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84、東雲

 

 紫乃ちゃんの瞳。

 その圧倒的求心力に心を奪われた弓奈は、そよ吹く朝風に制服のスカートを揺らして立ち尽くした。

「紫乃ちゃん・・・?」

 西風閣の石段の下、木陰にそっと咲く鈴蘭のように立つその人は、まぎれもなく鈴原紫乃ちゃんであった。

「ゆ、弓奈さん・・・?」

 彼女もまた驚いた様子でかばんを地面にばたりと落とした。

「キャー! お姉様ぁあ! お久しぶりですぅ!」

 よく見ると後輩のあかりちゃんや近所の双子の女の子もいる。弓奈は頭の中の整理がつかぬまま石段を一歩下りた。すると彼女の背後で、塔の重い鉄扉がばたりと音と立てて閉じたのだった。振り返ってもそこに浴衣のお藤ちゃんの姿はなく、扉が壁のように立ちはだかるだけである。しかしその鉄扉は決して冷たく弓奈を突き放すものではなく、どこか弓奈を後押ししているような、柔らかな輝きをもって朝日の中に背筋を伸ばしていた。

「ほんまにおったやろ!」

 弓奈は双子の女の子たちに左右から抱きつかれた。二週間前と同じである。弓奈はふたりの頭をなでながら石段を下りて紫乃ちゃんの元へ歩いた。

「お姉様ぁ!」

 あかりは紫乃のことなど気にせず真っ先に飛び出して弓奈にしがみついた。弓奈は三人に抱きつかれてわけが分からなくなったが、あかりの肩越しに紫乃ちゃんが見ることができた。彼女は遠く東の山の端にたなびく紫雲を背景に、わざと弓奈から目をそらしてもじもじしていた。紫乃ちゃんとしゃべるにはまずこの三人をなんとかしなくてはならないのである。

「み、みんなどうしてここにいるの?」

「お姉様を追って京都に来たんです! ずっとずっと探してましたぁ!」

 あかりが耳元で叫んで教えてくれた。胸が当たっているので離れて欲しいと弓奈は思ったが、そんなことよりも自分を探して大旅行をしてくれていた事実に彼女は胸が震えた。

「ほ、ほんとに!? えー! ありがとう! 紫乃ちゃんも?」

 紫乃はそっぽを向いたまま耳を染めてうなずいた。

「わー! ありがとう! ほんとにびっくりしたぁ」

 おそらく弓奈にとって今年一番のサプライズであった。

「君たちもありがとう。ここまで案内してくれたんだね」

 双子の女の子たちははしゃぎながらようやく弓奈の腰を離れ、あかりの手を引っぱり始めた。空気の読める少女たちである。あかりはあれよあれよと言う間に彼女たちによって弓奈から引き離された。

「・・・紫乃ちゃん」

 弓奈が近づくと紫乃ちゃんもちょっぴり近づいてくれた。

「リボンが曲がっています・・・」

 紫乃ちゃんが弓奈の襟元のリボンに細い手を添えてゆっくりゆっくり整えてくれた。紫乃ちゃんの前髪が、いつか見たときと同じように朝風にふんわり揺れている。懐かしい紫乃ちゃんの香りに弓奈はなぜか胸がどきどきと高鳴った。こんなに近距離にあって、あかりちゃんたちと同じように気軽にぎゅっと抱きしめられないのは一体なぜなのか弓奈本人にもよくわからなかったが、目の前にいるのが自分の大切な宝物のひとつであることだけは分かった。

