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65、地下道

 

 弓奈は地図で顔を隠しながら歩いた。

 自分を知る人のいるはずがない土地でなぜか大学生のおねえさんから握手を求められたり、部活帰りと思われる同い年くらいの女子高生に囲まれて一緒に写真を撮ったり、小さな双子の女の子に左右から抱きつかれたりでなかなか目的地にたどり着かないので弓奈はやむをえずコンビニで京都の地図を買い、それを仮面にして歩を進めることにしたのだ。これはこれで怪しいのでおまわりさんに声をかけられる可能性があるから弓奈は早くよろずよ学園に着きたい。

 足止めを食らいまくったせいでおよそ一時間のウォーキングになってしまったが、なんとか弓奈は学校案内に記されている住所のそばまではやってきたようである。このあたりは観光客向けに整備されたいかにもジャパンですよと言わんばかりの落ち着いた通りが続いていて、石畳の小坂を上り何度か脇道に逸れ階段を下ったあたりからは、さながら時代劇の世界であった。往来していたはずの観光客の影が見えなくなったので弓奈は自分の顔を隠していた地図をカバンの中にしまった。

「んー」

 こんなところに学校があるだろうか。寺社と老舗料亭と五葉松のあいだに校舎やグランドを据えることができるのかどうか弓奈には甚だ疑問だが、地図がここへ導いたのだから仕方がない。弓奈は夕暮れ時の長い陰を引きながらさらに歩いてみることにした。通りには弓奈の靴音とキャリーバッグのキャスターの音だけが心細く響いた。

 ふと、弓奈は何か見てはいけないものを見た気がして足がすくんだ。燃えるような夏の夕焼け空に静かに佇みながら、ぞっとするような存在感をともなったそのシルエット。それは弓奈がここへ来るまでに見かけたどんな建物にも似ていなかった。青銅色の屋根から天を突くようにトンガリ帽子が伸びており、その先端では装飾の鳥さんが夕日に背を向けて東をじっと睨んでいる。まるで夏祭りの神様が普通のお社に飽きて思いのままの別荘を建てたような塔である。弓奈は他に行く当てもなく、同じ場所に立ったまま蚊に食わるのもイヤなのでその塔へ向かってみることにした。弓奈は蚊にも好かれている。

 大して大きな塔ではなかった。サンキスト女学園の時計塔のほうが遥かに大きい。門が大きく口を開けていたので勝手に敷地に入り塔の足元まできてしまったが、ここがお寺や神社ではなく単なる私有地だったら怒られてしまう。弓奈は周りに誰もいないことを確かめてから、黄昏色の木漏れ日をまだらに受けた塔の石垣に触れてみた。乾ききった石肌はざらざらしていて、火照った弓奈の指先よりも熱かった。

「はぁ・・・」

 弓奈は石垣にもたれてため息をついた。

「私なにやってんだろ・・・」

 全くである。姉妹校を探しの道草も大概にしたほうが良い。急に体が重く感じられてきた弓奈は石段に座って降り注ぐヒグラシの声に癒しを求めた。今頃紫乃ちゃんたちは何をやっているだろうかと弓奈は考えようとしたが、頭がぼーっとしてしまってどうしようもない。弓奈はのどがカラカラに乾いていた。背中を伝っていく汗を数えながら、地図を買ったときに何か飲み物も一緒に買っておけばよかったと弓奈は激しく後悔した。夕風が木の葉をざわつかせながらひとりぼっちの弓奈の周りをくるくる回って過ぎていった。

「お水、飲まれますか」

 急に女の子の細い声が聴こえたので弓奈は血の気が引いた。右を見ても左を見ても人影はいない。弓奈は今の声が自分の気のせいであること確かめたくてさらに耳を澄ました。おばけだけには会いたくない。

「お水、飲まれますか」

 気のせいなどではなかった。振り返ると、先程までは閉まっていたはずの塔の重そうな鉄扉がわずかに開いており、そこから水がなみなみと注がれたグラスを持つ白い手が一本伸びていた。

「お水、飲まれますか」

 でたーと弓奈は思った。これはおそらく夏に現れる妖怪「オミズノマレマスカ」で、道に迷った旅人にあの世の水を飲ませてそっちの住人にしてしまおうと企んでいるに違いない。弓奈は誘惑に負けない強い女であるので、聴こえない振りをして足を組み、地図を開いた。

「道をお探しですか」

 おやっと弓奈は思った。彼女は水を飲ますだけの妖怪ではないらしい。間違った道を教えられる可能性もあるが、危険くらいは自分で察知して対処しようと弓奈も思っているので、ここは素直に道を訊いてみるのもありかもしれない。

