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82、ダンケ

 

 朝は時計の針だけが知っている。

 よろずよ学園で迎える最後の朝はいつもと同じように目覚まし時計から明けた。昨夜、送り火を一緒に見に行った竜美さんは、そのあと一緒にお風呂に入って一緒の布団で眠った。昨日はなぜかお風呂などでもいたずらをされなかったが、その代わり布団の中ではずっと抱きつかれていた。朝一番の歯をみがきと着替えを済ませた弓奈は、まだ眠っている竜美さんの頭をやさしくなでて部屋を出た。

 朝ご飯を作りに行く前にお風呂場を覗いてみたが、まだ眠っているのか犬井さんの姿はなかった。午前中に彼女に会うことは稀なので出発する前に挨拶を言えるか弓奈は不安になってきた。弓奈が朝食を作るために調理実習室へ向かおうとした、ちょうどその時である。

「わ!」

 突然電話のベルである。そういえば昨夜は電話が鳴らなかった。今日はわざと時間をずらしたのかも知れない。少なくても犬井さんには都合がわるい電話らしいが、今は彼女が近くにいないので電話に出ることが可能である。弓奈は少し迷ってから電話へ駆け寄り、意を決して重たい受話器を持ち上げた。

「はい倉木・・・じゃなくて、よろずよ学園です」

『あら、弓奈ちゃん。ごきげんよう』

 弓奈は思わず耳を疑った。

「え・・・小熊会長ですか?」

『まあ、声だけで気づいてもらえて嬉しいわ。今日の弓奈ちゃんはどんな下着なのかしら』

 時々電話を掛けてきていたのは会長だったらしい。弓奈は廊下をキョロキョロ見渡しながら小声で受話器に話しかけた。

「一体なんの用事ですか。結構私、びくびくしながら電話に出てるので手短かにお願いします」

『久しぶりにそのかわいい声が聴けたのに淋しいこと言わないでぇ。今日は弓奈ちゃんにとっても素敵なお話をプレゼントしてあげようと思っているのよ』

「お話?」

『そ。たとえ話だと思って気軽に聴いてね。・・・』

 会長の長い長い電話、その独り語りが終わるまでおよそ10分。お話の開始早々に内容についていけなくなっていた弓奈は、不本意だが話のほとんどを聞き流してしまった。弓奈は基本的に普通の女子高生なのだから、唐突に難しい話をする会長がわるい。

『・・・あ、それと素敵なお土産よろしく。学園で待ってるわ♪』

「ハーイ」

 よく分からない電話が終わって一息ついた弓奈は、電話の内容の一部をなんとなく思い出しながら同じ階のお月見部屋を覗いてみた。やはり犬井さんはいない。弓奈はこっそり部屋にお邪魔してぼんやりと三笠の月を眺めた。弓奈はこの部屋の畳に染みたお香のかおりが結構好きである。

「私にも、月が見えます・・・だっけ」

 犬井さんがいつか言っていた台詞をつぶやいたら、弓奈はなんだかよく分からないが胸がほっこり温まった気がした。

「朝ご飯、作りにいこ」




 八坂神社のそばの細い路地には夜の最後の名残がうずくまっていた。まだ蝉たちも眠い目をこすっている時間なのに、紫乃とあかりは重い旅行カバンを引きながら最後の捜索を行っていた。

「先輩。このあたりは老舗料亭とお寺ばっかりですねぇ」

「その中に姉妹校があるのかもしれないです。諦めちゃだめです」

 今朝よもぎとお別れをしてきた紫乃だが、一晩じゅう抱きしめて眠ったので最後は泣かなかった。笑顔で去って来たのである。紫乃はこの夏、とても素敵な友達を得てちょっぴり成長したようだ。