 弓奈は彼女を抱きしめる代わりに、紫乃の右手をとって両手でそっと握り、自分の頬のあたりに当てた。

「ありがとう・・・紫乃ちゃん」

 硬派なはずの紫乃ちゃんの瞳が夏の星空のようにきらめいて、頬が桜のように染まって見えたのは、丁度この時彼女の横顔に差し始めた朝日のせいだったのかもしれない。

「帰りましょう! お姉様!」

「そうだね! 京都駅に行こう! 先生待ってるよ」

「紫乃先輩も、いつまでもお姉様にくっついてないで準備して下さい」

「うるさいです。あなたは母の車に乗せません。歩いて帰って下さい」

「ええ! そんなぁ!」

 双子ちゃんたちに心を込めてお礼を言って、三人は朝餉の香りの京の街へ旅立つのだった。




「あ、でも先生。私その時まで、スズメが成長してハトになるんだと思ってたんですよぉ」

「まあ。それは可笑しいですね」

 東名高速道路はもうお盆の時期からちょっとずれているため結構空いていた。あかりちゃんは助手席が楽しいらしく、学園長先生と元気におしゃべり中である。

「でも助かっちゃいましたぁ。帰りの新幹線代が浮きましたから。ねえ紫乃先輩」

「・・・はい」

 少し恥ずかしそうに答えた紫乃ちゃんは、なにかを思い出した様子でカバンを開けて中を探り始めた。その様子を見て弓奈もあることを思い出しスクールバッグのポケットに手を入れた。

「紫乃ちゃん」

「な、なんですか」

「はい。これ、お土産だよ」

 弓奈が手渡した小さな紙袋を目をまるくして受け取った紫乃ちゃんは、同じような小さな包みをひとつ、弓奈に差し出した。

「実は・・・私も」

「え! ほんとに? 京都のお土産?」

 思いがけないお土産である。弓奈はそっと紙袋を受け取った。

「ありがとう! 開けていい?」

「は、はい。それじゃあ私も・・・」

 弓奈は紙袋を破いてしまわぬよう丁寧にセロテープを取ってからひらいた。

「え」

「え」

 二人は顔を見合わせた。

「こ、これって」

 弓奈は吹き出すように笑い出した。弓奈の手の中には桜色の花のストラップが、そして紫乃の手にも淡い紫色の花のストラップが輝いていたのだ。よく見ると紙袋の柄が同じなので買ったお店も同じようである。可笑しくて可笑しくて弓奈は紫乃ちゃんに肩をくっつけておおはしゃぎした。紫乃ちゃんもストラップを何度も見比べながら嬉しそうに頬を染めていた。

「ええ! 色違いのストラップですか! たまたまそろったんですかぁ!?」

 あかりが顔を出して騒いだ。

「え、うん! なんでだろう・・・!」

「お姉様ぁ! 私もお土産ほしいです!」

「あ、ちゃんとあかりちゃんにもあるよ」

 弓奈はもうひとつ紙袋を取り出して彼女の手に乗せてあげた。あかりちゃんは「ありがとうございますぅ!」と言ってびりびりと紙袋を開けたが、中から出てきたのはストラップではなく小さなぬいぐるみだった。

「な、なんですかぁこれ」

「鳴くぜウグイス君。お腹押すと鳴くよ」

 鳴くぜウグイス君は『ドキドキ桓武大遷都中!』という夕方のアニメに出てくる目つきのわるいウグイスで、唐突に登場しヒロインの肩にとまってゲロゲロとカエルのような声で鳴いてすぐに去っていく大人気キャラクターである。

「なんか・・・紫乃先輩のストラップがうらやましいですぅ!」

「そんなことないよぉ! それも一生懸命選んだんだから」

「そうです。弓奈さんからお土産があっただけでもありがたいと思わなきゃだめです」

「わぁ! 今この子、ゲロゲロって鳴きましたぁ・・・」

「かわいいでしょ?」

「え! まぁ、はい」

 弓奈たちの笑いにつられて運転中の学園長先生まで笑い始めた。あかりも笑っていた。弓奈は三人の笑顔をいつまでも胸にしまっておきたくて車内を見渡した。すると、窓に遠く海のきらめきが見え始めたではないか。

「紫乃ちゃん! 海だよ」

「はい!」

 湾に浮かび太陽に向かってそびえ立つ入道雲に、窓に映った二人の笑顔がぼんやりと浮かんでいた。

 目にしみるような白だった。

 

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