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61、こわい話

 

「はい。作品を提出した人から解散です」

 あかりの美術のクラスではオリジナルの絵本を製作する授業が行われていた。四月に習ったコラージュやバティック、スパッタリングといった絵画技法を二つ以上使うという条件で、あとは全てが自由という大変創造性の高い活動であり、しかも優秀作品は駅前の図書館の児童書コーナーに寄贈されるためやり甲斐にも富んでいる。

 あかりは、やたら飛び跳ねるため周囲の馬たちに気味悪がられ酷い目に合わされていた子馬ちゃんが、実は美しい翼を生やすペガサスの子だったという若干「みにくいアヒルの子」をパクったお話をおよそ2ヶ月かけて書き上げ提出した。あかりにしてはまともな絵本が出来上がったが、実はこれは美術室に余っていた白紙の絵本を拝借して作り直した第2案の物語で、あかりが本来作りたかった絵本は今、見事完成した形で彼女のカバンの中に眠っている。

 そんなことよりあかりが気になっているのは日曜日の約束のことである。弓奈たちと隣り街のプールへ行く約束だ。一年前は想像もできなかった、憧れの先輩とのレジャーであり、おまけに試験もあと数日で終わるため実質週末から夏休みのようなものだからあかりは背中に翼を生やしたように浮かれていた。

「会長様ぁー。こんにちはー」

 あかりは生徒会室へやってきた。体育祭での逆転劇にちょっぴり貢献したので生徒会室への出入りを紫乃によって遠回しに許可されたあかりは、さらに先輩たちと親しくなるべく足繁くここに通っているのだ。

 ところが部屋には誰もいなかった。喫茶店みたいな香りに絵の具のにおいが混ざった不思議な空気を胸いっぱいに吸い込んで、あかりは手前の柔らかいソファにダイブした。

「貸し切りぃ!」

 寝転がって天井をぼんやり眺めながら、あかりは弓奈のことを考えていた。

「お姉様・・・」

 あかりは弓奈のふとももとニーソックスの間に人差し指をゆっくり入れさせてもらうというちょっぴりいかれた妄想をしばらくしていたが、いつの間にか眠ってしまった。

 15分程の静寂を打ち破って、あかりは突然ガバっと体を起こした。

「そっか! 皆さん試験勉強してるんだ!」

 気づくのが少し遅かったようである。あかりは慌てていつのまにか床に転がっていた自分のカバンを拾い上げると、弓奈がいつも座っている椅子に投げキスしてから部屋を去って行った。



 ところが、あかりが出てったおよそ40秒後に弓奈が雪乃と一緒に生徒会室へやってきた。それぞれが別の階段を使ったためあかりと弓奈たちは廊下で会うことはなかったのである。

「ん、やっぱり誰もいないよね」

 弓奈は会長のお茶セットの並びや保存状態を乱さないよう細心の注意を払いながら雪乃ちゃんにココアを淹れてあげた。

「ごはんの時間までここで待とうね」

「うん」

 笑顔の小熊会長と真顔の学園長先生が夏休みのことで激しく議論を繰り広げているらしい。学長室に居場所がなくて廊下でぶらぶらしていた雪乃を見つけた弓奈は彼女を保護し、とりあえずここへ連れて来たのだ。

「ふーふーして飲んでね」

「うん」

 おそらく親善訪問のことでヒートアップしているのだろう。この前は性的な圧力に耐えかねて首を縦に振ってしまったが、はやり弓奈は自分が生徒会長の代わりになって姉妹校へ行く自信などない。おそらく会長には余程重要な用事、例えば親戚が住んでいるイギリスだかフランスだかへひと月飛んで行かなければならないとか、そういったものがあるのかも知れないが、もう少し弓奈の器の大きさも考慮してから天才的サマープランを立てて頂きたいところである。

 さて、試験期間なので弓奈も勉強はしなければならない。テストでいい点を取りたくはないが、勉強をろくにしないで一番をとり続けているとさすがに罪悪感が胸の中で炸裂して寝不足になりそうなので、ある程度は頑張ることにしたのである。それに選択肢の中に正解が見えればわざと間違えることが可能になるわけで、勉強せずに適当に回答をしているよりも点数を低く抑えることができるかも知れない。弓奈は陶製の椅子に腰掛けて日本文学史のノートを開いた。

「弓奈」

 ふと顔をあげると、ソファに座ってココアを飲んでいた雪乃ちゃんが絵本を持ってこちらを見ている。どうやら読み聞かせをして欲しいらしい。

「おっ、なぁにその絵本」

 とにかく弓奈は小さい子と一緒に遊ぶのが好きなので全く迷わずにノートを閉じて立ち、雪乃の隣りに腰掛けた。やはりお勉強はひとりの時にすべきである。

 この部屋には小熊会長がどこからか運んできた美術の資料が多いので、ちょっとステキな絵本もたくさん本棚に並んでいる。弓奈がこの前みつけた “La Belle au bois dormant” すなわち眠り姫の絵本は、本文こそフランス語だらけでサッパリだったがなかなかに凝った仕掛け絵本だったので、夕食の時間になり紫乃に注意されるまでずっと眺めていたことがある。

