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66、財閥の発想

 

 紫乃はぐったりしていた。

 夏休みをこのままの状態で過ごしていたら淋しくて切なくて苦しくて病気になってしまいそうである。あのモテにモテまくる弓奈が訪問先の学園でモテないわけがなく、おまけに彼女はひと夏しかやって来ない期間限定の女神様であるから、あちらの少女たちは弓奈に猛アタックしてくるに違いないのだ。紫乃は生徒会室のテーブルに突っ伏したままお昼ご飯も食べずに何時間も悶えていた。

 その頃一年生のあかりはというと、初めて迎える学園の夏休みに胸の高鳴りを隠しきれず、人影まばらな一年生寮の廊下をほふく前進したり、どこかにいるはずの雪乃ちゃんを探して第三管理棟や学舎を回ったりしていた。憧れのお姉様が不在なのは残念だが、あかりは持ち前の明るさでこの陰鬱な空気を吹き飛ばそうと励んでいるのだ。ひと通り遊び終えて満足したあかりは生徒会室へやってきた。

「紫乃せーんぱい。どうしてそんなにお疲れなんですかぁ」

 あかりは紫乃の頭の上にあごを乗せてそう言った。紫乃は全く動じない。

「せんぱーい。ゆきちゃん呼んでトランプとかしませんかぁ」

 あかりは紫乃の髪をくしゃくしゃといじりながらお願いした。

「先輩の髪やわらかいですねぇ。ずっとクンクンしてていいですかぁ?」

 嫌がりそうな冗談も織り交ぜてみたが、やはり紫乃は返事をしない。こうなったら耳元で騒ぐしかない。

「せんぱーい!」

「うるさいです」

 紫乃がようやくしゃべった。あかりは嬉しくて紫乃の肩をぐわんぐわん揺らした。

「元気だしてくださーい」

「私は元気です。元気ですが、それを表に出すつもりはありません。元気は自分の体内で大切に育むものです」

「な、なるほど! そんな理由が・・・さすが先輩です」

 あかりは大人しく紫乃の隣りの椅子に腰掛けた。お姉様ほどではないにしろやはり紫乃先輩は厳しくてカッコイイなぁとあかりは思ったが、そんなにぴったりとテーブルに顔を伏せていて息苦しくないのかと疑問に思ったりもした。先輩はうつぶせが得意らしい。

「あーあ。お姉様は出張。会長様も休暇でおでかけされたし、学園に残っているのもなかなか退屈ですねぇ」

「出張じゃなくて親善訪問です。退屈ならあなたも他の生徒たちと同じように帰省されてはいかがですか」

「そう思います?」

 あかりが紫乃の耳元で訊くと、紫乃はゆっくりと首をあかりの方に回し「はい」とハッキリ答えた。

「それじゃあ私も実家に帰っちゃいますね」

「どうぞ」

 一切引き止めてくれないのであかりは淋しくなって紫乃にしがみついた。

「とめて下さいよぉ!」

 あかりは紫乃の髪に顔をうずめたまま、不意にとある画期的な思いつきが天から降りてくるのを感じた。

「そうだ」

「暑苦しいので離れて下さい」

「紫乃先輩、私と一緒に弓奈お姉様を追っかけませんか!」

 紫乃は呆れが振り切れ慈悲すら溢れんとする眼差しをもって彼女の提案を一蹴する。

「では車の免許を取ってきて下さい」

「新幹線で行きましょうよ」

「あ・・・」

 一蹴された。

「で、でも、電車を使って京都まで行ったところで無駄です。弓奈さんや私の母は忙しいので合流なんてできないです。未成年だけでは宿の確保もできません。残念でした」

「あれ、言ってませんでしたっけ」



 津久田財閥。寛永期に製錬業にて栄え江戸で両替商、大坂で造船業を中心に発展した日本五大財閥の一つ。現在津久田本流を受け継ぐのは津久田自動車工業と津久田ランラン銀行のみとなったが、旧津久田財閥系企業全体の売り上げ規模は日本GDPのおよそ7%を占めている。



「私のおうちお金持ちなんです」

「・・・そうですか」

 遠足でお土産店のぬいぐるみを買い占めてくるだけのことはある。

「京都にも知り合いがやってる旅館いっぱいあります。どこも親戚のおうちみたいなものですから、自由に泊まれますよ。遊びに行きましょう!」

「・・・いつですか」

「明日」

「明日!?」

「キャリーバッグにお着替えつめて準備しておいて下さい。明日の朝8時に二年生寮へお迎えに上がりますね! ここと違ってあっちは暑いので注意して下さい。おかしは300円までですよ!」

 あかりはそう言って紫乃の後頭部にぎゅうっとほっぺを押し付けてから生徒会室を出て行った。ちょっと悔しいが、あかりの行動力にはかなわないと紫乃は思った。

 再び静まり返った生徒会室に、紫乃は今朝のあの人の声を聴いた気がした。

『ありがとう紫乃ちゃん。それじゃ行ってくるね』

 紫乃はリボンを直す振りをしていつまでも彼女のそばにくっついていたかったが、時の流れはそれを許してはくれなかった。

『なにかお土産買ってくるから期待して待っててね』

 お土産なんていらない・・・なんにもいらないから一日でも早く帰って来て、またその天使のような微笑みを私に下さい・・・紫乃はそんなことを思いながら、朝日を受けて輝く自動車の背を見送ったのだった。切ないほどに美しいその輝きがどんどん遠ざかって消えてゆくのを。

 紫乃はガタッと音をたてて立ち上がると、生徒会室の電気を消して戸締まりをした。

「おかしは300円以内・・・」

 紫乃はお財布を覗きながら寮へ向かった。

 

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