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67、面白いぞ

 

 まるで絵巻物の世界だった。

 そこは学校の昇降口というよりは極楽の世界へのエントランスといった感じで、けやき漆塗りの上がり框のすぐ向こうからは畳が敷き詰められており、旅館にあるような広い受付や、天井いっぱいに描かれたしっぽの細い龍、さらにはふすまや鴨居に至るまで全てが極彩色に輝いている。弓奈はほとんど光のない通路を抜けてきたのだから眩しく感じて当然だが、それにしても照明がパワフルである。

「お靴はこちらでお預かりします」

 両側に設置された木製の靴箱を開けて浴衣の女の子がそう言った。明るいところで見ると彼女の浴衣は爽やかな藤色である。

「あ、ありがとうございます」

 弓奈は脱いだローファーを靴箱に入れてもらい、畳の上にトンと上った。久しぶりに感じた畳の感触は、夕方歩き回っていた足の裏にとても心地よかったが、こんなところでキャスターを引きずる訳にいかないのでキャリーバッグは腕で抱えなければならなくなった。見たところ自分たち以外に生徒の影はないし、どこかに据えられているらしいスピーカーからは優雅なお琴の演奏が流れているのでとても学校だとは思えない。浴衣の子も自分の下駄を土間の隅に揃えて上がってきた。思ったより女の子は小さかった。

「小熊様、校内図はお持ちですか」

「校内図?」

「まっぷです。まっぷ」

 残念だが弓奈は文字ばかりの学校案内しか持っていない。

「すみません。持ってません」

「私のをお貸ししましょう」

 女の子は浴衣の帯の隙間から生徒手帳のような小冊子を取り出し、そのページを一枚ピリっと引きちぎって弓奈に手渡した。随分と大胆なことをする少女である。

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ」

「必ずお返ししますので」

「ハーイ」

 わら半紙のようなノスタルジックな風合いのそのページには、校内マップと思われる図形の組み合わせがまるで蜘蛛の巣のように複雑に描かれていた。簡単に迷子になれそうな学校である。

「私これからどこに行けばいいんでしょうか。なんか全然わからなくて・・・」

「富士川様にお会い頂くことになっております。よろずよ学園の生徒会長様です。小熊様をあのお方の元までご案内申し上げることが私に与えられた仕事なんですよ」

「わ、わかりました。お願いします」

 少女が頑なに「小熊様」と呼び続けるので弓奈は自分を見失ってしまいそうである。

 エントランスには松や桜が描かれた派手なふすまがたくさん並んでいたが少女はそれらを素通りし、一番奥にある古めかしい木戸をに向かった。裏口のような趣きのその扉の先には、手をつきながらのぼれそうなほどに急勾配な木製階段が続いていた。この階段だけは極彩色ではないので目には優しいのだが足腰には厳しい感じである。

「昇降口があるのこの階は地下五階です。覚えておいて下さいね。富士川様がいらっしゃいます生徒会の間は地下一階にございますので、4つほど階を上がることになりますね」

「わかりました・・・」

 キャリーバッグが重い。こんなことならもうひと回り小さなバッグを選ぶべきだったと弓奈は後悔した。おまけに階段はすべすべなのでソックスを履いている弓奈は転倒しないよう気をつけなくてはならない。

「あのー・・・」

「どうされました? 小熊様」

 階段にやわらかく響く二人の足音に紛れて、弓奈は抱いて当然とも言うべき感想を少女の背中にもらしてみた。

「随分変わった学校なんですね。場所も・・・雰囲気も」

「そうですか? でもすぐに気に入っていただけると思いますよ。生徒もみんな気の良い人ばかりなので」

「あー。それは、よかったです」

 生徒と言っても今のところこの浴衣の少女しか見かけていないのでなんとも言えないが、たしかに彼女は親切で温厚である。彼女はまるで疲れを知らないハムスターのようにトントンと階段を上って行くので弓奈は必死に彼女のおしりを追いかけた。

