけど、巽博士はおそらく、三人を過去に送った直後に亡くなっているわ。包囲されて逃げ場のない施設に飛び込んで動作させたそのタイムマシンは、言わば彼女の最後の手段だったから。地球に来てからの “Inui” は本当に巽博士の言い付けを守る優秀なガイノイドだったみたいね。 “Inui” 以外の二人は本人たちが人間の高校生として幸せに過ごせるよう火星の接近に合わせて2年2ヶ月に一度記憶が上書きさせるようになっているらしいけど、 “Inui” だけは違うの。 “Tatsumi” の監視と状態管理のために、自分たちが人間でないことや、遠い未来のテラフォーミングされた惑星にいたことも知ってる。そして自分を作ってくれた巽博士のことも覚えているみたいね。でもひとつだけ、彼女に関わる問題があるのよ。私、愛媛県松山市にある巽さんっていうおうちにお邪魔して17世紀頃から伝わる手記のコピーをとらせてもらって読んだの。江戸時代の初めに盲いた女性がこの本を持って来て、いまから数えて二十七代目の長女理緒さんが15才になる頃にこれを渡しなさい、それまでは中を開くなって言ったそうなの。そのノートを見させてもらうのは本当に大変だったわ。そこには私が今しゃべった内容の他にもうひとつ、 “Inui” について注意点が記載されてるの。 “Inui” は本当に忠実で優秀なガイノイドだけれど、不完全なところが多い上に “Tatsumi” の行動を制限するためにある程度攻撃的な性質を備えているから、彼女の暴走が心配らしいの。実は “Tatsumi” と違って “Inui” は開発初期段階から目的に合わせて組まれたものではないから、判断に使用するエネルギー効率が “Tatsumi” と違うの。彼女の体は800年動くけれど、 “Tatsumi” とその周りの安全を見守るために働く頭脳は、その半分の期間で動作しなくなる可能性があるらしいわ。半分の400年っていうと、丁度今頃よ。不完全だけど “Tatsumi” を上回る性能を持ったガイノイドがその目的から外れた行動をしたら、歴史がどう変わっていっちゃうか分からないわ。だからね、弓奈ちゃん。そのからくり女子塾、今は西風閣よろずよ学園だけど、そこを出てくる前にやって欲しいことがあるの。最終的な判断は弓奈ちゃんに任せるけど、もしも生徒会副会長の犬井ちゃんがなにか悪いことを考えているようなら、地下七階のブレーカーを落としてきて欲しいの。作業用ガイノイドに入れたらしい学園の設計図面の写しにもしっかり描いてあったけど、そのブレーカーは犬井ちゃん本人が気づいてないあの子の間接電源になってるらしいわ。巽博士は “Inui” を799年くらいそのままにしておく覚悟をしていたみたいだけど、この点だけはどうしても心配してたみたいだから。未来の生徒会長さんからのお願いでもあるから、しっかりね。あ、それと素敵なお土産よろしく。学園で待ってるわ♪』
「ハーイ」




