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70、秘密の部屋

 

「ほれ弓奈! もっと急げ」

 畳用のほうきはおそらくシュロ皮の繊維で出来ていて一本一本が細くとても柔らかい。

「そんなことでは日が暮れるぞ! それ、もっとわきをしめるのじゃ!」

 生徒会の間は例の赤富士をはじめ装飾には凝っているのだがあまり掃除をされないらしく、広い部屋の隅にはマリモのような綿ぼこりたちが仲良く昼寝していた。

「竜美さん・・・もう少しはじに寄っていて下さいませんか」

「なんじゃ。私が邪魔だというのか」

「そうじゃないんですけど・・・」

 弓奈一人に掃除をさせておきながら竜美さんは紅色の扇子をぶんぶん振り回して彼女を叱咤するだけである。しかも弓奈が掃こうとしている場所に彼女が立つものだからなかなかに鬱陶しい。

 掃き掃除のついでにふすまの溝の雑巾がけ、天井の蛍光灯の交換、さらには赤富士の前に飾られた木刀のお手入れまで様々な雑用をこなしていたから2時間近く掛かってしまった。人使いの荒い生徒会長である。

「よく頑張ったのう」

「・・・はい」

「あ、じゃがここを見ろ。まだほこりが残っておるぞ」

 姉妹校を訪れてシンデレラ状態になるとは弓奈も思っていなかった。そしておそらくこの学園に救いの妖精はやって来ない。

「よし。頑張った褒美にいいところへ連れて行ってやろう」

「・・・どこですか」

 自分の部屋に帰してほしいと弓奈は思った。

「私のコレクションルーム。秘密の部屋じゃ」

「秘密の部屋?」

「そうじゃ。行くぞ」

「は、はい。あ、いや・・・背中押さなくても」

 二人は黒畳の廊下の突き当たりを右折しお風呂場の裏側へと回る。するとそこに今朝弓奈が利用を避けた巨大な螺旋階段が現れたのだ。下層まで筒抜けの巨大空間を渦を巻くようにくるくると下っていく普通の螺旋階段に見えるのだが、よく観察するとこれが少し特殊で、ちょうど半周ずれた二つの螺旋階段が重なるように並んで下へ続いているのだ。

「どうした」

「ちょっと変わった階段ですね」

「ああ、これは一方通行なのじゃ。こちらからは下りる専用階段。上るときは向かい側を使うのじゃ。大階段へ入れる場所は各階に二つずつあるが、ひとつは出口だから気をつけるのじゃ」

 つまり生徒会の間がある地下一階へ上って来たときはお風呂場の左側へ出ることになるらしい。ややこしい階段である。

 二人は地下二階へやってきた。ここは上の階よりも照明が手加減されていて暗く足元も板張りでかなり雰囲気が違っていた。

「あの」

「しーっ! 犬井に知られてはまずい」

 知られちゃまずい場所に連れ込まないで欲しいと弓奈は思った。

 それにしても弓奈は犬井さんを見かけない。起床時間前のお風呂場で見たのがおそらく彼女なのだが、それきりである。弓奈はお昼ご飯を竜美さんの分だけではなく犬井さんの分まで作ったのだが結局彼女を実習室に呼ぶ事はできなかった。

「ここじゃ」

 竜美さんは細い通路の最奥部のふすまの前で立ち止まる。ふすまはかなり古びた簡素なものなので、確かに秘密の部屋と呼ぶにふさわしい趣きはある。

「靴は脱いで入れよ」

「いや・・・元から履いてませんから」

「パンツ?」

「靴ですー!」

 ふすまはガサガサとつっかえながら弓奈の入室に勿体をつけつつ開いた。

 部屋の中はまさに秘密基地だった。ところせましと並べられた物品の数々・・・床に転がる最新の電気製品、棚に立ち並ぶ日本各地の工芸品やおもちゃ、壁天井に貼られた日本中の写真や地図。集めた当人にしかその魅力が分からないようなガラクタもあるが、かなり高価と思われるものも多数見受けられる。

「どうじゃ!」

「・・・すごいですね」

「私はよくここで茶をしばく。宝に囲まれて放課後のひと時を過ごすというのは実によいものじゃ。」

「茶をしばく?」

「さあ、この部屋を自由に見て回ってよいぞ」

 見て回ってよいと言われても足元には高そうなコピー機や空気清浄機、スピーカーなどが散乱していてとても歩ける状態ではない。弓奈は背伸びをしながら遠くの棚に目をやった。