 石畳をたどっていると、料亭の前で打ち水をする小さな女の子を発見した。こんな朝早くから門掃きなんて感心な子である。

「あの、すみません。この写真のおねえさんを見た事ありませんかぁ?」

 もう何十回も言ったセリフである。女の子は桶と柄杓を持ったまま、あかりの差し出した写真をじっと見て固まった。

「ひなぁ。ひなぁ。ゆみなおねえちゃんの知り合いきたで」

「ゆ、弓奈おねえちゃん!?」

 思わず紫乃とあかりは声を揃えて叫んでしまった。少女が「ひなぁ」などと呼びかけていた料亭の庭から、少女と同じ顔をした女の子が銀のじょうろを持って出て来た。双子らしい。

「ゆ、弓奈さんを知っているんですか!」

「あのなぁ、時々この辺でおうてなぁ、うちらこっそりあとつけんねん」

 彼女たちは買い出しに出掛ける時の弓奈さんをたまに見かけているらしいのだ。

「そ、それでどうして名前を知ってるんですか」

「前なぁ、うちらが抱きついたらなぁ、笑っていっぱいおしゃべりしてくれたんや」

 弓奈さんらしいなと紫乃は思った。どこへ行っても彼女は人に好かれるのである。

「弓奈さんが今どこにいるかご存知ないですか! 追跡したりしたんですよね!」

「さいふうかくや」

 双子の女の子たちは声を揃えてそう言って同時に立ち上がり、同じ場所を指差した。その先には天に突き立つトンガリ屋根がほの白い夜明けの空をバックに浮かび上がっていた。




 弓奈が実習室でお魚を焼いているころ、竜美さんがやってきた。いつもと違ってなんだか大人しかった彼女は弓奈の膝の上に乗ってごはんを食べた。なんとなく彼女の気持ちを察した弓奈は竜美さんのお腹をくすぐったりして笑わせようと思ったが反応はいまひとつだった。

 すべての荷物をまとめて制服を着た弓奈は地下五階の昇降口へやってきた。長かった姉妹校滞在もこれにて終了である。

「それじゃあ竜美さん。お世話になりました」

 昇降口まで見送りに来てくれた竜美さんは足元の畳に視線を落として弓奈と目を合わせてくれない。

「・・・犬井さんにはお会い出来なかったんですけど、よろしく伝えておいて下さい。とても楽しかったですって」

 その時竜美さんは首を斜めにかしげたまま少し顔を上げたが、彼女の目は真っ赤だった。まさか彼女が泣きそうになるだなんて考えてもみなかった弓奈は動揺してしまった。これはなにか気が紛れるような、元気づけられるようなひとことを言ってから去らなければいけない。

「えーと、あの、また一緒に遊びましょうね! 今度はシャボン玉選手権とか。どっちが高く遠くまで飛ばせるか・・・」

「・・・弓奈!」

 裏返ってかすれた声で叫んだ竜美さんは、弓奈に思い切り抱きついた。

「・・・いっぱいいじわるして・・・悪かったのじゃ。嫌味を言って・・・すまなかったのじゃ」

「竜美さん・・・」

 竜美さんは鼻をぐすぐすいわせながら弓奈の胸にしがみついている。

「・・・弓奈の作ったごはんは・・・おいしかったのじゃ。お前と一緒のお風呂は・・・楽しかったのじゃ」

 弓奈は竜美さんの頭をなでながら、きゅっと目を閉じた。このままでは自分も泣いてしまうと思ったからだ。弓奈だってかなり泣き虫だが、お別れ際に涙は見せたくないのである。