「えーと・・・実は迷子でして・・・」

 振り返ると扉の隙間の暗闇から女の子の白い顔がこちらを覗いていた。弓奈は泣きたくなってきたが笑顔は忘れなかった。

「この当たりに・・・よろずよ学園っていう学校・・・」

「こちらです」

「え」

 女の子は弓奈からの返事を予め知っていたような早さで返事をし、重い扉をぐおーんと音を立てて開けた。

「よろずよ学園はこちらです。どうぞ」

「は、はあ・・・」

 こちらですこちらですと同じことを繰り返すので弓奈は仕方なく扉の中へ一歩踏み入った。

 一気に汗が引いた。外観からは想像もできなかった空調設備の充実具合である。扉が閉まるとそこは照明の設置を抑えたかっこいい博物館の裏口ようで、通路の両側に付いた足元の小さな白いランプが奥までずっと続いている。

「お水、飲まれますか」

「あ、ありがとうございます」

 どうやら妖怪ではないようである。キンキンに冷えたお水がのどに心地よくて弓奈は一気にグラスを空けてしまった。目をこらすとそこには小さな窓口があるので、女の子はここで来校者を案内する事務員の役をしていると思われる。おそらくよろずよ学園のアルバイトのひとつなのだろうと弓奈は思った。

「のどが乾いていたのでとっても美味しかったです。ホントにありがとうございました」

「お化粧してはるんですか?」

「え?」

 暗いのでお互いの顔はよく見えないが、水を飲んでいるとき弓奈は女の子にじっと見られていたらしい。

「いえ、してませんけど」

「なるほど」

 何がなるほどなのか分からないが、とりあえず弓奈はこの生徒に自己紹介をし、よろずよ学園について尋ねてみようと思った。

「私、サンキスト女学園から親善訪問で参りまし・・・」

「小熊様?」

「あ、いいえ。私はその小熊生徒会長の代理で参りました、倉木弓奈と申しま・・・」

「そうですよね。去年とお顔が随分違うので戸惑っておりました」

 若干食い気味である。

「今年の小熊様は昨年よりもさらにお綺麗です。まるでお人形のようです」

「ですから私は倉木・・・」

「ご案内します。どうぞ。足元にお気をつけ下さい」

 女の子は窓口の中からプレーンな白提灯をひとつ持ってきたが、それはスイッチ一つで点く近代的提灯で、おまけにその色は輝ける21世紀的ブルーだった。LEDの提灯なんて聞いたことがない。

「小熊様はここまでどうやっていらしたんですか」

 並びながら歩いて弓奈を案内してくれるその少女は、よく見ると夏祭りに行くような可愛らしい浴衣を着ている。

「京都駅までは学園長先生のお車で、その後はバスがよく分からなかったので徒歩で来ました。あと私倉木です」

「そうですか。それは長旅でしたね。今日はごゆっくりおくつろぎ下さい」

 旅館みたいな言い方である。知り合いの一人もいない訪問先の学園でくつろげる女子高生は全国にも数えるほどしかいないだろう。

「袴はお持ちですか」

「ハカマ?」

 成人式はまだ早い。

「ちょっと持ってないです・・・」

「わかりました」

 それにしても長い通路である。本当にここを抜ければ学園の入り口にたどり着けるかのどうか弓奈は心配になってきた。おまけにこの通路は傾斜があり少しずつ地下に潜っていっているので、やはりこの女の子はおばけで、どこかアブナイところへ連れ込もうとしているのではないかと不安にならないでもない。

「あのー・・・」

「なんでしょうか」

 提灯の青白い光に浮かぶ少女の顔がなんだか怖いので、弓奈は自分の抱えている不安をしゃべることができない。

「ゆ、浴衣・・・かわいいですね」

「あ、これは事務用の作業服です。普段私たち学園生徒は制服として『よろずよ限定ハイカラな羽織と紅袴』を着ています」

「ハイカラ・・・ですか」

 いまどき女子校の制服が袴だなんて想像もできない。もしこの少女の言うことが本当なら、サンキストとは随分校風が違う。

「もうすぐですよ小熊様」

「あ、はい。あと私倉木です」

 もうすぐ着くと言われても二人はどんどん地下へ地下へと潜っているし、出口が見える気配もない。エアコンがやたら効いていて弓奈はだんだん寒くなってきた。

「ここです」

 小さな部屋に着いた。照明は足元の小さなライトだけで、あとは提灯が照らしている範囲しかはっきりは見えないが、ここが学園でないことは明らかだった。

「あの、ここは一体・・・」

「正門ですよ小熊様。入りましょう」

「ハイ・・・」

 もう小熊様でいいやと弓奈は思った。女の子は提灯のスイッチを切って床に置き、正面の暗がりに手を伸ばした。

「ようこそ西風閣よろずよ学園へ」

「んっ!」

 暗闇はふすまを開けるような軽い音と共にあっけなく二つに分かれる。弓奈はそのあまりのまぶしさに目をきゅっと閉じたのだった。

 

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