 さすがの弓奈も息をあげ始めた頃、二人は地下一階と思われる木戸の前にたどり着く。階段はここで終わっているのでどうやらこの階が最上階らしい。

「小熊様、ここから先は気をつけて下さいね」

「え?」

「生徒会長の富士川様はとても気難しいお方です。あなたのその美貌が何らかのトラブルを招かないとも限りませんので」

 ここの生徒はみんな気の良い人ばかりってさっき言ってたじゃーんと弓奈は激しく突っ込みたかったが、浴衣ちゃんは弓奈の言葉を待たずして木戸を開けて廊下へ出ていってしまった。弓奈はキャリーバッグを抱える腕に痺れを感じながら彼女についていった。

 地下一階は地下五階と同じく絢爛な装飾の世界だったが、足元にはちょっと珍しい黒い畳が敷き詰められているのでモダンな印象を受けなくもない。長い廊下の中程に顔を出したらしい二人は、富士川さんとやらが待つ生徒会の間へ向かって歩き出した。沖にたたずむ大鳥居、松の小島が並ぶ湾、内海を横切る砂州の橋・・・廊下の両側に連なったふすまには日本各地の観光名所が描かれているようである。この学園を設計した人は国内旅行好きに違いないと弓奈は思った。

 廊下の突き当たりに現れたのは、ふすまを二枚使って描かれた大きな富士山だった。神妙な顔をした浴衣ちゃんが「心の準備はいいですか」と小声で訊いてくるので弓奈も緊張しながらそっとうなずいた。

「富士川様ぁー。東の国より小熊様がご到着でーす」

「あっ、私の名前小熊じゃなくて倉木です!」

 富士山のふすまの向こうから何やら話し声が聴こえた後「入れ」という小学生くらいの女の子と思われる可愛らしい声で返事がかってきた。生徒会長の他に小さい子がいるらしい。弓奈は浴衣ちゃんに促されるままにふすまを開けた。

「失礼します・・・」

 真っ赤な富士山。天守とも言うべきその大部屋の正面の壁には、北斎の赤富士に似た巨大な山が描かれていた。部屋にいた二人の少女にすぐに目がいかなかったのはこの富士山のせいである。

「おい」

 呼ばれた気がした弓奈がふと富士山の麓に目をやるとそこには部屋の上座にちょこんと座る女の子の姿があった。その子は雪乃ちゃんよりは年長だがあかりちゃんよりは遥かに幼い感じなので高校生には見えなかったが、小洒落た羽織と赤い袴に身を包んでいるため、これが浴衣ちゃんの言っていた「よろずよ限定ハイカラな羽織と紅袴」である可能性が高く、もうしそうだとしたらこの学園の生徒の一人でなのかも知れない。

「ど、どうも」

 弓奈は小さい子と遊ぶのが好きな女なので少しうきうきした。

「座れ」

 なんだか乱暴な言い方だが声がとっても可愛いので許せてしまう気がした。重いバッグを抱えたまま畳の上に正座すると、背後でふすまが閉まる音が聴こえたので弓奈は振り返ったがそこに浴衣ちゃんはいなかった。ここまで案内するのが彼女の仕事だと言っていたので持ち場に帰ったのだろうが、一言お礼を言えば良かったと弓奈は悔やんだ。

「おい」

「あ、はい」

「お前倉木弓奈じゃな」

「・・・はい。倉木です」

 やっと自分の名前を正しく呼んでもらえて嬉しかったが、それよりも袴の子のしゃべり方が気になってしまった。少なくとも京都弁ではない。

「貴様、私の手紙をネグったろう」

「え?」

 袴の子がにらんできた。彼女の言っている意味がよく分からなかったが、どうやら責められているようである。

「去年の夏に来た小熊はひどい女じゃった。地方公務員のようにここのことをねちねちと調べるだけで、我々への敬意が全く感じられぬ。とても親善訪問に来ているとは思えぬ有様じゃった。聴けばまだ二年生じゃという。来年もまたヤツが生徒会長になり、親善訪問にかこつけて再び私の島を土足で荒らしにくることを危惧した我々は貴様に手紙を書いたのじゃ。サンキスト女学園で小熊に比肩する知名度があり、なおかつ大変な人格者であると噂されていた倉木弓奈、お前にじゃ」