 日本語の絵本であれば読み聞かせも可能である。弓奈は雪乃ちゃんから本を受け取り、彼女に肩を寄せた。

『お姉様はシンデレラ』

 日本語である。ちょっと変わった題のついた絵本だが、表紙に何も描かれていないあたりはなかなかシックでステキである。雪乃ちゃんがバニウオを抱いたまま腕にもたれてくるので弓奈は微笑みながら本を開いた。

「むかしむかしあるところに、モモコという娘が住んでいました」

 はて、シンデレラのお話にそんな子登場したかと弓奈は首をかしげたが、雪乃ちゃんが待っているので止まらずに読んであげることにした。

「モモコはある日街の広い馬車道ですれ違った娘に恋をしました。シンデレラという美しい少女です」

 おやおやと弓奈は思ったが、雪乃ちゃんがわくわくしているのでさらに読み進める。

「モモコは次の日も、そのまた次の日も街へ行きシンデレラに会いに行きましたが、話しかけることができません。彼女があまりに美しかったため、勇気が出なかったのです」

 話は今のところわかるのだが問題は挿絵である。ピンク色の髪を振り乱した脚の長い女が、ページ狭しと言わんばかりに大きく描かれており、弓奈は一種の恐怖をすら覚えてしまった。

「ある日モモコは彼女のあとをつけていきました。どんなおうちに住んでいるか知りたかったのです」

 ここまで読んで弓奈は「この本どこにあったの?」と雪乃の尋ねたが、彼女は「落ちてた」とだけ答えた。

「えーと・・・モモコはシンデレラの家の彼女の部屋の窓を遠くからながめることが日課になりました。毎日おそうじや洗濯で忙しそうです」

 ストーカーじゃないのと弓奈は思ったが、お話はまだ続くので読み進めることにした。

「ある日、シンデレラのおうちが留守になったのでモモコはこっそり中へ入りました。街ですれちがった時にかすかに感じたシンデレラのいい匂いがします」

 雪乃ちゃんが弓奈の腕にしがみついてきた。

「シンデレラの部屋でモモコは半日過ごしました。クローゼットを開けて彼女の服を着たり、机の引き出しをあけて彼女の思い出の品などを自分のポケットに入れたりました」

 さすがに弓奈も怖くなってきて雪乃ちゃんと一緒に震え出した。

「そしてモモコはダストボックスの中から一通のお手紙を見つけました。お城の舞踏会の案内状です。シンデレラはきれいなお洋服をもっていないためお城へ行くことをあきらめていたようです」

 ストーリーが中途半端に原作と絡んでいて妙にリアルである。

「モモコはすぐに街へ行って綺麗なお洋服を探しました。シンデレラが着るのですから、世界一美しいドレスでなくてはなりません。モモコは道に停まっている馬車の窓をひとつひとつのぞいて歩きました」

 雪乃はもはや絵を見ていない。これは見ないほうが正解である。

「するとモモコは素晴らしいドレスを見つけました。中に人が入っていましたが、おかまいなしにそのドレスをひったくり、大喜びしながらシンデレラの家へと向かいました」

 ただのホラーである。

「シンデレラの家のそばにある池のほとりの切り株にシンデレラが腰掛けていました。彼女はしくしくと泣いています。モモコはドレスを背中に隠してシンデレラに近づきました」

 これ妖精の仕事じゃないのと弓奈は思ったが、ストーリーの展開は彼女を待ってはくれない。

「モモコは自分は妖精だとシンデレラに言いました。お城の舞踏会へ行けなくて悲しいのですねというとシンデレラは星のように輝く涙をひとつ落としてハイと言いました。モモコはすかさずドレスを差し出し、ならばこれを着ていきなさいと言いました。シンデレラはそれはそれは大層喜んでドレスに着替えると街のほうへ駆けていきました」

 弓奈はイヤな予感がした。

「街は大騒ぎでした。遠くの街からやってきていた貴婦人のドレスが何者かに強引に奪われたからです。お役人はドレスを持ち去った悪い女を探して街じゅうを警備していました。そこへ何もしらないシンデレラが・・・」

「忘れ物しちゃいましたぁ!」

 突然にドアが開いたので弓奈と雪乃は半泣きで飛び上がった。

「弓奈お姉様とユキちゃんじゃないですか!」

「あ、あかりちゃん。こんにちはぁ」

「こんにちは! ちょっと忘れ物しちゃって。たぶんここに落としたと思うんですけど」

 あかりは弓奈の手の中の絵本を見つけた。

「あ、それです拾って下さってありがとうございますぅ!」

 作者の登場である。雪乃はうううと泣き出してしまった。

「それでは失礼します! 日曜日にお会いしましょうー!」

「ま、待って」

 弓奈はあかりを呼び止めた。

「あかりちゃんは・・・人のお部屋に勝手に入ったりとか、してないよね?」

 あかりはふっと無表情になって弓奈と雪乃を見比べていたが、やがてはじけるようないつもの笑顔に戻って答えた。

「そーんなことするわけないじゃないですかぁ♪」

「そ、そうだよね! 変なこときいてごめんね」

 雪乃のあかりに対する警戒心は今日で一層強くなったことは言うまでもない。

 

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