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78、リーベ

 

「ふぅー」

 弓奈が自分の部屋で英語の宿題をやっていると、竜美さんがやってきた。「遊べ」と言われて一緒に遊んでいてはこの身と精神がもたないということを経験を通じて学んでいる弓奈は、勉強中くらい彼女の相手をせず自分のことに集中すると心に決めたのだ。

「ふぅー」

 数々の残酷な奇跡が弓奈の総合成績を学年トップに至らしめているがそれは英語も例外でなく、弓奈は一学期の答案用紙にも “Perfect!!” と書かれてしまい、そのせいでまたモテてしまった。ちょっとぬけてる人を好む女子だっているはずだから、勉強ができるからといってそれがそのままモテに直結することはあり得ないはずなのに、なぜか弓奈の人気は止まらない。

「ふぅー」

 いっその事こういった宿題を一切やらずに登校して不真面目キャラを演じ、ファンたちを落胆させるという手もあるが、それでは清く正しい生徒会のメンバーとして紫乃ちゃんに顔向けができないので実現は難しい。結局弓奈はこうして真面目に机に向かうしかないのである。

「ふぅー」

「あの・・・竜美さん。シャボン玉は廊下でやって頂けませんか」

「なんじゃ。私を無視して勉強に集中するのではなかったのか」

「そうなんですけど・・・こんな至近距離でシャボン玉飛ばされましたらほっぺに当たりますし・・・ちょっとテキストも濡れちゃいましたし・・・」

 竜美さんは随分と嬉しそうにシャボン玉のストローを弓奈に向けているが、弓奈のほうは「遊べ」と脅されながら拳銃を突きつけられている気分である。

「ふぅー」

「わ、ちょっと、冷たいです」

「今日はお前と祭を観に行くのじゃ」

「・・・お祭?」

「単なるストームではないぞ。祇園祭じゃ!」

 あれあなた外には出ないんじゃなかったのと弓奈は疑問に思ったが、それよりも祇園祭という言葉があまりに印象的だったため弓奈の頭は止まってしまった。

「祇園祭ですか! 聞いたことありますよ、京都の大きなお祭りなんですよね」

「お、弓奈のような白痴でもさすがに知っておったか。そうじゃ。祇園祭じゃ。早く行くぞ」

 弓奈が悩みながらもテキストを読み続けているのが気に食わなかったらしい竜美さんは、テキストのページのはじに噛み付いた。

「ちょっと! 本食べないで下さい!」

 これは宿題どころではないで、弓奈は竜美さんと一緒にお祭りを見に行くことにした。

 三十分後、指示された通り弓奈がやってきたのは、外でも昇降口でもなく地下2階の映写室だった。

「んー、どこへいったかのう」

 竜美さんは畳の上に段ボールを三つほど広げて何かを探していた。

「来ましたよ竜美さん。何探してるんですか」

「お、弓奈か。なんで着替えたんじゃ?」

「え、だって・・・」

「そうか。気合いを入れて映像を観るためじゃな。弓奈も祭好きじゃの」

「映像・・・?」

 竜美さんは「あったあった」と言って箱から古めかしいビデオテープを取り出し、秘密の部屋から運んできたと思われるビデオデッキにこれをつっこんだ。どうやらお祭に「行く」のではなく「観る」らしい。わざわざ着替えた弓奈がバカみたいである。そもそも祇園祭は七月に行われるお祭なので今年はもう既に終わっているのだ。

「富士の白雪ゃノーエー♪ 富士の白雪ゃノーエー♪」

 なかなか動き出さないビデオデッキの前で竜美さんが手拍子して歌い出した。ノリノリである。

「それって祇園祭の歌なんですか」

「あほ。これは静岡民謡じゃ」

「そ、そうですか・・・」

 納得のいかない怒られ方である。

「お、動いたぞ! 弓奈、電気を消すのじゃ」

「はい」

「富士のさいさい♪ 白雪ゃあ朝日ぃーでとーけーるぅ♪」

 竜美さんが歌いながらプロジェクターのリモコンをいじると、スピーカーからお囃子が聞こえてきた。そして正面のスクリーンに映し出されたのは頭がとんがった大きな大きな山車だった。

「わあ・・・すごい」

 畳の上に弓奈がそっと腰を下ろすと竜美さんがやってきて彼女の膝の上に座った。竜美さんの体は結構重かった。

「弓奈! これは長刀鉾じゃ! 山も通るぞ! 弓奈はどれが好きじゃ」

 竜美さんの肩越しに観た山車に、弓奈は見覚えがある気がした。それはまさに三日に一度買い出しに行く際に見かけているこの学園の入り口、あの派手な塔そっくりなのだ。あの塔を設計した人はこの鉾とかいう山車を参考にしたに違いないと弓奈は思った。

「信じられんのう! どうしてこんなにでかいものが動くのじゃ。そら! またなにか来るぞ! 天神と書いてあるの!」

 竜美さんが弓奈の膝の上で跳ねる。弓奈は彼女の肩をそっと抱きながら一緒にスクリーンを眺めた。映像はなぜかかなり古いもので、カラーのフィルムではあったがそこに映される街並みは京都に詳しくない弓奈の目にも平成時代のものでないことは明らかだった。