 はて、手紙など来ただろうかと弓奈は首をかしげた。去年の九月のことなので受け取った本人も忘れかけているが、よろずよ学園からの手紙は確かに弓奈の部屋に届いており、本文が意味不明で怪しすぎると彼女によって判断されくずかごにプレゼントされている。

「そういえばそんな手紙もあったような・・・」

「そうじゃろう! 読んだのじゃろう! 選挙に出て生徒会長になれと、私はそう指示したはずじゃ! なぜ無視をしたのじゃ」

「ご、ごめんなさい」

 そんな無理な注文が通るわけがない。

「ふむ、まあよい。用事だかなんだか知らぬが、結果として今年小熊は来なかったじゃ。結果オーライじゃ」

 よほど彼女は小熊会長が嫌いらしい。

「私は竜美じゃ。この学園で一番えらいのじゃ」

「たつみさん、ですか」

「そうじゃ。富士川竜美じゃ」

 浴衣ちゃんはたしか生徒会長のことを富士川様と呼んでいた。まさかこの小さい子が生徒会長ではあるまいなと、弓奈はだんだん恐ろしくなってきた。

「そしてこっちの女が犬井。私ほどではないが中々に頭の切れる女での。無口だが頼れる副会長として絶賛活躍中じゃの」

 先程から竜美さんの脇に控えていた彼女は犬井さんという名らしい。たしかに彼女は竜美さんと違って背も高く落ち着いており、着物ひとつとっても竜美さんが燃えるような赤を基調としているのに対して犬井さんは上下共に清雅な白色で揃えているから、無口で頼れる副会長という言葉にも説得力がある。なぜかスイカ割りの時に使うような目隠しをして正座させられているので今の犬井さんには弓奈の姿が見えていないはずなのに、弓奈がそっとおじぎをすると彼女も深々と丁寧なおじぎを返してくれた。なるほど彼女はデキる生徒会副会長である。

 ここで問題となるのは、どう見ても高校生とは思えない竜美さんが生徒会長であるという事実だ。

「え・・・竜美さんが生徒会長なんですか」

「そうじゃ。一番えらいのじゃ」

 竜美さんはそう言って胸を張っているが、巨大な赤富士の手前に座っているせいで弓奈には彼女がますます小さく見えてきた。

「と、飛び級とかですか」

「ぬ」

 竜美さんは立ち上がった。

「ほら! ほーら、始まりおったわ。東の人間はこれだからいけ好かんのじゃ。何かあればすぐにお前はチビだの、洗濯板だのと嫌味を言う!」

「え! そんなつもりは」

 洗濯板ってなんだろうと弓奈は思った。

「ちょーっとないすばでーに育ったかて調子に乗っているとこの学園では痛い目に会うけんね!」

「竜美様。落ち着いて下さい」

 まるで針を飛ばすような犬井さんの一言により、虎の真似をして爪を立て弓奈を威嚇していた竜美さんは大人しくなり再びペタンと座った。

「んん・・・犬井には敵わぬの。それで弓奈、土産はなんじゃ」

「え、みやげ?」

 弓奈は手土産など何も持って来ていない。

「まさか! なにもないのか!」

「ご、ごめんなさい」

 竜美さんは小さなお口をぽかんと開けて心底呆れた様子である。

「あの小熊ですら南蛮渡来の絵筆を・・・」

「竜美様。あれはマスカラです」

「そうじゃ、マラカスを貢ぎ物として残していったというのに・・・今年の使者は太い女じゃのう」

 弓奈は別に太くない。

「まあよい。とにかくこれで話は全て済んだ。もう帰ってよいぞ」

「え・・・帰るといいますと」

「元来た道を辿って去れとゆうとるのじゃ。どうせこーんな時代遅れの田舎の学園に二週間もおってもつまらんなどと思っておるのじゃろう。貴様の考えていることなど、手にとるようにわかるわ。やわらかいパンケーキとベッドが待つサンキストに早く帰ればいいのじゃ!」