「・・・これからは・・・もっといい子になるのじゃ。わがままは絶対、言わないのじゃ・・・だから」

 弓奈はまるで流れ星のように自分の頬を涙のしずくが落ちていったのを感じた。

「だからっ、いくなああ! ずっと、私のそばにいて欲しいのじゃああ!」

 弓奈はなにも言えずに竜美さんを抱きしめて、涙に震える小さな背中をなでた。それがムリなお願いであることは竜美さん自身も分かっていたのである。

「次は・・・次はいつ会えるのじゃ」

 じっと抱きしめ合ったまま、竜美さんは口を開いた。

「来年は来年の生徒会長さんがここに来ることになりますね」

「・・・弓奈じゃなきゃイヤなのじゃ」

 弓奈は腕を放して竜美さんの真っ赤になったお目々を見ながら言った。

「じゃあ、来年は竜美さんがこっち来て下さい」

「私が・・・?」

「はい。犬井さんも一緒に」

「・・・犬井は気難しいから、誘えるか分からん」

 弓奈は竜美さんの頬をハンカチで拭いてあげた。

「何人でいらしても歓迎しますからね」

「ならば、来年はよろずよから親善訪問が行くと、学園長に伝えるのじゃ」

「わかりました。必ずまた会いましょうね」

「うん・・・」

 二人はもう一度ぎゅっと抱きしめ合った。竜美さんが一体何年生なのか、来年もこの学園の生徒会長ができるのか弓奈には疑問だったが、そんなこと関係なしに竜美さんは必ず来てくれる気がしたので敢えて訊かなかった。

「小熊様。お靴です」

 係としての意識が高いのかマイペースなのか不明だが、浴衣ちゃんはいつも通りのスマイルで弓奈のローファーを土間に並べてくれた。

「ええと、お藤さんでしたよね。お世話になりました。これ、お借りしてた手帳のページです。ありがとうございまし・・・」

「さすが小熊様。律儀な方です」

 若干食い気味である。弓奈が靴を履く時も竜美さんは彼女の手を握ったままだった。弓奈は靴を履き終えてふいに天井を見上げたが、そこでは二週間前と変わらずしっぽの細い龍が一匹極彩色の中を泳いでいた。弓奈はなんとなく竜頭蛇尾という言葉を思い出したがその意味は思い出せなかった。竜美さんはもじもじとしたままどうしても弓奈の手を放してくれない。

「それじゃあ、帰ります。またね」

「・・・んー」

「また、会えますから・・・」

 本当は自分だって竜美さんとは離れたくない・・・けれど私にはどうしても譲れない自分の居場所がある・・・その想いを確かに竜美さんの心に残したくて、弓奈は意を決して彼女を抱き寄せた。そして竜美さんのちいさなおでこにキスをしたのだった。恋をしているわけではないのだから頬にはチュウできないが、これがせめてもの恩返しである。握りしめられていた竜美さんの温かい手は花がほころぶようにほどけていった。

「さよなら!」

 弓奈はキャリーバッグを引いて駆け出した。もう振り返るまいと弓奈は心に決めた。お藤ちゃんも青い提灯を点けて彼女のあとを追って走り出した。

「弓奈!」

 竜美さんは裸足で土間に下りて叫ぶ。

「ダンケじゃあ! ダンケー!」

 ありがとうはどこの言語であっても相手に伝わるものである。弓奈は早速誓いを破って振り返った。竜美さんは涙で頬を夏の色にきらめかせながら太陽のように笑って手を振り、飛び跳ねていた。

「竜美さーん! だんけー!」

「ダンケダンケー!」

「だんけだんけー!」

「ダンケダンケダンケー!」

 自分ができる最高の笑顔とありがとうを残して弓奈は前を向いて走った。弓奈の靴音は彼女が彼女の命を生きている証であり、その響きに迷いはなかった。弓奈もこの夏ちょっぴり大人になったようである。

「小熊様! またいらして下さいね」

「あ、私倉木・・・」

「それとも私もさんきすと女学園様にお邪魔してもよろしいのですか」

「は、はい! もちろんで・・・」

「はれ〜! きっと三人でお邪魔いたします」

 薄暗い地下道を抜けた先、つまりは弓奈の未来になにが待っているのか、それは誰にもわからないが、なにか素敵なものがあるに違いないという予感が彼女の胸の中で熱く燃えていた。

 地下道の出口までもうすぐである。

 

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