「辻回しじゃ! 弓奈! こいつ今から向きを変えるぞ! それぇ! まわせー!」

 弓奈の心に不可解な感傷が芽生えたのは、ちょうどこの時だった。北風に揺れる秋の日だまりのコスモスのように、竜美さんの横顔が儚気でやわらかく見えたのだ。戦後民主主義黎明期のスノッビズムに命をかけるバンカラな旧制高校生のように振る舞う竜美さんの、一体どこに見た者に感傷を抱かしむる要素があるのか、それは弓奈にしかわからない。おそらく彼女が小さい子ども好きであるという点が無関係ではないが、もっと深く彼女の精神に根ざしたある種の純粋なものへの憧れがあったのかもしれない。

「んあ?」

 竜美さんが弓奈の異変に気がついて振り向いた。弓奈の心を覗こうと、竜美さんは大きなおめめをさらにまんまるにした。

「弓奈・・・どうしたのじゃ」

 スクリーンの中のお祭りに夢中だったはずの竜美さんは弓奈の膝の上で180度向きを変えて座り直した。

「・・・なんで泣いておるのじゃ。腹が痛いのかの」

 弓奈は笑顔を作っていたが、その頬には温かい雫が伝っていた。

「・・・泣かないで欲しいのじゃ。私がわるいことをしたのならちゃんと謝るのじゃ・・・」

 戸惑う竜美さんが妙に優しいので弓奈はますます泣けてきた。弓奈は竜美さんの髪を撫でながら、あふれる涙を懸命に飲み込んだ。

「竜美さん・・・」

「ん・・・?」

「八月に京都でお祭りはありますか」

「・・・なぜそんなことを訊くのじゃ」

「・・・一緒に、本物のお祭りに行きましょう」

 合わせ鏡となったお互いの瞳は、スピーカーから流れる乾いた祭り囃子の中にあって瑞々しく息づいて見えた。

「・・・本物の祭り?」

 竜美さんのささやき声に弓奈は首を縦に目一杯振った。

「はい・・・本当のお祭り」

「でも・・・外に出ようとすると、犬井が怒るのじゃ。私が外に出ないのは、この学園の決まりなのじゃ・・・」

「お願いしてみましょう。きっと分かってくれますよ」

 竜美さんは首を横に振った。

「ダメじゃ・・・絶対にダメなのじゃ。怒った犬井は怖いのじゃ・・・」

 確かに犬井さんがわがままを許してくれるタイプの人間でないことは弓奈も感じていた。しかし弓奈は諦めない。

「それじゃ・・・こっそり行きましょう」

「・・・こっそり?」

「・・・私が京都にいられるのはあと数日なんですけど、近所でお祭りはないですか」

 竜美さんは左目をこすりながらしばらく何か思案していたが、やがて奇麗なおめめを開けて答えた。

「五山送り火があるのじゃ・・・」

「ござんのおくりび?」

「いっぱい写真を見たのじゃ・・・私のベルクファイルにもたくさん切り抜きを貼ったのじゃ」

「大文字焼き・・・みたいなやつですか」

「そうじゃ・・・お盆の最後にあるのじゃ。16日の夜なのじゃ」

「見に行きたいですか・・・?」

「うん・・・」

 うんだなんて可愛らしい返事を弓奈は竜美さんから聞いた事がなかった。

「私・・・17日の午前中に帰ることになってるので、一番最後の思い出に、一緒に行きましょう」

「うん・・・」

「広いところで・・・シャボン玉もいっぱい吹きましょうね」

 竜美さんは「弓奈」と小さく囁いてぎゅうっと弓奈にしがみついた。




 その日の夜、竜美さんはずっと弓奈のそばを離れなかった。ごはんを作る時も、食べるときも、お風呂も、歯磨きする時も、そして寝る時も。

「弓奈・・・」

「なんですか」

 弓奈の部屋のお布団に一緒に潜り込んだ竜美さんは弓奈の腕にしがみついて肩のあたりをやさしく噛んだり頬擦りしたりした。

「弓奈には、リーベおるかの」

 弓奈にはリーベという言葉の意味が分からなかったが、なんとなく言いたいことは伝わったので答えてあげた。

「いませんよ」

「・・・でも、好きなやつはおるじゃろ」

「好きな人もいません」

「・・・嘘じゃ」

 竜美さんはさらにぎゅっと腕に抱きついた。

「・・・お前を見ていると、分かるのじゃ。ときどき違うやつのことを考えているのじゃ」

「違う人のこと・・・?」

「お前は気づいていないだけなのじゃ。・・・本当はそいつに、リーベしとるんじゃ」

 竜美さんが眠ってからも、弓奈はなかなか寝付けず、天井を見つめてぼんやり考え事をしていた。今日はなぜかどこかで空調のファンが回る音がしていてそれも妙に気になった。

(リーベしてるって・・・どういうことだろう・・・)

 そんな馬鹿なと思いながら、弓奈のまぶたの裏にはいつか見た屋上の白い雲が流れていた。

 

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