 弓奈は胸が痛かった。冷静に考えれば弓奈は特に何も悪いことなどしていないのだが、それでもこの日本人形を今風にアレンジしたような小さくて可愛らしい女の子をガッカリさせてしまったことは確かなのである。ちょっとそこのお嬢さん私はあなたをひと目見た瞬間に恋に落ちました、私も女ですがもしよろしければ一緒に住みましょうなどと道ゆくお姉さんに声をかけられる生活も勘弁だが、このようにあからさまに人から嫌われるというのも何だかイヤなものである。弓奈は半分あきらめながらも挽回の機を伺った。

「あの・・・」

「なんじゃ。何もやらんぞ」

「いえ・・・どうしても、帰らなきゃだめでしょうか」

 竜美さんは首をかしげた。

「酔狂な女じゃの。お前はフランス好きなサンキストの女のくせにここにいたいのか」

「あ、まあ、はい」

 弓奈も別にどうしてもここにいたいわけではないが、今朝わざわざ硬派な紫乃ちゃんに見送ってもらった手前、日帰りで戻っては格好がつかないのだ。竜美さんはしばらく腕を組んで何かを思案したのち言い放った。

「ならば私を笑わせてみるのじゃ。そうすれば滞在を認めてやる」

「笑わせる!?」

「そうじゃ。関西は笑いに厳しいからの。覚悟するのじゃ」

 随分と無茶な要求である。

「笑わせると言いましても、私なにもできませんし・・・」

「何か芸はないのか。特技を披露しろ。特技を」

 特技・・・あやとりなんかやったら怒るんだろうなぁとは弓奈も思ったが、他に室内で披露できる特技などないのでしぶしぶポケットから桃色の毛糸を取り出そうとした。ひざの上でしっかりと抱いていたキャリーバッグが邪魔になることにここで気づいた弓奈はバッグを畳に置かせてもらった。今まで硬くて重いバッグを抱くようにずっと支えていた彼女の両手はすっかり痺れていて、一時的なものではあるがひじから先の感覚が完全になく、ポケットから毛糸を取り出すのにも肩や背中にまで力を入れる必要があり苦労した。竜美さんはそんな弓奈の様子を大変怪しんだ。

「あ、あやとりしまーす・・・」

 指先が動かなくて毛糸を各指の間に通すだけでひと苦労だった。血流はまだ滞っている。この世のあらゆる物をあやとりで表現してしまうという創作あやとりも弓奈は得意だが、これには半日以上の時間を必要とする場合も多いのでここで演じるのは不可能である。弓奈は仕方なく簡単に出来る東京タワーを作ることにした。

「ん・・・んん・・・・」

 血が通い始めた。足の痺れが解放され始めた時に経験したことがある、あの最高にくすぐったくて我慢できない感覚が今、弓奈の両腕を駆け始めた。指を少し動かすだけで電気の走るがごとくである。

「あ・・・んっ! んん・・・」

 これはあやとりどころではないが、ここまで来たら引き返せない。弓奈は身悶えしながらも東京タワーを紡ぐべく必死に毛糸と格闘した。

「んっ・・・あん! あはっ・・・んんん!」

「お、おい犬井・・・こいつ笑い出したぞ。おかしくなったんじゃないのか」

「おそらく腕が痺れているのでしょう」

 目隠しをしたままの犬井さんのほうが竜美さんより鋭いことが弓奈には可笑しかったが、そんなことを気にしてる余裕は今の弓奈にはない。

「んんん! あっ・・・あはっ・・・あはっ・・・んー!」

「なんだこいつ! 面白いぞ! お前は普段からそんな一人遊びをしてるのか!?」

 竜美さんは目を輝かせて身を乗り出した。

「あはっ・・・やめ・・・笑わさないでくださ、あんっ!」

「犬井! こいつ面白いぞ! 後ろから押さえろ! 私が腕を触ってやる!」

「はい」

「や、やめてくだ・・・キャー!!!」

 かくして生徒会長富士川竜美に気に入られてしまった弓奈はよろずよ学園滞在を許可されたのだった。

 

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