「お、あれか。あれは私の自慢の逸品が並ぶ棚じゃ」

 竜美さんは電気製品が入っていたと思われる段ボール箱をかき分けて、両手いっぱいの宝物を棚から持って来た。

「これはドイツ製のシャボン玉。ドイツの国鳥が刻印された高級なキセルに見えるがこれはストローみたいなものでの、こちらのボトルのシャボン液を中に入れることができる優れものじゃ。ヴュルツブルクでしか買えんのじゃ。そこの通路のような広い場所でやると楽しいぞ」

 そこの通路はすごく狭かったような気がしたが弓奈はそれを口に出さなかった。

「これは兵庫県明石の名物明石焼の限定パックじゃ。一流の料理人に作らせたのでとても高かったのじゃ。食べ方がわからんので飾っておいたのだが、先月中身が腐っておったわ」

 可哀想な明石焼である。

「それからこっちは私がベルクファイルと名付けた、日本中の美しい山の写真を集めたスクラップブックじゃ。どの山もよき面構えじゃの。大きくて、燃え上がるようじゃ!」

 その本にはまるでアルバムのように写真がたくさん貼り付けられていて、その中には富士山だけでなく日本のあちこちの山が見られた。竜美さんは相当な山マニアらしい。

「あ、ニッコウキスゲ」

「なんじゃ」

「花です。私、花が大好きなんですよ」

「どれじゃ」

 竜美さんの頭が邪魔で写真が見えなくなったので弓奈は彼女の肩から顔を出した。

「綺麗ですねぇこうやって一面に咲いてると。これきっと霧ヶ峰の写真ですよね」

「知らん」

「・・・この写真はどなたが撮った写真なんですか」

「知らんぞ。そんなもん」

「あ、雑誌の切り抜きですか」

「当たり前じゃ」

 当たり前らしい。

「竜美さんは今までにどんな山を見に行ったことがあるんですか。やっぱり富士山ですか。登ったりしました?」

 これを聞いた竜美さんは呆れ顔で振り返った。何か変なことを言っただろうかと弓奈は自分の発言を思い返したが特に心当たりがない。

「お前知らんのか。私は外に出ない女なのじゃ」

 竜美さんはシャボン液をキセル型ストローに入れてシャボン玉を吹き始めた。

「お外に出ない?」

「そういう決まりなのじゃ。ずっと昔からじゃぞ。そんなことも知らんとは弓奈は情報貧民じゃの。これだから乳のでかい女は困るのじゃ」

 夏休みで他の生徒達は帰省してるみたいなのに、どうして竜美さんだけここに閉じ込められているんだろうかと弓奈は首をかしげた。

「じゃあこの部屋にあるものはどうやって集めたんですか」

「通販に決まっとるじゃろう。これぞ21世紀の買い物のスタイルじゃ。世界中に散らばる最高の品をいつでも自由に買い集めることができるぞ。食べ物も、家電も、玩具も、思いのままじゃ。弓奈も何か欲しいものがあれば遠慮なく言ってよいぞ」

 彼女の吹いたシャボン玉は壁一面に貼られた富士山や東京タワーの写真を小さく映してふわふわと浮かび上がり、天井にぶつかってあっけなくはじけて消えた。弓奈はシャボン玉のストローを吹くあどけない竜美さんの横顔を見ながら、小さな声で訊いてみた。

「お外・・・行ってみたくないんですか」

「竜美様」

 第三者の声である。驚いて振り向くと、入り口のふすまに白い袴の女が立っていた。どういうわけか今日も犬井さんは目隠しをしている。

「い、犬井!」

 竜美さんは慌ててシャボン玉のボトルを仕舞った。

「またこんなところにいらしたのですか。もう稽古の時間です。早く支度をして下さい」

 秘密の場所のはずなのにバレバレである。

「べ、別にサボろうと思っていたわけではないのじゃ!」

「早く支度をして下さい」

「お、怒らないで欲しいのじゃ。今日は弓奈に色々見せたかったのじゃ」

「早く支度をして下さい」

「分かったのじゃ・・・」

 竜美さんにも苦手なものはあるらしい。弓奈は竜美さんと一緒に秘密の部屋を出た。

 暗く狭い通路の床にぽたぽたと小さな染みがいくつも残っているのは、ここでよく竜美さんがシャボン玉を吹いて遊んでいる証拠である。

 

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